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佐伯祐三展 自画像としての風景

2023-04-09 13:58:12 | 一期一絵

東京駅のステーションギャラリーにて鑑賞しました。

佐伯祐三は1898年に大阪で裕福な家庭に生まれ、19歳に東京美術学校に入学、校内でもトップを争う優秀な学生だったそうです。

展覧会では最初に自画像が展示され、初期の絵の変遷が分かりました。

「自画像」1917年

かっちりと形をとる力強い描き方。鏡を見て描くので目は当然こちらを見てますが、その眼が鋭く挑戦的です。

 

「帽子をかぶる自画像」1922年

暗い背景から浮き上がるように自画像が描かれていて、奥行きを感じさせる。古典的な描法を自分のものにしてる。

佐伯祐三は日本画を学ぶ池田米子と恋愛し結婚。ご夫婦とも実家がお金持ちなので家を新築してもらって住み始め、女の子が産まれてます。

「自画像」1923年

卒業制作の時に描かれた自画像。この作品は、中村彜(なかむらつね)の描く「エロシェンコ氏像」の作品と似ていて影響を感じます。また背景や髪の毛、肌や青いシャツの色の中にも様々な色合いを微妙に塗り重ねていてルノアールの影響も伺えます。

 

「彌智子」1923年

幼い娘さんをスケッチのように描いた肖像画。目鼻立ちははっきりとは描いていないけれど、ふっくらして暖かく柔らかい紅い頬っぺた、それにベビーピンク色の服は当時の写真では表すことが出来ず絵画だからこそ表せた作品。愛情のこもった作品にはどこか儚い雰囲気もあります・・・

他にも人物や静物を描いた作品が何点か展示されてました。

 

1924年1月、卒業後、パリに妻と娘を連れて絵の修行をしに行きます。

「パレットを持つ自画像」1924年

こちらの自画像はセザンヌの影響を受けているのがよくわかります。やはりシャツや上着や背景などにセザンヌとそっくりに微妙に色を変化させてます。

 

そして同じ日本人の画学生のつてでモーリス・ド・ブラマンクに自分の描いた裸婦像を見てもらいます。

そこで、運命が動き始めます。ブラマンクに「このアカデミック!」と強く叱責されたのです。

大変な怒りようだったそうですが、ブラマンクが本当に嫌な人だったら、フン、と言って何も言わなかったと思うのです。

「立てる自画像」1924年

佐伯祐三もブラマンクの意図を悟ったのだと思いました。

ルノワールは、若いころの作品を見たことがありますが、まるでティツィアーノかと思うぐらい正統派の絵を描いてました。技術も完璧でした。でもそれはもう出尽くして過去に頂点も極めてしまっている、今から同じものを描いても二番煎じに終わる。これからの美術の世界は新しい表現が必要だと切実に感じたのだと思うのです。新しい視点と可能性を模索し、自分独自の表現を作り上げるために、色の表現と独自の描法を開拓していった人。それは大きな葛藤と試行錯誤を経てようやく確立したものだと思います。

セザンヌは、技術的にはルノワールに及びませんが、自分の表現の可能性を求め、強い自尊心と探求心でやはり試行錯誤と葛藤の末に独特の描法を獲得していき、美術の可能性を開拓していった。

だからその完成体をさらっとものにするのは、表面的で、今や評価される側になった先人(ルノワールやセザンヌなど。しかも美術の潮流は次世代に入っている)のお手本に倣ったアカデミズムの作品だ。これから求められる美術ではないと指摘された。大いなる美術家の野望を持ってパリに来た青年にとってそれは全否定に近い。

これまでの自画像のような自信に満ちた表情と違い、ブラマンクの作品の色合いを感じさせる画面に面目をつぶした彼自身が途方に暮れて立ちすくんでいる。

 

そこでつぶれていく人も多いと思います。が、独自の絵を求め試行錯誤と葛藤が始まる。

最初はやはりブラマンクの影響を受けた風景画を描いてます。あのセザンヌのような変化する色合いがなくなり、緑や土にはっきりした色を使い殆めます。ブラマンクは後に再び佐伯祐三の作品を見て「物質感はなまくらだが大変優れた色彩家」と評したそうです。相変わらず毒舌ですが佐伯祐三の作品を認めている。

 

パリの街や郊外の家並みを描き続け、次第に独自の作風を確立して、家々の壁や入り口を真正面に据えて描くようになります。

佐伯祐三は速描きな画家ですが、描かれたパリの下町は、家々にどっしりとした重みと存在感があり、暮らしているうちについた壁の汚れや、消えかかった文字、ちょっと壊れかけている部分があり、そこに人々が生活している気配が感じられました。人はまるで残像のようにごく簡単に描いてます。そしてブラマンクが指摘したように色彩が美しい。

何より作品から、湧き出るように描く喜びを感じました。どこの通りに行っても必ず絵心を刺激する家々や壁がある。あそこも描きたいここも描きたい。

展覧会が開催されていた東京ステーションギャラリーでは前半(自画像や人物、静物、パリから一時帰国して東京都落合に住んでた頃の作品、そしてパリでの初期)の作品は3階に、後半(画風が確立されたパリ時代)の作品は2階に展示されてました。特に2階の展示室の壁は古いむき出しのごつごつした煉瓦になっていて、絵の雰囲気と合っていて、私たちも20世紀初めのパリの裏通りを歩いている気分になります。

「コルドヌリ(靴屋)」1925年

 

「壁」1925年

パリの町並みを描いた作品と言えばユトリロを思い出します。佐伯祐三もユトリロの作品から影響を受けたそうです。静かな詩情を感じるユトリロの作風に対して生活感のある暖かい作風は佐伯独自のもの。その魅力はフランス人にも評価され始めたそうで、サロンで入賞したそうです。

 

「薔薇」1925年

パリで描かれた静物画も何点か展示されてました。私は特にこの薔薇の絵に惹かれました。大胆な筆致でありながら花瓶に生けた薔薇が手に取れるようにしっかり存在してる。

 

佐伯祐三は家族の幾人かを結核で亡くしていて、彼自身も結核を患っていて症状が悪化し、仕事でパリに来た兄が心配して帰国を促し、1926年1月、一家は日本にもどります。

そこで一家の住む落合の風景を描いてます。それは当時の日本らしい風景で、家々も建て込んでない長閑な風景でした。風景の中の文字に興味を示し、看板に描かれた漢字の文字に存在感がありました。

また、実家のある大阪で描いた帆船の作品は帆を張る柱が力強くまっすぐに描かれて見ごたえがありました。

だけど、

佐伯祐三はどうしてもフランスのあの街並みや風景を描きたいと熱望します。

1927年8月、もう一度一家でパリに行きます。結核の具合も良くなかったそうだし、覚悟の出国だったのでしょう。

空気感と生活感のなか、明るい色合いが親しみを感じさせ、風景の中に書かれている文字が更に存在感を増し、枠からはみ出て動きと楽しさを増してます。

そして、軽快に描き込まれた線は、どこか日本の墨絵を思い出しました。

「ガス灯と広告」1927年

 

「レストラン(オテル・デュ・マルシエ)」1927年

 

「リュクサンブール公園」1927年

 

日本人の画学生の仲間と風景画を描きに行ったときは、一日2枚のペースで描いたそうです。凄い集中力。休みを知らない創作欲は体力を奪ったに違いありません。

 

「黄色いレストラン」1928年

結核が悪化し、外で最後に描いた2枚の扉の絵のうちの1枚。鮮やかな黄色いドアの前に建つ女の人はどちらを向いてるのだろう・・?

 

「郵便配達夫」1928年

部屋で療養しているとき、家に来た郵便配達員さんを見て絵心が湧き、モデルになってもらって描いた作品。強い線で力強く輪郭を描いていて、カッと見開いた青い眼に迫力を感じます。やはり日本の水墨画の線のよう。一緒に描いた同じ人の半身像も会場で展示されてました。この郵便配達員さんはこの時だけ現れてもう二度と来なかったそうです。

 

衰弱して絵を描くのもできなくなった佐伯祐三は自殺未遂を起こし、精神病院に入院します。

さらに娘の彌智子ちゃんまで重い結核になってしまいます。奥さんの米子さんは幼い娘の看病で離れることはできず、佐伯祐三は1928年8月、30歳でひっそりと衰弱死。

その2週間後、彌智子ちゃんも亡くなったそうです。まだ6歳の幼い命。多分父親から感染してしまったのだろう・・・。あの可愛い肖像画の女の子。

二人を失った米子さんの心情もどんなに辛いものか・・・。

 

佐伯祐三はご自身の命の期限を意識していたのでしょうね。画家生活は数年と短いなか、パリ生活は実質約3年で、その期間で爆発するように多くの絵を描きあげた。日本にいる時も勿論絵を描いてますが、やはりパリの街角は建物が洒落てて長い間人が住んだ時間の痕跡もあって、家屋に鮮やかな色が使われたり、文字までも素敵なデザインに見えて、油絵にするのにこんなにふさわしい所はないと画家の心踊る気持ちを感じます。思い切りのいい線や歪みが生じても、きちんと技術を持ってる画家なので破綻せず作品に面白みを作り、明るい色合いで彩ってます。その影に死を覚悟した病との葛藤があり、絵を描く事に殉じた。精一杯燃焼した人生なのだと思いました。

 

一人の天才が作品を残していった影で幼い命が儚く終わらせた事も、でも心に残ってしまいました。

 

 

 


2 コメント

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絵の中のパリ (himary)
2023-04-10 15:14:51
ごみつさん
佐伯祐三のパリの街の絵はいいですよね♪
ちょっとくたびれた街角には、異国なのにどこか懐かしさを感じがします。簡単にシルエットのように描かれた通りを歩く人も明るい色の服を着て、しかも洒落ている。そして詳細に描いてないからこそ見る私たちが自分なりに補って見る楽しさがありますね♪
会場のステーションギャラリーの雰囲気ともあっていて見ごたえのあるいい展覧会でした。
東京駅つながりで、ごみつさんが勤められた本屋さんにも佐伯祐三の本を求めに来られる方がいたのもなるほど~と思いました。もう少しこの画家を知りたいと思ったり、展覧会ではパンフを買わなかったけどやはり手元に作品集が欲しいなと思われたのかな。
佐伯祐三の画業にブラマンクの一括がなかったらその後もルノワールやセザンヌの影響から脱することはできなかったかも。そう思うと、ブラマンクの貢献は大きかったし、それを足掛かりにして自分の作風を完成していった佐伯祐三はやはり凄い画家だと思いました(^_-)-☆
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Unknown (ごみつ)
2023-04-09 16:47:10
こんにちは。

ステーションギャラリーはわりとこじんまりとしていて、作品を鑑賞しやすい良い美術館ですよね。
3月中は、佐伯祐三の作品集を探してお客さんがお店を訪ねてくれていたのですが、芸術関係の書籍は前倒しで返品していたので、あまりみていただけなかったのが心苦しかったです。

私も日本の画家の中では、佐伯祐三がトップクラスで好きです。
特にパリの町並みを描いた作品群は本当に素晴らしいですよね。

作品や作家に対する洞察が暖かい視点で記述されていて、感慨深く読ませていただきました。(^o^)
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