鉄は錆びても鉄である。
冒頭、足元もおぼつかない高齢の女性がスーパーで買い物をしている。
帰宅し、夫婦一緒に朝食をとる。夫はトーストに分厚くバターを塗り、それを諌める妻とイギリス人らしい辛口のユーモアを交えた会話を交わす。そこへ通いのお手伝いがやってくる。
今までいた夫は、食卓から消えている。
一人、朝食をとる女性。
マーガレット・サッチャー。イギリス初の女性首相、通称『アイアン・レイディ』
長年連れ添った夫デニスは数年前に亡くなり、一人住まい。時々訪ねてくる娘に、ハウスキーパーを雇い、普通ではないのは家の外に常時待機する警備員。
サッチャリズムと呼ばれた政策の功罪、卓越した女性の栄枯盛衰記を求めていくと物足りないだろう。
“鉄の女”を文字通り壮年期の良きにつけ悪しきにつけ活躍していたころのサッチャーとしてとらえるならば、「認知症の彼女の描写をあんなに多く描くことない。見たくなかった」という声もわかる。
けれど、認知症と呼ばれる症状が“病”で”衰え”ととるかどうかということについては、身近に対象がいる人には身に詰まされるだろう。
どんな優れた強い人物も、老いには勝てないのだろうか。
上り詰めていく過程、政界での駆け引き、大きな事件は語られもするが、ほとんどがドキュメンタリー調実映像でさくさくと流される。彼女がマッドハウスとまで呼ばれた男社会の英国議会政治の中で、どれだけの苦労を強いられたのかも伺い知れる程度だ。
ストーリーは、晩年の彼女が自分の人生を振り返って「思い出す価値がある」ものを見せていく。
彼女は若いころから一貫して、『自分の足で立ち、義務を果たす』ことを信条としてきた。
決して曲げなかった信念は、時として良い結果を導き、逆に数々の強引な政策と混乱も呼んだ。けれど常に彼女は決断の人であり、自分が下した決断の結果から逃げなかった。長いスパンで見た国家再生の道は、その時点では何かしらの犠牲を払い糾弾も受ける。けれど時がたてば評価の時が来る。そう言った首相である妻に、夫のデニスは「またはゴミとされるか」と返す。
そうとわかっていても決意と実行、それに伴う批判も辞さなかったところが、日本の今の政治家には皆無の資質を持ち合わせていた女性だと思う。
デモや吊るし上げなどは茶飯事で、テロによる身の危険もある。彼女を盛り立ててくれた盟友の議員をそれで失った。夫と二人宿泊していたホテルも爆破された。首相夫妻は無事だったが、多くの死傷者を出したという。
それでも信念を曲げないサッチャー。並大抵の強さではないと思うが、逆に言えば女性の身で首相に就任したこと自体がすでに、信念を貫いた結果に引き寄せられたものだ。
フォークランド紛争勃発の会議の席で言うセリフ、「戦わなかった日など一日もないわ」が物語る。首相になってからのプレッシャーと責任は膨大でも、それで折れる意思ならば女性首相になどなれるわけもない。実際彼女は反対の閣僚に向かい、「この内閣に男は一人しかいないのですか」と言ったそうだ。一人とは無論、サッチャー本人である。
戦争についてはその決断を評価も裁断することも難しい。結果としてサッチャー人気を復活させた“国の誇り”も、意地か功名心か、それとも信念か。とにかく、日和見という言葉はサッチャーにはあり得ない。
その陰には、常にともにあり支えてくれた夫デニスの存在があった。国政に身を捧げる妻と、支える夫。家庭に収まりきれない彼女の資質を最初から受け入れてプロポーズしたデニスの存在あってこその“鉄の女”だったのだと感じた。
その相手を失った晩年。
社会の舞台から降り、身近な者を失っていく高齢者が一番大事にし自らを守るものが思い出であり、それが高じたものが幻影でもある。
夫がそこにいつもいるように姿を見て、会話を交わすサッチャー。けれど本人もそれが幻影であるとわかっている。それでも思い出も人生も分かち合える相手はもうその幻影しかいないのだ。時に消えてくれと叫ぶときもある。彼女自身の強い思いが生み出した夫の姿は、いまだ彼女の生活と人生に生前のようにアドバイスしてくる。
その大事な幻影に、彼女は終盤に別れを告げる。夫の遺品すべてを処分するサッチャー。
デニスの身支度を手伝い、光の中に送り出す。けれどやはり寂しさに耐えきれず、戻ってきてほしいと叫ぶ涙に胸が詰まる。
翌日、朝の紅茶を飲み終えたサッチャーが自分でカップをシンクに運び洗う。お手伝いの手を借りずに、ゆっくりと運び、ゆっくりと洗う。
かつて彼女は、皿を洗うだけの人生なんて真っ平と言っていた。けれど今はそれが、「自分の足で立ち、やれること」なのだ。
洗いながら近所の子供の声や喧騒に耳を傾ける。かつて英国の、世界の声を聞き取ろうとしていたように。
老いても若い頃のままの活躍や頭脳の回転がなければ惨めだとされる風潮は、それこそが幻影なのだ。人生にはライフ・ステージがあり、社会と他者に責任を持つ時代にした決断と、そこから降り心の支えだった伴侶の姿も心から一掃して新たに生きると決めることは、その人にとっては同じくらい大きく重い。そして忘却もまた、無意識化における本人の選択だ。
夫の思い出と幻影を断腸の思いで振り切り、自分を取り戻すサッチャーは、老いても鉄の女だ。
勿論、今も存命のサッチャーそのひとは、映画どおりではないだろう。それでもメリルが全霊を込めて演じたこの稀有な女性の生き方は、十二分に実際のサッチャーを見直すよすがになる。
うろ覚えだが、印象に残ったセリフ。半ば強制で診せている医者に気分を聞かれ、サッチャーは彼を見上げて言うのだ。
今はすべてに感情を重視する。私の時代は”考え”と”アイデア”こそ重要だった。
考えは言葉になり、言葉は行動をおこし、行動は習慣となり、習慣は人格になり、人格は運命になる。
これは彼女の父の言葉だという。
時代は感じること、感覚を重視する流れに変わった。また、過度の思考は脳を疲弊させ、アルツハイマーの原因になるとも言われている。
けれど彼女の時代は、その強い意志と行動力、それを導く思考が必要な時代だった。常に時代がふさわしい人物を選ぶ。
選ばれたものとして、人生を捧げその運命を生き切った英国の鉄の女性。過ぎた今だからこそ、彼女本人を見ることができる。
上り詰めても女性党首として男性議員を率いる微妙さを感じている時代。イギリス初の女性首相として決意を強固にするサッチャー。フォークランド紛争において歴史的決断を下した、もう女性かどうかは関係ない英国の首相。戦勝国となり一変して支持率アップし名実ともにイギリスのリーダーとなった姿。徐々に悪化する経済、11年の就任を経て終わり頃には頑固な独裁者に向かい、自らも衰えを自覚するようになったサッチャー。
そして、引退し夫を亡くし、一人暮らすマーガレット・サッチャー。
移り変わるそれぞれの時代を、表情と年齢の変化を見せて演じきったメリル・ストりープはまさに名演。特に首相になってからの立ち居振る舞いと目線、声の威厳には舌を巻く。高齢になり歩き方もぎこちなくなる様子も、今まで見た誰の演技よりもそのままの年齢にしか見えなかった。
けれど、老いたマーガレットもまた美しいのだ。彼女は自分自身との戦いからは降りていない。その上で今の自分を受け入れようとする。
国内外ともに政治には疎い私だが、一人の人間としてのサッチャーに俄然興味がわいた。
"If you want something said, ask a man. If you want something done, ask a woman."
もし誰かに言ってほしい事があれば、男に頼みなさい。でもやってほしい事があるときは女に頼みなさい。
マーガレット・サッチャー
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