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いつか大人になる子供たちのために~メリー・ポピンズ リターンズ雑感

2019-02-03 19:36:01 | 映画雑記

初日の初回に見てきました。原作のメアリー・ポピンズのシリーズは子供の頃の愛読書でした。映画を見たのは大人になってから。TV放映を見てないと、DVDはおろかビデオもなかった時代。昭和少女です(笑)

原作のメアリー・ポピンズ(イギリス読み)とディズニーのメリー・ポピンズは、かなりテイストが違います。著者のP・Lトラヴァース女史が映画化にあたりディズニー氏ご本尊とかなりやりあったいきさつを描いたのが、『ウォルト・ディズニーの約束』
この映画はかなり重要で、旧作と新作の間に位置してますね。興味があればぜひ見ることをお勧めします。エマ・トンプソン、トム・ハンクスという2大俳優の名演と共に、コリン・ファレルに号泣すること請け合い。

低評価が多いらしいですが、基本感想はその人のもので、好きに感じていいとは思います。ただリターンズの批判には、旧作を見てない人か、旧作と『ウォルト・ディズニー』のファンの双方がいて、見てない人はまあそういうもんでしょうが、後のほうがひっかかりましたね。

たいてい、大人の視点で見てるから。
「メリー・ポピンズ」は誰のための映画か。それを忘れてる。

リターンズの感想にはなりそうもないので、雑記にしておきます(^^ゞ

パンフには彼女が「魔法使い」と銘打ってありますが、メリーは魔法使いとは違うんですよ。すごく説明しにくいんですが、イギリス人には普通にわかるんだと思う(笑)
イギリスでは『メアリー・ポピンズを求む』という広告が新聞に載れば、優秀な乳母を求めるという意味で使われてきたほど親しまれた児童文学の傑作。
不思議な世界に子供たちをいざなうメアリーは、「ナニー」です。

「メリーは何も魔法を使って解決してないじゃないか、甘い空想の世界で遊ばせるだけで」という声を見たけど、それは旧作も変わりませんよ。基本メリーは大人の現実社会に不思議な力で介入しないし、父親の叱責から子供たちをかばうこともしません。これは原作もそうです。
だって彼女はナニーだから。

ナニーは学校に上る前までの幼児の衣食の世話をし、しつけをするのが基本。
悪い夢にうなされれば宥めてくれるだろうし、褒めることもする。けれど雇い主である実親の教育方針に口を出したりしません。そういう越権行為はイギリス階級社会ではことのほか厳しいです。前作から20年後の大恐慌時代でも同じ。
メリーは自分の雇用条件にはきっぱりしてるし、雇い主も煙に巻く人だけど、肝心のところは外していない。

メリー・ポピンズが不思議な世界を見せるのは、子供にだけです
だから大人たちにとって彼女は、時に子供をはしゃがせすぎだが有能なナニーでしかない。たまにメリーの不思議な世界に迷い込んだ普通の大人は、たいていパニックで受け入れないか後で忘れます。
メリーの知人や親類の不可思議な人たちに会うのも子供たちだけ。映画ではメリーと子供たちと共に、バートとジャックも一緒にいます。彼らはメアリー側と現実の大人側の真ん中に立ち、行き来する自由な大人の象徴。
かつてメリーに世話をされたことのあるマイケルとジェインの姉弟ですら、大人になった今作では、彼女の〝不思議”を目にしてはいない。自転車の多人数乗りは入れません(笑)

リターンズの子供たちは基本しっかりしていて、ぼやっとしたパパを手伝い、差し押さえられた家を守ろうとする。ジョンとアナベルの双子は、自分たちで何でもできる、ナニーなんて要らないと言うし、ナニーを雇うお金はないともマイケルも言っている。じゃあ何のためにメリー・ポピンズは再びバンクス家に来たのか。

メリーは子供たちを良い子にするためにも、マイケルにカツを入れてしっかりさせるために来たのでもないんです。

オリジナル版『メリー・ポピンズ』。ヴィクトリア朝名残りの中流家庭のバンクス家。堅物の銀行員であるバンクス氏は、子供たちへの愛情はあってもあまり示すことはない。日々を時計のように正確に騒音なしに過ごすことを良しとしてる。ジェインとマイケルの姉弟は、厳格なナニーたちをことごとくいたずらで辞めさせても、基本守られていて大人の世界の苦労も知らない子供。夫人は夫と子供を愛しつつ、家事はメイド任せで婦人参政権運動に熱中。
そんな家庭にやってきたメリー・ポピンズは、子供たちに見たことのない不思議な世界を見せてくれる。そしてある日、バンクス氏の銀行を見学に行った姉弟は、思わぬことで大騒動を起こしてしまう。そのために首になるバンクス氏。
「全部メリー・ポピンズのせいだ!」と憤るバンクス氏を宥めるのは、煙突掃除人のバート。
「あんたは社会では大物かもしれない。でも子供たちはすぐに大きくなり、愛おしさを示す前に出て行ってしまうよ」と。

その言葉と、大事な「2ペンス」を渡しに来た子供たちを見て、バンクス氏は我に返る。
メリー・ポピンズが彼に何か言ったか? 言ってません。「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」 有名なその文句でバンクス氏はキレますが、それも子供たちが父に、メリーが教えてくれたと伝えただけ。
メリーは家族そのものに介入したりしない。彼女は子供たちに想像力を与えた。それは単なる夢の世界だけでなく、2ペンスの使い方や父親の大変さを悟る想像力もまた。

リターンズでは状況がほぼ逆さまになっています。トプシーです(笑)
20年後の大恐慌時代。父親も務めた銀行で働くマイケルもまた、厳しい現実に身動きが取れず、幼い頃の夢や希望を忘れようとしてる。
最愛の妻の死もまだ受け入れられないでいるうちに、家を差し押さえられる事態に。親が頼りないと子供がしっかりする。ジョンは長男としてパパの代わりにもなれるよう気を張ってる。アナベルは母がいない今、その分も弟のジョージを世話しようとしてる。優しいジェイン伯母さんは一緒には暮らしていないし、エレンは年を取った。末っ子のジョージは二人より自由だけど、わがままは言わないしちゃんと空気を読んでいる。メリーがナニーに決まっても、上の二人はすぐには気を許してない。父と伯母の幼少期とは大違い。

でも、子供時代が短いこと、歳不相応にしっかりすることは、先を見れば子供のためにはならないんです。
メリー・ポピンズは、そのために来た。子供たちに夢見る心を取り戻させるために。
そして、家族を守るためにかたくなになろうとしていたマイケルと、弟一家や貧しい層を助けるため自分の幸せをわきに置いていたジェイン。二人にメリーは何も言わない。でも彼らの子供時代の心を思ってる。

『ウォルト・ディズニーの約束』 ミュージカルもアニメーションも、ウォルトの提示する案をことごとくはねつける塗り壁のごとき原作者P・Lトラヴァース夫人。、エマとトムハンの丁々発止のやり取りは傑作です。
はたから見たらなんという頑固ばあさんだと思われるトラヴァース。でも彼女がこだわるのは、幼少期、父親との悲しい別れがあったからだった。
原題である『Saving Mr.Banks』と、エマのトラヴァース夫人が言う、「メリー・ポピンズは子供を救うために来たと思うの?」というセリフ。
ここから、メリーは著者の父の投影であるバンクス氏を救いに来たのね?! と思うのは早計。
旧作でも、新作でも確かに父親であるジョージ・バンクスとマイケル・バンクスは救われます。だから3本の映画の裏テーマが、父親を、大人たちを救うためにもメリーは来たと思いがちだけど。

妻と娘たちを熱愛しながらも、家長としては上手くやれず、現実社会での仕事に馴染めず、酒におぼれて早逝した父トラヴァース(名前で性はゴフ) 長女で父親っ子だったパメラは、いつでもパパを救いたいと思っていた。苦労だらけの母も。
パメラの文学の才能は父親ゆずり。健康な時の父は、彼女や妹たちに沢山の寓話を話してくれた。
父が亡くなった時、手伝いに来ていたおばがメリー・ポピンズのモデルになったと言われています。厳格だけど頼りになる女性。きっと治ると言っていたのに、パパは死んでしまった。彼女にパメラは、「パパを助けられなかったじゃない!」と叫ぶ。

父を助けてくれなかったおばのかわりに、なんでもできるメリー・ポピンズを作ったならば。
メリーが実際にバンクス氏を変えるシーンがあってもいいはず。
でもオリジナル版でも、今回のリターンズでも、メリーが導くのは子供たちです。

幼いながら、長女として、大好きなパパを救いたかったパメラ。
でもそれはかなわなかった。そのことを生涯引きずって生きてきた。
パメラがおばに叫んだ言葉は、本当は自分自身に突き付けた言葉です。
「私はなんでパパを救えなかったの?」

父が育んでくれた創作の力で、後年身を立てたパメラ。
でも夢見るだけでは現実の厳しい世界では生きていけない。
お金がすべてじゃないと言った父の言葉を金言としながら、大事な作品を嫌いなアメリカ映画にしなければ、家を差し押さえられるほどひっ迫していたパメラ。

夢と現実。その橋渡しをする人がいる。
その想いが、メアリー・ポピンズという人を生んだのではないか。
夢を見させ、現実では厳しく育ててくれる人。
不思議な世界と現実の境目をさっと切り替えるメリーは、楽しい冒険の後にその話で盛り上がる子供たちに、「馬鹿なこと言ってないで早く寝なさい」と言う人。

夢見る力を大事にしたかった。それと同時に、現実を生きる力、父を、母を救える力が欲しかった。
わずか8歳の女の子にできるわけがなかったその想い。
それがメリー・ポピンズとなって表れた。
想像力と現実を生きる力。そのどちらも必要。
大人になると、いろいろなことを忘れる。夢を封じ込め、不思議な世界を無いものとする。
でもそれも一つの生きる道であり、柔らかすぎる心は現実では傷つけられ、役に立たないこともある。

メリー・ポピンズは、夢に導き、夢を持ちながらも現実を生きていけることを、子供に教えるためにやってきた。
その子供たちが、大人の癒しとなり、大人を救うんです。
〝バンクス氏の救済”は、死にゆく自分が小説や映画の中のキャラクターを借りて立ち直ることではなく、娘が自分の死から立ち直って幸せを得てくれること。
現実の厳しさと苦しさを知り尽くしていたトラヴァース夫人が、ごねた挙句にプレミア上映のラストシーンで泣きじゃくるのは、バンクス氏が救われ、家族が戻り、子供たちが親を救えたから。彼女ができなかったと思い続けていたことが、認められない映画に描かれていたから。

リターンズではラストにメリーは大人の事情に介入します。でもまずは、ジャックと仲間の点灯夫(ガス灯の火の管理人)たちの力を借りた完全な人海戦術(笑) ビックベンに上る彼らは多少現実以上のアクロバットですが。メリーは最後に自分の力を少しだけ使う。でもそれを見たのはバンクス家の三人の子供たちと、ジャックをはじめとする点灯夫だけ。彼らは「大人社会」には組み込まれていない、オリジナルの煙突掃除人たちと同じく、メリーと子供の仲間なんです。

ラストにマイケルは、子供たちを信じること、家族を守るには家族とありのままの自分を信じることを受け入れる。ジェインは弟と甥たちに寄り添いながら、自分自身の幸せもつかむ。


メリー・ポピンズは道徳的に悪い子をよい子にする話でも、道を踏み外した大人が改心する話でもないと思う。
毒のある原作でも、スィートなディズニーの映画でさえも、メリーは必ず最後は去っていく。ずっと一緒にはいてくれない。
忘れ去られる幼少期の思い出の中で、必ずその人の根になるものを残してくれる人。
大人になって不思議な世界を忘れても。かたくなにならない限り、どこかでそれを思い出す。

私にとってのメリー、メアリー・ポピンズはそういう存在です。


マイケルの三人の子供、ジョン、アナベル、ジョージ。ジョンとアナベルは双子で、実は原作のジェインとマイケルの弟妹の名です。その下にも赤ちゃんができるんですが女の子です。リターンズの末っ子のジョージはそう、ジェインとマイケルの父親の名。

オリジナル版のマイケル役のマシュウ・ガーバーは21歳で早逝しています。ベン・ウィショーのマイケルに子供を持たせたのも、彼への手向けに思えて涙が出ました。



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