黄金色の日々(書庫)

海外ミドルエイジ俳優に萌えたり愛でたりするブログ

プレステージ(2006年) ネタばれしています

2011-02-12 21:54:17 | 映画感想
The Prestige - Trailer




怖ろしい話である。

壮絶な復讐譚であり、それは互いに対するものにも増して、己の中にある飽くなき探求心からの報復も描いている。

“芸の為なら女房も泣かす”“復讐、ダメ、絶対”のレベルをとうに越えているアンジャーとボーデン。
互いに対する恨みや自分の方が上であることへの証明以上に、マジシャンという職業を根底たらしめている“タネ”と“プレステージ(偉業)”への執着。

“タネ”は実は単純だ。
そして単純なものほど成功し持続する。

双子瞬間移動装置という、蓋を開けてみればエーそれかよな“タネ証し”。
けれどそのタネの為に払った大きな犠牲。それをあえて選んだ男たちの心理がこの映画のキモだ。

ヒントや伏線はちりばめられている。
ボーデンの結んだ複雑な結び方により、水中縄抜け手品から抜け出せずに死んでしまうアンジャーの妻。
弔いの場に来たボーデンに、いったいどういう結び方をしたと問うアンジャー。
「わからない」と呆然と答えるボーデン。
その“疑問”こそが、二人の復讐譚の始まりだった。

わからないこと。
それをそのままにしておけない男たち。



葬儀に来たのは、縄を結んだ方のボーデンではなかった。
二人のボーデンの性格は、見ていると相当の差がある。それをアンジャーは精神分裂だと思い込む。
人は自分の思いたいようにしか、事実を見ないのだ。

アンジャーの、ボーデンの“タネ”を知ろうとする欲求は、彼への復讐をも越える執念になっていく。
だが、より怖ろしいのはボーデンの方だ。

二人でひとつの人生を選ぶ。それが芸の為、偉大なマジシャンたるべき選択と信じるボーデン。
しかしそれは、二人がやはり持とうとした愛と家族には不自然極まりないことだった。

「今日は本気ね」 
“君を愛してる”という夫の言葉に、真実と偽りを見抜く妻サラ。
自分の妻にさえ明かさぬ秘密は、やがて彼女の精神を蝕んでいく。
女性のカンでなくても、長年一緒にいればその不自然さに気付かないわけはない。
けれど、サラがついに自死を選ぶのは、“もう一人の夫が自分を愛してはいない”ということだけではない。それはもうわかっていたことだと思う。
それは、自分を愛していない“夫”とも身を任せていたのであろう事実だ。
そして、愛娘はどちらの子であるのか。

片割れはオリヴィアを愛し、サラを愛したことはなかった。
けれども、オリヴィアに出会う前の二人のボーデンは、妻を愛する方だけが寝所をともにしていたと言えるだろうか。
この二人は、そこのところの感覚が完全に壊れている。
常に<交代>でアルフレッド・ボーデンという一人の男になっているということだ。
アンジャーの妻を死に至らしめ、オリヴィアを愛した激しいボーデン。彼も娘に対しては無条件に愛情を見せる。
どちらの子供でも、片方にとっては姪。可愛いのは当然ではある。
けれども常に“共有”することが当たり前であった二人には、どちらの子供でも自分の子供であるのだ。
つまりそれは、どちらの子供でもある行為をサラとしたということだろう。
たぶん二人もわかってはいない。下品な物言いになるが、娘がどちらの“タネ”であったかを。
そしてそれをおかしいこととは思っていない。その不気味さ。
サラは、そのことに思い至り、耐えきれなくなったのだと思う。

「私には正直になって」 そういう妻に、「愛してない、今は」と言う片方のボーデン。
なぜここで、彼女を真に愛している方のボーデンが対峙しなかったのか。
常に順番にアルフレッドであると決めて、それを通していたのだろう彼らの感覚の異常さ。
“アルフレッド”でないもう一人の名前すら、映画には出てこない。あるはずの名前が。
そして正直に言ったことで、オリヴィアも失うことになる。


アンジャーの行きついた先もまた、狂気に近い選択だった。
ボーデンの“タネ”を守るための犠牲も凄まじいが、アンジャーの“仕掛け”を使うことへの犠牲も怖ろしい。
ここでの重要ポイントは、天才テスラ博士の作った移動装置。
冒頭、林の中に置き去りにされているような沢山のシルクハットは、すでに種明かしをそこで見せている。

タネも仕掛けもないと唄われる手品に、本当にタネの無い仕掛けを求めたアンジャー。
瞬間移動装置は、完全なクローン製造装置として出来上がってしまった。
これを使用することは、己のコピーを目の前に創りだすこと。
その結果がもたらす悲劇を創り主たるテスラは予見し、アンジャーに忠告して去る。
だがそれに従わないアンジャー。

観客の後ろから現れるアンジャーは、実際にオリジナルの彼なのか。
飛ばされた方と、その場に留まる方のどちらが“本物”であるのか。答えを出せるものはいないのだ。
喝采を浴びながら、常にそれを感じているアンジャー。
コピーをコピーしていくと、100番目にはオリジナルとは違うものにズレが生じていると聞いたことがあるが…
100回限定公演というのは、その危惧も含めていたためなのか?
自分をオリジナルとは確信できないままにプレステージを続けるアンジャーの恐怖に近い葛藤。
それでも彼もまた、やめないのだ。

得たものよりも、失うものの方が多い世界を選択した男たち。
これでもかというくらいの形勢逆転劇。失われる愛と幸せ。
ラスト、片割れの復讐を果たし娘の元に帰るボーデン。
しかし、アンジャーは死んだのだろうか。
撃たれて死んだのは、最後に残っていたアンジャーなのか。
炎の中に呑みこまれる、無数の水槽と中に浮かぶマジシャン。
ラストショットに浮かぶ男も、その一つなのか?

人は自分の見たいものを見る。
判断は見た人の望むストーリーに任されている。





『インセプション』に先んじて、脳乱節の真髄を見せた作品。
もうそこら辺にしといたらどうだ。と思うしつこいまでのやり口は、『ダークナイト』にも先んじている。またラストはインセプションと同様の見せ方。
私は大ヒットの2作品より、この映画が好きでね(^^ゞ
人間の愚かさ、執着、それでも求め続けるもの。昨今では“こだわり”や“仕事に対する専心、執心”というのはむしろ憧れや賞賛として見られるけれど、それは場合によっちゃこれほど怖ろしいものになりうる。
まるでノーラン御本人の仕事を評しているよう^_^;
これを見てるから、ソーシャルネットワークの天才がどうのってのも、ぬるく感じるんだよな。
トリックがあのオチ!?とかけなされもしたけれど、そんなことを見せたい話ではない。
女性に対してはマジ厳しい話で、ヨハンソンも使いどころがなかったとも言われたけど、私は好印象でした。綺麗だった。
ボーデンの妻サラ役のレベッカ・ホールはこれ以降いろんな作品で見かける。派手な美人でない分、地道な演技ができる人。翻弄される薄倖な女性を上手く演じてた。
そして二人の主役。この作品でおヒューを見直した。爪出して咆哮してるだけの俳優じゃなかったんだと知りました(でも脱ぐとスゴイ)
クリべ。我が愛する入魂アクターの一人。いかにも狂った人間を演じるのは実はたやすい。見かけも言動も一見普通で、常識も備え愛するものもいる男。しかしひとつの点において、人生そのものに有り得ない選択をしているボーデンは、まさにクリスの面目躍如。彼自身は家族を大事にする良きパパですが。
ファロンは怪しすぎて、彼の描き方はどうなのと思いますが(笑)
ボーデンの違いは素晴らしい。彼を見ていれば様々なヒントを見せてくれてる。
兄弟物が好物の私でもドン引きする脳乱仕様でしたが^_^;


良き年長者であり、アンジャーを手助けしボーデンの秘密も知っていたカッター。しかし彼は結局、二人の男の死刑宣告に関わったことになる。この映画の登場人物すべてが、悪人か善人かという単純さでは語れない。演じるは脳乱のこれまたお気に入り、マイケル・ケイン様。
ノーランのたっての願いで天才科学者を演じたデヴィット・ボウイ。二コラ・テスラは実在の人物で、エジソンとの確執も真実。奇抜すぎる発想の天才ぶりは本でも書かれてるらしい。そして長身の美形。脳乱はテスラファンなのかも(笑)

互いの妻と同じ死に方なんだよね、夫たち。
脳乱…(-_-;)


久しぶりにDVD観賞。これは吹き替えで見ていなかったので初めて吹き替え版で。
なんとアンジャーが山路和弘さんで、ボーデンが東地宏樹さん。
コナーとディーン(笑) 兄貴対決でした。山路声はおヒューには錆びが効いていすぎた(笑)

2 コメント

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焼き栗が顔面にぶち当たった気分です。 (義父)
2011-02-13 22:00:02
ソーシャルネットワークの感想を読んでから「自分と他人の価値観の差異を知るのが生きてくってことだよという」とこにつまづいて右往左往していたとこだったのでここでプレステージが来るとは思ってなくて、でもものすごくタイミングよくてあらためてストーブの上に栗を並べなおして映像を思い出しました。

今回ほど怖いと思ったのはなかったです。今までの山吹さんの感想の中で私はプレステージが一番怖かった。娘の父親がどっちのボーデンなんだろうなんて考えも浮かびませんでした。双子だとわかった時、あまりの単純なタネにがっかりし、もういいやと投げました。タネがわかったのにボーデンは私の中で最後まで1人の人間でした。アンジャーは水槽の中にいるのもステージの上にいるのも全部オリジナルとしてしかみえませんでした。だってそうじゃないといけないと思ったからです。そうじゃないとだめだと思ったからです。「人は自分の思いたいようにしか、事実を見ないのだ」私はもっともっとすごいタネが知りたかった。こんなんじゃだめなんです!これは違う!こんなまっぴるまなのにコタツにも入ってるのにストーブの上で栗焼いてるのに読みながら震えがきました。コピーをコピーしていくと100回目にはズレが起こるということも初めてききました。双子の性格が違うのとこのズレはなんかつながってるような気がしましたがそんなことよりもボウイの髭がアザラシみたいにみえるとこに意識がもってかれました。

今日テレビで「サラマンダー」がやっていたので観ました。内容はまったく知らなかったので、ボーデンと同じ顔のクインに「やだ・・かっこいい・・」内容よりもクインが超かっこよくて頬を赤らめてしかみれませんでした。息子が帰ってきた時のにこーと笑う嬉しそうな笑顔に赤飯炊けました。同じ俳優なのにこんなにも顔が違ってみえるんですね。すごいなあ。

ハッピーバレンタイン!(チョコの写真美味しそうw)
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焼き栗くれ (山吹@臼の役で頼もう(さるかに合戦))
2011-02-13 23:03:16
義父さんが見たっつうから見直してみた。ありがとv 焼き栗旨い?

人は物凄いトリックがあると信じてビックリしたいけど、壮大な見世物ほど単純なタネということ。そして人の心の方がとんでもなく怖ろしいということ。ノーランの脳も(笑)
トリック対決じゃないのよこの話。

アンジャー自身が、ボーデンが双子とは思わずも代わり身がいるということを信じなかったがために、あそこまで行きついてしまったわけですよ。まあボーデンも、妻のこともだが片方が怪我したら片割れも指を落とすまでするんだから、“単純なタネ”の為に払ったものの大きさはとうてい単純じゃないわけよ(^_^;)

ボーデンは、ラストの鏡の前でファロンになり変っているところしか双子としての一緒のシーンがない。ファロンとしてはいても、彼はは話さないので、義父さんの中で二人いたということが腑に落ちないんだろうね。そこが脳乱の狙いどころ(笑)
ボーデンという男は二人いてもひとつの人生しかなかったんだということを描いてる。
二度見るといいよ。クリべは明らかに、ボーデン@気弱、ボーデン@強気と演じ分けてる。顔つきが違います。奴はやる(笑)
サラマンダ―! 私見てないんだよ! レンタルできてねえ。ジェリーと一緒のやつだよね。結構萌えもあると聞く(笑) いつか見るよ!
クリべはほれ、Y田もそうだが“化け”ものだから(笑)

ボウイ、髭ありダメ? 私基本的に髭部なんでオッケーだな(笑)

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