こちらも初日に馳せ参じました。私にとって舞台と映画それぞれの頂点にある作品が、形を変えてこの2012年12月という大きな境目に公開されたことに凄い意味を感じます。
正直、とても良かった! 舞台版同様、全編通してほぼ歌のみで綴られる造り。レ・ミゼラブルはきちんと読んでなくても、主人公がジャン・バルジャンだということくらいは知っている人が多いでしょう。でも原作では、バルジャンはメインの中のメインであっても、コゼット、マリウス、ファンティーヌ、他多くの人の人生が順繰りに語られまた入り乱れてゆく。フランス革命後、ナポレオンも去り、しかし変わらず貧困にあえぎ日々を暮らす庶民たち。パリの街に集まっていく主要人物とパリそのものを描いた大河ドラマであり、一大抒情詩でもあります。
ミュージカル版『レ・ミゼラブル』は長編の原作をよくまとめています。3時間弱と長いけど、名曲の数々にエッセンスが凝縮されて長さを感じない。小説では何ページにも何段落にも渡って描かれるキャラクターの背景を、ソロの曲だけでほとんど補ってしまう。ミラクル。
無論細かいところはわからないけれど、各自がどういう生き方をしてきたのかがわかる。ファンティーヌの『I Dream a Dream(夢破れて)』は典型です。
映画ならではの表現や演出に感心したり、逆にあっさり流されてる部分にあららと思ったりしながら、やはり感じたのは歌の力。
あの珠玉の名曲の数々。
『英国王のスピーチ』を見て思った通り、トム・フーバー監督はシンプル志向。演出過多はなく、とくにソロの際は俳優のアップに終始する。オペラグラスで舞台上の俳優を見るよりもドアップ(笑)
アン・ハザウェイのファンティーヌ。舞台よりはるかに荒んで汚れきった姿。初めての客を取るシーンなど、それこそステージじゃ見れないところ。露骨ではないけど、そういう描写があるのでお子様注意。歯を売るシーンもある。原作じゃ前歯だったけど、さすがにそこは奥歯になってました。そのあとに抜け殻のようになって歌う『夢破れて』。次第に声に激情がこもり、涙があふれてゆく。こちらの目もかすむ。
どの役者もステージ唱法ではないので、朗々とは歌ってません。舞台ではある程度ドラマチックな“見栄切り”が必要なので、そこに慣れた人には物足りないかもしれないけど、本当はファンティーヌは惨めに絶望を歌うので、張り上げまくりだとおかしいわけで。映画ではつぶやくように歌える利点。
通常先録りの歌を現場で歌わせたそうだけど、それだけのことはある。表情と歌が一致して迫ってきます。
コゼットを思いながら死んでいくところも泣けた…。アンはとてもいい演技しています。
明朗なイメージのヒューがどうバルジャンを演じるのか興味津々でしたが、この人『プレステージ』でも暗くシリアスな男を演じてるんですよね。なのでポイントは歌がどうかということだけ。上手いのは周知ですが、バルジャンの歌はまた別。
私としては、後半の方がハマって見えた。むしろ肉体的には前半の方が合ってるんですが(笑)
でもオープニングの徒刑囚での重労働はそりゃふさわしかったです。横倒しの帆船を徒刑囚たちが立て直すというダイナミックな絵柄は、映画の掴みとして非常に効果的でした。
たぶん彼の子供好きなところが役柄そのものとかぶる後半。バルジャンの代表曲である『Bring Him Home(彼を返して)』よりも、オリジナル曲の『Suddenly』の方が心に沁みました。コゼットを養女として引き取ると決めた時に、生まれて初めて愛し守るべきものを授かったと感じたバルジャンが歌う。これがとてもいい。ヒューに合ってる。
ラッセル・クロウのジャベール。意外なほどソフトな声(笑) でも彼がこんなに歌えるとは知りませんでした。ジャベール自体は彼のキャラと完璧フィットしてる。ジャベールは官憲の鬼なので、ストイックに痩せてるイメージがあるけど、ラッソはちょっと恰幅良い(笑) 彼は不思議な役者だね。それほど表情が豊かに見えないのに、変わりゆく心情がわかる。ジャベールは生きる不問律だった法と正義を、バルジャンの無償の愛に覆される。ゲシュタルト崩壊して絶望に陥る姿は、もう少し大仰でもよかった気はする。山場ですから。でも、自信に満ちていた時も崩壊後も、結局はギリギリな境界ラインに立ち続けていたことがわかる“端歩き”は、ジャベールの本質を見せる上手い演出だと思った。
アマンダ・セイフライドのコゼット。可憐で美しく、歌声もよく通り、私の中のコゼット像にハマりました。コゼットが無垢で美しくなきゃ、エポニーヌが浮かばれないからね。世の中の片恋の女の子すべての代弁者であるエポニーヌはサマンサ・バークス。25周年版ステージにも同役で出演したミュージカル界のホープ。彼女の『On My Own(私ひとり)』は、わたし的には島田歌穂に次ぐ一押し。エポは女子の同情を一身に集めるので、バルジャンとジャベールに次ぐハマらないと大変キャラ。雨に濡れながら歌うシーンは涙必至(レ・ミゼはみんなこれだが)
今になって新バージョン
マリウス。エディ・レッドメイン。『マリリン7日間の恋』で彼には期待してたんですよ。期待通り! とても良い声です。マリウスはかなり歌唱重要。でもステージだと絶唱系の人が多い(^_^;) 繊細なキャラなので、そこに誤差が(笑) 『Empty Chars at Empty Tables(カフェ・ソング)』は、私の最高の泣き所。ここはステージでは唄うマリウスの後ろに亡き仲間たちが浮かび上がるという実にあざといばかりの号泣シーンなんですが(東宝版の初演、野口五郎かららしい)、なんとそれも何も装飾無し。廃墟と化したカフェで一人歌うマリウス。
涙声はミュージカルだとくどくなるので、悲痛な歌は難しい。エディは始め、つい先日であり遠い昔になった友人たちとの日々を思い起こし少し微笑みながら歌う。次第に現実と向かい合い、涙があふれてくる。…こちらの涙腺も。
さて、ここまで比較的普通に感想してましたが、ここからはオタクです(笑) 原作、舞台、映画が混在します。ネタバレあり。
マリウスの友。ABCのメンバーたち。若者に興味がない私が、唯一こだわる学生達。それは私のセイシュンだったからです(笑)
彼らについては… フーバー監督、それほどテコ入れしていません。マリウスは別枠として、アンジョルラスの他は十羽一からげ感が。
グランテールを除いて。
なんだかこう、喜んでいいんだかブー垂れていいんだか、わからん気分ですよ(笑)
そもそも学生たちは原作では詳細にそれぞれの個性が際立っていて凄く面白いんですが、ステージ版ではやはり目立つのはアンジョルラスとグランテールだけです。でも、『民衆の歌』や『共に飲もう』で小節ごとに担当するので、そこで一瞬の個性を出す。原作から読んでいるオタクファンは、脳内補完するわけですよ。その短いパートとステージ上の俳優たちの小芝居で。
それがほとんどない。『民衆の歌』のアンジョルラスのソロすら全員で歌ってたり、『共に飲もう』も短縮版でグランテールがやさぐれない…!
この時点で学生ファンに喧嘩売ってるようなもんですが、はたしてそれが悪いかというとそうとも言えないのが苦しいところで。
映画も舞台も、3時間弱でそんなに変わりません。でも映画では舞台になかったシーンがここかしこに入ってる。まずオープニングのバルジャンとジャベールの対峙が長め。バルジャンがコゼットを引き取り、ジャベールが追ってきて逃げるシーン。修道院に潜り込むんですが、そこにはかつて荷馬車の下敷きになったのを助けたフォーシュバルン爺さんがいて匿ってくれる。そこら辺を入れたのはかなり臨場感あふれるシーンになっていました。そのほか細かく色々、ステージでは短縮されるようになったガブローシュのソロが二番までしっかりあったり。
それらはハッキリ言って正解。はやりバルジャンのシーンを多くした方が、映画としてはしっかりとする。ガブは後述。
舞台では第一部のクライマックスである『One Day More』と、アンジョルラスと学生たちの『The People's Song(民衆の歌)』が、それぞれのキャラクターがしていることを見せつつ歌われる。全員がお客に向けて歌うステージよりも少々盛り上がりに欠けるけど、映画だからこそできる技でしみじみした。
アンジョルラスは信念と決断の根っからのリーダーであり、厳しく甘えを許さぬ、天使のような美青年。
グランテールはアル中の懐疑家であり、唯一絶対的な不変なものはアンジョルラスだけ。彼だけは信仰する醜男。
いわばポジとネガである二人は、ユゴー先生の業を感じさせる切り離せない関係であり、それはアンジョルラスがどんなにグランテールを軽蔑しようが同じこと。25周年記念公演のラミンとハドリーみたいに仲良しというトンデモな二人もいましたが(笑)
グランテールの俳優さん、結構なイケメンで、しかも酔ってない。グランテールが酔ってない…!?
そりゃグランテールじゃないよ(笑) おまけになんか働いてるし。働かず飲んで突っ伏して、起きてるときは愚にもつかない長口上で屁理屈をぶっ放し、アンジョルラスに足蹴にされては(精神的に)懲りずに熱心に見つめ続ける、というのがグランテールの基本であるはず。
アンジョルラスの右腕たるコンフヴェールや盛り上げ伊達男のクールフェラックがどれだかわからん分(熱心な人にはわかるんだろうが、一回目では私はわからず)、アンジョルラスが常にマリウスを見てるという図(これは公式)と、やけにまともなグランテールだけが目立っている。
あー、この時点で萌え的には微妙の極致だったんですが。それに私、アンジョルラス役の俳優さんの顔があまり好みでない。
原作描写通りの神がかった美青年なんて、舞台でも滅多にいなかったけど。御贔屓のラミンなど、どこをどう見てもオリエンタルだし(笑)
どこが好みじゃないのかといえば、鼻かな。鼻にうるさいんですよ私。筋の通った、どちらかというと鷲鼻が好き。
彼、アーロン・トヴェイトは声は良いですよ。あと目はいい。鋭いし、何か思いつめたようなところがアンジョルラス。アンジョルラスはイッちゃってる青年なんです! そこは出てたかも。ただなんせ見せ場があまりない。
そこらを見て、ああしょうがないな。なんせおヒューとラッソをバンバン出さないとだからな。映画はそれでいいんだ。と無理に納得する山吹(笑)
が、学生たちの最後を見て…。
そこだけはやるんですがフーバー監督(レッド、熱き血潮)
誰がいつ死んだんだかやっぱりわからぬ中、アンジョルラスと共にいた学生たちが階下から軍の一斉射撃を浴び、ほとんどが倒れ込む。
唯一人ほぼ無傷のアンジョルラス(原作通り)。なだれ込んでくる兵隊たちに銃を向けれられ、毅然と見返した時。
とっとと走り込んできた…グランテール!
原作では、バリケードを築いても中で酔いつぶれて寝こけていたグランテール。仲間が、友が次々と倒れる銃撃戦の最中にも起きない。それが最後の最後になって、覚醒して周囲の状況を一瞬で飲み込む。アンジョルラスの隣に行き、「共和国万歳! 俺も仲間だ!」(なんもしてないのに)と叫び、「許してくれるかい?」と一緒に死ぬことを望む。
それまでずっと冷たかったアンジョルラスが、にっこり笑ってグランテールの手を取るんですよ。そして二人で銃殺される。
ユゴー先生、いったいあなたは…!というべきこのシーンは、舞台版にはありません。その代わりにグランテールが、『Drink With Me(共に飲もう)』のソロで、「世界は忘れないか 死など無駄じゃないのか むなしくないか」とバリケードでの終末を予期して投げやりに歌う。それを見たアンジョルラスの反応は、各役者に任されててました。憤慨して詰め寄る版、慰めるように手を肩に乗せるがグランテールにふり払われる版。グランテールに差し出された酒を飲み干す版、拒否る版(笑)
この絡みが腐れ外道女子のお楽しみシーンだったわけですが、原作には及びもつかんよ…。上を行く文豪の設定。
ステージではその後、撃たれたマリウスを見てキレたアンジョルラスがバリケードの上に駆け上がり国旗を振りながら撃たれ、向こう側に落ちる。それを見たグランテールが後を追い駆け上がり、酒瓶を振り回しながらやはり撃たれる。
映画版では原作のようなセリフはなく、あっさりではあったものの。
二人揃って撃たれて、アンジョルラスが窓枠から体を反らせて息絶える。
原作と舞台版をミックスしてあっさり仕上げたような感じですが(笑)、それでも急に活気づいた←
酔いつぶれて誰にも気づかれなかったわけでもないグランテールが、いったいどこにいて何でお前も無傷よということは流してですね。
フーバー監督がこのシーンを入れてくれたことで、色々帳消しになりました(現金極まりない)。
瀕死のマリウスを背負い、下水道から逃げるバルジャン。下水のヘドロはマジ汚く、沈み掛けたり相当ハラハラ。
パリの下水道は、ユゴーが一章を使って語るほどに不潔で、貧困と悪の象徴。それが本物らしく見えるところは映画の醍醐味ですね。ちなみにロンドンも似たり寄ったりで、この頃世界で一番清潔な下水道が完備していたのは、江戸の町。
学生たちがはしょられた分、ガブローシュがかなりテコ入れされていたのが印象的。
パリの鬼っ子。パリそのものの少年。ただの小生意気な浮浪児じゃない。どんな悲惨な境遇でもエスプリたっぷりで大人顔負けのフランス哲学を吐く。『Paris/Look Down』のソロは、二番はオリジナル歌詞だよね? 政治のこととか言っちゃって、実にガブ。
馬車や人々がひしめく通りをスルスルとすり抜け、馬車から馬車に乗り移り、金持ちをからかい、ちょっと失敬し、子分らの子供達が追ってくる。学生たちに交じり声を上げる。パリを縦横無尽に抜けるガブローシュが見れたのは実に嬉しい。やはりこういうところに力入れられると文句言えない…(^_^;)
バリケードを築くシーンもまた原作通り。家々の窓から落とされる家具、通りかかった馬車、カフェの椅子やテーブルも何もかも混ぜこぜでどんどん積んでいくその様子。そのままに映像化されているのは感慨深い。できたバリケードしか見たことがなかったから。
そして逆に、あの程度のバリケードで国が変わると思っていた若者たちの浅き夢に胸締め付けられる。他の地域でもバリケードは築かれてはいたんですが、それは関係ない。映画ならではのリアルな銃撃戦と倒れる若者たちよりも、むしろこのバリケードそのものの成り立ちに涙した。
理想と現実。彼らは裕福な、仕送りを受けてる学生がほとんどだった。だから学業の他に革命論なんかにうつつを抜かせてた。中にはフイイのように勤労苦学生もいたけれど。アンジョルラスもブルジョワの一人息子。でも本人もそれは自覚していて「金持ちの息子の道楽で終わらせるか?」と唄ってはいるんですが。
かなわぬ、散るからこそ美しく輝く理想がある。理想論でも、何もせずに気楽な学生だけしていることはできなかった若者達。
その若さの象徴が、若き日の私の心に沁みついているのです(笑)
バリケードを築きながら学生も町の人々も共に歌う『民衆の歌』。アンジョルラスの輝きや学生のソロがなくても、それこそが本当に『民衆』の歌なのかもしれません。
ティナルディエ夫妻、サシャ・バロン・コーエンとヘレナ・ボナム=カーター。夫妻で長い名(笑)
少々アクが足りないと始めは思う。もっともヘレナはやっぱり達者。
サシャは、生き馬の眼を抜いて1000円で売り付けそうなあくどいオヤジのテナルディエにしてはスマートすぎる。演技も外見も。
カミさんが、「夢見てたプリンス。それがなんだよあいつがプリンス」と唄うけど、いや充分イケてますけど?(笑)
でも二人連携で客のものを次々と掠め取るのはスピーディで面白かった。悪党というよりコソ泥夫妻。宿屋のシーンより、結婚式に紛れ込む方が笑った。テンポも良くてあそこは爽快。
予想したほどには泣かなかったんですが、それで減点ということではない。
映画にしかできない風景や演出、逆にあっさり目のフーバー節に感心したり、ここいらはキャメロン調のままだなとニヤリしたり(制作で舞台の演出家キャメロン・マッキントッシュ@カトちゃん似)。
でもラストは泣かされました。ヒュー・バルジャンの今際にジワジワし、昇華されたファンティーヌのお迎えにまた。
でもエポニーヌがいない。ラストは献身的に愛し、この世では報われなかった三人が最も愛したコゼットとマリウスを見守りつつ旅立つシーンなのに。
…が、最後の最後にやられました。
なんという卑怯、フーバー!! そこに彼を…!!
ブロードウェイ、ロンドン版を知っている人にはわかります。不意打ちくらった。ドバっと決壊。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。
ほんとうは卑怯じゃない(笑) 原作読んでると、バルジャンの言葉通りなんだよね。でも舞台じゃなかったし、今まで作られた映画版にもなかったんじゃないか。
それと、ジャベールがとった、彼らしからぬ行動にもじわっと来ました。しないよなーと思いつつも、それでも嬉しい。
大ラスのバリケードでは、すでにコンタクトがずれていました(笑)
総合で見れば、大変満足です。学生のところだけ不満というより不足感があるけど、もうあれはあれでいいです。
キャストもおおむね満足。一番のヒットはエディかな。マリウスってエポの想いに気付かずコゼットとの恋にホワホワな天然だけど、彼のマリウスは繊細さと一途さがフィットして娘っ子キャー言わす感じですよ(笑)
無論リピです。明日また見てくる予定。ホビットもまだまだ見るぞ!
正直、とても良かった! 舞台版同様、全編通してほぼ歌のみで綴られる造り。レ・ミゼラブルはきちんと読んでなくても、主人公がジャン・バルジャンだということくらいは知っている人が多いでしょう。でも原作では、バルジャンはメインの中のメインであっても、コゼット、マリウス、ファンティーヌ、他多くの人の人生が順繰りに語られまた入り乱れてゆく。フランス革命後、ナポレオンも去り、しかし変わらず貧困にあえぎ日々を暮らす庶民たち。パリの街に集まっていく主要人物とパリそのものを描いた大河ドラマであり、一大抒情詩でもあります。
ミュージカル版『レ・ミゼラブル』は長編の原作をよくまとめています。3時間弱と長いけど、名曲の数々にエッセンスが凝縮されて長さを感じない。小説では何ページにも何段落にも渡って描かれるキャラクターの背景を、ソロの曲だけでほとんど補ってしまう。ミラクル。
無論細かいところはわからないけれど、各自がどういう生き方をしてきたのかがわかる。ファンティーヌの『I Dream a Dream(夢破れて)』は典型です。
映画ならではの表現や演出に感心したり、逆にあっさり流されてる部分にあららと思ったりしながら、やはり感じたのは歌の力。
あの珠玉の名曲の数々。
『英国王のスピーチ』を見て思った通り、トム・フーバー監督はシンプル志向。演出過多はなく、とくにソロの際は俳優のアップに終始する。オペラグラスで舞台上の俳優を見るよりもドアップ(笑)
アン・ハザウェイのファンティーヌ。舞台よりはるかに荒んで汚れきった姿。初めての客を取るシーンなど、それこそステージじゃ見れないところ。露骨ではないけど、そういう描写があるのでお子様注意。歯を売るシーンもある。原作じゃ前歯だったけど、さすがにそこは奥歯になってました。そのあとに抜け殻のようになって歌う『夢破れて』。次第に声に激情がこもり、涙があふれてゆく。こちらの目もかすむ。
どの役者もステージ唱法ではないので、朗々とは歌ってません。舞台ではある程度ドラマチックな“見栄切り”が必要なので、そこに慣れた人には物足りないかもしれないけど、本当はファンティーヌは惨めに絶望を歌うので、張り上げまくりだとおかしいわけで。映画ではつぶやくように歌える利点。
通常先録りの歌を現場で歌わせたそうだけど、それだけのことはある。表情と歌が一致して迫ってきます。
コゼットを思いながら死んでいくところも泣けた…。アンはとてもいい演技しています。
明朗なイメージのヒューがどうバルジャンを演じるのか興味津々でしたが、この人『プレステージ』でも暗くシリアスな男を演じてるんですよね。なのでポイントは歌がどうかということだけ。上手いのは周知ですが、バルジャンの歌はまた別。
私としては、後半の方がハマって見えた。むしろ肉体的には前半の方が合ってるんですが(笑)
でもオープニングの徒刑囚での重労働はそりゃふさわしかったです。横倒しの帆船を徒刑囚たちが立て直すというダイナミックな絵柄は、映画の掴みとして非常に効果的でした。
たぶん彼の子供好きなところが役柄そのものとかぶる後半。バルジャンの代表曲である『Bring Him Home(彼を返して)』よりも、オリジナル曲の『Suddenly』の方が心に沁みました。コゼットを養女として引き取ると決めた時に、生まれて初めて愛し守るべきものを授かったと感じたバルジャンが歌う。これがとてもいい。ヒューに合ってる。
ラッセル・クロウのジャベール。意外なほどソフトな声(笑) でも彼がこんなに歌えるとは知りませんでした。ジャベール自体は彼のキャラと完璧フィットしてる。ジャベールは官憲の鬼なので、ストイックに痩せてるイメージがあるけど、ラッソはちょっと恰幅良い(笑) 彼は不思議な役者だね。それほど表情が豊かに見えないのに、変わりゆく心情がわかる。ジャベールは生きる不問律だった法と正義を、バルジャンの無償の愛に覆される。ゲシュタルト崩壊して絶望に陥る姿は、もう少し大仰でもよかった気はする。山場ですから。でも、自信に満ちていた時も崩壊後も、結局はギリギリな境界ラインに立ち続けていたことがわかる“端歩き”は、ジャベールの本質を見せる上手い演出だと思った。
アマンダ・セイフライドのコゼット。可憐で美しく、歌声もよく通り、私の中のコゼット像にハマりました。コゼットが無垢で美しくなきゃ、エポニーヌが浮かばれないからね。世の中の片恋の女の子すべての代弁者であるエポニーヌはサマンサ・バークス。25周年版ステージにも同役で出演したミュージカル界のホープ。彼女の『On My Own(私ひとり)』は、わたし的には島田歌穂に次ぐ一押し。エポは女子の同情を一身に集めるので、バルジャンとジャベールに次ぐハマらないと大変キャラ。雨に濡れながら歌うシーンは涙必至(レ・ミゼはみんなこれだが)
今になって新バージョン
マリウス。エディ・レッドメイン。『マリリン7日間の恋』で彼には期待してたんですよ。期待通り! とても良い声です。マリウスはかなり歌唱重要。でもステージだと絶唱系の人が多い(^_^;) 繊細なキャラなので、そこに誤差が(笑) 『Empty Chars at Empty Tables(カフェ・ソング)』は、私の最高の泣き所。ここはステージでは唄うマリウスの後ろに亡き仲間たちが浮かび上がるという実にあざといばかりの号泣シーンなんですが(東宝版の初演、野口五郎かららしい)、なんとそれも何も装飾無し。廃墟と化したカフェで一人歌うマリウス。
涙声はミュージカルだとくどくなるので、悲痛な歌は難しい。エディは始め、つい先日であり遠い昔になった友人たちとの日々を思い起こし少し微笑みながら歌う。次第に現実と向かい合い、涙があふれてくる。…こちらの涙腺も。
さて、ここまで比較的普通に感想してましたが、ここからはオタクです(笑) 原作、舞台、映画が混在します。ネタバレあり。
マリウスの友。ABCのメンバーたち。若者に興味がない私が、唯一こだわる学生達。それは私のセイシュンだったからです(笑)
彼らについては… フーバー監督、それほどテコ入れしていません。マリウスは別枠として、アンジョルラスの他は十羽一からげ感が。
グランテールを除いて。
なんだかこう、喜んでいいんだかブー垂れていいんだか、わからん気分ですよ(笑)
そもそも学生たちは原作では詳細にそれぞれの個性が際立っていて凄く面白いんですが、ステージ版ではやはり目立つのはアンジョルラスとグランテールだけです。でも、『民衆の歌』や『共に飲もう』で小節ごとに担当するので、そこで一瞬の個性を出す。原作から読んでいる
それがほとんどない。『民衆の歌』のアンジョルラスのソロすら全員で歌ってたり、『共に飲もう』も短縮版でグランテールがやさぐれない…!
この時点で学生ファンに喧嘩売ってるようなもんですが、はたしてそれが悪いかというとそうとも言えないのが苦しいところで。
映画も舞台も、3時間弱でそんなに変わりません。でも映画では舞台になかったシーンがここかしこに入ってる。まずオープニングのバルジャンとジャベールの対峙が長め。バルジャンがコゼットを引き取り、ジャベールが追ってきて逃げるシーン。修道院に潜り込むんですが、そこにはかつて荷馬車の下敷きになったのを助けたフォーシュバルン爺さんがいて匿ってくれる。そこら辺を入れたのはかなり臨場感あふれるシーンになっていました。そのほか細かく色々、ステージでは短縮されるようになったガブローシュのソロが二番までしっかりあったり。
それらはハッキリ言って正解。はやりバルジャンのシーンを多くした方が、映画としてはしっかりとする。ガブは後述。
舞台では第一部のクライマックスである『One Day More』と、アンジョルラスと学生たちの『The People's Song(民衆の歌)』が、それぞれのキャラクターがしていることを見せつつ歌われる。全員がお客に向けて歌うステージよりも少々盛り上がりに欠けるけど、映画だからこそできる技でしみじみした。
アンジョルラスは信念と決断の根っからのリーダーであり、厳しく甘えを許さぬ、天使のような美青年。
グランテールはアル中の懐疑家であり、唯一絶対的な不変なものはアンジョルラスだけ。彼だけは信仰する醜男。
いわばポジとネガである二人は、ユゴー先生の業を感じさせる切り離せない関係であり、それはアンジョルラスがどんなにグランテールを軽蔑しようが同じこと。25周年記念公演のラミンとハドリーみたいに仲良しというトンデモな二人もいましたが(笑)
グランテールの俳優さん、結構なイケメンで、しかも酔ってない。グランテールが酔ってない…!?
そりゃグランテールじゃないよ(笑) おまけになんか働いてるし。働かず飲んで突っ伏して、起きてるときは愚にもつかない長口上で屁理屈をぶっ放し、アンジョルラスに足蹴にされては(精神的に)懲りずに熱心に見つめ続ける、というのがグランテールの基本であるはず。
アンジョルラスの右腕たるコンフヴェールや盛り上げ伊達男のクールフェラックがどれだかわからん分(熱心な人にはわかるんだろうが、一回目では私はわからず)、アンジョルラスが常にマリウスを見てるという図(これは公式)と、やけにまともなグランテールだけが目立っている。
あー、この時点で萌え的には微妙の極致だったんですが。それに私、アンジョルラス役の俳優さんの顔があまり好みでない。
原作描写通りの神がかった美青年なんて、舞台でも滅多にいなかったけど。御贔屓のラミンなど、どこをどう見てもオリエンタルだし(笑)
どこが好みじゃないのかといえば、鼻かな。鼻にうるさいんですよ私。筋の通った、どちらかというと鷲鼻が好き。
彼、アーロン・トヴェイトは声は良いですよ。あと目はいい。鋭いし、何か思いつめたようなところがアンジョルラス。アンジョルラスはイッちゃってる青年なんです! そこは出てたかも。ただなんせ見せ場があまりない。
そこらを見て、ああしょうがないな。なんせおヒューとラッソをバンバン出さないとだからな。映画はそれでいいんだ。と無理に納得する山吹(笑)
が、学生たちの最後を見て…。
そこだけはやるんですがフーバー監督(レッド、熱き血潮)
誰がいつ死んだんだかやっぱりわからぬ中、アンジョルラスと共にいた学生たちが階下から軍の一斉射撃を浴び、ほとんどが倒れ込む。
唯一人ほぼ無傷のアンジョルラス(原作通り)。なだれ込んでくる兵隊たちに銃を向けれられ、毅然と見返した時。
とっとと走り込んできた…グランテール!
原作では、バリケードを築いても中で酔いつぶれて寝こけていたグランテール。仲間が、友が次々と倒れる銃撃戦の最中にも起きない。それが最後の最後になって、覚醒して周囲の状況を一瞬で飲み込む。アンジョルラスの隣に行き、「共和国万歳! 俺も仲間だ!」(なんもしてないのに)と叫び、「許してくれるかい?」と一緒に死ぬことを望む。
それまでずっと冷たかったアンジョルラスが、にっこり笑ってグランテールの手を取るんですよ。そして二人で銃殺される。
ユゴー先生、いったいあなたは…!というべきこのシーンは、舞台版にはありません。その代わりにグランテールが、『Drink With Me(共に飲もう)』のソロで、「世界は忘れないか 死など無駄じゃないのか むなしくないか」とバリケードでの終末を予期して投げやりに歌う。それを見たアンジョルラスの反応は、各役者に任されててました。憤慨して詰め寄る版、慰めるように手を肩に乗せるがグランテールにふり払われる版。グランテールに差し出された酒を飲み干す版、拒否る版(笑)
この絡みが腐れ外道女子のお楽しみシーンだったわけですが、原作には及びもつかんよ…。上を行く文豪の設定。
ステージではその後、撃たれたマリウスを見てキレたアンジョルラスがバリケードの上に駆け上がり国旗を振りながら撃たれ、向こう側に落ちる。それを見たグランテールが後を追い駆け上がり、酒瓶を振り回しながらやはり撃たれる。
映画版では原作のようなセリフはなく、あっさりではあったものの。
二人揃って撃たれて、アンジョルラスが窓枠から体を反らせて息絶える。
原作と舞台版をミックスしてあっさり仕上げたような感じですが(笑)、それでも急に活気づいた←
酔いつぶれて誰にも気づかれなかったわけでもないグランテールが、いったいどこにいて何でお前も無傷よということは流してですね。
フーバー監督がこのシーンを入れてくれたことで、色々帳消しになりました(現金極まりない)。
瀕死のマリウスを背負い、下水道から逃げるバルジャン。下水のヘドロはマジ汚く、沈み掛けたり相当ハラハラ。
パリの下水道は、ユゴーが一章を使って語るほどに不潔で、貧困と悪の象徴。それが本物らしく見えるところは映画の醍醐味ですね。ちなみにロンドンも似たり寄ったりで、この頃世界で一番清潔な下水道が完備していたのは、江戸の町。
学生たちがはしょられた分、ガブローシュがかなりテコ入れされていたのが印象的。
パリの鬼っ子。パリそのものの少年。ただの小生意気な浮浪児じゃない。どんな悲惨な境遇でもエスプリたっぷりで大人顔負けのフランス哲学を吐く。『Paris/Look Down』のソロは、二番はオリジナル歌詞だよね? 政治のこととか言っちゃって、実にガブ。
馬車や人々がひしめく通りをスルスルとすり抜け、馬車から馬車に乗り移り、金持ちをからかい、ちょっと失敬し、子分らの子供達が追ってくる。学生たちに交じり声を上げる。パリを縦横無尽に抜けるガブローシュが見れたのは実に嬉しい。やはりこういうところに力入れられると文句言えない…(^_^;)
バリケードを築くシーンもまた原作通り。家々の窓から落とされる家具、通りかかった馬車、カフェの椅子やテーブルも何もかも混ぜこぜでどんどん積んでいくその様子。そのままに映像化されているのは感慨深い。できたバリケードしか見たことがなかったから。
そして逆に、あの程度のバリケードで国が変わると思っていた若者たちの浅き夢に胸締め付けられる。他の地域でもバリケードは築かれてはいたんですが、それは関係ない。映画ならではのリアルな銃撃戦と倒れる若者たちよりも、むしろこのバリケードそのものの成り立ちに涙した。
理想と現実。彼らは裕福な、仕送りを受けてる学生がほとんどだった。だから学業の他に革命論なんかにうつつを抜かせてた。中にはフイイのように勤労苦学生もいたけれど。アンジョルラスもブルジョワの一人息子。でも本人もそれは自覚していて「金持ちの息子の道楽で終わらせるか?」と唄ってはいるんですが。
かなわぬ、散るからこそ美しく輝く理想がある。理想論でも、何もせずに気楽な学生だけしていることはできなかった若者達。
その若さの象徴が、若き日の私の心に沁みついているのです(笑)
バリケードを築きながら学生も町の人々も共に歌う『民衆の歌』。アンジョルラスの輝きや学生のソロがなくても、それこそが本当に『民衆』の歌なのかもしれません。
ティナルディエ夫妻、サシャ・バロン・コーエンとヘレナ・ボナム=カーター。夫妻で長い名(笑)
少々アクが足りないと始めは思う。もっともヘレナはやっぱり達者。
サシャは、生き馬の眼を抜いて1000円で売り付けそうなあくどいオヤジのテナルディエにしてはスマートすぎる。演技も外見も。
カミさんが、「夢見てたプリンス。それがなんだよあいつがプリンス」と唄うけど、いや充分イケてますけど?(笑)
でも二人連携で客のものを次々と掠め取るのはスピーディで面白かった。悪党というよりコソ泥夫妻。宿屋のシーンより、結婚式に紛れ込む方が笑った。テンポも良くてあそこは爽快。
予想したほどには泣かなかったんですが、それで減点ということではない。
映画にしかできない風景や演出、逆にあっさり目のフーバー節に感心したり、ここいらはキャメロン調のままだなとニヤリしたり(制作で舞台の演出家キャメロン・マッキントッシュ@カトちゃん似)。
でもラストは泣かされました。ヒュー・バルジャンの今際にジワジワし、昇華されたファンティーヌのお迎えにまた。
でもエポニーヌがいない。ラストは献身的に愛し、この世では報われなかった三人が最も愛したコゼットとマリウスを見守りつつ旅立つシーンなのに。
…が、最後の最後にやられました。
なんという卑怯、フーバー!! そこに彼を…!!
ブロードウェイ、ロンドン版を知っている人にはわかります。不意打ちくらった。ドバっと決壊。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。
ほんとうは卑怯じゃない(笑) 原作読んでると、バルジャンの言葉通りなんだよね。でも舞台じゃなかったし、今まで作られた映画版にもなかったんじゃないか。
それと、ジャベールがとった、彼らしからぬ行動にもじわっと来ました。しないよなーと思いつつも、それでも嬉しい。
大ラスのバリケードでは、すでにコンタクトがずれていました(笑)
総合で見れば、大変満足です。学生のところだけ不満というより不足感があるけど、もうあれはあれでいいです。
キャストもおおむね満足。一番のヒットはエディかな。マリウスってエポの想いに気付かずコゼットとの恋にホワホワな天然だけど、彼のマリウスは繊細さと一途さがフィットして娘っ子キャー言わす感じですよ(笑)
無論リピです。明日また見てくる予定。ホビットもまだまだ見るぞ!
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