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こどものすがた

小学4年生の息子との今までをありのままに記録。

公立小学校を思う

2020-10-05 | 日記
いわゆる普通の公立小学校を思う。

1年生で習う漢字はここまで。算数はここまで。2年生になったら九九を習って…。
跳び箱は何段を目指そう。縄跳びは何回。

授業は机と椅子に座って受けて、この時間はみんなでこの歌を歌いましょう。
みんなと同じことを同じタイミングで同じように学ばないと本当にいけないんでしょうか。

当たり前なんだけど、当たり前だと思って良いのかな。

小学校時代の色々なことへの優越感や、できないことへの劣等感、周りと比べることの当たり前感。
その優越感てなに?劣等感てどのせい?周りって誰??


以前、フランス人とのハーフで日本語、英語、フランス語がペラペラの東大生とお話したとき、その方は

「私は小学生の頃から家庭教師が毎日きて勉強勉強、勉強ばっかりしてた。みんなが遊んでるときにずっと勉強してた。だから今こうやって3ヶ国語話せて、好きな研究が出来て良かったなって思う。でもその反面、私が勉強してた間、みんなは沢山遊んて沢山他のことを経験して学んでいるでしょ。だから私だけが凄いなんてことない。みんながそれぞれ違う経験をしてきただけ。」

と言っていて、頭に雷落ちた。

私が20代前半の話。
その方は経験に優劣をつけずに勉強もそれ以外も全ての経験を尊んでいた。しかも周りを少し羨ましそうに。

勉強はいくつになっても出来るけど、その時にしかできないことがもっとあったんじゃないかと。


どうやって、過ごすかをまだ自分で定めきれない小学生のうちに大半の子供が通う公立の小学校でどんな経験をするか、どんなことを当たり前と思うかの重要性は計り知れない。日本の社会の礎。

出来ることより出来ないことをフォーカスするのも苦手克服しようとか、全部をくまなくできることを評価してきたから。
会社で有休が取りづらいのは、レジャーで学校を休みづらかったから。
皆勤賞があるから、多少の熱や風邪でも出社して当たり前な空気にある。学校を休まず、通って偉いって空気が当たり前のように思うから。

だいぶ制度は変わってきてるしコロナで助長されたことも多いと思う。でももっともっとこの当たり前を打破したい!

だって当たり前は大抵息苦しい。


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