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神戸RANDOM句会

シニアの俳句仲間の吟行・句会、俳句紀行、句集などを記録する。

2004=父から娘へ・潮 

2013-02-11 | 句集

父から娘へ=潮  




有馬富士鳶高舞へる三日かな     
部屋部屋に御慶を述べる老の苑    
初午や大黒天の油顔         
大桜峡の十戸を見守りぬ       
風生まる十二単の高さにも      
胎動は母なる証つくしんぼ      
陣痛の始まる知らせ朝桜       
暁の嬰児の声や春障子        
竿上げて鮎の香りを引き寄せぬ    
牡丹の色を尽くして崩れをり 

    
花嫁の父となる日や紅の花      
炎天の水ひとゆすり池の鯉      
父の日のプレゼント置き嫁ぎゐし   
夢にでも乳房吸ふらし昼寝の児    
灯を消せば風新たなる夜の秋 
出征の父語る母夜の秋  
秋暑し体内時計遅々として      
今朝の秋稲田の色の動き初め     
朗報に少しの不安今朝の秋
潦母を背負ひて墓参  

       
絶筆の父の葉書や花カンナ      
大陸の調べ露けき馬頭琴       
焦げめしも風情と見ゆる紅葉茶屋   
句碑の建つ闇の上なる今日の月    
日入りて冬波夜の音となる     
小春日や犬と揺らるるかずら橋    
冬囲して里の家煙立つ       
山眠る真一文字に星飛びて      
宿木の宙に遊べる雪解風       
嫁ぐこと打ち明けられし冬の夜






病得て豆腐ばかりや後の月
 
 一時は、八十㎏の体重が五十七㎏になってしまった。
この七月、余りに家族の者が心配するものだから、主治医に徹底的な検査を依頼した。
口やお尻からカメラを突っ込まれ、胃に軽い潰瘍が二箇所見つかった。おかげで篠山句会に参加できなかった。
しかしヘモグロビンA1Cとの葛藤は、生涯離れない。
 
山霧のどどと寄せ来る露天風呂
 
 温泉が好きなので、小旅行によく出かける。淡路方面には必ず岩屋
の“松帆の郷”へ。露天湯からの明石海峡大橋の眺めが気持良い。出石方面には但東町の“シルク温泉”。その名のとおり肌がつるつる。大山方面には西粟倉にある“黄金泉”。1km手前にある「あわくらんど」のドライブインで、竹輪を売っているおじさんに頼めば、入湯料の割引券が頂ける。

 母子手帳貰ふ娘や赤とんぼ

  ある雑誌に投句して特選にいただいた。今年の4月、無事男の子を出産。それ以来、デジカメで孫を撮っては一句添えてプリントする。祖父から孫へのメッセージになればと思いつつ・・・。(2004)

 

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2004=一句浮かびました・ろまん亭

2013-02-11 | 句集
一句浮かびました=ろまん亭





パソコンも我もかかりしウイルスめ     
皇族も天童さんもいる案山子      
寒い朝小百合の歌が聞こえそう     
残り雪今宵は誰を誘おうか       
雪はらい翁えびすが春を釣る      
雨あがり 菊水山が 山水画      
顔写真これが我かと妻に問い      
ピンボケがちょうどええよと卆寿母    
たこ天で明石の海を食ったろか     
中古車に落葉に近く若葉マーク  

   
故郷は雨の中なり嫁姑         
胸ぽろり真夏の夢かお芝居か      
父の日に子供のケイタイ督促状     
ヒマやろう言われて笑いこんちくしょう    
すきま風窓際様が風邪を引く      
やめたろかふと思うなり内示の日    
退職のひとりカウンター背が丸く    
異動にて逢いたる君がみせし涙     
年寄りが選ぶ未来の県と市と  
川柳もトラとら虎で占領され  

    
待ってます生前予約受付中       
この世からあの世へ逝った額縁で    
病院で見るはおのれの未来かな     
懐かしさときめき感じ飛鳥去る     
十月になりましたよとモクセイが    
里の秋聞くや故郷ニュータウン     
生きている歯科に整形ひ尿器科     
言い訳をいつも考え還暦に       
天然の笑顔に出会えそんな夢      
「ランダム」で酒に話しに尾ひれ付き 



   

写真と十七文字



「写俳」ということばがあるようです。
 広辞苑には載っていません。
 その字のごとく「写真」と「俳句」を一体化したもので、その第一人者が神戸で活躍されています。しかし、私はやはり写真は写真として独立し、俳句は俳句で考えた方がそれぞれの特徴が生かせると思うのですがーーー。

 写真を撮ってから俳句を考えるのはある程度できると思いますが、その反対に俳句ができていて、それに合った写真を撮るのは至難の技だと思います。
 写真は一応作者の意図としてタイトルを付けますが、もちろんいつもタイトルがあるとは限りません。タイトルが無い方がかえって想像がふくらむ場合が大いにあります。

 俳句も作者の意図とは違った受け取り方をしてもそれはそれで面白いと思います。
 つまり、写真も俳句もどちらも他人に見てもらったり、読んでもらったりするわけで、それはそれで感覚というか、感性というか、人それぞれ辿ってきた人生を通して見ているわけですからね。
 ところで、私が一句を作ろうとしたきっかけは、ランダム第1号に掲載された「春らんまん有馬吟行湯けむり句会」で、それこそ大げさに言えば半世紀ぶりの俳句、それから触発されて発起。

 しかしながら季題を覚えるのがめんどうだ、とばかりに 五・七・五 だけを頭に気持ちの向くまま、思ったとおりを書き留めました。 自分では自然風景写真のような俳句よりも心象風景写真(自分の内面や写真に写されている人の内面を画像に表した写真)の方が性にあっているように思います。ということは、私の作品は、俳句というより川柳だ思うのですが、如何でしょうか。どこかに載っていました。
 「世の中を 十七文字で みる妙味」(2004)
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2004=一邑一句・播町

2013-02-11 | 句集
一邑一句=播町




90香 港
中年らTシャツ揃へ島渡る      


90マカオ
大いなる虹タイパ橋真二つ       


91シンガポール
譲りあふ異国料理の極暑かな    


92上 海
太極拳媼ゆるりと今朝の秋


92蘇 州
春日向老女の指の白玉蘭


93アユタヤ
炎昼のメナムに橘花一朝問ふ


93チェンマイ
火焔樹下群るる若き貌汗ばみて


93バンコク
喰ひ散らす南の果肉夏終る  


94パ リ
汗ばみしシャツにマチスの絵の踊る  
             

94フィレンツェ
天井のこの高さ涼し大聖堂   


94ベネチア
秋虹へ寝台特急ベニス出づ  


94ローマ
夏の夜の黄色き館のカンツォーネ


96インターラーケン
カウベルが汽笛に応へ大夏野


96エギュディミディ
宙づりのままに夏嶺の氷点下


96エビアン
釣師ゐて犬ゐて夕虹消えにけり
              

96ローザンヌ
オルガンの音くぐもりし驟雨かな
               

96ベルン
旧市街といふ箱庭に旗群るる
           

96ユングフラウヨホホ
炎天の頂上四方雪の嶺
              

96ルツェルン
蚤の市買い手売り手の玉の汗
               

99ゴ ビ
ゴビの砂閉じ込め秋の旅鞄
               

99敦 煌
コスモスや女人菩薩は窟のなか
             

99西 安
百餃百味宝鶏ビールぬるし   
             

01ハイデルベルク
春風の橋の半ばで振向けり
             

01ローテンブルク
ミサへ行く老嬢春の光浴ぶ
              

01ミュンヘン
人形の踊る仕掛けや日の盛り
              

01マインツ
ワインより熱燗の欲し春疾風


01シュバンガウ
ノイシュバンシュタイン城へ雪烈し 


01インターラーケン
大吹雪ガラス隔てし昼餉かな


01ジュネーブ
蟹のごとアーミーナイフ騒ぎをり


01パ リ
春雨に艶めくパリの屋根の下    






句集出版始末 


 
 先をよむのが不得手である。

 だから碁も将棋もたしなまない。わが人生60年と考えていたから、生命保険も損害保険もそれまでの掛け捨てであった。定年が近づいたとき、もしも死ぬことがあれば香典返しに、生きていれば送別会や餞別のお返しにと、句集出版を思いついた。

 しかし、句集を送られた人は誰も俳句など興味をもたないだろう。そこで索引で全句に総ルビを振ったり、昔書いたコラムを収録したりした。フランス装というかろやかな装丁に固執して東京の出版社に依頼した。自分で版下までつくり校正は不要、やりとりはメールのため、担当していただいた編集者とは結局顔を合わすことがなかった。

 そのころ図書館に勤めていたので、俳誌を寄贈していただいている結社の主宰のみなさまに、できた句集をお送りした。その縁で面識のないある主宰によって神戸新聞文化欄にとりあげていただいた。退職時まで内緒のつもりでいたが、このため本は2月末にはあらかたなくなってしまい、肝心の餞別のお返しに使えなかった。

 そして何より困ったのは、老後のためにとはじめた俳句が、句集出版で吹っ切れてしまい、その後句ができなくなってしまった。われながら先をよむのが不得手とあきれている。という訳で、あれから三年、未だに老後の次なる目標を探しあぐねている。

(上の句は、一都市一句という趣向、すべて句集に未収録、つまりは廃句復活戦であります)(2004)
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2004=花 筏・さくら

2013-02-11 | 句集
花 筏=さくら


       



(わかくさ句集) 看護学生、身も心もみずみずしい頃

言葉なく友との小径野菊ゆれ     
唇に紅バラそっとわれ二十歳     

( 恋 ) こんな日もあったっけ

バラ一輪受けし日もあり頬染めて   
星占い信じてみたし春の宵      
君なれや言葉なくとも花の夕     

(父 母) 母が逝った齢を超えた

夕蛍ふと亡き母に呼ばれたる     
深秋や羅漢はみんな父の顔      
母恋しカナカナは声ふるはせて    

( 妹 ) 五十四歳の若さで急逝

悲しみの白さよ沙羅の透きとほる   
突然に逝きし妹星凍る        

( 友 ) 親友を失う、医療の限界を感じた

梅の香や白衣のままで友は逝き    
冬椿掌に坐らせて友偲ぶ       

( 子 ) わが息子、わが娘

遠き日の吾子の微笑み梅の花     
嫁ぐ娘に桜茶そっと差し出しぬ    

(夫 婦) 長いこと歩いてきたものだ

歩と呼吸揃ふ夫婦の山登り      
初時雨夫の背少し丸くなり      

(ふる里) 私の原点

ふる里は蒼く眠れる星月夜      
子の顔に戻り故郷の初湯かな     
ふる里は行く手行く手の蝉時雨    

(わが街) 大好きな神戸

めぐり来し緑雨に浮かぶ未来都市   
大樟の若葉も親し市民の木      

(大震災) 多くの俳句仲間も被災した

巡る忌や二十歳の遺影凍てつきぬ   
春寒や小さき仮設の寄り添いて    
地震の傷又深まりぬ梅雨出水     

(復 興) 力強く立ち上がった私達

地震の傷癒えてお礼の初詣      
上棟の音高々と菊日和        

(師逝く) 百一歳で播水先生逝去

逝き給ふ西行桜舞ふ朝        
師を偲ぶ句碑に寄り添ふ山すみれ   

(定 年) ついに私も定年

過ぎしことみな美しき花筏    



       

出会い


 俳句との出会いは、確か中学二年生か三年生の頃、国語の授業で日本の詩歌について学んだときである。早稲田大学を卒業したばかりの先生が、ちょっとハンサムでカッコ良かったからすぐ国語が好きになった。

 先生は俳聖芭蕉について、たくさんある句の中から特に
《この道や行く人なしに秋の暮れ》
を取り上げた。

 この句との出会いが、私と俳句を結びつけた原点だろうと思う。秋も深まった誰もいない山道をじっと見つめている侘しい旅人の姿の情景と、人生の秋、老いを迎えた芭蕉が、この道、即ち俳諧の道を継承してくれる人はいないのかと、しみじみ内省する。目の前の秋の道に、自分の人生の道を重ねているのだ、という説明であった。 

 たった十七文字にこんな奥深い世界が広がるのかと、子供心に俳句への興味が湧いたのを覚えている。
 看護学校に入りクラブ活動として句会に入部した。中央市民病院の医師でもあった五十嵐播水先生、哲也先生に指導していただいた。

 その後長い期間、俳句から遠ざかっていたが、子供達が成長し時間にゆとりができたので、また俳句と出会うようになった。親和会の「あじさい俳句会」に入り、ここでも五十嵐哲也先生のご指導を受け、今日に至っている。(2004)
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2004=春 愁・かをる

2013-02-11 | 句集

春 愁=かをる  



足先にまとわりつける余寒かな    
春愁や少し濃い目の珈琲を      
春愁や汝の心のうらおもて      
春一番ガイドは声を高らかに     
朱木蓮二階の窓の白障子       
ダンプカー停めて昼餉や花の土手   
土手守る如き老桜散りそめし     
真っ先に晴れ間抜け来る夏燕     
出港を待つ異国船風光る       
捩花にひとつひとつのねじれかな  

 
たじろがぬ強き西日に凌霄花     
大夕焼けジャンケンをして子等帰る  
子に教へる鬼灯笛の作り方      
山荘は蝉時雨せる中に閉ず      
外孫も内孫も居て秋祭り       
一と駅の間をつるべ落としかな    
土地の芋買ひし笑顔の農婦より    
裏参道日箭さすところ紅葉濃し    
おにぎりを持って二人の秋惜しむ   
寝て居たる児を抱きて来し村祭り 

  
ローカルの電車しずかに秋の暮れ   
冬の田を犬一匹が横切りぬ      
冬日射すホームはいつも向かい側   
乾ききったる音のして落ち葉踏む   
おびんづる撫でれば寒さまさりをり  
古色なる三重の塔山眠る       
宝物殿深閑として京の冷え      
冬の海鈍き光を返へしけり      
海越えてもう明けたかと初電話  
朝寒や脈看る指を暖めて





俳句との出合い


 
 俳句への思いを強くしたのは二十五年も前でしょうか。仕事で、在宅療養をしている方々を家庭訪問している頃に二つの出会いがありました。

 一つ目は、難病でベッドから動けない奥様をご主人がかいがいしく介護しておられる仲の良い五十代のご夫婦との出会いです。

 お二人の共通の趣味は俳句。奥様はベッド上から見える庭の草花や景色、部屋に入ってくる空気や音や匂い、身動きが出来ない限られた空間の中で全身で季節を感じ作句をしておられる姿。それをやさしくサポートしているご主人の心配りに強い感動がありました。

奥様は俳号を「助舟」さんと言われ、亡くなられる頃の句に『四日はや樂ながし来る塵芥車』という句があります。全身を目にし耳にして正月の三が日が過ぎたことを感じておられるのだと思った覚えがあります。

 二つ目は、お姑さんの介護をしているお嫁さんが、介護の厳しさ辛さを句に詠んでおられました。初めて『生き御霊』という言葉を知りました。「俳句があってやっと自分の気持ちを支えていける。」と話されたことを思い出します。

 たった十七文字ですが、大きな奥深い働きをするのですね。
 その頃から私も少しずつ句を作るようになりました。(2004)

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2004=土 鈴・だっくす

2013-02-11 | 句集
土 鈴=だっくす 




短日の芝居見物昼の部に       
友よりの電話湯冷めの予感して    
毛糸編むいつの間にやら憂ひ消え   
着ぶくれし人も輝くルミナリエ    
家中の時計合はすも年用意      
初詣干支の土鈴を買ふならひ     
肩寄せてバレンタインの日の花火   
なぐさめは言はず熱燗すゝめけり   
雛しまふ時にやさしさ育まれ     
剃りすぎし眉を描くも春愁ひ  

   
ねね橋をゆつくり渡る春日傘     
囀や回り道して旧街道        
いかなごのくぎ煮づくりは母まかせ  
母の日の母に看病されてをり     
若葉風通る茶席の客となり      
出勤の歩を止めしばし合歓の花    
夜濯や今日のできごと明日のこと   
サングラス掛け旅人の貌となる    
七月の窓に氷柱やモンブラン     
澄む秋の陽関に聴く王維の詩 

    
葡萄棚砂漠の中にある不思議     
秋扇しのばせて行く古都の旅     
萩の径いつまで続く立ち話      
篠山の妻入商家麻のれん       
閉ぢられし能楽殿や蝉しぐれ     
虫の窓閉めて一日を終えるなり    
新米の水ひかえめに炊きにけり    
秋の夜の般若の面と向ひ合ふ     
枯芒堪えねばならぬことのあり    
木守柿峡に一軒だけの家  





俳句という遊びー私の場合 

 
「俳句をやってみない?」先輩から声をかけられた。ペンと手帳があれば何も要らない、いくつになってもできるし、ぼけないよ、と。こっそりNHK学園俳句入門講座で手応えを確かめてから、先輩が会長をしている期間だけと決めて、その俳句会に入った。

 句会は月一回、与えられた兼題で五句出句するのだが、すんなりできることは稀で、歳時記と睨めっこをしながら句会当日にようやく間に合って出席。できないときは欠席という不真面目な会員だった。

 それでも旧かな使いの魅力にとりつかれ、普通の主婦、優雅な奥様、ОL、時には熟年サラリーマンに変身して句づくりを楽しんだ。

 十七音で表現しきれない時など短歌に心変わりしそうになったこともあったが、気持がストレートに伝わってしまう短歌は気恥ずかしくて、やはり私には俳句が合っているのだと思い直した。そして予定どおり(?)五年で退会し、俳句と縁遠くなっていた。

 それから二年。本誌が創刊され、特集の有馬湯けむり句会で久しぶりに心地よい緊張感を味わい、また、六号の篠山句会でも帰宅後さらに何句か作ったが、その後またごぶさたしている。

 私は機会を与えられないと句を作れないタイプなのだろう。RANDOMは本号で終了とのことだが、中高年の遊び探しは果てしなく続くはず。一人遊びもいいが、仲間が集まって何かするのはもっと楽しい。これからも吟行や句会をして十七音の世界で遊びませんか。(2004) 
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2004 石蹴り・楽水

2013-02-11 | 句集
石蹴り=楽水




不意をつき一句勧める初音かな    
浮かび出た河馬の背中に春が載る   
梅日和瀬戸に綾なす二万本      
闇四方家名を汚す猫の恋       
凍土より名もなき花の気骨かな    
新茶摘む娘を摘みし祖父の恋     
代々の終わりを告げる春の泥     
手のひらに星がこぼれる露台かな   
潮騒が仮寝を襲う夏座敷       
空蝉や発ちし生命も何処かな 

    
生足や厚底娘初夏を行く       
父の日や百均ふたつ娘から      
真正面夢敗れたり滝の音       
叩きつけ石を喋らす夕立かな     
竹とんぼ追ってく追ってく鰯雲    
笑い声ルーズソックス文化の日    
コスモスに童となりし三世代     
マドンナは秋桜なのか寅の旅     
無辺際秋は一色深呼吸        
秋めいて影に人あり海の家  

    
屈託の無さが貴き南瓜かな      
秋閑か吉永小百合夢一夜       
能登狼煙死線遠望鰯雲        
秋港や銀波瞼の奥を射す       
悠久の何故何故問答月のみち     
塵世を衝くや凛々冬木立       
生きざまにその名を知れば寒菫    
御降りに賽銭箱の欠伸かな      
共白髪小旗微笑む初景色       
去る年の大地震悪魔のお年玉   


  

私と俳句について




『人間五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻のごとくなり 一たび生を得て 滅せぬもののあるべきか』  〔(敦盛)〕
 
 これは幸若舞の(敦盛)の一節であり、織田信長が好んで歌いつつ、舞ったという。

 そして、あの本能寺の変の最中にも信長は森 蘭丸のみを従えて槍を手にして燃えさかる炎の中で歌舞のうちに最期を終えたと小生の少年時代に漫画本で読んだ記憶がある。

 正岡子規は35歳弱、石川啄木は27歳余でこの世を去っている。小生は終戦直後の生まれで、しかも外地からの引揚者であるとともに、0歳の身体は極度の栄養失調状態で、いわゆる闇船で博多に上陸したときは、医者も見離していた生命を母の必死の看病と静岡から駆けつけた父の持参した薬のお蔭で蘇生したということでもあり、正に九死に一生を得た人生を歩んでおり、家庭も持っているので、まだまだ元気でなければならないが、このまま平々凡々として生きていていいのかと、この頃ふと考えることがある。

 句歴は新交通(株)より始め8年にも満たず、最近では新線建設に多忙なのか、この2年間ほど句会の案内も無い状況です。
 師は、坪内稔典氏だが会ったことはなく年に一度だけ会員の句を一人2句ずつ集めたものを送り選句のうえアドバイスを頂くのみである。
 小生としては自己満足でいいので会心作と思えるような辞世のことばを一句残したいとただそれだけを願っている。(2004)
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2004=思い出・どんぐり

2013-02-11 | 句集
思い出=どんぐり




老鶯や山を愛せし父の墓       
ネクタイの農夫小春に賞を受く    
湯豆腐に物足りなさのありにけり   
大屋根の雪解雫のせはしなく     
新樹雨靴の濡れるもかまはずに    
朱印帳手に手に遍路バス降りる    
露草や焚くことのなき登り窯     
白萩のこぼれしままを掃かずおく   
雪解水枯山水を流れけり       
春泥や歌碑まで続く靴の跡 

     
流燈の一燈はやや先を行く      
予期せざる人との別れ虎落笛     
鳳仙花はじききらざる実のひとつ   
頂上へ夏野の小さき人の列      
波音を子守唄とし残る鴨       
片陰に人それぞれの暮しあり     
建国の日や陵に黙す人        
病院を囲む夾竹桃の白        
水打ちて新車届くを待ちにけり    
しらじらと月残りゐる今朝の冬 

   
露涼しとどこほる庭手入れして    
曇天の明るき丹波栗の花       
俳磚の文字くっきりと木の芽風    
ぼうたんの一気に咲いて庭狭め    
葉の色にはじまる毬の七変化     
大玻璃戸隔て夏蝶ゆったりと     
刻々と集ひ来る顏涼しかり      
空席の目立つ夜学の始まりぬ     
明日嫁ぐ娘と見上げたる朧月     
俳磚に水引の紅およびけり 


私と俳句

 
 転勤先の職場で俳句会のお世話をすることになったのが私と俳句の出会いである
 季題をひとつ入れて自分の見たもの感じたものを、形容詞はなるべく使わないで五七五の17文字にすれば良いと教わった。
 なんせ、言葉は知らず、文を書くのは大の苦手!
それでも17文字位なら何とかなるだろう、それに季題と言うものを1つ入れれば良いのだから…。
 出来た句に賛同する人がなければ、季題を変えてみる。
 やったー、わかってもらえたー。
 出来るだけ欠かさず句会に参加し、先生や先輩の俳句を見聞きするようにした。
 一番の思い出は京都での慣れない吟行句会で、提出の3句をやっと作り、その内の1句を稲畑汀子先生が選んでくださったこと。 

 八重桜散ることのなく落ちにけり

 これで気を良くしてしまって、今日まで続いている。(2004)
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2004=どんぐりの庭/見水

2013-02-11 | 句集
どんぐりの庭=見水





(薫風の章)
風も樹もミミズもボッティチェリの春 
路地ぬけて人もツバメも風になる   
そよ風に消えるいら立ちシャボン玉  
きぬさやが大豊作の三四日      
もえあがる木もれ陽の中ペダルこぐ  
夏服のメイとサツキが走り去る    

(夏雲の章)
雲さわぐ天に夏の木茂りあがる    
竹林の果てにもそよぐ夏草あり    
ただいまと麦藁を脱ぐまっ赤な子   
水遊び習った歌を鼻唄に       
虹景色ヒロヤマガタの絵のような   
ふるさとの島宿題に描いた夏     

(草原の章)
八月の馬なでてゆく草嵐       
振り向けば二万世紀を抜けた夏    
火の国をゆく八月の馬となり     
照る月のやたら眩しき熱帯夜     
芝刈って暮れる時間を愛おしむ    
夏草にふと秋の空見つけたり     

(黄落の章)
ほっとして枝豆の皮山に盛る     
実を付けた樹々さわさわと秋日和   
障子貼る小さな秋の陽だまりに    
冬近し粟生方面はお乗り換え     
寒さ沁む乗換駅の看板字       
落ち葉散るどんぐりの庭種を蒔く   

(ゴッホ断章)
空蒼くカラス群れ飛ぶ麦の秋     
銃声に身起こす農夫汗を拭き     
兄危篤爪噛む弟夏列車        
兄弟の墓に降り積む青い雪      
薪赫赫手紙の束を読む暖炉      
屋根裏の絵に南仏の夏の風 




栗ノ木谷に住んで


「神戸のアラスカやで」さんざん脅かされて旧地名・字栗ノ木谷の外構・植栽付住宅に移り住んで十七年になる。

マンションが建つまでは三田の有馬富士が望めた。雪が降れば庭の雪を集めて子供と大きなかまくらを作った。一週間解けなかった。震災後は都会化が進んだためか、雪も降らずツララもできない。

 柊や山茶花だけではすき間が多いので夾竹桃や金木犀を植え、また「となりのトトロ」をまねて公園で拾ったどんぐりを蒔いたら、本当に檪の林になってしまった。

二、三本残したが家を覆う巨木になりつつある。風や鳥が種を運んで勝手に生えた木も、いい感じならそのままにし、毎年たわわに実る柿の木あり、虫食い葉だらけの葡萄棚あり、アスパラ畑あり、プロの植木屋が見たらとんでもない雑木の庭だが、日々元気をくれる庭である。

 僕の稚拙な俳句は、わがどんぐりの庭に種が運ばれて自生した木々のようなものです。(2004)
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