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葛飾北斎「富嶽36景⑪」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2023-06-16 06:27:24 | 写真と短歌で綴る「世界文化紀行」
葛飾北斎「富嶽36景⑪」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
葛飾北斎の「富嶽36景」は23年6月2日金曜日で終了致しました。しかしながら研究を続けていますと「富嶽36景」は実際に46景あったことが分かりました。そこで前回37~41景掲載しましたが、今日42~46景で最終回となります。

北斎の傑作「富嶽三十六景」は、なぜ46図もあるの?
「富嶽三十六景」は1831年~1833年頃に西村屋与八が版元の「西村永寿堂」から出版されました。北斎芸術の頂点と言われるこの傑作は、北斎72才の時です。

はじめに36図が摺られ、その後10図の追加があり三十六景といいながら、全46図でシリーズは完結しました。

江戸の庶民たちは北斎の版画を、いつか行きたい富士への憧れ、楽しかった旅の思い出、または純粋な信仰心など様々な理由で求めたのではないでしょうか。

はじめに摺られた36図は表富士、後からの10図は裏富士と呼ばれています。

表富士はベロ藍といわれたプルシャンブルーの輪郭線、裏富士は墨で輪郭線を引きました。

46枚の内訳は、藍摺り10図、藍の輪郭線26図、墨の輪郭線10図ということになります。


42「甲州三坂水面」
山梨県南都留郡富士河口湖町
「河口湖北斎描く逆さ富士 駆け引き思惑虚と実対比」



甲府盆地から河口湖へ抜ける御坂峠から望む逆さ富士です。静謐な景観です。湖面には、富士が雪をかぶって逆さに映っていますが、遠景に見える実際の富士は、岩肌を見せる夏の富士です。しかも水面への投影もずれています。北斎は虚と実の対象を描いているのでしょうか。穏やかな湖面と落ち着いたたたずまいの村落、湖水に浮かぶ一隻の小舟が静寂の中に漂よっています。動を描いているのでしょうか。

43「甲州伊沢暁」
山梨県笛吹市
「伊沢には明け行く空と裏富士が 今日の始まり旅人賑わう」



伊沢とは、石和(山梨県笛吹市)のことです。現在は温泉で知られるこの町も、かつては甲州街道の宿場町で大変栄えたといいます。空は一日が始まりを告げるように、次第に紅に染まっていきます。彼方には富士が泰然とそびえています。まだ夜の闇に沈む中で、早立ちの人馬で賑わう宿場の様子です。明け行く空と対照的です。荷物をかつぐ人足や馬、駕籠で旅立つ人々、一日の始まりの時を描いています。富士は、甲州側から見た「裏富士」として描かれています。

44「信州諏訪湖」
長野県下諏訪郡下諏訪町
「浮城の高島城のその先に 富士山望む湖水風景」



諏訪湖を下諏訪方面から眺めたものです。手前には大きな松二本と小さな祠が描かれています。中央部分に樹木を描くという構図は、「甲州三島越え」などでも見られます。湖の中ほどに浮城のように諏訪高島城、その先に富士が眺められます。湖面には、小舟一艘が浮かべ、静かな山国の湖水風景を描き出しています。実際に、諏訪湖から富士が遠望できるようで、歌川広重もこの光景を錦絵に描いています。

45「甲州石班澤(かじかざわ)」
「石班澤三角形の相似形 最高傑作と評されるも」



石班澤(鰍沢)は、釜無川と笛吹川などが合流して富士川の荒波となります。岩に波がぶつかり激しく泡立っています。荒波とは対照的に岩場で漁師が黙然と一人網を打っています。漁師の背中から頭、そして手元からピント張った網へとつながり、三角形を描いています。その相似形が遠景の裏富士として描かれています。緊張感をもって網を打つ孤高の漁師に対して、岩場で魚籠をのぞく子どもが全体の張りつめた感覚をやわらげております。
初摺は藍一色に摺られ、北斎の藍摺の中でも最高傑作と評されていますが、後摺では
雲間に橙色が引かれるなど色数が増やされています。

46「身延川裏不二」
山梨県南巨摩郡身延町
「身延川谷から湧き立つ白雲は 奇峰の間から富士見え隠れ」



「身延川」は、身延山中に源流を持ち、日蓮宗の総本山久遠寺の周辺を流れ、波木井(はきい)川に合流する川です。沸き立つ奇峰の間から見え隠れする富士。富士は、甲州側から見た「裏富士」です。谷から湧き出る白雲。白雲は、奇岩、富士、松の木と相まって天空へ舞い上がっているようです。下の川は、波が折り重なるように描かれ、水量と速さを表現しています。そんな険しい景観を眺めながら、旅人たちは身延山久遠寺へ参詣に向かっているようです。

参照
https://media.thisisgallery.com/20208048
https://fugaku36.net/free/nihonbasi
https://kanazawabunko.net/works/1892

※6月17日(土)18日(日)は休みます。

「印象派研究⑤」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2023-06-15 08:36:51 | 写真と短歌で綴る「世界文化紀行」
「印象派研究⑤」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
印象派、または印象主義とは、19世紀後半にフランス絵画を中心に巻き起こった革新的な芸術運動の呼称です。印象派は、モネやルノワール、ピサロといった、当時パリで活動していた若い画家たちのグループによって確立され、徐々に広がりを見せます。
展覧会は、1870年代から80年代にかけてメンバーが微妙に変わりながら全8回行われ、明確な定義や境界線が決まっているわけではないものの、基本的に、その展覧会の主要メンバーが「印象派の画家」と呼ばれています。

しばしば印象派の画家の一人としてイメージされるエドゥアール・マネは、印象派展に一度も出品していないことから、正確には印象派のメンバーとは言えません。ただ、その印象派の発端とも言える作品「草上の昼食」や「オランピア」を発表するなど、のちの若い印象派の画家たちに多大な影響を与えたことから、マネは「印象派の父」と称されています。

この「印象派」という名称は、第1回の展示会に出品されたクロード・モネの作品『印象・日の出』に由来します。


「印象派の特徴」
① 屋外の制作

印象派の特徴の一つが、「屋外制作」にあります。保存や持ち運びに適したチューブ入り絵の具が、1841年に登場し、工場での大量生産も開始。画家たちが、街の画材屋で絵の具を手に入れることができるようになり、結果、屋外で絵画を完成させることができるようになります。こうした「近代化」という時代背景もあり、印象派の画家たちの屋外制作にも繋がっていきます。また、同時期に、都市部と郊外を結ぶ鉄道が徐々に広がり、画家たちのフットワークがいっそう軽くなります。作品のモチーフも、ダンスホールや劇場、カフェやレストラン、鉄道の駅や郊外の行楽地など、近代都市の市民たちの生活を多く描いている、といった特徴があります。
②光のための筆触分割
印象派の絵画の特徴的な技法として、「筆触分割」が挙げられます。筆触分割とは、絵の具を混ぜないで、そのままキャンバスに置いていく、という手法です。印象派の画家たちは、「絵の具は、混ぜることで発色が悪くなる」ことを考慮し、屋外の繊細な光を捉えるために、チューブから出した絵の具を、短い筆さばきによって、そのままキャンバスに置いていく、という方法を採用します。
③「印象」を描く
印象派の絵画は、主観的な、「印象」を忠実に捉え、表現する、という方向に注力されている、という点も特徴の一つと言えるでしょう。1839年写真の登場によって、肖像画家を筆頭に現実をそのまま写し取る役割が写真に取って代わられ、画家たちは、新しい世界に進んでいくことを求められます。写実性以上の新しさを模索し、この動きが「印象」を描くという方向に繋がっていきます。

アルフレッド・シスレー1839年~1899年
「自画像」1864年
「シスレーは典型的な印象派 終始一貫描き続ける」



アルフレッド・シスレー(1839年 – 1899年)は、フランスで暮らす裕福なイギリス人夫婦のもとに生まれた印象派の画家の一人です。18歳のときに、商業を学ぶためにイギリスのロンドンに留学し、イギリスの風景や、ターナー、コンスタブルなどの作品に触れることで、画家を志すようになります。また、その頃、コローなどバルビゾン派、クールベのような風景画家の作品にも影響を受けます。その後、シャルル・グレールの画塾に入門。のちに、印象派の仲間となるモネやルノワールと出会います。シスレーは、印象派の特徴の一つである戸外制作を中心に、数多くの風景画を残しています。他の印象派の画家たちが、後々印象派的な画風から抜け出し、独自の道を模索していったのに対し、シスレーは、終始一貫して印象派的な絵を描き続けました。アンリ・マティスがピサロに会った際、「典型的な印象派の画家は誰か」と尋ねると、ピサロは「シスレーだ」と答えたと言います。印象派展は、第1回から第3回までと、第7回に出品しています。

「ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの橋」1872年
「夏の日の印象風景生み出され 明るい色彩自信作品」



セーヌ川沿いの小さな村ヴイルヌーヴ=ラ=ガレンヌは,アルジャントゥイユより上流で,サン=ドニ島に向かいあっている。1872年にシスレーはここで数回にわたって制作しており初期印象派運動の典型的な夏の風景画の1点がこの作品で生みだされた。岸辺でくつろぐ恋人たちや,橋の下の貸しボートで出発したふたりの女性などの控えめな余暇の楽しみが,大胆な構図と結合されている。主要な建物の店先を保護するピンク色の日除けが,夏の日中の暑さをさらに暗示する。中央に見える通行税散収所の冷たい灰色は,あくどいほどの緑色の鎧戸と輝くばかりの青空の引立て役を演じている。西中に急降下していく橋の大胆な配置は別として,シスレーが新しく発見した明るい色彩の使い方にたいする自信とさまざまな材質感が作品全体に見出される。

「ルーヴシエンヌの雪」1878年
「雪景色田舎の冬に魅了され 光の変化楽しく描く」



シスレーは特に、彼の孤独を好む気質が自然の寂しさと孤独感を捉えるのに理想的に適していたため、田舎の冬に魅了されていたのである。本作品の「ルーヴシエンヌの雪」では、雪は降ったばかりで汚れが全くなく、雪景色を台無しにしてしまう足跡が一つもない。まるでコットンやフェルトのようである。作品の中で、素晴らしい装飾品である雪がかかっているのは木の幹と立ち去る女性のシルエットだけである。世界は大きな白い静寂に埋もれている。おそらく、本作品はシスレーの不安や孤独感を表しているのであろう。光の微妙な変化を学べ、異なる色調や陰影を試せることから、シスレーは雪景色を描くことを楽しんでいた。例えば、キャンバスにほんの小さな色を添えることにより、ただシンプルに白で描くよりも、地面が青っぽいようなピンクっぽいような反射を発しているように見える。このようなクオリティの作品を描いていることから、美術史家であるケネス・クラークは、シスレーのことを「印象主義の素晴らしい一瞬」を作り出すことができる数少ない芸術家の1人であると言い表している。

「サン=マメス六月の朝」1884年
「穏やかな光に包まれ奥行も 明暗の対比強調されるも」



フォンテーヌブローの森の東のはずれに位置する小村サン= マメスは、セーヌ川とロワン川の合流点にあることから、フランス中部における河川交通や運輸の中心地として発達しました。この作品はサン= マメスの北側、セーヌ川沿いのラ・クロワ=ブランシュ通りのポプラ並木を描いたもの。左側をセーヌ川が流れており、水面には舟が浮かんでいます。川の左側に見えているのはセーヌ右岸の村ラ・セルの丘です。画面全体が穏やかな光で包まれていることの多いシスレーにしては珍しく、この作品では明暗の対比がなされ、それによって奥行きが強調されています。人々が行き交う並木道は、影で暗くなっています。青色で影が表現されていますが、これは印象派の作品の特徴のひとつです。印象派の画家たちは影の中にも色彩があることを指摘し、自らの作品でそのことを実践したのです。また、作品全体に筆あとを見ることができるのも、彼らの特徴です。

参照
https://www.bou-tou.net/inshohaart/

「世界遺産モデル⑤」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2023-06-14 05:51:12 | 写真と短歌で綴る「世界文化紀行」
「世界遺産モデル⑤」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
世界遺産とは、1972年にユネスコ総会で採択された世界遺産条約に基づき「世界遺産リスト」に記載された、「顕著な普遍的価値」をもつ建造物や遺跡、景観、自然のことです。 「顕著な普遍的価値」は、どの国や地域の人でも、いつの時代のどの世代の人でも、どのような信仰や価値観をもつ人でも、同じように素晴らしいと感じる価値のことで、そうした価値をもつ世界遺産は、人類共通の財産といえます。

世界遺産は、人類が作り上げた「文化遺産」と、地球の歴史や動植物の進化を伝える「自然遺産」、その両方の価値をもつ「複合遺産」に分類されます。文化遺産が最も多く、世界遺産の総数は1,000件を超えますが、まずは「文化遺産」に絞り掲載して行きたいと思います。


イギリス
「エディンバラも旧市街と新市街」文化遺産1995年
「切り立った岩山の上城そびえ 見下ろす街は最高傑作」



イギリス北東部、スコットランドの首都エディンバラ。歴史的建造物が立ち並ぶ旧市街と、均整のとれた新市街が織り成す美しい街並みが、世界遺産に登録されました。 主な歴史的建造物には、聖マーガレット教会、セント・ジャイルズ大聖堂、ホリールード宮殿、スコットランド国立美術館、エディンバラ大学などなど。切り立った岩山の上には、エディンバラのランドマーク、エディンバラ城がそびえます。 ここは争いの絶えなかった地域のため、旧市街は中世ヨーロッパ要塞都市の景観を残しています。一方、新市街は18世紀以降に発展した新古典主義の建物が並びます。その区画整理された街並みは非常に美しく、その後のヨーロッパの都市計画に影響を与え、「計画都市の最高傑作」と謳われるほどです。

「河湾都市グリニッジ」
文化遺産1997年
「標準の時刻を刻むグリニッジ 偉大な都市が世界に馳せる」



マリタイム・グリニッジは「グレーター・ロンドン」(日本では「大ロンドン」と言われています。)の南東にある町で、グリニッジ・ロンドン特別区のテムズ川南岸に位置します。中学の地理などで習う『グリニッジ平均時』の基準となる都市です。「海事都市グリニッジ・海商都市グリニッジ・河港都市グリニッジ」とも言われ、時刻だけではなく港町としても有名な場所です。「グリニッジ」と略称で呼ばれたりもします。

「オークニー諸島の新石器時代遺跡中心地」文化遺産1999年
「遺跡こそ新石器時代シンボルが 何千年の不思議な世界」



イギリス最北部にあるオークニー諸島は、70の島で構成されています。諸島には新石器時代の遺跡が豊富にあり、パパ・ウェストレー島には北ヨーロッパで現存最古の石の住居があります。世界遺産に登録されたのは、諸島最大の島メインランド島にある4つの遺跡。保存状態の良さと、歴史を知ることに大きく貢献している点などが評価され、1999年世界遺産に登録されました

「バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群」文化遺産2000年
「バミューダはバミューダパンツ有名で 街全体が世界遺産に」



あのバミューダトライアングルを形成していることで有名な、バミューダ諸島。その諸島最大の島バミューダ島の古都セント・ジョージは、町全体が世界遺産に登録されています。魔の三角領域と世界遺産の組み合わせっておもしろいですね。諸島は大西洋のアメリカ側にあるイギリス領です。1503年スペイン人ジョン・バミューダが発見しました。1609年にイギリスの移民船がバミューダ沖で難破します。後日その乗員たちが諸島へ入植したのがイギリスの植民地になったきっかけです。セント・ジョージはアメリカ最古のイギリス植民地にしてバミューダ島最古の町。17世紀から18世紀にかけて、石灰岩で造られた白亜の壁を持つ家々の美しい町並みや要塞群が有名です。要塞群は17世紀から20世紀の、イギリス軍の軍事技術の進歩の過程がよくわかると評判です。町は現在でも数世紀の町並みを保つ努力を続けています。

参照
https://www.unesco.or.jp/activities/isan/worldheritagelist/europe_1/
https://worldheritagesite.xyz/

「世界の美しい公園・庭園⑥」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2023-06-13 06:51:37 | 写真と短歌で綴る「世界文化紀行」
「世界の美しい公園・庭園⑥」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
すばらしい庭園や公園は世界中にあり、以下の写真はその美しさを垣間見せてくれます。世界で最も北にある植物園から、世界最古の美しい庭園まで、あらゆる好みに合う緑豊かな場所が揃っています。


フランス「ヴィラ・エフルッシ・ド・ロチル」
「ベルサイユに影響された庭園は 愛の神殿優雅に香る」



ヴェネツィア様式のヴィラ・エフルッシ・ド・ロチルドは、ロチルド(ロスチャイルド)男爵夫人、ベアトリス・エフルッシ(Béatrice Éphrussi)によって20世紀初頭に建てられた。別荘の庭の中心はフランス式庭園で、滝や池、ベルサイユ宮殿に影響された「愛の神殿」がある。ほかにも、ラベンダーでいっぱいのプロバンス式庭園や、地中海のザクロの木が植えられているスペイン式庭園もある。

オーストラリア「ビクトリア州王立植物園」
「広大な植物園のカリキュラム 学ぶ遊具やプログラムにも」



園内には、ユーカリ、ツバキ、シダなどの植物の種ごとに植栽されたコレクションの他、南アフリカ、中国南部、ニュージーランドなどの世界の特定の地域の植物をコレクションし、庭園として整備しています。 また、植物園では、環境教育についても力を入れており、チルドレンズガーデンには様々な年齢の子供が遊びながら環境について学ぶことのできる遊具やプログラムが多数用意されています。普段は一般に開放されているチルドレンズガーデンですが、毎週月曜日と火曜日は地元ビクトリア州の学校が予約制で利用できるようになっています。

アメリカ・オレゴン州「ポートランド日本庭園」
「庭園はいざなう景色別世界 隠れるように佇む森に」



ポートランドの日本庭園は、8つの静謐な庭に分かれており、日出ずる国に連れて行ってくれる。

イギリス・コーンウオール「ヘリガンの失われた庭園」
「石像は風変りこそ有名で 失われた庭園蘇る」



イングランドのコーンウォールにある、1200年代に建てられた「ヘリガンの失われた庭園」は、「Mud Maid」のような風変わりな石像が有名で、その名にふさわしい作りになっている。第一次世界大戦中、この土地は放置されたために荒廃した。しかし、売却も開発もされなかった。世界中の植物愛好家にとって幸運なことに、1990年代になって作業員たちが忘れ去られていた庭園に栄光を取り戻した。現在では、竹林のトンネルや、世界各地の歴史的な植栽が見られる遊歩道が広がるジャングルエリアなどが整備されている。

参照
https://www.businessinsider.jp/post-216470

「フラワーパーク⑥」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2023-06-12 07:35:41 | 写真と短歌で綴る「世界文化紀行」
「フラワーパーク⑥」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
春はチューリップや菜の花、夏はひまわり、秋にはコスモス…日本には四季折々の花絶景がたくさん、日本全国にあるおすすめ花畑をご紹介します。色鮮やかな花々のじゅうたんが一面に広がる光景は写真映えも抜群。デートや家族のおでかけにいかがでしょうか。
※休業日や営業時間など掲載情報は変更の可能性があります。日々状況が変化しておりますので、事前に各施設・店舗へ最新の情報をお問い合わせください。


東京都「国営昭和記念公園日本庭園」
「公園は大和が育む庭園美 やすらぎの中ひととき過ごす」



国営昭和記念公園は昭和天皇御在位50年記念事業の一環としてつくられた、立川市と昭島市にまたがる総面積180haの広大な国営公園です。その中にある日本庭園は、日本の伝統的文化を継承する場として、また、人々がコミュニケーションを深める語らいの場として、歓楓亭を中心にさまざまな楽しみ方を提供してくれています。一味違った落ちついた雰囲気に包まれながら、潤いとやすらぎのひとときを過ごすことができますよ。

千葉県「千倉の花畑」
「贅沢な色とりどりの花と海 一度に眺める南房総」



春の訪れが早い南房総は、12月から花が咲き始め、1月から3月頃が花摘みのベストシーズン。目の前にエメラルドブルーの海が広がり、冬でも比較的温暖な千倉(ちくら)はサーファーの聖地であり、また花畑スポットとしても知られています。千倉の平磯地区から白間津地区にかけて続く花畑では、ポピーやキンセンカ、ストックなど色鮮やかな花々がいっぱい。なかでも、海側も山側も一面の花畑が広がる白間津は見逃せない鑑賞スポットです。花畑の近くのフラワーライン沿いには花売りの露店も多く、お気に入りの花を家でも楽しめます。

埼玉県「ポピー・ハッピースクエア」
「咲き誇る絨毯のようなポピー畑 ビタミンカラーの初夏を満喫」



埼玉県鴻巣市馬室地区の荒川河川敷に広がる約12.5haのポピー畑は、日本でも指折りのスケール。花の見ごろを迎える5月には東京ドーム約2.5個分の敷地に、まるで絨毯を敷きつめたように約3000万本のポピーが咲き誇り、幻想的な景色が広がります。また、この花畑は荒川の御成橋下にあり、富士見百景にも選定された、絶景の富士山をのぞむこともできます。色とりどりのポピーと富士山の組み合わせも楽しんでくださいね。このほか、隣接する約1万2000平方メートルの麦なでしこ畑も見どころです。

埼玉県「羊山公園」
「大自然秩父の四季は恵まれて 憩いの場として人は楽しむ」



大自然に恵まれた秩父の四季を映す。春に咲き誇る1000本の桜も圧巻
県立武甲自然公園の西北部に含まれ、小高い丘から秩父市街を一望できる自然豊かな公園は、市民のいこいの場として長年親しまれています。また秩父の桜の名所でもあり、春にはソメイヨシノをはじめ、しだれ桜、八重桜、あわせて約1000本が咲き誇り、公園を訪れる人々を楽しませてくれます。初夏には花菖蒲なども咲きますよ。羊山公園内には、「武甲山資料館」や棟方志功の作品を集めた「やまとーあーとみゅーじあむ」などの施設もあり、自然散策ができるよう施設整備がされています。春には「芝桜の丘」を美しい芝桜が覆う絶景を楽しんでください。

参照
https://www.jalan.net/news/article/145786/

葛飾北斎「富嶽36景番外編⑪」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2023-06-09 06:50:02 | 写真と短歌で綴る「世界文化紀行」
葛飾北斎「富嶽36景番外編⑪」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
葛飾北斎の「富嶽36景」は先週6月2日金曜日で終了致しました。しかしながら研究を続けていますと「富嶽36景」は実際に46景あったことが分かりました。そこで46景全て掲載したいと思います。


北斎の傑作「富嶽三十六景」は、なぜ46図もあるの?
「富嶽三十六景」は1831年~1833年頃に西村屋与八が版元の「西村永寿堂」から出版されました。北斎芸術の頂点と言われるこの傑作は、北斎72才の時です。

はじめに36図が摺られ、その後10図の追加があり三十六景といいながら、全46図でシリーズは完結しました。

江戸の庶民たちは北斎の版画を、いつか行きたい富士への憧れ、楽しかった旅の思い出、または純粋な信仰心など様々な理由で求めたのではないでしょうか。

はじめに摺られた36図は表富士、後からの10図は裏富士と呼ばれています。

表富士はベロ藍といわれたプルシャンブルーの輪郭線、裏富士は墨で輪郭線を引きました。

46枚の内訳は、藍摺り10図、藍の輪郭線26図、墨の輪郭線10図ということになります。

37「東海道金谷ノ不二」
静岡県島田市東町
「金谷宿人足で賑わう渡河地点 不二眺める暇や余裕なく」



金谷宿は、東海道の宿場であり、大井川の渡河地点でした。大井川には、橋がなく、川越人足を雇って越えなければなりませんでした。川はまるで海のように波が打ち寄せています。そんな中、旅人を肩車で、籠や大きな荷物を輦台(れんだい:江戸時代,人を乗せて
川を渡るのに用いた道具)で渡る川越人足たち。人足への料金は川の水量によって異なっていたようです。宿の旗、長持ち、風呂敷には版元西村屋永寿堂を示す山に巴紋や「永」「寿」の文字が確認されます。

38「遠江山中」
静岡県西部
「富士山は雲一つない青空で たき火が昇る景色龍のごとし」



遠江国(静岡県)の山中で、巨大な材木が対角線に配され、支える柱の三角の間から富士を望む、という北斎ならではの構図です。材木の上に乗って懸命に鋸を挽く男、あるいは材木の下から背をそらせ、大鋸を挽く男。その下では、鋸の目立てをする男。その男に子供を背負った女が弁当を届けに来ました。そんな風景の中で、膝小僧を抱えた子供が見守っているたき火から黒煙が舞い上がっていきました。まるで龍が富士を巻き付け襲い掛かっているようです。空は、雲一つない青空です。

39「東海道吉田」
愛知県豊橋市
「吉田宿富士の展望売り物に 窓枠眺める一幅の絵画」



富士の眺望を売り物にした「不二見茶屋」です。「不二見茶屋」は吉田宿にあり、東海道34番目の宿場で現在の豊橋です。一幅の絵画のような窓枠で切り取られた富士を、旅の女二人は縁台に座って茶屋の女将に説明を聞き、優雅に眺めています。二人を乗せてきたと思われる駕籠かきは、汗をふき、草鞋を木槌でたたいています。「お茶つけ」の看板の下に「根元吉田ほくち」とあります。根元とは「元祖」ということでしょう。

40「尾州不二見原」
愛知県名古屋市中区富士見町
「大樽の中を覗くと富士山が 丸と三角対比の妙も」



大樽の輪の中に小さな三角形の富士が見えます。樽職人は富士に背を向け一心不乱に樽づくりをしています。ここ不二見原は現在の名古屋市中区富士見町のあたりです。高台にありますが、視界を阻まれて実際には富士は見えません。丸い桶をフレームとして田畑の向こうに遠くの富士をのぞんでいます。真ん丸と三角形の対比の面白さを描いています。
なお、富士見原は、遊郭や武家の別宅が存在する名勝地として知られていました。

41「甲州犬目峠」
山梨県上野原市犬目
「大らかでのんびりとした雰囲気も 新緑の峠富士を望む」



新緑のなだらかな峠道を富士を左に旅人や馬子が登っていきます。鋭角の富士と峠の斜め線による構図です。犬目宿から下鳥沢宿へと下る途中の峠の様子を描いたものです。富士をのぞんで、のどかで開放的なさわやかな景色です。左手の白雲は、桂川の溪谷からわき上がってきたものです。富士山頂には雪が残り、裾野には緑はあるものの、地肌も見え、新緑の季節感じさせます。本図は、奇抜さや激しさはないものの、大らかでのんびりとした雰囲気を漂わせています。

参照
https://media.thisisgallery.com/20208048
https://fugaku36.net/free/nihonbasi
https://kanazawabunko.net/works/1892

※6月10日(土)11日(日)は休みです。

「印象派研究・エドガー・ドガ④」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2023-06-08 07:38:03 | 写真と短歌で綴る「世界文化紀行」
「印象派研究・エドガー・ドガ④」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
印象派、または印象主義とは、19世紀後半にフランス絵画を中心に巻き起こった革新的な芸術運動の呼称です。印象派は、モネやルノワール、ピサロといった、当時パリで活動していた若い画家たちのグループによって確立され、徐々に広がりを見せます。
展覧会は、1870年代から80年代にかけてメンバーが微妙に変わりながら全8回行われ、明確な定義や境界線が決まっているわけではないものの、基本的に、その展覧会の主要メンバーが「印象派の画家」と呼ばれています。

この「印象派」という名称は、第1回の展示会に出品されたクロード・モネの作品『印象・日の出』に由来します。


「印象派の特徴」
① 屋外の制作
印象派の特徴の一つが、「屋外制作」にあります。保存や持ち運びに適したチューブ入り絵の具が、1841年に登場し、工場での大量生産も開始。画家たちが、街の画材屋で絵の具を手に入れることができるようになり、結果、屋外で絵画を完成させることができるようになります。こうした「近代化」という時代背景もあり、印象派の画家たちの屋外制作にも繋がっていきます。また、同時期に、都市部と郊外を結ぶ鉄道が徐々に広がり、画家たちのフットワークがいっそう軽くなります。作品のモチーフも、ダンスホールや劇場、カフェやレストラン、鉄道の駅や郊外の行楽地など、近代都市の市民たちの生活を多く描いている、といった特徴があります。
②光のための筆触分割
印象派の絵画の特徴的な技法として、「筆触分割」が挙げられます。筆触分割とは、絵の具を混ぜないで、そのままキャンバスに置いていく、という手法です。印象派の画家たちは、「絵の具は、混ぜることで発色が悪くなる」ことを考慮し、屋外の繊細な光を捉えるために、チューブから出した絵の具を、短い筆さばきによって、そのままキャンバスに置いていく、という方法を採用します。
③「印象」を描く
印象派の絵画は、主観的な、「印象」を忠実に捉え、表現する、という方向に注力されている、という点も特徴の一つと言えるでしょう。1839年写真の登場によって、肖像画家を筆頭に現実をそのまま写し取る役割が写真に取って代わられ、画家たちは、新しい世界に進んでいくことを求められます。写実性以上の新しさを模索し、この動きが「印象」を描くという方向に繋がっていきます。

エドガー・ドガ1834年~1917年
「自画像」1855年
「作品は都市部の暗部描き出し 動きのある絵多く残すも」



エドガー・ドガ(1834年 – 1917年)は、バレエの絵が有名なフランスの印象派の画家です。子供の頃は、銀行家の父に連れられ、色々な美術愛好家のコレクションを見て回るなど、絵画に触れ、中学卒業後に、画家を志望するようになります。画家アングルの影響を受け、デッサンを重視。形骸化するサロンに不満は持っていたものの、古典的技法を大切にします。印象派の創設者の一人と言われますが、ドガ自身は、自分のことを印象主義よりも写実主義だと主張し、「印象派」と呼ばれることを嫌っていました。踊り子や競馬場など、動きのある作品を数多く残し、モネのような明るい世界ではなく、むしろ都市部の暗部を、王道の古典的手法によって描き出した画家です。代表作としては、「ダンスのレッスン」「踊りの花形(エトワール、又は舞台の踊り子)」「アプサントを飲む人(カフェにて)」などが挙げられます。ドガは、気難しく皮肉屋の性格ゆえ、仲間たちとの衝突も多くまた生涯独身でもありました。印象派展は、第7回以外の全てに出品しています。

「ダンスのレッスン」1875年
「関心は群舞の中の踊り子に 伝統的な絵画から離脱」



オペラ座のリハーサル室での練習風景を描いたこのくつろいだ感じの絵によって、ドガは当時の伝統的なバレエ絵画から完全に離脱した。最ダンス教室で生徒たちが休憩時間にリラックスしている場面を描いたものです。中央で白髪の男性(先生)ジュール・ベローが杖をつき、その周りで背中を掻いたりおしゃべりをしたり、振付の確認を行ったりと少女たちはみな思い思いのポーズをとっています。ドガは主役で活躍する有名なバレリーナよりもまだ若く無名の踊り子たちに関心を持っていたようです。今作は著名なバリトン歌手で美術コレクターでもあったジャン=バティスト・フォールの注文によって描かれ、ドガが踊り子を主題にした最初の大型作品です。得意な役柄の衣装をつけた有名なバレリーナを描く代わりに、彼は群舞のなかの無名の若い踊り子たちの日常の練習風景に関心を持った。

「アブサントを飲む人」
1875年
「大都会酷評された絵画こそ 生きる女性の哀しさ表現」



ドガのノートから、モデルの2人は女優のエレン・アンドレとドガの友人銅版画家のマルスラン・デブ―タンであることが分かっています。場所はドガのお気に入りだったカフェ・ド・ラ・ヌーヴェル・アテーヌ。ここで女性は娼婦であり、その表情は物憂げで疲れ切っているように見えます。大都会の片隅で、安ものの蒸留酒“アプサント”を飲んで酩酊する人々の惨めさや、社会の底辺で生きる女性の哀しさを表現し、そして当時社会問題にもなっていたアルコールの問題をも訴えています。伝統的に絵画とは「美しいもの」「聖なるもの」を描くものであり、こうしたリアルな現実を描くことは当時まだ許容されておらず、1876年にイギリスのブライトンで初めて今作が公開されたとき「胸が悪くなるようなおぞましい新奇な題材」として批評家から酷評されました。

「踊りの花形」1878年
「舞台でのソロを演じる花形と 出番待つ踊り子を見つめる」



足元からフットライトを浴びてソロを演じるバレエの花形。これはボックス席から見た上からの位置から描かれています。大きな舞台に一人華麗に舞う踊り子と、舞台袖には出番を待つ他の踊り子たちが対比的に描かれています。その同じ袖から彼女を見つめているであろう黒いタキシードの男がいます。その顔はセットに隠れ特定はできませんが典型的な“保護者”です。

参照
https://www.bou-tou.net/inshohaart/

「世界遺産モデル④」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2023-06-07 08:19:22 | 写真と短歌で綴る「世界文化紀行」
「世界遺産モデル④」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
世界遺産とは、1972年にユネスコ総会で採択された世界遺産条約に基づき「世界遺産リスト」に記載された、「顕著な普遍的価値」をもつ建造物や遺跡、景観、自然のことです。 「顕著な普遍的価値」は、どの国や地域の人でも、いつの時代のどの世代の人でも、どのような信仰や価値観をもつ人でも、同じように素晴らしいと感じる価値のことで、そうした価値をもつ世界遺産は、人類共通の財産といえます。

世界遺産は、人類が作り上げた「文化遺産」と、地球の歴史や動植物の進化を伝える「自然遺産」、その両方の価値をもつ「複合遺産」に分類されます。文化遺産が最も多く、世界遺産の総数は1,000件を超えますが、まずは「文化遺産」に絞り掲載して行きたいと思います。


イギリス
「バース市街」文化遺産
1987年
「神殿や温泉施設建設し この地支配のローマの威力」



イギリスのロンドンから南西方向にある街、バース。もともとバースは英語の風呂(Bath)の語源になったともいわれる、温泉の湧く町です。紀元前から温泉リゾートとして栄えていたといわれています。イギリス唯一の天然温泉が湧き出る、バース。1世紀には、この地を支配したローマ人が、巨大な温泉施設と神殿を建設しました。スチーム風呂やマッサージ室、水風呂なども備えた豪華な温泉施設には、ヨーロッパ中から人々が訪れ、まさに元祖温泉リゾート地だったといえます。

「ローマ帝国の国境線」文化遺産1987年
「国境線歴史に刻む皇帝の かの地より海越えて遠くに」



ローマ帝国の国境線は 主にイギリスにある世界遺産。まず1987年にハドリアヌスの長城が登録。次に2005年、ドイツのリーメスであるローマ帝国の長城跡などが拡大登録されました。この時、現在の名称になりました。2008年にはスコットランドのアントニヌスの長城も含まれることになり現在に至ります。皇帝ハドリアヌスの命で造られたのが、ハドリアヌスの長城。イングランドとスコットランドの国境線近くにあります。ローマ帝国に従わない北方民族を防ぐために造られ、完成当時は118kmある土塁でした。石垣で補強されたのはその後のようです。軍事上の防衛線として建設されたため、現在でも大きな影響があります。

「ロンドン塔」文化遺産
1988年
「ホワイト・タワー多くの役割併せ持つ 城塞建築模範となるも」



ロンドン塔は11世紀に現在のイギリス王室を開いたウィリアム1世によって築かれた城のことです。その後、16世紀のヘンリー8世は新しい宮殿を建て、ロンドン塔を監獄としました。ロンドン塔の正式名称は「女王陛下の宮殿にして要塞」といいます。ロンドン塔は長い歴史を持っており、今まで王の居住地・議会の会場・牢獄公文書館・王室の財宝保管所・銀行・動物園など多くの役割を担ってきました。1066年にウィリアム1世が築いたロンドン塔は、質素な木造の砦にすぎませんでした。数十年のうちに、白い石材で建て替えられると、「ホワイト・タワー」と名付けれました。地上3階、地下1階。要塞と王宮を兼ねたこの城塞は、以来、国内の城塞建築の模範となりました。歴代の王たちは、ホワイト・タワーを中心にさまざまな増築を重ね、19世紀半ばに、今日見ることが出来るロンドン塔の全容が完成しました。

「カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院、聖マーティン教会」文化遺産1988年
「死してこそ奇跡起こした大司教 引き寄せられる聖なる力」



イングランド南東部ケント州のカンタベリーに、11世紀に建てられた「カンタベリー大聖堂」は、ゴシック建築の大聖堂、英国国教会の総本山です。「カンタベリー大聖堂」は、イギリス屈指の巡礼地でもあります。巡礼地となったキッカケは12世紀、大司教トマス・ベケットの暗殺です。当時、ベケットは教会の権限を巡って国王と対立し、大聖堂の中で暗殺されてしまいました。その死後、ローマ教皇から聖人とされると、大聖堂を訪れた重病人や瀕死の怪我人が治癒したという奇跡が起こったのです。人智の及ばない聖なる力に引き寄せられるように、カンタベリーには多くの巡礼者が訪れるようになりました。

同時代に建設された「聖オーガスティン修道院」は、ヘンリー8世による修道院解散法によって16世紀に取り壊されてしまいましたが、現在でもかつての姿を偲ばせる建物跡が残っています。

「聖マーティン教会」は、現役の教会としてはイングランド最古のもの。6世紀に建てられ、イギリスにキリストの教えを伝えるために、アウグスティヌスはこの「聖マーティン教会」を中心として布教活動を行いました。

参照
https://www.unesco.or.jp/activities/isan/worldheritagelist/europe_1/
https://worldheritagesite.xyz/

「世界の美しい公園・庭園⑤」~写真と短歌で綴る世界文化紀

2023-06-06 07:16:23 | 写真と短歌で綴る「世界文化紀行」
「世界の美しい公園・庭園⑤」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
すばらしい庭園や公園は世界中にあり、以下の写真はその美しさを垣間見せてくれます。世界で最も北にある植物園、ノルウェーのトロムソ北極高山植物園から、世界最古の美しい庭園があるスリランカの古代の岩の要塞であるシギリヤまで、あらゆる好みに合う緑豊かな場所が揃っています。


日本「アクロス福岡」
「アクロスはテラスに広がる緑地こそ 魅力あふれる安らぎの場所」



建物と公園の両方の役割を持つ、アクロス福岡には音楽ホールや会議場などがある。設計はアルゼンチンの建築家兼工業デザイナーのエミリオ・アンバース(Emilio Ambasz)によって主導された。アクロスの屋根には15段のテラスに広がる10haの緑地がある。

南アフリカ「カーステンボッシュ国立公園」
「公園の上から眺める植物は アフリカ南端素晴らしい景色」



カーステンボッシュ(カーステンの森)は何千年もの間、人々を守ってきたが、庭園として利用されるのは20世紀初頭以降だ。この庭園はキャノピーウォークで知られており、アフリカの南端に自生する植物のすばらしい眺めを見せてくれる。湾曲したスチールと木材で作られた曲がりくねった歩道は、130m以上におよび、訪問者を地上12mの高さに持ち上げる。

中国・蘇州「網師園」
「網師園個人の庭を開放し 迷路の謎を不思議体験」



蘇州市にあるの古典園林の一つ。12世紀、南宋の時代に作られた。中庭が迷路のように入り組んでおり、敷地が実際よりも広々としているように錯覚してしまう。トリップアドバイザーのユーザーは、「この庭を歩いたときの気持ちは言葉では説明できない。驚くべき場所だ」」と書いている。

ニューヨーク「ハイライン」
「ニューヨーク真ん中走るハイライン 植物繁る都会のオアシス」



全長1.45マイル(2.33km)のハイラインは、ニューヨークで最も人気のあるアトラクションの一つで、年間500万人が訪れる。400種の植物が並び、都会の中にオアシスのようなユニークな空間が広がっている。

参照
https://www.businessinsider.jp/post-216470

「フラワーパーク⑤」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2023-06-05 08:19:40 | 写真と短歌で綴る「世界文化紀行」
「フラワーパーク⑤」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
春はチューリップや菜の花、夏はひまわり、秋にはコスモス…日本には四季折々の花絶景がたくさん、話題の国営ひたち海浜公園のネモフィラ畑や藤原宮跡といった日本全国のおすすめ花畑をご紹介します。色鮮やかな花々のじゅうたんが一面に広がる光景は写真映えも抜群。デートや家族のおでかけにいかがでしょうか。
※休業日や営業時間など掲載情報は変更の可能性があります。日々状況が変化しておりますので、事前に各施設・店舗へ最新の情報をお問い合わせください。


長野県「菜の花公園」
「いいやまは唱歌の世界思わせる 豊かな景色心を癒す」



千曲川東岸の小高い丘の中腹に位置し、眼下にはゆったりと流れる千曲川、その先には残雪におおわれた関田山脈を望むことができる菜の花公園。毎年ゴールデンウィーク頃には見渡す限りの野沢菜の花がいちめんに広がり、公園の周辺一帯が花々の黄色で覆われます。毎年5月3~5日に開催される「いいやま菜の花まつり」期間はメイン会場としても賑わう場所です。(今後の開催情報はHPでご確認を)唱歌「ふるさと」の世界を思わせる、情緒豊かな景色が人々の心を癒してくれます。福島棚田や阿弥陀堂にも近く、戸狩温泉、野沢温泉、馬曲温泉などの湯どころへ車で行きやすいので、観光や温泉がてら菜の花に見入るのもいいですね。

長野県「富士見高原リゾート花の里」
「八ケ岳夏の高原涼しくて 見どころ満載カラフルな花」



長野県から山梨県へと南北に連なる八ヶ岳。標高1250mに位置する富士見高原は夏も涼しくて避暑にぴったり。子どもから大人まで楽しめる花の里として親しまれています。高原内には、白樺の中にヘメロカリスやあじさいなどのカラフルな花が群生し、幻想的な雰囲気を醸し出している「白樺エリア」や、6500本もの宿根草が鏡のようにシンメトリーに植え込まれた「ミラーガーデン」、展望エリアの岩石に囲まれた花々が見れる「ロックガーデン」など、見どころが満載です。

山梨県「花の都公園」
「広大な季節の彩り花畑 四季折々に堪能できる」



富士山に一番近い山中湖のほとりに広がる花公園。標高1000mに位置する高原の30万平方メートルにおよぶ広大な敷地に、四季折々の花々が咲き誇ります。春はチューリップ、初夏はキカラシやネモフィラ、カスミソウやポピー、夏はひまわりやヒャクニチソウ、秋はコスモスやソバ…と、まさに季節の彩りに満ちた花畑を堪能できます。どのエリアからも富士山をバックにした花畑が広がり、写真映えするショットが撮れます。全天候型温室「フローラルドームふらら」にも入れるので、ぜひチェックしてみてください。

神奈川県「小田原フラワーガーデン」
「園内はトロピカルドーム温室で 南国ムード漂う景色」



直径40m、高さ22mに及ぶトロピカルドーム温室は、余熱を利用しているエコな施設。約300種の熱帯・亜熱帯の花木や果樹が植栽され、南国ムードが漂います。園内は、約200品種・480本の梅が咲き誇る渓流の梅園をはじめ、春と秋に見頃を迎えるバラ園、スイレンやあじさいも楽しめるハナショウブ池など、季節ごとに見どころが満載。園内の景色を眺めながら食事や休憩ができるカフェもあります。トロピカルドーム温室のメインフラワーである「ヒスイカズラ」という花をイメージした「翡翠(ひすい)のしずくフロート」など、開花時期限定のオリジナルメニューも楽しみにしてください。

参照
https://www.jalan.net/news/article/145786/