藤代南中学校の南西300mほどの所に境内があります。
左側は渋沼区民会館の建物です。

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鳥居(平成4年、1992)の〆の子は御神酒の手桶です。

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〆の子に近寄って見ると、正宗と書かれています。

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鳥居の前方に幟立ての支柱(昭和57年、1982)が立っています。

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境内の外側、鳥居の右側に金毘羅大権現の石祠(天保3年、1832)と不明石柱があります。

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参道の右側に雷神宮の石祠(慶応3年、1867)があります。

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同じく参道右側の手水鉢(天保5年、1834)です。

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手水鉢の奥に石塔が並んでいます。
これは天満宮の石祠(文政2年、1819)です。

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加波山三社大権現の石祠(文政2年、1819)。

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左から庚申塔(延宝7年、1679)、十六夜塔(寛政7年、1795)。

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左から待道大権現の石祠(弘化2年、1845)、像容不明の石塔(文久元年、1861)。
ところで、右側の台座に女人講中と刻まれていること、台座の形状・大きさの組合せなどからして、この二基の台座が何かの偶発的な事情で入れ替わったのではないかと勝手に推測しています。

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参道の両側に置かれた灯籠と白狐像は何れも再建時(平成4年、1992)に奉納されたものです。

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参道の左側、松に囲まれた場所に高須弘信講の大師堂が建っています。

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内部の大師像。
座り心地良さそうな座布団です。

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社殿(平成4年、1992)の正面。

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向拝部の扁額と鈴。

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社殿の内部です。

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社殿の脇にも小さな鳥居(平成15年、2003)、一対の白狐像(明治17年、1884)、石塔等が奉られています。

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左から稲荷大明神の石祠(明和7年、1770)、稲荷大明神(享和2年、1802)。

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左から大日如来像(寛文10年、1670)、二十三夜塔(寛政12年、1800)。

左側は渋沼区民会館の建物です。

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鳥居(平成4年、1992)の〆の子は御神酒の手桶です。

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〆の子に近寄って見ると、正宗と書かれています。

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鳥居の前方に幟立ての支柱(昭和57年、1982)が立っています。

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境内の外側、鳥居の右側に金毘羅大権現の石祠(天保3年、1832)と不明石柱があります。

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参道の右側に雷神宮の石祠(慶応3年、1867)があります。

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同じく参道右側の手水鉢(天保5年、1834)です。

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手水鉢の奥に石塔が並んでいます。
これは天満宮の石祠(文政2年、1819)です。

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加波山三社大権現の石祠(文政2年、1819)。

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左から庚申塔(延宝7年、1679)、十六夜塔(寛政7年、1795)。

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左から待道大権現の石祠(弘化2年、1845)、像容不明の石塔(文久元年、1861)。
ところで、右側の台座に女人講中と刻まれていること、台座の形状・大きさの組合せなどからして、この二基の台座が何かの偶発的な事情で入れ替わったのではないかと勝手に推測しています。

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参道の両側に置かれた灯籠と白狐像は何れも再建時(平成4年、1992)に奉納されたものです。

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参道の左側、松に囲まれた場所に高須弘信講の大師堂が建っています。

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内部の大師像。
座り心地良さそうな座布団です。

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社殿(平成4年、1992)の正面。

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向拝部の扁額と鈴。

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社殿の内部です。

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社殿の脇にも小さな鳥居(平成15年、2003)、一対の白狐像(明治17年、1884)、石塔等が奉られています。

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左から稲荷大明神の石祠(明和7年、1770)、稲荷大明神(享和2年、1802)。

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左から大日如来像(寛文10年、1670)、二十三夜塔(寛政12年、1800)。
