稲毛聖書教会

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2024年05月19日 | 週報
二〇二四年五月十九日   NO・五一―七       聖 書 日 課   
   礼 拝 次 第    聖霊降臨祭 (日)使徒言行録  二四章 (月) 〃 二五章
          司会 高 澤兄(火)  〃    二六章 (水) 〃  二七章
           奏楽 内 間姉(木)  〃    二八章 (金)ローマ  一章
招詞祈祷  使徒言行録二章一~四節   (土)  〃     二章
頌  栄  聖 歌三八四番           (お知 ら せ)
信仰告白  使徒信条           ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃  美  讃美歌 六三番        ◎二三日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り                 ◎本日午後責任役員会。 
交 読 文  詩 編百三七編         ◎礼拝動画 こちら  
讃  美  讃美歌四六一番         
献  金  感謝の祈り      堅田姉  あなたがたはこの世と妥協してはなりません。
讃  美  聖 歌五七三番         むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、
説  教   ローマ十二章一~二節      何が神の御心であるか、何が善いことで、
讃  美  聖 歌五六七番        また完全なことであるかを
祈  祷             松田兄 わきまえるようになりなさい。 
頌栄祝祷  聖 歌三八三番              ローマ十二章二節

   キリスト教的生活の基本
 1節でパウロは、特定の場所と時間においてだけでなく、私たちの日常生活のすべてが神礼拝(神奉仕)であることを示した。それがどういうことか、2節でさらに具体的に示す。

 私たちは元々罪と死の支配する「この世」の住民である。しかし今ではキリストの真実の御業すなわち死と復活を通して神の恵みの支配の中に移された者である。それゆえ私たちの生のすべてはキリストと共にある(6章8・11節)。だから私たちは罪と死の支配する「この世」に生きてはいるが、キリストを通してどのように生きるべきかを、パウロは2節の冒頭で示す。「あなたがたはこの世と同じ形になってはなりません」(直訳)と。「同じ形(シュ・スケーマ)」とは、姿勢、態度、有様を表す語である。そして「この世」とは、「世界(world)」ではなく、時代を表す「世(age)」が用いられている。物質の世界ではなく、神なきこの世の精神、姿勢、態度が念頭に置かれている。この世のスケーマは、自己本位である。つまり生活の関心は自分を喜ばすことにあり、神を喜ばすことではない。だから「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」と訳される。この世の生き方と同調・同化するな、と。

 否定形で「この世と同化するな」と述べたパウロは、今度は肯定形で、「自らを造り変えよ」と言う。これは6章11~14節に言われているように、キリストによる救いによって、すなわち新しい支配に移された者だから、その恵みによってそれができる、ということを前提にしている。これは決して自力でということではない。そしてここで「心を新たにして」の「心」は通常の用いられる語(カルディア)ではなく、理性(ヌース)という語が用いられている。これは 1節の「理に適った礼拝」と呼応するものである。この語が用いられているのは、それが「わきまえるようになりなさい」と言われているからである。これは「判別する、判断する、検討する」の意味である。そして私たちが判別するのは、「何が神の御心であるか」ということである。そして2節でも1節に続いて「神に喜ばれる」ということが言われている。日常生活に起こって来る大小さまざまの出来事の中で、私たちは絶えず、「何が神の御心であり、神に喜ばれる」かをわきまえる必要に迫られる。フィリピ1章9~12節は、2節をさらにくわしく述べている。 
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