「天路」19号が今年もできた。年に一度、教会に連なる者が寄稿する。
毎年その編集をしていて気づかされたことがある。それは「文は人なり」ということである。私たちはどうしても少しでも良い文章を書きたいと願う。しかし19年間、各自の文章を読んでいて感じることは、かっこをつけ、理想的に書こうとしても、人はその人のもっているものしか書けないし、出てこないということだ。そこにその人がよく表れている。そのことがわかってから、私は文章を書くのが苦にならなくなった。
まさに文は人であり、個性である。それぞれにその人でなければ感じない、思わないことが表れている。それは良し悪しではない。それ自体が尊い。さらに、以前のものを読み返すと各自がその年年にどのようなことを感じ、どのようなことを経験したのがわかる。自分の人生の、信仰生活の一部を書き残したことになる。だから毎回読むのが楽しみである。毎年こつこつ続けていこう。
毎年その編集をしていて気づかされたことがある。それは「文は人なり」ということである。私たちはどうしても少しでも良い文章を書きたいと願う。しかし19年間、各自の文章を読んでいて感じることは、かっこをつけ、理想的に書こうとしても、人はその人のもっているものしか書けないし、出てこないということだ。そこにその人がよく表れている。そのことがわかってから、私は文章を書くのが苦にならなくなった。
まさに文は人であり、個性である。それぞれにその人でなければ感じない、思わないことが表れている。それは良し悪しではない。それ自体が尊い。さらに、以前のものを読み返すと各自がその年年にどのようなことを感じ、どのようなことを経験したのがわかる。自分の人生の、信仰生活の一部を書き残したことになる。だから毎回読むのが楽しみである。毎年こつこつ続けていこう。