一人親方労災
おはようございます。
大和事務所の安田です。
読売新聞オンラインに面白いニュースがでていました。
いつのまにかUFOの話をあまり聞かなくなった。
UFOはどこにいってしまったのか? 最近、そんなことを考えている。多くの方は「なぜ今ごろそんなことを?」とお思いだろう。だが今月24日は「UFO記念日」なのだ。1947年6月24日、米ワシントン州上空を自家用飛行機で飛んでいた実業家、ケネス・アーノルドが9機の飛行物体を目撃。以来、「空飛ぶ円盤」は世界的な注目の的となり、この日はUFOマニアにとって記憶すべき日となった。
だが、あれから66年。マンガ雑誌で特集が組まれたり、テレビで定期的にスペシャル番組が放映されたりしていた時代も今は昔。どうしてこんなことになってしまったのか。
ウソがばれてきた?
「ウソがだんだんばれてきた」だけなのかもしれない。たとえば鮮明なUFO写真で知られた米フロリダ州の「ガルフブリーズ事件」などは、撮影者が「模型」を所持していたことが暴露されてしまった。「UFOに乗った宇宙人にさらわれた!」というお決まりの体験談を語る人もいたが、米国の心理学者スーザン・クランシーの『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』(ハヤカワ文庫)などを読むと、彼らはなぜか信じ込んでしまった虚偽の記憶に踊らされているらしい。
結局、「UFOは地球にやってきた宇宙人の乗り物だ」という証拠はぜんぜんみつからなかった。「昔のUFO特番はウソだったのか。だまされた!」というわけで、皆さんは興味を失ってしまったのかもしれない。
人間が大昔から繰り返し見聞きしてきたもの
しかし、そこで話が終わってしまっては面白くない。実は「UFO=宇宙船」という説を唱えてきたのは米国の研究者が中心。ヨーロッパあたりでは古くからもうひとつの仮説が唱えられてきたのだという。「謎の光」とか「それに伴って出現する小人」というのは昔ながらの妖精譚(たん)にそっくりだ。そういえば妖精や天狗は人さらいの常習犯でもある。人間が大昔から繰り返し見聞きしてきたものを、現代人は「UFO」とか「宇宙人」という言葉で表現しているだけではないか――フランス人研究者のジャック・ヴァレーなどが主張してきた、そんな説である。言ってみればUFO伝説は伝統的な奇譚の現代版で、むしろ民俗学の対象だということになる。実に魅力的な説ではないか(ちなみにそのあたりを深く考察してみせた名著が稲生平太郎『何かが空を飛んでいる』だが、残念ながら絶版である)。
ファンタジーは失せたのか
では、人類がいつの世も見続けてきたファンタジーがここにきて失せてしまったのだとすれば、それはなぜか。最近では身長十数センチとかの「小さいおじさん」を街中で見た、といった都市伝説が広まっているらしいが、「宇宙人」の後継者としてはいささか力不足。ひょっとしたら現代人は、これまでの人類とどこかが変わってしまったのではないか。
たかがサブカル、というなかれ。それは人間の文化の奥深いところを映しだしている鏡なのかもしれない。
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