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川柳「急ぐならメールより走れ社内ラン」アナログ親父

ミニコミ誌

2022年04月04日 | Weblog
代沢のみにこみ紙が40周年を迎え、代沢あれこれの1回目に
「天下を継げなかった将軍の兄の位牌所」として森巖寺を掲載しました。
徳川家康の長男「信康」は織田信長の意向もあり切腹。次男の「秀康」は、豊臣秀吉の養子(実質的には人質)となったのち、
秀吉に実子・秀頼が誕生したため、北関東の名家結城家と婚姻し家督を継ぐ。徳川家は三男の「秀忠」が第二代将軍となった。
この次男の「結城秀康」の位牌所が森巖寺である。結城秀康は、関ヶ原の戦いのときは、北関東で上杉軍を牽制する留守居役となった。
この大役により、合戦後、越前松平家六十七万石(福井城)の藩主となったが、臨終に際して江戸の地に一寺を建立して自分の位牌所とせよと指示した(設立1608年)。
享年34歳。徳川家康の11人の男子のうち、9男は尾張、10男は紀伊、11男は水戸の「御三家」の始祖となる。
境内には本堂、淡島堂、弁天堂、閻魔堂(えんま様、不動明王尊置)が立ちならび、淡島堂では江戸時代から続く、針供養が毎年12月8日に行われている。(以上原文のまま)


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