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福岡で家を建てる。【 なぜ建築費用のコストが上がってしまうのか?】

2014年11月13日 22時46分33秒 | Weblog

 

【 なぜ建築コストが上がってしまうのか?】


丁稚奉公という文化が崩壊し、職人が主役でない時代に・・・ 

  

 株式会社 清 武 建 設   代表取締役 清武修一 (一級建築士)



◎はじめに

長い文章になってしまいましたが、

「なぜ、建築コストが上がってしまうのか?」 その事について、

大工である私の父の考え 及び  現在の私の考えを書いてみます。

その中で、戦後の家づくりより、現在の家づくりの変化、住宅業界の一部にも触れたいと思います。

読んでみる価値はあると思います。少々おつきあい下さい。

 

 

(朝倉郡筑前町栗田957・朝倉事務所内)



◎ガンコな大工の父、清武建設 創業者 清武利晴(現会長)のあゆみ


私の父が7歳(昭和20年)の時、終戦を迎えました。大刀洗飛行場(筑前町に記念館があります。)が近く、

身近に 「アメリカ」 の爆撃機の襲撃があっていたそうです。

苦しい時代背景で、働く必要がある家庭が多く、高校への進学率が低い時代、

父も、中学校を卒業して、すぐに大工の 「 丁稚奉公 (でっちほうこう) 」 へ行きました。

「丁稚奉公」 とは、親方や兄弟子より、 「仕事を教えてもらう?」 という事で、

基本的に、給料はありません。「食事」 と 「寝床」 のみ提供されるだけです。

何故、「仕事を教えてもらう?」 かと申しますと、「仕事は、見て覚えろ!」 といわれていたそうで、

手取り足取り教えてもらえなかったそうで、

ほぼ無給で働き、見て覚えなければならないのですから、

現在の社会では考えられない環境が、昔の日本に存在していた、という事です。

確かに、厳しい環境ですが、考え方によっては、合理的で、「高校」 や 「大学」 は学費が必要ですが、

「丁稚奉公」 は、授業料が無料の 「職人学校」 といえます。

しかし、現在は、最低賃金法に基づき国が賃金の最低額を定め、使用者は、

その 最低賃金額以上の賃金を労働者に支払わなければならないとする制度、「最低賃金」 が定められ、

若い半人前の職人の人件費は発生しない、「丁稚奉公」 という制度は 「崩壊」 しました。

「丁稚奉公」 のある時代は、半人前だと、賃金が発生しない状況なので、

早く、一人前になって・・・・、という思いも強く、必死に、職人としての技術の習得を行っていたと思います。

本来なら、大工仕事が出来て、初めて、「大工」 としての賃金が発生するのでしょうが、

現在は、半人前でも、賃金が発生します。

「丁稚奉公」 制度がある時代は、 若い職人さんの人件費がかからず、大工手間が多い、

「純和風住宅」を、一般の方々が当たり前に建築できていたのですが、

昨今、「純和風住宅」を建築すると、半人前でも人件費が発生する為に、

建築費が、あまりにも高額になってしまい、住宅ローンの返済を考えると仕方ありませんが、

簡素化された洋風住宅が主流になってしまいました。

(システムキッチン等、設備器具が便利になった反面、設備器具も高額になり、

さらに純和風住宅で建築すると、予算が合わないという理由もあります。)



父の場合、約十年間、「大工見習い」 という事だったそうで、

「職人」として、一人前になるという事は、筑前町(平成の大合併で、三輪町と夜須町が合併)

という農業を主体とする小さなコミュニティーの中ですが、

周囲の方々より 「大工」 「棟梁」 として、尊敬を持って接していただき、

「やりがい」もあったはずです。


20代後半、大工として一人前になった父ですが、建築士という資格がないと、

建築工事を行う前の確認申請業務ができない為に、必要性を感じ、

大阪の夜間の建築専門学校に入学し、2級建築士を取得しました。

それから、約40年程(2006年の新築住宅の棟梁を務め、大工職を引退)、

注文住宅の設計~大工まで、父は、やっておりましたので、尊敬しています。



◎私、清武建設 2代目 清武修一(代表取締役)のあゆみ

 

現在は、大工職人不足を補う為に、『プレカット』 という、

製材所にて、柱、梁の刻み(きざみ)を行なう事が木造住宅業界では主流になりましたが、

私が幼少の頃、父が、棟上げ前の2週間前程、自宅内の作業場にて、

柱、梁の刻み(きざみ)を、『ノミ』、『カンナ』使って行なっており、

その様子を見て育ちました。日が沈むと、『おがくず』、『木材の切れ端』 を片づける事が、

幼少の頃からの私の仕事でした。そのような環境で育った事が一種のマインドコントロールになったようで、

違う職業への憧れを感じる時期がありましたが、何か自分の人生ではない感覚があり、

結果的に、建設会社(設計事務所)に就職し、建築士の道を進みました。

 

2000年、父も年齢には勝てず、大工としての仕事量を減らしつつある状況時、

私は、「清武建設」の跡を継ぐ気持ちで、建設業の会社勤務より脱サラしました。

(30歳・上場企業の係長を最後に) しかし、これから、意見の衝突です。

 


筑前町にある清武建設の 「事務所」 というか 「大工小屋」 ですが、

「会社の看板」 を屋外に掲げてなく、「いい仕事をすれば、次の仕事も来る。」 

という父の考え方があり、また、近所の方が、近所の大工に依頼して住宅を建築する事が、

ハウスメーカーが世の中にない時代を、父は長い間、経験していた事もあると思いますが、

こらからも 「会社の看板」 は不要だと父に言われ、本質的に正しい事ですが、意見が合わず、

跡を継ぐ、という事を考えて 脱サラ したのですが、跡を継いだ事になるのか、微妙ですが、

福岡市東区箱崎ふ頭(現在、清武建設の倉庫)にて、支店という形で、

10坪程度の狭い事務所でしたが、「清武建設・博多支店 」 がスタートし、2002年、法人化しました。

2012年 移転当時の社屋 (福岡市東区箱崎7-2-14)



その後、法人化10年目の、2012年に、福岡市東区箱崎7-2-14(社屋)へ移転しました。

http://mbp-fukuoka.com/kiyotake/column/1801/

(現在は、父も理解を示し、筑前町の事務所にも看板らしきものは掲示しています。

年齢は78才になりましたが、元気で、現場の片づけをしてくれる協力者です。感謝しています。)



◎近年の住宅業界

客観的に見ると、この文章を書いている今でこそ、『笑える』 お話ですが、

当時の私は、建築業(設計事務所、ディベロッパー)のサラリーマンを経験し、脱サラし、

いい仕事をすれば、次の仕事も来るから、会社に看板を掲げる事は必要ないという、

時代錯誤も甚だしい父の考え方にたいへん悩みました。


ガンコな父ですが、物事の本質を考えると、確かに、正しいと思います。

昔は、ご近所の方が、直接、大工さんに依頼する事が、当然である時代を生きてきましたので、

「屋外看板」 は不要ですし、「住宅営業マン」 は不要ですし、

最近は、さらに複雑で、ショッピングモール等で、『工務店を斡旋プロ』 という職業もあるそうで、

大工である私の父から見ると、それらは、存在理由が全く分からない職業だと思っているようです。

(ショッピングモールにある大手広告代理店運営の住宅相談窓口を経由して、お客様と、工務店が、建築工事のご契約をすると、高額な紹介料をくださいと言われ、紹介料の請求が、工務店に行なわれ、結果的に、お客様の負担増になります。)

父の考え方を元に、私なりに考えると、現在は、住宅を建築する過程で、「選択肢」 が多く、複雑であり、

建築基準法に適合するか、判断しなければならず、「建築士」 という職業は、世の中に必要だと思います。

そういう理由もあり、弊社の社員は、経理以外、全て、「建築士」 です。 他はいません。



『施主(お客様)』 ⇔ 『建築士(弊社社員)』 ⇔ 『職人』

現在は、このような考え方が良いと思います。(清武建設の考えです。)


『施主(お客様)』⇔『工務店紹介窓口』or『モデルハウス』⇔『営業』⇔『建築士』⇔『下請会社』⇔『職人』

このような複雑な構図になりつつある現在の住宅業界、



私の父が、「丁稚奉公」 をおこなっていた時代は、

『施主(お客様)』 ⇔ 『職人』

でしたので、現在は、お客様(施主)との間に、いろいろなものが加わっています。



もちろん、住宅業界にかかわらず、あらゆる企業は、PR活動、商品普及の努力をしなければなりませんが、

私の父が、「丁稚奉公」 をおこなっていた時代から比較すると、

良い事か、悪い事か、お客様が家を建てるにあたって、

たいへん複雑で、コスト増になる事は一目瞭然です。



また、弊社の物件を建築いただいている大工より聞いた話ですが、

大工としての、「いい家を建てたい」 という思いは、

お客様、設計者と同じ、あるいは、それ以上なのですが、

ハウスメーカーの場合は、指導により、お客様と直接、お話が出来ないようになっているそうです。

何故なら、職人として、正しい事をお客様へお伝えしても、営業的には違う場合があるからだそうです。



私の父が、「丁稚奉公」 をおこなっていた時代は、『施主(お客様)』 ⇔ 『職人』

でしたが、実際に作る人、 『職人』 の意見が反映されない家づくりというものは、

何か、おかしいような気がします。

そのような状況が続くと、増々、 『職人』 さんの 「やりがい」 というものが失われ、

木造住宅の伝統文化が失われてしまう気が致します。



 

◎2016年、弊社の状況

2人の一級建築士スタッフ(清武・本多)
2人の二級建築士スタッフ(末次・松永)

 スタッフ紹介ページ    http://kiyo.jpn.com/gaiyou.html#staff

で、お客様との打ち合わせ、設計、現場管理を行い、

一級建築士事務所としての 設計業務 との併用で、

不動産業も開始し、分譲地を開発し、低価格での宅地販売も出来ました。

また、税金等を含む、引っ越しまでに必要な費用計算、

住宅ローンのシュミレーションもご提案できており、

家計に負担のない範囲での、住宅建築のご提案が出来ていると思います。


 

 

◎2016年、父の状況

私の父ですが、体力が衰え、大工としての仕事は、出来ませんが、

各現場の片づけを行ってくれており、本当に感謝しています。



それ以外の父の日常は、筑前町の登山グループの 「会長」 をさせてもらい、

全国各地の山々を巡っています。
 

 

下記ホームページもご覧ください。

株式会社清武建設HP  http://kiyo.jpn.com/hajimeni.html

福岡市東区箱崎7-2-14 kiyotakeビル2階   お気軽にお越しください。

 

 

 

 


 

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