[ 情報元:lazy.yh.land.to 様 ]
いつもお世話になっている lazy.yh.land.to のlazy氏の記事に感銘を受け、今日は柄にもなくコラム風の記事を書いてみることに。「IE 対 Firefoxという考え方に潜む不自由」というテーマで数回に分けて書いてみたいと思います。
(コミットメントという足枷)
まず最初に、テーマとは一見関係なく感じるかもしれませんが「ニート」と呼ばれる人たちについて話をしたいと思います。人間は大抵、何かを選択する際に自分にとって最も価値の高いものを選択しようとする習性があるのでしょう。物を買う際にはコストパフォーマンスにすぐれた物を選択し、仕事を選択するときは条件が良く、個としての私の能力が最大に発揮できる環境に身を置こうと選択するものです。人間は自分のとった選択が自分にとって最も価値ある選択だったと思いたいものなのではないでしょうか。しかし全ての選択は個人の価値体系が誘導するのかというとそうではなく、その逆のパターンも多く存在し、自分が下した選択に対し後から価値を見いだそうとする内的な圧力が働く場合があります。初めは意味無く購入した物でも、他人と比較されただけで急に価値ある物のようにふるまってしまった経験は誰にでもあるのでないでしょうか。(この辺の詳細は社会心理学の本に詳しく書いてあります)
ニートと呼ばれる立場の人たちは就職するということに対し「何の選択もしなていない」のではなく、「"何も選択しない"という選択をしている」のです。この結果ニートには複数の足枷がはめられることになります。まずは就職出来た時期に就職しなかったという機会の喪失に関する自己正当化の圧力。次にそれ以降も「何も選択しないという選択」をした事に対する価値の模索という足枷がはめられ、今まで無意識にしてきた選択を覆す(大抵漠然とした価値の低下という"感覚"を伴う)選択をしずらくなってきます。
この前提を受け入れて頂けるのであれば、IE から Firefox ひいては選択物から非選択物への移行には様々な心理的な障害がつきまとう事をご理解いただけると思います。さらにアドインやらエクステンションを今の状態にするまでに要した莫大な選択数と時間を換算すればさらに足枷は多くなるはずです。
次回は…続けるの? あ・明日の気分次第…
いつもお世話になっている lazy.yh.land.to のlazy氏の記事に感銘を受け、今日は柄にもなくコラム風の記事を書いてみることに。「IE 対 Firefoxという考え方に潜む不自由」というテーマで数回に分けて書いてみたいと思います。
(コミットメントという足枷)
まず最初に、テーマとは一見関係なく感じるかもしれませんが「ニート」と呼ばれる人たちについて話をしたいと思います。人間は大抵、何かを選択する際に自分にとって最も価値の高いものを選択しようとする習性があるのでしょう。物を買う際にはコストパフォーマンスにすぐれた物を選択し、仕事を選択するときは条件が良く、個としての私の能力が最大に発揮できる環境に身を置こうと選択するものです。人間は自分のとった選択が自分にとって最も価値ある選択だったと思いたいものなのではないでしょうか。しかし全ての選択は個人の価値体系が誘導するのかというとそうではなく、その逆のパターンも多く存在し、自分が下した選択に対し後から価値を見いだそうとする内的な圧力が働く場合があります。初めは意味無く購入した物でも、他人と比較されただけで急に価値ある物のようにふるまってしまった経験は誰にでもあるのでないでしょうか。(この辺の詳細は社会心理学の本に詳しく書いてあります)
ニートと呼ばれる立場の人たちは就職するということに対し「何の選択もしなていない」のではなく、「"何も選択しない"という選択をしている」のです。この結果ニートには複数の足枷がはめられることになります。まずは就職出来た時期に就職しなかったという機会の喪失に関する自己正当化の圧力。次にそれ以降も「何も選択しないという選択」をした事に対する価値の模索という足枷がはめられ、今まで無意識にしてきた選択を覆す(大抵漠然とした価値の低下という"感覚"を伴う)選択をしずらくなってきます。
この前提を受け入れて頂けるのであれば、IE から Firefox ひいては選択物から非選択物への移行には様々な心理的な障害がつきまとう事をご理解いただけると思います。さらにアドインやらエクステンションを今の状態にするまでに要した莫大な選択数と時間を換算すればさらに足枷は多くなるはずです。
次回は…続けるの? あ・明日の気分次第…
ウチの記事は知性のかけらも無いからねぇ(笑)。
続きが楽しみだわさ。
お目汚しとは思いますが、もうちょっとお付き合いお願いしやす。