末法人言

冥土、冥界、冥境、草葉の陰、黄泉、幽冥
 歳なのか?これらの言葉が気になっってきた。

極私的映画論(2)地獄で仏の菅原文太!

2015-04-15 22:19:05 | 日々の想い

極私的映画論ー観る立場よりー

「メルヘンの闇」

 地獄で仏の」菅原文太!

映画「仁義なき戦い」より、

「映画はやくざなり」           

 笠原和夫(1927年~2002年享年76歳)の本を読んだ。めちゃ面白かった。ちなみに、菅原文太、深作欣二も既に亡くなっているのだが…。他にも多くの亡くってしまった役者さん達も多くいる。川谷拓三、室田日出男など。 笠原和夫は東映のシナリオ・ライターで最後まで東映という会社、撮影所の座付き?のライターであり、その作品は90本弱になる。1963年頃からヤクザ映画のシナリオを書き始め、1975年の「県警対組織暴力」翌年の1976年「ヤクザの墓場・くちなしの花」でヤクザ映画のシナリオは辞めてしまう。 (なみに1975年製作の「仁義の墓場」深作欣二監督シナリオは笠原ではないのだが…!)これは中々シュールに近く? ただ単にわけが分からないのだが? ラスト近く自殺した女房の骨を噛み砕くシーインは妙に記憶に残っているのだが。余談!

 

 1973年代に「仁義なき戦い」シリーズを深作欣二監督・菅原文太主演で、「~広島死闘編」「~代理戦争」1974年に「~頂上作戦」の4本を書き、彼のヤクザ映画路線は終わる。その後前述の2本はあるのだが…!

 

 笠原和夫のヤクザ映画の脚本は、任侠シリーズ(任侠の美学)と、いわゆるヤクザシリーズ(暴力・破壊の美学)に、分けることが出来るのか? 彼のいわゆるヤクザ映画の初期の作品は、任侠シリーズ系の語りが多い。後期はむしろヤクザ系の語りが多くなる。というか、後期は「仁義なき戦い」シリーズしかないのだが… むしろ任侠系シリーズの方が長く、多くの作品を手がけている。

 

 任侠系シリーズの美学は、仁義を通す。簡単にいえば、古くからある義理人情に厚い親分の縄張りを、新興のえげつない親分が、縄張りを広げる為に、その古くからあるいい親分に横やりを入れ、喧嘩を仕掛け勢力拡大をねらう。それがストーリーの骨組みである。 その古くからのいい親分(当然そこにはその組にお世話になっている一匹狼の侠客がいる)が、新興の親分(組)のえげつない横やりに、耐えるだけ耐えて、堪忍袋の緒が切れ、最後に一匹狼の侠客がその新興の組に殴り込み横やりもなくなり、それまでの極道社会の秩序が回復する。

 ただその秩序回復にはある条件が必要になる。

 それは死者の介在である。それぞれの組が生き残る為には、お互いに死者を介在させなければ、秩序の回復,安定にまでは持ち込めない。殺し、殺される者,いずれ死者が産出されなければ、秩序は保てない。「~の為に身を捨て」その世界の秩序の安定や回復に向う、そこにヤクザ映画の美学がある。義理のある親分や愛しい女の為に、殴り込みそして死者になる。またその背後で多くの名も無き死者の群れも誕生する。それが任侠系シリーズのヤクザ映画である。「大義の為に身を捨てる」これは高倉健扮する任侠シリーズのパターンであった。それはそれで筋の通った美しさがあった。

 

 笠原和夫・脚本、山下耕作・監督の「博打打ち 総長賭博」ぐらいから、その様な美学が変化してくる。大義があるから,ある程度耐える。が、だんだん耐える意味がなくなって、個々の想いや欲望に即する形で暴力が露出してくる、シチュエーションである。 それぞれの組、あるいは組と組の,また組と組員の大義名分より、個人的な義あるいは想いが優先され,それが更なる暴力を露出させることになる。 これらは、笠原和夫の脚本では、暴力・破壊の美学ということにもなるのか?

 これらが顕著に、露骨に表現されてくるのが、何を隠そう「仁義なき戦い」シリーズである。

 笠原和夫も深作欣二も菅原文太も川谷拓三もみんな死者に成った。今,文太や笠原や深作という死者を語ることは、映画を語ることと同義になる。彼らは映画を上映する暗闇で永遠に生き続けている。と云えば大げさか?  

              

 今回、彼ら死者を偲んで「仁義なき戦い」「仁義なき戦い・広島死闘編」「仁義なき戦い・代理戦争」「仁義なき戦い・頂上作戦」「仁義なき戦い・完結編」の5本を続けてみた。(「・完結編」の脚本はなぜか?笠原和夫から高田宏治に変わる。) 大筋、全体のシチュエーションは先に述べた通りである。が、今回全編を通して見て、気がついたのであるが、何と!この「仁義なき戦い」シリーズ5編中4編のラストシーンが葬儀、火葬場、墓場のシチュエーションなのである。  

 

 これはホント今まで全然気がつかなかった。

 

 菅原文太=広能昌三(広能組組長)が訪ひ、焼香をするシーンがある。これは「仁義なき戦い」の第一部で、あまりにも有名になったラストシーンである。拳銃片手に葬式の場に殴り込み、生花や焼香台に拳銃をぶっ放し、喪主である山守組組長に拳銃を向ける。決してこのシーインでは殺しはない。「仁義なき戦い」では珍しく抑えめの演技で、拳銃を了い去って行こうとする。    

 この菅原文太は鳥肌もので、かっこいい。

 

 二部、三部、完結編でもそれぞれラストシーンは葬式である。その様なシーンをまとめてみた。

 

 第三部「・代理戦争」の火葬場のシーンを観て、死者に成った現実の若者の母親から、これまた現実の美能幸三(元美能組組長)に、「これで息子も成仏できる」「おかげで息子も浮かばれました」と電話があった。と美能幸三から電話があったと 後日談として、笠原和夫が語っている。  

 

 いずれ、「仁義なき戦い」シリーズの5作品は、葬式の多い映画である。しかも映画の落とし所でもあるラストシーンにである。

 

 身体でいのちのやり取りをする場に、これまたギリギリでやり場のないいのちが流れ着き、その場で修羅を展開する。挙げ句に多くの死者が産出される。その様な修羅場を潜り抜け,生き残ってきたのが、映画「仁義なき戦い」シリーズの菅原文太扮する、広能組組長の広能昌三である。

 

 このシリーズの菅原文太はヤクザの親分にも関わらず、メチャクチャに優し人に見えてくる。その優しさとは、一般的社会的人間的常識的な枠組みの見せかけの優しさではなく、その様な枠組みでは中々見えてこない、人間存在の闇の側面(地獄・餓鬼・畜生・修羅)を図らずも生きてきた者のみが知りうる優しさである。その優しさは、菅原文太扮する主人公の、何ともいえない葬儀の場面の表情に、よく現れている。  

 

 映画館の暗闇は,色々なことを教えてくれる、闇でもある。闇の中で闇の声を聞く。それは、生者が死者の声を聞くことと同義なのかもしれない。死者とは絶対的他者でもある。その様な他者=死者の声を聞くことを通して、生者同士での自から他、他から自へ、あえていえば、他者に対する配慮が必要なのではなかろうか?

 映画「仁義なき戦い」のシリーズは、人間臭い人間愛に溢れた映画でもあった。


極私的映画論(1)

2015-03-12 17:01:13 | 日々の想い

極私的映画論ー観る立場よりー
「メルヘンの闇」
  またまた変なことを言い始める・・・・・!
「映画は死なない!」とジョゼッペ・トルナトーレが語っていた。

いつの頃からだろうか、映画にエンディングタイトルが出なくなったのは…?
「おわり」「終」「完」「THE END」「Fin」と。

「映画は始まりがあって、終わりがある」これが基本である。例えば、東映の「三角マーク」が現れ、最後は「終り」が現れて終わる。それが映画である。
我々の人生そのもののようでもある。生まれ(始まり)死ぬ(終わる)、誕生日があり命日(亡くなった日)がある。それが人生の基本的な型でもある。映画の形式もそうだと想う。やはり、「終」と云うエンディングがあり、そしてエンディングロールが流れ、その映画の余韻を残し、徐々に館内が明るくなる、それが本当の映画の終わり方である。
一本の映画は上映が終われば死ぬのである。それは映画の宿命でもある。

これはトルナトーレの語る「映画は死ない!」に反するのか?
否、確かに「映画は死なない」と想う。映画をこよなく愛する坊主から云えば,確かに「映画は死なない」である。
それには、もう少し話を進めなければならない。

映画を観る立場からは、もう一点重要な条件がある。それは映画館とその館内の闇である。むろん入場料も重要な用件にもなるのだが。ここでは館内の暗闇を最重要な条件とする。闇とフィルムを通過する光が、 観る立場からすれば 映画の条件でもある。

一本の映画はまた身体でもある。したがって、映画を観る側からすれば、映画は片思いの他者的身体でもある。それは、自分の想いを増幅も出来るし縮小も出来る。これは映画を観る者にとっては、密やかな楽しみでもある。が、その様な身体は抱きしめたり,触れたりすることは出来ない身体でもある。ところが、映画館内は違う。いい映画館,いい映画に出会った時などは、その映画に抱かれているという感覚も捨てたもんではない。これは完全なマザコンである。それだけに映画館の暗闇は重要である。

いずれ,闇とは重要である。映画館に限らず闇は考えざるを得ないのだが…?闇市が活況を呈している時もあったし、文字通り映画館も常に満杯で、常に立見が出るほど盛況な時もあった。しかも薄暗い中で、みんな息を凝らしてスクリーンに向っていたのである。これはこれで、大げさな話かもしれないが?闇と関わったことでもある。高度経済成長期の始まる頃からだろうか?昏い、ネガティブ、後ろ向き、と云うような言葉を嫌う風潮が世間に蔓延してきた。逆に「明るい農村」「明るく前向きに…」「日本の未来は明るい」と云うような言葉がもてはやされた世間的気分である。が、その様な世間的気分に浮かれ過ぎたのか?常に世間は闇を抱えていることを忘れてしまい、その間にその様な闇が醸造され、1900年代の阪神大震災を契機に、オウム教団や一連のサリン事件等世間的闇が露出してくる。オウム教団に関して云えば,個々のそれぞれの闇は、ある意味宗教と関係して、そしてその様な闇が集まり教団を形成し大きな闇にまでなる。そしてその闇の象徴として世間に多くの死者が露出してくる。ある意味それは闇を忘れた世間的気分の問題でもある。

逆説としての闇。闇とはロマンでもある。ジョゼッペ・トルナトーレ曰く「映画は死なない」を言い換えれば「一本一本の映画は明るくなれば死ぬ!がしかし映画館の闇は死なない」になる。「映画は死ぬが,(映画館の)闇は死なない」である。したがって映画と闇は切っても切れない関係である。

生者(明)と死者(闇)。生者の世界を明、死者の世界を闇。映画・もしくは映画館は明と闇の共存する明闇の世界である。つまり、生者と死者の共存の空間でもある。
「生か死か?」確かにこれも重要ではある。が、 最終的な決断は個人的なものであったとしても、 この文言はあまりにも個人の想いに走り過ぎる。これではやはり「~の為に」と「身を投げ出すしかない」自己陶酔型美意識では美しいものであるのかもしれないのだが。三島由紀夫か……?任侠系ヤクザ映画か?

ヤクザ映画のシチュエーションは、ある意味いのちのやり取りをする世界,場所に限定されている。それは生者と死者の混在、あるいはいつでも死者が露出する修羅場を形成する。それがヤクザ映画系(あるいは暴力を扱う映画)のドラマツルギーでもある。そのドラマは,ある意味「明」「生者」的善・悪では解決不能で、「闇」「死者」的なものを入れないと腑に落ちる(その様な映画を理解する)ことは出来ない。

 思議・難思議/不可思議、意識/無意識、意識/業縁、理解/腑に落ちる、顕/冥、
 生者/死者、この世ー墓場ーあの世……、この世ー修羅場ーあの世。

一つの身体に生者と死者が同居しているとは、いつどう転ぶか分からない。これは誰でも同じである。自分もそうだし,貴方もそうだし、彼も彼女もそうである。これが身体的構造であるとすれば、一何処でも修羅場になる可能性を秘めている?だからこそ、死者に対する配慮が、少しくあっても良い。死者に対する配慮とは、他者に対する配慮であり、他者を悼む心でもある。

その様な精神の映画群が、何を隠そう「ヤクザ映画」なのである。
また特筆すべきは大島渚監督の「東京せん争戦後秘話」1970年公開も生者と死者が混在する映画でもある。 つづく


映画館の闇・闇の中の夢幻!

2014-11-24 13:02:48 | 日々の想い

高倉健が逝った。

                   

 

その日は葬儀であった。
なぜか私が行くと云いだした。
葬祭会館である。
お布施は格安であった。
九十弱のおばあちゃんの遺影がその祭壇に飾られてあった。

いざ、お経を読み始めると、その遺影が何故か健さんに見えてきた。気がつくと、高倉健のことを色々想いながら、お経を読んでいた。
全共闘世代の「唐獅子牡丹」の伝説、「幸せの黄色いハンカチ」も面白かった。が、高倉健もこの映画で自分の想いから遠くなったこと等
ふと、お経に戻ると二の句がでてこない。慌てて、でてきた文言はお経のだいぶ前の文言である。仕様がないから、重複はするがその文言からまた読み続けた。格安のお布施なのに長い丁寧なお経になってしまった。


絶対に高倉健ファンではある。
映画俳優として、初期の高倉健はあまり語られることは少ない。つまり,初期の作品についての語りである。「人生劇場」のシリーズものの前の作品である。

むろんこの「人生劇場」は鶴田浩二が主演で、高倉健は脇役ではあるのだが。この映画は幾多の東映任侠路線製作のキッカケにもなった映画である。
それ以前の作品である。その頃の東映は、京都撮影所で製作される時代劇と東京の撮影所で製作される現代劇の二つの流れがあった。高倉健は現代劇の出身である。

高倉健を最初に知ったのは、1960年封切りの「大いなる旅路」である。この映画の主演は三国連太郎の国鉄もので、健さんはその息子の役で出演をしていた。なぜこんな映画を知っているかと云えば、舞台が盛岡であったからで、確か家族で映画館に行ったような記憶がある。小学校の5~6年の頃である。

      
つぎに記憶に残っているのは、1958年製作の「森と湖のまつり」である。この映画は武田泰淳の原作で監督は内田吐夢である。確かこの映画を見たのは、封切り後である。この映画の記憶は定かではないのが、自分の幻想か?はたまた想い違いか?映画館で見た記憶ではなく、アウトドアで見た記憶が残っているのである。町内の野外映画上映会である。その場所は人家と田んぼの境にある広場である。町内の公園と云えば公園であったのか?田植えも終わり、周りからカエルの鳴き声が聞こえていた。確か初夏の夏の夜であった。35ミリか16ミリかははきりと覚えているはずもないのだが、小学校の子供には夜空の星をバックに、黒いトックリセーターを着た高倉健の姿が大きく見えた。これらは自分の映画に対する夢幻(ゆめまぼろし)の延長なのであるとも想うのだが?

                 

次に記憶に残っているのは「暴力街」である。この映画はハッキリ覚えている。面白かった。これは1963年製作・公開された東映映画である。調べると同名の映画は3本あるのだが。この映画は後の「任侠映画」シリーズの健さん、その「任侠映画」の後の「仁義なき戦い」シリーズの菅原文太の原点にもなる映画であるとも想う。見た後映画館を出て、改めてポスターや映画館の前に張ってある、その映画の写真を隈無く見入ってしまったことは覚えている。

      

いずれ、健さんの初期の頃を辿れば色々な作品を想いだす。「宮本武蔵・巌流島の決闘」「神戸国際ギャング」「飢餓海峡」「狼と豚と人間」「ジャコ万と鉄」等々沢山ある。
やはり、任侠映画も含めそれ以前の健さんが好きであった。

ただ東映のプログラムピクチャー以降の作品でも例外的に好きな作品もある。その映画は松田優作の遺作でもある「ブラックレイン」監督はリドリー・スコットである。                  

            

この映画での、松田優作の幽気迫る演技は凄かった。マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、若山富三郎、ガッツ石松、それこそ高倉健を凌いで印象に残っている。
健さんも無骨な警部補の役柄でハマっていた。マイケル・ダグラスと高倉健のラストでの殴り込みなど、任侠映画を彷彿するシチュエーションでもあった。

この「ブラックレイン」で好きなシーンがある。それはあるクラブで、客にまみれて張り込み中の,アンディ・ガルシアと高倉健の二人が、レイ・チャールズの歌を歌うシーンである。無骨な警部補が誘われてサングラスをかけ、歌いだすのであるが、健さんの若い頃のやんちゃな役を彷彿とされ、中々にノボノボとして良い一コマである。この後のシーンでアンディ・ガルシア扮する刑事が、松田優作扮するヤクザに殺されるのである。その前振りとしても中々良いシーンであった。

 




葬儀とは!寄り道編(3)

2014-11-10 22:50:50 | 日々の想い

葬儀とは!に、お寺とは!(墓!)もつけ加える。
 葬儀の流れを見ると、死→通夜→火葬→葬儀→納骨で終わる。葬儀屋が関わるのはここまである。四十九日、百ヵ日、一周忌、三周忌までになると、あまり関わってこない。無論坊主はこの一連の流れには参加している、とも思うのだが。民俗史的葬儀論、風俗史的葬儀論では、あまりというかほとんど、寺・坊主・墓は論じられてこない。(1)~(2)で述べた映画にも坊主は出てこない。ただ映画「お葬式」には、笠智衆扮する坊主がリンカーンに乗って現れる、名シーインはあるのだが、経を読むだけであまり他には絡んでこない。また映画「おくりびと」でも画面を横切るか、それの端っこに座っているかぐらいである。
これは、どうした事か?多分そこから先は面倒臭いんだろうなあ・・・・・・? なぜかと云えば、それからは「死者の行方」の問題になるからである。ある意味、それまでは「死」で済むが、墓、墓所、寺は「死の観念」の問題になってくるからである。勢い、抽象的にならざるを得ない。あの世とこの世とか?、あの世はあるのか?死後の世界はあるのか?大霊界、地獄、天国、霊魂、魂、冥土、草葉の陰、それこそ死者とか、百花繚乱色々な言葉が咲き乱れる世界(=死生観)でもある。どう整理を付けたら良いのか?これはこれで中々難しい。

またまた映画の話から「おくりびと」と云うタイトルは誰がつけたのだろうか?原作は確か青木新門著「納棺夫日記」であると思った?が映画では原作及び原作者名は出てこない。この原作に影響された本木雅弘が、この様な映画を作りたいと提案したのが、この映画制作のきっかけのようでもある。ところが出来上がったシナリオでは、映画のラスシーンは自分のイメージとは違うので、自分が書いた著書名と作者名は出してくれるな。と、制作される前の後日談として青木新門が語っている。確かに、映画「おくりびと」のラストシーンはチンプであった、と思う。映画批評家の間でも賛否両論色々物議をよんだところでもある・・・・・。

詳しくは述べない。これを話し始めれば、ますます横道にそれて行くので。

で、このタイトルはこの映画の制作側が考えたものと思われるのだが、「おくりびと」は「送る人々」か?何処へ送るのかイマイチハッキリしない。 
多分「この世」から「あの世」へ送り出すのである。死者の「あの世」への旅立ちの見送りである。ひょとしてあの世は地獄かもしれないのだが・・?。


後は残された生者の追憶か?この映画には墓が出てこない。あれだけの田舎で家族もいて、墓・墓場が出てこない。つまり納骨のシーンがない。納棺師的には終わりかもしれないのだが・・?納棺師が、密室で死に化粧を施すシーン、何か秘め事ぽく あり、そのシーンは追憶をすることだけしか考えていない、ようにも思われる。アウトドアー的な墓場など、シーンとして必要ないのか?

            
いずれ送って終わりでもないような気もするのだが。
日本の風習には彼岸・お盆がある。お盆等、地獄の釜のふたが開き亡き人が帰ってくる。そして、迎え火を焚き亡き人(死者)を迎え、そしてまた送り火を焚き死者を送る。で、墓参りもする。また、残された生者は春秋の彼岸には墓参りをし、死者と交流を深める。「送り出す」「おくりびと」と云う言葉には「迎える」「むかえるひと」と云う含蓄が含まれているとも思われる。

  
この映画の予告編には「人生はおくりびと、おくられびと」とある。やはりこれは半分である。本来は「人生はそうげいびと」である。と云わなければならないのでは?
死者の共同体が墓場である。この世から観察すれば、あの世は遥か彼方の遠い場である。遥か彼方の遠い場の、最も身近かな場が墓場である。この世とあの世の境が、墓場でもあり、ある意味国境(くにざかい)でもある。
遥か彼方の遠い場あの世と、この世の中で、遥か彼方の最も近い場が、墓場である。墓場とは、あの世とこの世を媒介する。したがって、墓場はおくるひと、むかえるひとの共通の場所でもある。いわゆる、送迎の場でもある。
「納棺夫日記」の著者である青木新門はある講演会で、納棺夫は「いのちといのちを繋ぐ仕事である」と述べている。確かに、いのちといのちを繋ぐ。そこにもう一つ、その背後での繋がりもあるのでは、つまり、個体として生きている生者同士を結ぶ絆=追憶と、その生きている生者同士を結ぶ絆=追憶は墓場・墓でもある。それぞれの地域共同体には、そそれぞれに墓場がある。個々それぞれの墓の前で、それぞれに追憶し死者と交流をする。その様な場は共同的な場(=空間)でもある。この世に在って、その様な社会的、共同的な場所は必要である。なぜなら、生者と生者だけの関係は、一歩間違えば息苦しくなり、文字通り死に至ることもある。その様な時には、あまり縁起の良くない場所とされ、あまり人の来ない墓場で、死者を媒介としていのちを考える。それがいのちといのちを繋ぐ裏の意味ではないのか?


葬儀とは!寄り道編(2)

2014-11-02 18:40:34 | 日々の想い

また、葬送儀礼の歴史等を色々調べてみるとまたまた面白い。
葬儀をする。当然それはある形式を持ち、それに則って営まれる。その様な形式は日常の暮らしの中から生み出される。日常の日々の暮らしの経験知の集積が形になったものである。簡単には習慣・風習・風俗である。無論、あまりその形式にとらわれすぎるのも良くないのだが?

また、葬送儀礼は死者を主役とした劇的空間でもある。日常の見慣れた場所・景色を劇的空間に変換する。それには色々な大道具(祭壇)、小道具(死花、団子等)、出演者、その出演者が演ずる役名としての用語がそれぞれにある。これらはそれぞれの地域共同体の中で営まれていた。人が亡くなってから、枕経、通夜、火葬(土葬)、葬列、埋葬までの形式で、その準備、それぞれの道具作り、それぞれの役割を共同体の人々が担っていた。
その様な形式も時代・社会のあり方によって変化して行く、が形式事態は残る。それは、どの様な時代・社会にあっても、その中での日常の暮らしの中に死・死の観念が潜在しているし、それが突然に露出してくると云うことでもある。

そんな中で葬祭業、葬儀屋が出来てくる。これはこれでまたまた面白い。
葬祭業(そうさいぎょう)だよ!冠婚葬祭からいているのか?面白い言い方だとも思う。葬儀屋(そうぎや)そのままズバリである。
葬儀屋であれ葬祭業であれ、葬式を取り仕切るのである。これは中々大変な事でもあったとも思われる。資料によると、特ににっぽんの中心の東京、大阪での葬列等々スケールの大きなものであったと思われる。江戸時代後期・明治・大正・昭和初期まで、そこでの葬列は大名行列に匹敵するものであったと指摘されている。人集めから、道具調達、葬列のコース等を葬儀屋が仕切っていたのである。
              
その辺の事情を現した本に「霊柩車の誕生」(井上彰一著・朝日文庫増補版)、写真集「The霊柩車」(井上彰一、町田忍共著 詳伝社出版)がある。この本も中々面白い。面白がってばかりで申しわないのだが!

その本の中に、都市の変化に伴い葬列も変化せざるを得なかった、とある。例えば、街に電車が走れば、葬列はだんだんと邪魔になる。街全体が合理化されて行く中で、簡単に素早く事が運ばれる方が良いに決まっている、それは車社会の前兆でもあり、宮型霊柩車登場の前兆でもある。
実はこの本で知ったのだが、大正から昭和に切り替わる時を背景に、葬儀屋を舞台にした映画あったのである。その映画は1965年(昭和40年)封切りの「大阪ど根性物語・どえらい奴」と云う東映映画である。原作は高橋幸延と云う人の小説「冠婚葬祭」である。



              
標記の通り、そうそうたる役者である。特に藤純子は弱冠二十歳で、藤田まこと、長門裕之等も若い頃である。後に「緋牡丹のお竜」「不良番長」などの娯楽作を多く手がけた鈴木則文の第一回作品である。しかも、共同脚本が中島貞夫である。中島貞夫の説明は省く。多分この映画は、併映用の低予算で撮ったものか?所謂、B級映画であるのか。昔の東映映画大好き人間としては、この「大阪ど根性物語・どえらい奴」が大好きである。チョト気取った嫌みな映画「おくりびと」等より数段面白いと思うのだが。
古いスタイルの葬送(いわゆる葬列)から、霊柩車(トラックを改造した宮型に近い車)を使う葬送への移行へと、葬儀屋のベンチャーを描き、しかも親方と弟子の新旧の対立と、その親方の娘と弟子の恋愛と、盛りだくさんの内容がうまく配置され、見るものを飽きさせない人情味溢れる喜劇映画である。この映画に初期の宮型霊柩車が登場する。そして、その宮型霊柩車の昨今の事情は上記の本に詳しく現されている。

 

葬式も時代社会によって流行り廃りがある。葬式の形はあるにしても、その内容というか、やり方の流行り廃りである。例えば、最近では葬儀会館の普及により、自宅での葬式はほとんど見られなくなった。通夜、葬式はほとんど会館である。それは田舎でもそうなってきている。また、宮型霊柩車もその例に漏れず、今はあまり流行ってはいない。やがては無くなるのか?いずれ街でもあまり見なくなった。葬儀も密室の秘め事に成りつつあるのか・・・・・・?

そんな中、近所の寺に止まっている宮型霊柩車があり、つい動画にしてしまった。