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blog日和。

小さい頃に言った「将来」はもうすぐそこにある。
僕はその将来のためにもう少しがんばれるのかなぁ・・・。

見張り塔からずっと

2007年03月04日 16時28分42秒 | レビュー
内容(「BOOK」データベースより)
発展の望みを絶たれ、憂鬱なムードの漂うニュータウンに暮らす一家がいる。1歳の息子を突然失い、空虚を抱える夫婦がいる。18歳で結婚したが、夫にも義母にもまともに扱ってもらえない若妻がいる…。3組の家族、ひとりひとりの理想が、現実に浸食される。だが、どんなにそれが重くとも、目をそらさずに生きる、僕たちの物語―。「カラス」「扉を開けて」「陽だまりの猫」。


重松作品を読むのは、これでもう十数作を超えるが、これは三つの短編から成っている短編小説だ。その中の最初の「カラス」を読んで、思った。何か足りない、と。今迄読んできた重松作品のなかの何かが足りない、と。読んでいて、何か退屈で、これ以上読んでも何もない気がする。足りない。それは決して、恍惚さだとか官能的なものではない。
そして次の短編。「扉を開けて」を読んで、何が足りないのか、はっきり分かった。それは伝わるものだ。読者に何か伝わるものが無ければ、それは小説ではなくてただの文章で終わる。伝わるもの、いや心に残るもの、もしかしたら心に響くものかもしれない。素人のぼくにそんな事は断言できないが、「扉を開けて」十分に残りました。心に響きました。
後書きにあった。読者の皆さんにこの物語の目撃者になって欲しい、と。本書の見張り塔からずっと、それは短編にはない題名である。そして、三つの短編にはどれでも「見張り塔からずっと」と題名をつけても良いような作品だ、と。
いまいちぼくにはそれが分からない。「カラス」「扉を開けて」「陽だまりの猫」があるが、「扉を開けて」がもし「見張り塔からずっと」と題名が変わったら、ぼくは頭をひねり、何でだろうと頭を抱える。「カラス」にはそういう一節があったし、「陽だまりの猫」なんて、本書の中で一番見張り塔からずっとが色濃く出ている作品だ。だが扉を開けてにそんなシーン無かったと思うが、またそれを意識して読み直してみようと思う。

何度読み返しても飽きない。それも重松作品の特徴の一つではないか。