(出処:韓国 スポーツワールド 2010.08.04(水)15:05)↓翻訳機使用。
유네스코 세계 문화유산 지정된 '안동 하회마을·양동 민속마을' 둘러보기
ユネスコ世界文化遺産指定された'安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)・良洞(ヤンドン)民俗村'ナビゲーション

安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)で最も大きい規模を自慢する'北村宅'. 朝鮮時代名門の家柄の生活の姿をそのまま大事に保管している所だ
‘韓国の歴史の村-河回と良洞’が国際的観光名所に浮び上がる。
韓国人の生活様式と精神世界をものさびしく見せる二つの村は最近ブラジルで開かれた第34次世界遺産委員会会議でユネスコ世界文化遺産と指定された。
世界遺産(World Heritage)はユネスコが1972年採択した‘世界文化および自然遺産保護に関する協約’により全人類が共同で保存して後世に伝授しなければならない普遍的価値があると認めた遺産をいう。 世界遺産は文化遺産、自然遺産、複合遺産など三つに区分される。 2010年6月現在全世界的に総890件の遺産が世界遺産で登載されていて我が国は全10件の世界遺産を保有している。 ‘韓国歴史の村-河回と良洞’他世界遺産は1995年登載された石窟庵(ソックラム)・仏国寺(プルグクサ)と海印寺(ヘインサ)蔵経板殿、宗廟(チョンミョ)と1997年登載された昌徳宮(チャンドックン)、華城(ファソン)、2000年登載された慶州歴史遺跡区、高敞(コチャン)・和順(ファスン)・江華(クアンファ)支石墓(コインドル)遺跡、2009年登載された朝鮮王陵など文化遺産と2007年最初の自然遺産で登載された済州(チェジュ)火山島と溶岩洞窟がある。

河回村(ハフェマウル)と向き合っている芙蓉(プヨン)台に上がれば村がひと目で見下ろせる。
・安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)
エリザベス英国女王とジョージ・ブッシュ米国前大統領が訪問しながら世界的な関心を受けた安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)(重要民俗資料第122号). こちらは豊山(プンサン)リュ氏が600年間余り代々暮らしてきた韓国の代表的な同性の村であり、瓦家(瓦家・瓦の家)わらぶきの家が長い間の歴史の中でもよく保存されたところだ。 最近ではリュ・ソンニョンの後えいのリュ・シウォンの故郷へ知らされながら韓流観光地で脚光を浴びることもした。
村の名前を河回といったことは洛東江(ナクトンガン)が‘S’字模様に村を抱え込んで流れるところで由来した。 河回村(ハフェマウル)は風水地理的に太極形(山と水が太極模様)・蓮花浮水形(水の上に浮かんでいるレンゲ形)で称されえて、すでに朝鮮時代から人が生きるのに最も良いところでも有名だった。 村の東側に太白山(テベクサン)でのびて出た海抜271mの火山(花山)があって、この火山の幹が低い丘陵地を形成しながら村の西側最後までのびている。 樹齢が600余年になったケヤキがある所が村で最も高い中心部に当たる。 河回村(ハフェマウル)の家らはケヤキを中心に川に向かって配置されているから坐向が一定でない。 韓国の他の村の家らが正南向または、東南向をしていることとはだいぶ対照的な姿だ。 また、大きい瓦の家らを中心に周辺のわらぶきの家らが原形を成し遂げて配置されているのも特徴. 現在も住民が住んでいる自然で150余号が暮らしていて村内には全127家屋が437棟で成し遂げている。 その中12棟家屋が宝物および重要民俗資料と指定された。
河回村(ハフェマウル)には庶民らが遊んだ‘河回別神グッタルノリ(ハフェビョルシングッタルノリ)[하회별신굿탈놀이 ]’と高尚な人らの風流遊びであった‘船遊列火遊び[선유줄불놀이]が現在までも伝えられていて、我が国の伝統生活文化と故建築様式をよく見せる文化遺産らがよく保存されている。
村には二つの国宝がある。 国宝121号‘河回の仮面(ハフェタル)’はわが国で現存する最も古くなった仮面だ。 韓国の仮面はたいていひさごや紙で作るから長く保存された例が珍しくて、その年の仮面劇が終わった後焼いてしまうことが一般的だった。 しかし河回仮面(ハフェタル)は材料が榛の木として表面に漆を2重3重で塗ったし村では別に洞舎をたてて仮面らを保存してきた。 特に閣氏仮面(カクシタル)は城隍神の代わりをすると信じてピョルシングッをする時他には見られなかったし、やむをえず取り出す時は必ず法事を行わなければならないタブーや制約があって今日まで伝えられることができた。 今は閣氏(カクシ)、僧(チュン) 、両班(ヤンバン)、高尚な人(ソンビ 学者) 、チョレンが、イメ、ブネ、ペクチョン、ハルミ(老婆) 9個の仮面らだけ伝えられて、3個の仮面が紛失した。 国宝第132号‘懲泌録’は壬辰倭乱の時領議政として都体察使を兼任した西涯リュ・ソンニョン(1542~1607)先生が壬辰倭乱時の状況を引退後で記録した本だ。
河回村(ハフェマウル)に行けば‘北村宅’に必ず立ち寄ってみなければならない。 敷地1700坪に72間の規模を自慢する河回村(ハフェマウル)で最も大きい家. 母屋、サランチェ(舎廊棟)、大きいサランチェ(舎廊棟)、デムンガンチェ(大門間棟)、サダン[祠堂?舎堂?]などをあまねく整えて美しい韓国式家屋の情水を見せる家だ。 おじいさんは北村幽居、お父さんの火鏡当たり、孫が留まるスシンワなどサランチェ(舎廊棟)が3個で分けられている。 安東(アンドン)をはじめとする嶺南(ヨンナム)一帯で7対200年間富と名誉を享受した一族で韓国の‘名門の家柄’を研究してきた円光(ウォングァン)大チョ・ヨンホン教授の文にもこちらが登場する。 河回村(ハフェマウル)を沿って回る洛東江(ナクトンガン)物向こうには芙蓉(プヨン)台がある。 その他にも豊山(プンサン)リュ氏の大宗家‘養眞堂‘、西涯リュ・ソンニョンの宗宅の‘忠孝堂(チュンヒョダン)’等見回すほどの古宅らが並んでいる。 渡り舟に乗って玉淵精舍(オギョンジョンサ)や華川(ファチョン)誓願裏道で15分程度山に登れば芙蓉(プヨン)台頂上が出てくる。 洛東江(ナクトンガン)水の流れが作り出した最高のSラインがひと目で入ってくる。

良洞民俗村は平地にある河回村(ハフェマウル)と違うように丘を挟まれていて色とりどりな面白みを増してくれる
・良洞民俗の村
1984年の村全体が国家重要文化財と指定されたこちらは1992年英国のチャールズ皇太子が訪問しながら有名になった。 安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)に比べて良く知られなかったけれど観光地として価値はむしろもっと優れたところ。 新羅の千年を大事に保管した慶州とついているから連携コース構成が容易で宿泊施設など基本インフラが揃っているということが長所だ。 慶州市内で浦項(ポハン)方面で20km程上がれば出てくるソルチァング山(雪蒼山)裾に位置した慶州市の良洞民俗村は朝鮮時代班村の村の特性をそのまま大事に保管している由緒深い村だ。 ソン氏と李氏の集成村のこの村は総150余号の故家屋とわらぶきの家らが低い稜線とこぢんまりした谷間について宝石のように広げられている。 国宝第283号通鑑續編をはじめとする文化財の宝物倉庫のこの村はほとんどすべての家屋に住民たちが居住している‘生きている博物館’だ。 200年度越えた古色蒼然な古宅の高床が毎日主人が清掃をするようにホコリ一点なしできらきら光る。 低い塀をのぞき込んで開いている門をいきなり入ってくる観光客らのために生活が不便なことも一ケ所お客さんを極力迎えることやはり村の伝統だと歓待と認定があふれる。 香ばしい米水飴の風味がいっぱいであるこの町内名物'良洞飴'を一口切り取って食べて村入り口で会った子犬‘白い動物’とともに路地ごとに歩く面白味がかなりよい。
スポーツワールド安東(アンドン)・慶州
=文・写真 チョン・ギョンウ記者
유네스코 세계 문화유산 지정된 '안동 하회마을·양동 민속마을' 둘러보기
ユネスコ世界文化遺産指定された'安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)・良洞(ヤンドン)民俗村'ナビゲーション

安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)で最も大きい規模を自慢する'北村宅'. 朝鮮時代名門の家柄の生活の姿をそのまま大事に保管している所だ
‘韓国の歴史の村-河回と良洞’が国際的観光名所に浮び上がる。
韓国人の生活様式と精神世界をものさびしく見せる二つの村は最近ブラジルで開かれた第34次世界遺産委員会会議でユネスコ世界文化遺産と指定された。
世界遺産(World Heritage)はユネスコが1972年採択した‘世界文化および自然遺産保護に関する協約’により全人類が共同で保存して後世に伝授しなければならない普遍的価値があると認めた遺産をいう。 世界遺産は文化遺産、自然遺産、複合遺産など三つに区分される。 2010年6月現在全世界的に総890件の遺産が世界遺産で登載されていて我が国は全10件の世界遺産を保有している。 ‘韓国歴史の村-河回と良洞’他世界遺産は1995年登載された石窟庵(ソックラム)・仏国寺(プルグクサ)と海印寺(ヘインサ)蔵経板殿、宗廟(チョンミョ)と1997年登載された昌徳宮(チャンドックン)、華城(ファソン)、2000年登載された慶州歴史遺跡区、高敞(コチャン)・和順(ファスン)・江華(クアンファ)支石墓(コインドル)遺跡、2009年登載された朝鮮王陵など文化遺産と2007年最初の自然遺産で登載された済州(チェジュ)火山島と溶岩洞窟がある。

河回村(ハフェマウル)と向き合っている芙蓉(プヨン)台に上がれば村がひと目で見下ろせる。
・安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)
エリザベス英国女王とジョージ・ブッシュ米国前大統領が訪問しながら世界的な関心を受けた安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)(重要民俗資料第122号). こちらは豊山(プンサン)リュ氏が600年間余り代々暮らしてきた韓国の代表的な同性の村であり、瓦家(瓦家・瓦の家)わらぶきの家が長い間の歴史の中でもよく保存されたところだ。 最近ではリュ・ソンニョンの後えいのリュ・シウォンの故郷へ知らされながら韓流観光地で脚光を浴びることもした。
村の名前を河回といったことは洛東江(ナクトンガン)が‘S’字模様に村を抱え込んで流れるところで由来した。 河回村(ハフェマウル)は風水地理的に太極形(山と水が太極模様)・蓮花浮水形(水の上に浮かんでいるレンゲ形)で称されえて、すでに朝鮮時代から人が生きるのに最も良いところでも有名だった。 村の東側に太白山(テベクサン)でのびて出た海抜271mの火山(花山)があって、この火山の幹が低い丘陵地を形成しながら村の西側最後までのびている。 樹齢が600余年になったケヤキがある所が村で最も高い中心部に当たる。 河回村(ハフェマウル)の家らはケヤキを中心に川に向かって配置されているから坐向が一定でない。 韓国の他の村の家らが正南向または、東南向をしていることとはだいぶ対照的な姿だ。 また、大きい瓦の家らを中心に周辺のわらぶきの家らが原形を成し遂げて配置されているのも特徴. 現在も住民が住んでいる自然で150余号が暮らしていて村内には全127家屋が437棟で成し遂げている。 その中12棟家屋が宝物および重要民俗資料と指定された。
河回村(ハフェマウル)には庶民らが遊んだ‘河回別神グッタルノリ(ハフェビョルシングッタルノリ)[하회별신굿탈놀이 ]’と高尚な人らの風流遊びであった‘船遊列火遊び[선유줄불놀이]が現在までも伝えられていて、我が国の伝統生活文化と故建築様式をよく見せる文化遺産らがよく保存されている。
村には二つの国宝がある。 国宝121号‘河回の仮面(ハフェタル)’はわが国で現存する最も古くなった仮面だ。 韓国の仮面はたいていひさごや紙で作るから長く保存された例が珍しくて、その年の仮面劇が終わった後焼いてしまうことが一般的だった。 しかし河回仮面(ハフェタル)は材料が榛の木として表面に漆を2重3重で塗ったし村では別に洞舎をたてて仮面らを保存してきた。 特に閣氏仮面(カクシタル)は城隍神の代わりをすると信じてピョルシングッをする時他には見られなかったし、やむをえず取り出す時は必ず法事を行わなければならないタブーや制約があって今日まで伝えられることができた。 今は閣氏(カクシ)、僧(チュン) 、両班(ヤンバン)、高尚な人(ソンビ 学者) 、チョレンが、イメ、ブネ、ペクチョン、ハルミ(老婆) 9個の仮面らだけ伝えられて、3個の仮面が紛失した。 国宝第132号‘懲泌録’は壬辰倭乱の時領議政として都体察使を兼任した西涯リュ・ソンニョン(1542~1607)先生が壬辰倭乱時の状況を引退後で記録した本だ。
河回村(ハフェマウル)に行けば‘北村宅’に必ず立ち寄ってみなければならない。 敷地1700坪に72間の規模を自慢する河回村(ハフェマウル)で最も大きい家. 母屋、サランチェ(舎廊棟)、大きいサランチェ(舎廊棟)、デムンガンチェ(大門間棟)、サダン[祠堂?舎堂?]などをあまねく整えて美しい韓国式家屋の情水を見せる家だ。 おじいさんは北村幽居、お父さんの火鏡当たり、孫が留まるスシンワなどサランチェ(舎廊棟)が3個で分けられている。 安東(アンドン)をはじめとする嶺南(ヨンナム)一帯で7対200年間富と名誉を享受した一族で韓国の‘名門の家柄’を研究してきた円光(ウォングァン)大チョ・ヨンホン教授の文にもこちらが登場する。 河回村(ハフェマウル)を沿って回る洛東江(ナクトンガン)物向こうには芙蓉(プヨン)台がある。 その他にも豊山(プンサン)リュ氏の大宗家‘養眞堂‘、西涯リュ・ソンニョンの宗宅の‘忠孝堂(チュンヒョダン)’等見回すほどの古宅らが並んでいる。 渡り舟に乗って玉淵精舍(オギョンジョンサ)や華川(ファチョン)誓願裏道で15分程度山に登れば芙蓉(プヨン)台頂上が出てくる。 洛東江(ナクトンガン)水の流れが作り出した最高のSラインがひと目で入ってくる。

良洞民俗村は平地にある河回村(ハフェマウル)と違うように丘を挟まれていて色とりどりな面白みを増してくれる
・良洞民俗の村
1984年の村全体が国家重要文化財と指定されたこちらは1992年英国のチャールズ皇太子が訪問しながら有名になった。 安東(アンドン)河回村(ハフェマウル)に比べて良く知られなかったけれど観光地として価値はむしろもっと優れたところ。 新羅の千年を大事に保管した慶州とついているから連携コース構成が容易で宿泊施設など基本インフラが揃っているということが長所だ。 慶州市内で浦項(ポハン)方面で20km程上がれば出てくるソルチァング山(雪蒼山)裾に位置した慶州市の良洞民俗村は朝鮮時代班村の村の特性をそのまま大事に保管している由緒深い村だ。 ソン氏と李氏の集成村のこの村は総150余号の故家屋とわらぶきの家らが低い稜線とこぢんまりした谷間について宝石のように広げられている。 国宝第283号通鑑續編をはじめとする文化財の宝物倉庫のこの村はほとんどすべての家屋に住民たちが居住している‘生きている博物館’だ。 200年度越えた古色蒼然な古宅の高床が毎日主人が清掃をするようにホコリ一点なしできらきら光る。 低い塀をのぞき込んで開いている門をいきなり入ってくる観光客らのために生活が不便なことも一ケ所お客さんを極力迎えることやはり村の伝統だと歓待と認定があふれる。 香ばしい米水飴の風味がいっぱいであるこの町内名物'良洞飴'を一口切り取って食べて村入り口で会った子犬‘白い動物’とともに路地ごとに歩く面白味がかなりよい。
スポーツワールド安東(アンドン)・慶州
=文・写真 チョン・ギョンウ記者