
ここ数年、早朝目覚めることが多く、やはり「年寄りは早起き」…というのは本当のようだ。
そんな時は最近、読書をして朝の時間を過ごす。生活リズムが整い、心身の健康にも良い。「早起きは三文の徳」とはこのことか。

千葉県東金市に住む義父から1冊の本を薦められた。それは、心訳・「鳥の空音」(元禄の女性思想家・飯塚染子、禅に挑む)島内景二:著、である。
前書きには、
「・・・この世に生きる意味はあるのか? 絶望の中で飯塚染子は禅の問答集『無門関』に向き合い、自分なりの思索をぶつけ、書を記した。時を経て、その書に慈雲尊者が自らの思索を書き加える。…時代を超えた奇跡の「対話劇」、小説仕立ての現代語訳。…江戸中期、元禄を生きた忘れられた文学者・思想家、飯塚染子の再発見。」
と、記されていた。


年表でみると40歳という短い人生だが、それを精一杯生きた女性。源氏物語、枕草子、徒然草、そして中国の古文や経文・・・それらを読み尽くして、自らの思想に取り込んでいた女性だ。
「『無門関』には人間が心理に至るため解決しなければならない難問が書かれている。それを一つずつ拙い頭脳で考えていきたい。」という染子。

さて、この「鳥の空音」に興味を持ったのには、理由がある。
義父が東金市の郷土史研究会に所属し、地域の歴史に詳しく、その話をよく聞かされていたこと。さらに義母の生家が柳沢吉保の実母である「きの」の生まれた本家とも遠縁にあることだ。
柳沢吉保といえば、五代将軍「徳川綱吉」の重臣で、その側室が飯塚染子なのだ。(染子は、柳沢家の跡取りとしての柳沢吉里を生んだ。)

長野市との関連でいえば…、元禄11年に善光寺の尼上人となった「智善」は飯塚染子の妹である。
命のつながりとは不思議なものだ。還暦を過ぎると、自分がこれまでどのように生きてきたのだろうかと、ふと考える。さらに、必ず迎えるであろう「死」を少しずつ意識し始める。そういう時に、今ある自分の命が遠い過去の命とどのようにつながっているのか、祖先がどのように「生き」、そして「死」を迎えたかに関心が向くのだ。

「鳥の空音」を読み進めるうちに、染子がかなりの教養を身に付けていたことがわかる。しかも精神的に強固であることと同時に、自らの「生き方」を厳しく見つめ、深く問い続けていたことに驚く。
以下、電気通信大学教授:島内景二氏による(心訳)「鳥の空音」の一部を抜き書きしてみた。

『無門関』第一則
・・・犬に仏性はあるか? つまり、仏となる可能性は有るか? それとも無いか?・・・趙州和尚は「無い」と答えた。

この公案について、わたくし、智月こと飯塚染子は次のように考える。
『涅槃経』には「一切衆生、悉皆有仏性」すべての人間には仏となる可能性があると説かれている。また、「山川草木、悉皆成仏」、つまり、この世に生きとし生けるものは、人間であるかないかの区別なく尊い仏様になる可能性を持っていることは明らか。
この世界が誕生し、生命が宇宙に芽生えた太古の昔から生き物の「心」の中には仏様になる種がしっかり存在していたのだ。一つ一つの生命体はそれぞれが不足のない完璧な功徳の集合体なのだ。
『源氏物語』、に記された黒貂の話。生き物には仏性が備わっている・・・(略)

『栄花物語』『古本説話集』の牛の話。『小倉百人一首』の和歌
「これやこの行くも帰るも別れては知らぬも逢坂の関」で有名な逢坂山にいる白い牛が仏様の化身であるという話。
『妙法蓮華経』の芬陀梨の花(白い蓮華)は森羅万象に内在する絶対の真理を象徴しているとされる。真理というものは人間の目にはっきりとは見えないものだ。
『拾遺和歌集』に古歌がある。
「我が恋の露はに見ゆる物ならば都の富士と言はれなましを」
恋の炎は目には見えないのだ。
『源氏物語』の六条御息所など、恐ろしい「心の鬼」に苦しめられ、生霊や死霊などの「物の怪」になってしまう人が登場する。心の鬼の姿をしかと見届けた人はいない。


『無門関』第一則の公案がテーマとしている「仏性」も目に見えないものである。それは人間の煩悩や無明の汚れに汚染されず、どこまでも透明で美しく照り輝き続ける、先天的な可能性なのだろうか?
あるいは、「仏性」とは、清浄さを保つためのものではなく、綺麗な物も汚い物もいっさい区別せずに受け入れ、凡人も聖人も分け隔てせず、すべての存在物は仏の前に平等であると考える理屈のことなのだろうか?
あるいは、「生死即涅槃」という言葉があるように、生死の迷いと涅槃の悟りの違いなど乗り越えて、明瞭かつ明白に生と死の真実を指し示すものなのだろうか?


中国の話、銭陸燦の『庚巳編』、『寂照堂谷響続集』に記載がある話をわたくしは、物語風に構成脚色して、次に語りたい。
・・・ある夜、若い女が別荘の男を訪ねて「今晩、ここに泊めてください」と頼む。男は悪い噂が立つと心配して断るが、女はあきらめずに別荘の中に入り込んでしまう。男は女を押し出そうとするが、女はそれでもひたすら男にすり寄ってくる。そうこうするうちに、しらじら夜が明けてしまった。女は部屋から出て庭に生えていた芭蕉の木のうしろに消えてしまった・・・。

この女は心を持った生き物なのだろうか? それとも「山川草木」のように心を持たぬ存在なのか? そもそも人間と山川草木の違いなど、あるのだろうか?
剣の道の達人、上泉伊勢守の和歌
「有りの実と無しといふ字は変はれども食ふに二つの味はひは無し」
それとまったく同じ理屈で、「心を持った生き物と、心を持たぬ無生物とは、本来、同じ本質を持っている。それらは平等であり、区別できない。」と言ったならば、世界の本質から遠ざかることになってしまう。
「有る」とはどういうことなのか、そして、「無い」とは、どういうことか? 昔から聖人や優れた和尚たちが考え続けても、なかなか結論が見えないのが、世界の真理というものだ。
人間が仏になり得る可能性についても結論は見えてこない。人間が仏になる困難さは、険しい山道にも喩えられる。あちこちに化け物や「源氏物語」などに登場する木霊のような変化の物やらが、通行人が山を越えて真理に到着するのを邪魔したり、惑わしたりしている。
無門関の最初の関を越えるのはとても困難。この「有る」と「無い」の関を越えなければ、その先に続く四十七の関は越えられない。


『源氏物語』に引用されている古歌
「桜咲く桜の山の桜花咲く桜あれば散る桜あり」
桜の山をよく見てみると、散り始めている桜もあれば、やっとほころび始めようとしている花もある。世界の真理に早く気付く人もいれば、自分のように凡愚でいつまでも悟れない人間もいるのと同じことだ。しかし、この歌は、生と死、「有る」と「無い」とが入り交じっている世の中の真実をわかりやすく教えてくれている。
『臨済録』には、「禅の道に達した人間は、どんな着物を着たいと思っても願いはかなうし、どんなものを食べたいと思っても願いはかなう」と書いてある。また、「聖とか凡などの違いにとらわれず、凡にでも、聖にでも、浄にでも、穢にでも、入ってゆかねばならぬ」とも書いてある。
そういう境地であれば、・・・足を上げたり下したりする、すべての動作が修行であり、悟りにつながっていることがわかる。
ああ、わたくしも、そのような境地で、修行の旅に出たいものだ。そのためにも、この最初の関門を何としても越えなければならない。

わたくしの和歌を一首。
「駒並べて行くも有らなむ関の戸の名も懐かしき逢坂の山」
真理への道は、孤独そのもの。だから、わたくしは一人でこの道をどこまでも進んで行こう。けれど、馬を並べて一緒に旅をする人がいたら、どんなに心強いことか。
あっ、真理に至るための最初の、しかも大きな関所が近づいてきた。真理と「出逢う」という、名前もゆかしい「逢坂」の関だ。
わたくしは、世界の真理という同行者と、馬を並べてこの関をこえよう。そして、どこまでも二人で、行けるところまで思索の旅を続けよう。

かつて孟嘗君は、「鶏鳴狗盗」のことわざで、まだ暗くて朝にならない時分に、家来に鶏の鳴きまねをさせた。すると、朝になったと錯覚した番人が関所を開門したので、無事に函谷関を通過することができたという。
わたくしは、これから『無門関』の一つ一つの公案についてエッセイを書き綴る。それが、わたくしなりの「鶏鳴狗盗」である。
『枕草子』で有名な清少納言は、『小倉百人一首』にあるように、
「夜をこめて鳥の空音は謀るとも世に逢坂の関は許さじ」
という和歌を詠んだ。
関守に許されて関を越えるのは、それほどむずかしいことである。わたくしの精一杯の「鳥の空音」を聞き届けて、門を通過させてくれるのは、四十八の関所のうち、いったいいくつあることだろうか。

『無門関』第二則
・・・わたくしは狐の精の物語を書いてみたい。『酉陽雑爼』は中国の書物だが、日本の物語をしても読めるようにしてみた。どんな出来映えになるか、自分でも楽しみだ。
今は昔、一人の高徳の聖がいた。その聖は、多くの死者が捨てられて風葬される化野に庵を結び、日々を過ごしていた。ある日、聖は「初夜」のお勤めをしていた。ふと何かの気配を感じて、庵の窓を押し開いて外の風景を眺めていると・・・。すぐ近くのススキの中から一匹の狐が姿を現した。その狐は、化野に捨てられているたくさんの亡骸の中から一つのしゃれこうべを手で拾い上げ、頭に乗せようとするが、うまくゆかず下に落としてしまった。すると、狐は別の新しいしゃれこうべを手にとっては下に落とし、また、ほかのしゃれこうべを手に取っている。そのうちに、とうとうしゃれこうべを自分の頭の上に乗せることに成功した。すると、その狐は優艶な女性に化けてしまったではないか。聖は「世間の噂は本当だった。『酉陽雑爼』に書いてある通りだ」と思ったが、ひたすら見守っていた。
しばらくして、そこに清らかな服装をしていかにも高い身分の男が馬に乗ってやってくるではないか。狐が化けた女が道にしゃがみこんで動かないのを見て、男が「どうしたのですか」と質問しながら、近くに寄ってきた。女は、話を聞いている男が「かわいそうに、悲しい身の上だなあ」などと思うような作り話を、あれやこれやと言い続け、ひたすら泣きじゃくっている。男は女の話を信じて、とうとう都の自分の屋敷に女を連れて行こうとした。聖は「あの女は、人間ではない。誤って狐と関わりを持ち、身に災いを招いてはなりませぬぞ」と強く忠告した。しかし、男は「女の言う通りだろう」と信じているようすで、女を掻き抱いて都へ戻って行ってしまった。
その後、何年か経って、その男は原因不明の病気にかかって寝つき、常軌を逸した精神状態に陥り、そのまま死んでしまった。代々蓄えてきた莫大な財産も、あっという間に無くなってしまった。屋敷も荒廃し、荒野が原となってしまったとか。


と、以上、わたくしがいささか創作風に書き記したものだが・・・(略)
野狐に引導を渡した百丈和尚とはどういう人物だったか。彼は、労働と自給自足の大切さを唱えたという。春には田を鋤き返し、夏には雑草を抜く。・・・百丈和尚がお年を召してからも労働を止めない・・・、老牛が一畝か二畝かは耕せるように、百丈和尚はどんなに年を取っても、まだ働くだけの力が残っていたのである。
・・・百丈和尚は、「一日働かなかったら、自分はその日は何も食べない」ということを信条としておられた。

わたくしの和歌・・・
「夜と共に落つる木の葉を時雨かと聞きしも文無冬の山里」
夜、ふと目を覚ますと時雨が降っている音が、いや、それは木の葉が屋根に降っている音だった。冬の山中では、それほど二つの音は間違いやすい。同じように、真実と誤謬、現実と妖異も混同しやすい。けれども、百丈和尚ほどの禅僧が、野狐の話を信じたということには、どういう深い意味があるのだろうか。(略)
わたくしたちの夫婦生活や恋愛生活、つまり人間の生活は、誤解のうえに成り立っている。夜だけでなく昼間も、荒い波風が立っているのだ。その真贋を見分ける「化野の聖の目」を手に入れるには、どうしたらよいのだろう。
百丈和尚が信条とした「一日働かなかったとすれば、自分はその日、何も食べない」という当たり前の日々を生きるしかないのだろうか。
・・・ ・・・ ・・・

このようにして飯塚染子の思索は、さらに四十八則まで延々と続く。読み終えて、改めて感じるのは…
飯塚染子の燃えるような探究心、自己確立のための努力、何よりも40年という短い人生を精一杯、前向きに生き抜いたという迫力だ。
夏の暑い日も冬の寒い日もひたすら「無門関」の文章と向き合い「真理」を追求し続けた染子。時代を越えて、その『学問への情熱』『生きる意欲』が伝わって来る。その精神力と向学心は一体どこから湧いてくるのだろう。
当時は写本と言って、紙に墨をつけた筆で一枚一枚書き写して学ぶ時代だ。
空気も凍りそうな厳寒の部屋で、染子はどんな心境で執筆していたのだろうか。


江戸時代とは違い、現代はとても便利な時代だ。部屋を見回せば、スイッチ一つで部屋は明るく照らされ、暖房や冷房も用意され、食べるものも豊富だ。
しかし、心が満足しているかというとそうではない。「幸せ」と実感する時間はどのぐらいあるのか、と問い直したい。

さて、先日…
NHK教育TVの『団塊スタイル』という番組を視聴した。
退職した後、美容師の資格を取得し、訪問美容に精出す女性。
定年退職した後、大学で『森林インストラクター』の資格を取得し、ボランティアの緑化活動に励む「元サラリーマン」などが登場していた。
自分の人生を振り返り…やり残した『何か』を取り戻し、実行しようとする姿が描かれていた。
人間とはいかなる存在なのか? そして、いかに生きるべきか?
それは、時代を超えて永遠のテーマだろうと思う。
言い換えれば…それに真正面から取り組んでいくことが「若さ」とか、「青春」などと、表現できるのではないだろうか?

禅問答は「難しい」と退けるのではなく、染子の文章(「島内景二」氏が格闘して「心訳」してくださった著作)と向き合い、自らの思索を深めていきたいと思う。
そして、残された人生をいかに生き抜いたらよいかを探りたい。

早朝、庭先に置いたプランターには、パンジーが黄色い花を健気に咲かせていた。昨夜からの粉雪が花びらや葉に積もっていた。
こんな風景を見たら、染子はどんな和歌を詠んだのだろうか?


2014,2,8