金星太郎日記

教室は宇宙船 どこへだって行ける けやきのこずえに続く青空… 谷川俊太郎の詩より 

理科通信2012

2012年07月20日 04時52分26秒 | Weblog

今年の梅雨の豪雨は気象庁が「これまで経験したことがないほどの規模」と表現するほど甚大なものだった。


小学校5年の理科で「流れる水のはたらき」という単元を学習する。
水のはたらき・・・、何か人間の役に立つようなイメージの単元名だが、大部分は人間の生活を脅かす「とてつもない自然エネルギーの暴走」を学ぶことになる。
もちろん水力発電など、人間の生活を支える重要な資源となっている部分もあるけれど・・・。
改めて九州地方をはじめ集中豪雨に見舞われ、未だに災害に苦しむ地域の方々に心からお見舞い申し上げ、早期の復興を祈るのみである。

ところで、社会体育の範疇で「徳間ドッジボール愛好会」を立ち上げ・・・、14年目になる。この時期にチームTシャツを製作することになった。
保護者の中からプリント業者を紹介してもらって選定したのだが・・・。そこに思わぬ出会い、再会があった。
業者の方が見本のTシャツと価格表を持ってきた。若くてイケメン風の営業マンだった。

「塚田先生ですか?」
「えっ、誰だっけ?」
「Y小学校で理科を教わったSです。担任はA先生でした。」
「あぁー、あの学年・・・、けっこうわんぱく少年たちがたくさんいたねぇー。」
というわけで、S君と20年ぶりの再会となった。

次の週には当時発行していた「理科通信」を用意して行って、S君に見せた。

「懐かしいですね。先生が理科の授業中にしゃべったギャグは今でも覚えていますよ。でも、こんな新聞も出していたんですね?」

「S君は忘れちゃったかな? ほら、『あるなしクイズ』なんてのが流行ってたじゃないの?」
「そう言えば、理科新聞にクイズが載ってましたね。ぼくの記事は載りましたっけ?」
「ここに君の観察記録が載っているよ・・・。」
1992年11月12日の理科新聞に彼の描いた「シオバラカエルの化石」のスケッチが載っていた。
「うわぁー、すげぇー。こんなのを描いていたんだ・・・。感動したぁー。」


S君はポケットからスマートフォンを取り出して、20年前の自分の記事を懐かしそうに撮影していた。
1年間で57号まで発行した「理科教室」(通信)は当時の児童にとっては、発行者の意図や意味合いがそれほど伝わっていなかったかもしれない。20年経って、大人になった彼らはそれをどう感じるのだろうか? ちょっと興味があったので、S君にしばらくこの小冊子を預けて読み直してもらうことにした。
「嫁にも読ませよう・・・。」
S君は嬉しそうにそれを小脇に抱えて帰って行った。

営業マンらしく礼儀正しい言動にS君の成長と人間味を読み取ることができ、さわやかな好感を持った。
こうして自分が関わった卒業生の一人が着実に社会で活躍している姿を見るのは、実に嬉しいものである。

2012/07/20