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金星太郎日記

教室は宇宙船 どこへだって行ける けやきのこずえに続く青空… 谷川俊太郎の詩より 

長野市ドッジ協会10周年

2012年09月23日 09時59分16秒 | Weblog


長野市ドッジボール協会が設立されて、今年で10年目となる。

節目の年に何か記念になる事業を・・・・ということで、役員会でこれまで議論を重ねてきた。話し合いの結果、「10周年記念ドッジボール大会」「記念誌」「記念式典・祝賀会」そして、この事業を支えるための「資金調達」、この4本柱で取り組むことになった。

それぞれの委員会で準備を進め、さらにチーム関係者やこれまでお世話になった方々にもご支援ご協力をいただき、ようやく9月8日・9日の当日を迎えることができた。
これまで協会のためにご尽力いただいた皆様に心から感謝したい。
本当にありがとうございました。

8日の夜の「記念式典・祝賀会」にはお陰さまで長野市内外、遠くは新潟県、埼玉県からもご参加いただき、総勢92名の皆様により心のこもった温かい会ができたことが何より嬉しかった。

長野県協会の大先輩であるY氏、T氏、S氏がご高齢にもかかわらず、お元気な姿でご列席いただいたことは何よりの喜びである。また、長野市体育協会の要請を受けて毎年、長野マラソンの運営に関わっていただいた6名の方々のご支援も貴重である。

長野市体育協会に所属してその基盤を支える地道な努力があったからこそ、市内の公共施設や体育館をお借りすることができた・・・、そんな意味も込めて感謝状と花束を贈呈し、その意を表した。

宴会では普及部員のHさんにこれまでの「市協会10年のあゆみ」を写真や動画映像も加えてプレゼンテーションしてもらった。
ユーモアも交えての発表は好評であった。懐かしい昔の映像に感慨ひとしおで見入る参加者が多く、あちこちで熱いドッジボール談議が・・・。

10年前は審判服が古いままの物で、主審・副審・線審のジャッジの仕方も以前の方式。選手のあいさつの仕方も今とは違っていて、面白かった。

第1回大会の審判をした方々へのインタビューも・・・。今は現役を引退されていても、ビデオ映像の中では若々しく生き生きとジャッジされている姿が蘇って来た。
10年ひと昔とは言うものの、月日の流れを痛感するひとときだった。

こうして「ドッジボール競技」という社会教育の分野に携わる大人が一堂に会して、チームと少年たちの現状を語り合い、協会の現状を踏まえた上でこれまでの営みを振り返り、成果や課題・今後の方向を探る場として式典・祝賀会を考えたい。

この10年間に協会を育て、盛り上げてくださった方々に感謝しながら、お酒を注いで回った。
10年の月日がこのように人々の温かく固い絆を産み、広がり、継続してきた根底には市協会会長のI氏の人柄と人間力を忘れてはならない。

人は理屈で動くのではない。心が動いて、初めて身体が動くのである。
「人は石垣、人は城・・・。」と戦国武将が言ったとおり、組織は人が作る。
人が育って、初めて長野市ドッジボール協会という組織が生きて動く・・・、こう確信した夜であった。

2012/09/22



理科通信2012

2012年07月20日 04時52分26秒 | Weblog

今年の梅雨の豪雨は気象庁が「これまで経験したことがないほどの規模」と表現するほど甚大なものだった。


小学校5年の理科で「流れる水のはたらき」という単元を学習する。
水のはたらき・・・、何か人間の役に立つようなイメージの単元名だが、大部分は人間の生活を脅かす「とてつもない自然エネルギーの暴走」を学ぶことになる。
もちろん水力発電など、人間の生活を支える重要な資源となっている部分もあるけれど・・・。
改めて九州地方をはじめ集中豪雨に見舞われ、未だに災害に苦しむ地域の方々に心からお見舞い申し上げ、早期の復興を祈るのみである。

ところで、社会体育の範疇で「徳間ドッジボール愛好会」を立ち上げ・・・、14年目になる。この時期にチームTシャツを製作することになった。
保護者の中からプリント業者を紹介してもらって選定したのだが・・・。そこに思わぬ出会い、再会があった。
業者の方が見本のTシャツと価格表を持ってきた。若くてイケメン風の営業マンだった。

「塚田先生ですか?」
「えっ、誰だっけ?」
「Y小学校で理科を教わったSです。担任はA先生でした。」
「あぁー、あの学年・・・、けっこうわんぱく少年たちがたくさんいたねぇー。」
というわけで、S君と20年ぶりの再会となった。

次の週には当時発行していた「理科通信」を用意して行って、S君に見せた。

「懐かしいですね。先生が理科の授業中にしゃべったギャグは今でも覚えていますよ。でも、こんな新聞も出していたんですね?」

「S君は忘れちゃったかな? ほら、『あるなしクイズ』なんてのが流行ってたじゃないの?」
「そう言えば、理科新聞にクイズが載ってましたね。ぼくの記事は載りましたっけ?」
「ここに君の観察記録が載っているよ・・・。」
1992年11月12日の理科新聞に彼の描いた「シオバラカエルの化石」のスケッチが載っていた。
「うわぁー、すげぇー。こんなのを描いていたんだ・・・。感動したぁー。」


S君はポケットからスマートフォンを取り出して、20年前の自分の記事を懐かしそうに撮影していた。
1年間で57号まで発行した「理科教室」(通信)は当時の児童にとっては、発行者の意図や意味合いがそれほど伝わっていなかったかもしれない。20年経って、大人になった彼らはそれをどう感じるのだろうか? ちょっと興味があったので、S君にしばらくこの小冊子を預けて読み直してもらうことにした。
「嫁にも読ませよう・・・。」
S君は嬉しそうにそれを小脇に抱えて帰って行った。

営業マンらしく礼儀正しい言動にS君の成長と人間味を読み取ることができ、さわやかな好感を持った。
こうして自分が関わった卒業生の一人が着実に社会で活躍している姿を見るのは、実に嬉しいものである。

2012/07/20



蔵開きイベント2012

2012年04月30日 21時40分35秒 | Weblog


今年も須坂市にあるE酒造場の蔵開きイベントに参加した。

昨年参加した際に住所氏名を書き残してきたら、今年はダイレクトメールが届き、それを持って行くと試飲のお猪口代金が半額になった。
天気が心配されたが、午前中は雲の合間にお日様が差し、かえって適温の気持ち良い気候となった。

昨年より人出が多く、受付の順番を待つ長い行列に驚いた。友だちが友だちを誘い、その友だちがまた次の友だちを誘って・・・、だんだん人が増えていくのだろうか?
ふとそんなことを考えながら、雨避けテントの中の席を確保した。

今年は蔵の中を是非見たかったので、「酒蔵見学コース」を申し込んだ。
行列ができるかと思ったら、案外お客さんが少ないようで、すぐに順番が回ってきて中に入ることができた。
説明係は法被姿が似合う弁舌さわやかな好感のもてる青年社員であった。

姿勢が良く説明が丁寧。社員教育が徹底されているなぁーと、感心した。

朝早くから酒蔵に入り、真剣に酒造りに取り組んでいる気概が伝わってきたからだ。
「私たちは納豆を食べてはいけないんです。」
「どうしてですか?」
「納豆菌は強いので、麹菌がやられてしまうのです。」

納豆の糸が服にちょっとでも付着していると、その菌が酒蔵に侵入して繁殖するらしい。
職人は普段の生活にも気を使っているのだ。

一通り酒造りの工程を見て回り、最後にしぼりたての原酒を試飲させていただいた。
わずかに炭酸の泡が口に中に広がった。お酒が生きて呼吸する時に吐き出される二酸化炭素だ。こういう新鮮な日本酒を飲んだのは初めてだ。
『うまぁ~い!』
ため息が漏れた。
酒蔵見学ミニ修了証書なる物をいただいて、蔵を出た。

テントに戻ると、次女が退屈そうに待っていた。蔵出し味噌の詰め放題(400円)と酒粕の詰め放題(500円)を買いに行かせて、たる酒を飲むことにした。

最初にクリアますを300円で購入すると、次からは1杯100円で飲めるというものだ。

生酒は口当たりが良く、飲みごたえがあるので何回かおかわりするうちに酔いが回って来た。
ふと気付くと、隣りにおじさんたち3人組が座って談笑している。
「どちらからおいでですか?」
「長野市の吉田です。」
「おや、近いですね・・・。」
という具合に会話が弾み、リーダー格のK氏がスキーのインストラクターをされていることもわかった。何と小生の中学同級生M氏と一緒に活動していたことが判明・・・。驚いた。(早速、M氏に携帯電話したが、運転中ということで会話が途切れた。)
世間は狭いとはこのことだ。

次女が昨夜から仕込んできた煮豚とかぼちゃ煮をおすそ分けした。
「おいしいですね。」
とご機嫌で食べてもらい、褒められた次女は笑顔になった。

帰り際に入り口ゲートで記念写真を撮っていると、「チンドン屋」の一団が通りかかり愛想を振りまいた。
お客様は神様・・・の精神で、サービスしてくれた。

今年もほろ酔い気分で隣りの臥竜公園の花見ができた。
醸造酒に感謝の一日だった。

2012/05/01





常会総会・懇親会2012

2012年02月27日 21時33分00秒 | Weblog


今年も地区の隣組組織である「常会」の定期総会・懇親会が行われた。
我が15常会は80世帯で成り立っているが、年度最後に公民館で定期総会と親睦会を開催している。
今年度を振り返って常会長のK氏は開会のあいさつで語った。

「今年度は東日本大震災が起こり、災害時の隣組組織の重要性が身にしみて感じられる年であった・・・。」
常会長は持ち回りで転入の順番で務めることになっている。
ここ数年は転入者の年齢が若く、40~50代の常会長が続いている。転入してきた者と昔から長く住んでいる者とが、どのように地域で関わっていったらよいのか。難しい課題でもある。

区長からは、消防署の設置・社会体育館の建設・道路や公園の整備などについて、説明があった。
副区長からは区費の納入が100%でありがたいという感謝の言葉があり、環境美化推進会長からは地区のごみの収集におけるトラブルと改善への要請があった。
5年前に常会長をやらせていただいた時の苦労が蘇って来た。区費や様々な会費の集金、ゴミステーション管理の大変さを思い出した。

懇親会ではご近所の皆様との世間話で盛り上がった。
「朝早くお仕事にお出かけのようで、ご苦労様ですね。」
「今年は豪雪でたいへんです・・。」
「先日は自家用車のスモールランプの消し忘れを教えていただき、ありがとうございました。」
「お互い様ですから・・・。」
「ご主人様はゴルフをやっておられるのですか?」
「最近は釣りに夢中でして・・。」

元区長のHさんとの話の中で、年齢の話題になり・・・、

「辰年生まれの還暦です。」と打ち明けると、さっそく長寿クラブの世話係のMさんがやってきて、
「会員を募集しているので、是非入会してください。」
「前期高齢者(?)の仲間入りですか?!」
「神社の奉仕清掃や旅行、懇親会などがあるので、ご参加ください。」
という訳で、熱心な勧誘に負けて加入することになった。
どんな人々が集まっているのか、楽しみでもある。

常会長のKさん宅は我が家の真向かいなので、よく顔を合わせて立ち話もする。長男ご夫婦に誕生した男の子が可愛い盛りで、微笑ましいかぎりである。Kさんは息子さんに次期班長の役を譲り、ご勇退。世代交代がうまくいっていてうらやましい。

最後は某テレビ局の番組で話題になったように・・・、長野県民らしく宴会のシメは「万歳三唱」である。

現代は社会全体で人間関係が希薄になり、それにともなって痛ましい事件も起こっている。地域の住民同士が直接会って話をする機会が減っているのもその原因でもある。
地区の役員を務めたり地区の会議や懇親会に参加したり・・・、こうした機会がとても大切だと感じている。

2012/02/28




楽しいドッジ教室2012

2012年01月13日 06時16分15秒 | Weblog

県協会北信支部からインストラクター派遣依頼があり、長野市立M小学校へ毎月2回ほど通っている。

今回で10回目となったが・・・、子どもたちも慣れてきてドッジボール教室が待ち遠しいようだ。
ドッジ教室は、いつもジャンケンで指の体操をしてストレッチをする。
グー・チョキ・パーをやるだけで盛り上がるのは不思議だ。単純だけど、きっと大人でも無心でやればジャンケンするだけで、すぐに打ち解けて楽しくなるにちがいない・・・、と思った。

暮れにはサンタクロースをご招待。ミラーストレッチの応用で、「一発ギャグ大会」をやってみた。
せんだみつおの昔のギャグ「なは、なは、なは、・・・」をやって、ウケてくれたのはお母さんたちだった。
「そんなの関係ネェー・そんなの関係ネェ―・オッパッピー」
「ドドスコ・スコスコ・ドドスコ・スコスコ・ラブ・注入ぅー」
いろいろ出たが、やはり人気なのは「コマネチ!」だった。小学生にもビートタケシがいまだに影響力絶大なのか?
和やかな雰囲気の中で身体が自然にほぐれてゆく。

3年生以下のちびっこ対象とはいえ、ドッジボール教室は楽しく愉快に、そして自然に無理なく身体を動かす・・・。これがポイントだ。
鬼ごっこもけっこう走りまわって体力が消耗する。
「最初の鬼は、先生だよ!」と言って、走り出したのはいいが、なかなか捕まえることができない時がある。息が切れてくる。

先月、上田市で行われた日本協会主催のドッジボール教室で学んだ「ボール運びリレー」や「しっぽ取りゲーム」も試してみた。
ゲームをしながら筋力や俊敏性を養う。

低学年の子どもたちはドッジの基本動作の「逃げる・かわす」が大好きだ。
Iちゃんは必ず「にげるゲームをやりたい!」と言ってはしゃぐ。
「捕ってはいけない」ルールで、ワンバウンドも「アウト!」
ひたすら逃げ回るしかない。でも、身をかわす技能も大事・・・。

手のひらを使わないグ―キャッチや床にたたきつける投球も指導した。うまくとれない子には下から投げてあげてお腹で捕るように指導。片手で投げられない子には両手で投げても良いと助言。

最後に、正式なコートで試合をする。お母さん方にデジタイマーの操作をお任せし、高学年の選手には線審のお手伝いをお願いした。
人数が足りない時は4年生の子も加わって試合をするが、その場合は左投げ(利き腕でない方の手で投球)にする。
「アタックできてうれしかった。」
「逃げ回って最後まで生き残れて楽しかった。」
「もっと試合をやりたい・・。」
子どもたちは本当に素直な感想を言ってくれる。

ところで、子どもの実態に合わせてルールや指導法を工夫して柔軟に対応するのがインストラクターの仕事である。
それとは対照的に、公式試合の審判員の仕事はあくまでルールに則って冷静に毅然とジャッジするのが仕事・・・。
この両者を上手に使い分けて、きめ細かに実践していくことが「ドッジボールの普及」のためには重要だと感じている。

Mドッジクラブの指導者にも「普及の重要性」を訴えて、森浩美氏(日本協会元理事長)の講演集「FEEL THINK ACTION」の冊子を買っていただいた。

「・・・こういう世の中だからこそ、ドッジは最適なのではないかと思ったんです。ドッジの語源は逃げる・かわすという意味です。本来それは卑怯だとかマイナスのイメージがありますが、ドッジはかわすゲームだよっていう名前が堂々と付いているわけです。立ち向かえというのがスポーツですよね。でも、ドッジはうまく逃げたって褒められる。こんなスポーツはなかなかありません。うまく逃げ通せればヒーローになれる。つまりマイナスイメージさえ、プラスに転換できる。・・・逃げてもいいんだ、そう思えばスポーツや遊びから遠ざかっていた子どもも、ドッジなら入って来られる。そういう意味では間口が広い。結果、仲間も友人も増えます。だから、ドッジに込めた思いをより多くの子どもたちに伝えることが可能です。・・・」(同書17ページより)

2012/01/12



SH小学校ドッジ講習会2011

2011年10月19日 21時20分52秒 | Weblog

山々は景色が一変し、紅葉真っ盛りの季節となった。
スポーツをするには絶好の気候である。

SH小学校の先生からインストラクターの派遣要請があり、T氏と二人で出かけた。

この小学校の校歌は「信濃の国」(県歌)である。体育館にはこの校歌が誇らしく掲額されていた。
長野県民なら誰でも歌えるこの歌曲は、他県の人から見れば「不思議」、「驚き」だろうが・・・、ここで1番のみ紹介しておく。

信濃の国は十州(じっしゅう)に
 境連(さかいつら)ぬる国にして
 聳(そび)ゆる山はいや高く
 流(なが)るる川はいや遠し
 松本 伊那(いな) 佐久(さく) 善光寺
 四つの平(たいら)は肥沃(ひよく)の地
 海こそなけれもの沢(さわ)に
 万足(よろずた)らわぬ事(こと)ぞなき

6番まであり、しかも4番のメロディーだけが他と違うのも珍しい。
県内の名所旧跡、山川、産業、歴史文化、偉人などが織り込まれている。これを歌うと長野県がどんな県であるかが理解できる。
県民は小学校で必ずこの歌を習うので、誰でもみんなが歌えるというわけだ。

さて、体育館に集まったのは5年生20人と担任の先生、保護者10人ほど。子どもたちはすでに自主的に準備体操をしていた。

始めの会では自己紹介の後、質問タイムを設けた。
あらかじめ授業で話し合っていたらしく、「ドッジボールの先生に聞いてみたいこと」という表題で、質問項目が模造紙に書かれていた。
元気のいい男の子が手を挙げて質問してくれた。

「強いチームになるためにはどうしたらいいですか?」
「強い球を投げるには?」
「パス回しはどうしたらいいか?」
「膝の下に来たボールの捕り方は?」
男女2チームが来週に迫った「NAGANOスポーツフェスティバル」に出場するために練習しているとのこと。今日のドッジボール講習会に臨む姿勢はみんな真剣である。

講習では、いつものように「ドッジ」の語源クイズ、じゃんけん大会(指の運動)から入った。歓声や笑いが起こる中で子どもたちも保護者の方々も、これから始まるドッジボール講習に期待感を高めていった。

外野の動きをボードで説明する中で、ルールに込められた基本理念(自主性・自己責任・向上心)を説いた。
後ろで聞いていた保護者の皆様も近寄って来て真剣に耳を傾けてくださる姿がうれしかった。

攻撃と守備に分かれて基本動作とフォーメーションを教えた。子どもたちは「強いチームになりたい」という思いで、一生懸命に走り回っていた。
動きはまだぎこちないが、少しずつ慣れてきた。
教えた通り素直にパスを回し、アタックを試みる子どもたち。めきめきと上達し、オーバーラインも少なくなってきた。
守備グループもターンの練習を繰り返す中で身のこなしが早くなり、「1・2・3」「ナイスキャッチ!」の声や拍手もだんだん大きくなってきた。
最後に試合をやってみたが、攻撃にリズムが出てパス回しが上手になっていることに驚く。
内野の一列フォーメーションもだいぶ揃うようになってきた。

「もっとやりたい!」という声を遮って、終わりの会を行った。
感想発表では、何人も進んで手を挙げて発表してくれる姿が印象的だった。
「外野の動き方が分かって嬉しかった。」
「ボールを怖がらないで捕れて楽しかった。」
「内野の守り方が練習できたから、これからもやってみたい。」
「いろいろと教えてもらって、良くわかった。」

始めの会の時の顔とは全然違って、みんな和やかな顔になっていることに驚く。
満足感と充実感が漂っていた。
会が終了したので、担任の先生に森浩美氏(日本協会元理事長)の講演集「FEEL THINK ACTION」の冊子を紹介した。
「この本の内容でドッジボールの良さを保護者の皆さんに説明してください。私たちがドッジボールを普及する理由が書いてあります。」
T先生にはこうして講演集冊子を買っていただき、感謝している。(協会にとっても貴重な活動資金になることはもちろんである。)

「私たちが普及しようとするのは、ドッジボールそのものではなく、ルールに込められた理念である。」(日本協会の方針)

帰り際に荷物を持ってくれたり、体育館の玄関まで出て来て「ありがとうございました。」と、ていねいに見送ってくれたり・・・、純粋な子どもたちの姿に感動した。

毎年のイベントである「NAGANOスポーツフェスティバル」(フレンドリーの部)に、この学級が一つに団結して楽しく参加できるといいな、と願ってSH小学校を後にした。

2011/10/20



K地区ドッジボール大会2011

2011年10月05日 21時26分59秒 | Weblog


つい先月まで残暑が厳しく、思わず「暑い、暑い。」を連発していたのに、ここ最近は澄み切った青空が気持ちいい気候になった。北の地方では平年より20日も早い初雪、山は初冠雪。季節の移り変わりを実感するこの頃である。

市内のK小学校体育館では「第39回少年少女球技大会(ドッジボール)」が開催された。審判員として参加したので、雑感を述べたい。

まず、39回と言う歴史に驚く。開会式では校区3小学校長や住民自治協議会、市議会議員の代表が参列し、祝辞などを述べてくださった。
「地域の子どもを地域で育てる」という当たり前の・・・しかし、なかなか難しい理念がこうした場に自然とにじみ出ている感の開会式であった。

子どもたちは育成会ごとに9チームが高学年と低学年に分かれて、それぞれのリーグでドッジボールを楽しんだ。
育成会の名前が入ったユニフォームを身につけて体育館を走り回る子どもたちの姿は可愛らしくもあり、何かしら誇らしかった。

試合が始まると、オーバーラインやアウトプレイの反則がほとんどなく、ゲームがスムーズに進行したことに驚いた。

低学年の子どもたちも試合前と後で整然と並んであいさつしている姿に感心した。
プレーを見ていると練習の成果が良く現れていた。声を掛け合ってパスを回したり、一列に並んでキャッチしたりして、高学年顔負けのフォーメーションを見せるチームも少なくなかった。

高学年チームの動きを見ると、各地区でかなり練習を積み重ねてきていることも分かった。それは監督さん始め世話をしてくださるお母さん方が、とても熱心に子どもたちに接しておられるからに他ならない。
事前の審判講習会を受講した役員さんや中学生たちが線審を勤めてくれていたが、動きがきちんとしていて、ミスが少なかったことも印象的だった。

こうして大会当日だけでなく、「ドッジボール」は子どもと大人がふれあう貴重な場になっている、・・・これが何より大切なことだし、うれしい。

二つの体育館を音響装置のコードが結び、本部や各コートのオフィシャルからの連絡が全体に行き渡るように配線してくれた人がいた。この日のために機械類を個人的に貸してくださっていることを知り、驚いた。地域の人々に支えられて大会が運営されていることに感謝したい。

協会主催のドッジボール大会がクラブチーム主体になっている近年、しかもそのクラブチームが激減している現実に直面し、「いつでも どこでも 誰とでも そしていつまでも」のキャッチフレーズを今こそ具体的に取り組んでいかなければならないと痛感している。
 
2011/10/6




電車の旅2011夏

2011年08月10日 20時52分03秒 | Weblog

今年の夏もY君と各駅停車の旅に出かけた。

昨年より一回りたくましくなったY君は約束通りに7時55分に長野駅改札口に現れた。
おやつと飲み物を買って8時12分発の直江津行に乗り込んだ。

各駅停車の電車にしては座席がゆったりしていてキレイだ。さっそくY君の一言、
「この電車は昔の特急あさまの車両です。」
なるほど、そう言われてみれば見覚えのある車内風景だ。
座席は比較的空いていて楽に座れた。高校が夏休みのためか通学の生徒がほとんどいない。
平日のせいか親子連れの客も少ない。
Y君は大好きな「あさま号」の車体の色や通過する駅名の話を立て続けに楽しそうにしゃべる。聞いていて、こちらまで楽しい気分になってくる。
実際には行ったことがないのに「釧網線」や「宗谷本線」など、北海道の鉄道の話にはただただ感心するしかない。

人間、趣味(プラスのこだわり)を持つことは人生を豊かにしてくれるものだ。
古間、黒姫を過ぎて、新潟県へ入る。
民家の造りが少しずつ変化していくのが面白い。床が高くなっていたり、玄関に階段が付いていたり・・、豪雪地帯の様相を感じさせる。

直江津で北陸本線に乗り換える。鉄道会社はJR西日本に変わる。
トンネルを抜けると真っ青な日本海が視界に飛び込んでくる。子どもの頃、子ども会の海水浴で初めて谷浜で海水浴をした時の感激が蘇って来る。

山国の信州人にとって海へのあこがれは格別なものがある。
車両は海の色と同じ青。3両編成のこじんまりした電車だ。女性の車掌さんが丁寧にお辞儀して入ってきた。愛想の良い親切そうな人だ。社内教育が徹底されているのかもしれないとも思った。
有間川、名立、能生・・・、以前に6年生と一緒に臨海学校へやってきた当時を思い出した。今もきれいな海は変わっていなかった。

浦本、梶屋敷を過ぎる頃、車内の電灯が突然消えた。車内放送を聞くと、節電のためらしい。
糸魚川駅に着いたのが11時30分。次の電車が13時12分なので、海岸を歩くことにした。「ヒスイ海岸」と呼ばれて、観光名所にもなっている。
フォッサマグナをテーマにした公園や資料館、ヒスイの産地の渓谷など、この辺り一帯をジオパークと呼ぶ。(2時間・5000円で観光名所をタクシーで回るコースがあったが、お金がないのでやめた。)
時間があったら全部見て回りたいと思わせるほど・・・、太古のロマンを感じさせる。

きれいな砂浜を歩いたが、Y君はサンダルに灼熱の砂が入って、「熱い・・・熱い!!」を連発。海岸は涼しいはずなのだが、さすがに突き刺さるような猛暑には閉口した。
ヒスイを探そうと思ったが、そんな余裕はなかった。涼しい所を見つけようと、漁師料理の店に飛び込んだ。
新鮮な刺身定食を味わった。魚のぶつ切りを煮込んだみそ汁もおいしかった。


駅まで20分歩いて大糸線に乗り換える。
糸魚川から南小谷までは1両編成の小さな電車だ。・・・と言っても電気ではなくディーゼル機関車だが・・。
南小谷で待ち時間が1時間ほどあったので、駅周辺を散策。
コンビニエンスと表記されたお土産屋さんのご主人と立ち話をしたり写真を撮ってもらったりするうちに、打ち解けて・・・、地酒を買うことになった。「限定」の文字に誘われて、古代米で仕込んだ「白馬紫雲」という日本酒を購入した。うっすらと赤みがかった不思議な色をしている。

姫川の流れを見たり、村役場を見学したりして時間を費やす。
ハイブリッド車「リゾートビューふるさと」が夏季限定で運行していた。しかし、それには乗らずに各駅停車の電車に乗ることになった。Y君はそれを見たり写真を撮ったりするだけで満足するようだ。
南小谷を出て安曇野へ。電車はまるでバス停のように小さな無人駅をひとつひとつ確かめるように停車していく。

「この辺の田んぼは稲の育ちが早いね。」
すでに黄金色のお米を付けて垂れ下がっていた。
「この地域のお家の屋根はどれもトタン屋根だね。」などと、Y君と話しながら車窓の景色を楽しむ。
松本駅では10分の乗り継ぎ時間ですぐに電車が来た。たくさんのお客さんが乗り込んできたのには驚いた。すでに5時を過ぎ、サラリーマンの夕方の退勤時間帯になっていたのだ。
車内を見ると、ちょっと美人系の女性車掌さんが検札に回ってきたので・・・、姨捨駅のスイッチバックの仕組みを尋ねてみた。

無人駅なのに線路を誰が操作して列車を運行させているのか? 
素朴な疑問である。
「運転手さんが下りて行って、線路を動かしているのですか?」
「いいえ、運転手は信号の赤・青を見て運転しているだけです。列車が通過すると自動制御で線路が動くのです。」
なるほど、よく考えてみれば日本の鉄道の自動制御装置は世界一でしたね・・・。

そうこうするうちに各駅停車の旅は終点長野駅に滑り込んだ。6時51分だった。
1日で10時間の列車に揺られて景色を見て・・・、こうも楽しい気分になるのはなぜだろうか?
鉄道がつなげているのは駅と駅だけではない。人と人・・、そして人の夢やあこがれといった直接目に見えない世界までもつなげてくれるからではないか?
Y君の話を聞いていると、ふとそんな気がしてきた。


ところで、高校2年のY君は生徒会の役員として文化祭の準備をしているという。「お笑いステージ」の企画についても生徒会長さんと二人で練習中だとか・・。当日発表する予定のネタ「だいじょうぶですか?! じいさん」を聞いて驚いた。どんな芸だろう?

実際に見てみたいものだ。

2011/8/10



インストラクター認定会2011

2011年07月29日 11時24分09秒 | Weblog

今年もJDBA日本ドッジボール協会公認のインストラクター認定会が開催された。

急遽会場が変更されA小学校の体育館で行われることになり、当該チーム関係者の皆様には大変ご苦労をいただいたが、お陰さまで無事に全日程を終了することができた。
朝から気温が上昇し、猛暑の中で参加して下さった5名の皆さんにも感謝したい。その熱心な受講姿勢に「ドッジに駆ける思い」を感じることができた。

さて、認定会で私が伝えたかったことは、審判員とインストラクターの考え方と行動の仕方の違いだ。
審判講習の場合は中央で決まったルールとその解釈・審判技術の向上・・・どちらかと言うと「上から伝達する」面が大きい。しかし、インストラクター講習の場合はドッジの楽しさや安全で正しい練習方法をどう普及するか、また、子どもたちとどう付き合い、指導者や保護者をどのように組織するか・・・現場の実情に合わせて考え育てていくという面が大きい。

ところで、日本体育協会の「公認スポーツ指導者養成テキスト」に次のような一文がある。私たちが目指すドッジボールのインストラクターにも通じるものがあると思ったので紹介する。

スポーツにはスポーツマンシップに象徴されるように社会生活を営む上での総合的な能力を養うための要素が数多く含まれている。ルールやマナーを大切にする、個性を尊重する、予想できない事態に的確かつ迅速に対応する、こうしたスポーツを通じて培われる能力は実生活で求められる能力の大半をカバーするものである。・・・スポーツ指導者は単にスポーツの技術指導能力が高いだけでなく、スポーツ自体が備える魅力、価値および文化としての役割を多くの人々に伝えていくメッセンジャーでもある。


・・・一人ひとりが主体的・継続的にスポーツの楽しさや喜びを味わうためには、スポーツ観やスポーツ規範についても充分身につけて実践していくことが重要だが、これらはプレイヤー自らが自覚し実践するものであり、他者からの強制や罰則などによって規制されるものではない。・・・スポーツ指導者は「スポーツの楽しさ」を自ら表現できるモデルとなり、言動で見本を示す必要がある。・・・単に技術・戦術の指導に優れているだけではプレイヤーに信頼される指導者にはなれない。指導者の人格がプレイヤーに尊敬されてこそ信頼を得られるのである。

昨年度まで日本協会理事長を務められた森浩美氏の講演・著書でも、このことは強調されている。
私たちがドッジボールを通じて伝えることはドッジボールそのものではない。ルールに込められた3つの理念(自主性・自己責任・向上心)を普及すること、「いつでもどこでも誰とでも、そしていつまでも」楽しめるドッジボールの良さを広く伝えていくのがインストラクターの仕事である。

午後の実技講習では、インストラクター自身が「楽しさを表現するモデル」となって子どもたちと一緒に活動した。
40名弱の子どもたちを4グループに編成し、チーム名を決めたりキャプテンを選んだり、目標も話し合った。楽しい中にも規律を教えて整然とした行動を促すのもインストラクターの重要な仕事だ。


準備体操、ゲームやリレーの後、正しい投球や捕球を練習した。
「インストラクターのおじさんを当ててごらん!おじさんは上手にキャッチするよ。」
と提案すると、子どもたちは喜々としてアタックし始めた。
午前中の座学で学んだDVD「レッツ・ドッジ!!」(日本ドッジボール協会監修)にあった「転がしキャッチ」と「グ―キャッチ」も練習した。

汗だくで子どもたちとプレーする受講生の皆さんの姿は実に楽しそうだった。
交流試合は体育館にあるバレーボールコート2面を使って簡略化して行った。「いつでもどこでも・・・」の精神である。
審判は教育的に・・・、ルールで罰するのではなくルールに込められた理念と願いを教えるように心がけた。

近年、競技性が増して技術・戦術面ではかなり向上しているが、さまざまな要因でチーム数が激減してきたドッジボール界。その困難さを嘆くのは簡単だが、それをどう乗り越えていくのか、今実践的課題がここにあると痛感している。

地域や学校に声を掛け、裾野を広げること、子どもたちと一緒に汗を流すこと以外に特効薬はない。
インストラクターの皆さんの地道な活動に期待したいと思う。

2011/07/29





ドッジボール教室M2011

2011年06月28日 05時57分06秒 | Weblog

長野市内では5月から6月にかけて地域の子供会(育成会)のドッジボールが盛んである。

小生が勤務するY小学校だけでなく、お隣のMiw小学校、Yo小学校、K小学校、S小学校、Mid小学校など、この時期にドッジボール大会や講習会が開催されている。
注目していることは学校教育ではなく地域の大人が協力し合って作り上げているということ・・・。
そして、正式なルールや考え方を基にしてドッジボール協会へ審判員やインストラクターの派遣を要請していただいていることである。

さて、Mid小学校のドッジボール教室が行われた。体育館を訪れてみると、すでにPTAの役員さん方が準備されていた。地区の子どもたちが集まって和やかにキャッチボールをしていた。低学年の初心者の子も混じって遊ぶ姿を見ると、改めてドッジボールの裾野の広さを感じた。

床に目を落とすと、なんと白のペンキでJDBAルールによる正規のドッジボールコートが描かれているではないか・・・。昨夜、協会役員I氏が支援して作られた真新しいコートだそうだ。日頃から学校側の理解と協力があってこそなせる事業である。

実は、Mid小学校では昨年、地域に伝わる百姓一揆の物語を取り上げ、子どもたちの演劇が行われたが、この演劇活動を長年に亘って支えているのがこのI氏であった。改めて人と人の関わりの大切さを痛感した。
こんな事情があってか、校長先生も加わっていただき準備体操を和やかに行うことができた。

ゲームの「ヘビ鬼ごっこ」は初めて取り上げたが、ルールがまだよくわからない子どももいて説明不足を感じた。それでも高学年の子どもは反応も良く、楽しそうに取り組んでくれた。
投げ方と捕り方の講習では、Kドッジボールクラブの選手が模範プレーをしてくれた。保護者の皆様方にも協力してもらってキャッチボールをすることができた。初心者の子どもたちも徐々にボールに慣れ、一生懸命に「お腹で取る」格好が実に微笑ましい。

最後に高学年組と低学年組に分かれて、ルールを教えながら試合を行った。
低学年児童の中には逃げ回るのに精一杯という子もいたが、それでも友だち同士が声を掛け合ってプレーする姿が楽しそうだった。

今回はPTA主催ということで、大人は役員さんたちにご苦労いただいた面が大きかったが、こうした組織を通じてドッジボールの良さやルールに込められた理念(自主性・自己責任・向上心)が普及されることを願っている。

2011/6/26