里海邸|大洗海岸。東京都心より90分、大海原が広がる静かな別邸へ

「素朴を上質に」海の別邸は、隠遁時間。~波と光色。湯と縁側。陶と食。磯と木の食卓。|里海邸 金波楼本邸 公式ブログ

大河ドラマ「青天を衝け」が放映終了して ~渋沢栄一と同時代を生きた金波楼創業者 石井藤助について

2021年12月31日 | 里海邸の日記
 
鎖国から開国。世界への恐れと向き合いはじめた近代日本の中で社会基盤をつくり続ける渋沢栄一が、実に国内外の多様な人々と分け隔てなく交流する場面が心に沁みました。渋沢栄一役の吉沢亮さんや徳川慶喜役の草彅剛さんの迫真の演技も素晴らしく、この大河ドラマのメッセージが伝わるよいドラマでした。
 
さて当宿も近代化の機運の中、明治21年に「金波楼」の屋号で開業した宿でございます。当宿創業者の石井藤助(写真の像)は渋沢栄一と同い年。天保11年に磯浜(現在の大洗)に生まれた地方事業家です。藤助も20歳に桜田門外の変、24歳に天狗党の乱、28歳に戊辰戦争~明治時代に改元と、動乱の時代に青年期を過ごしました。
 
藤助が38歳の頃、渋沢栄一は東京商法会議所を設立・初代会頭に就任し、この頃から日本を代表する会社の設立を次々と起こしています。藤助は那珂湊と水戸を結ぶ川の蒸気船「那珂川丸」を初運航します。
 
藤助が48歳の頃、渋沢栄一は有限責任帝国ホテル会社を設立し、2年後に帝国ホテルを開業。その頃に藤助は大洗海岸に都会人の保養を目的とする潮湯治の旅館「金波楼」を開業します。現在の里海邸は金波楼の最初の擬洋風建築を参考に全面リニューアルしましたので、ご滞在中に感じる空気は文明開化期の保養思想でもあるのかもしれません。
 
金波楼の開業時期に製作された観光宣伝ポスターを見ると「雅気芳風」という言葉でその保養的環境を謳い、ご婦人、お子様、お身体にご事情のある方のために海水を沸かした温湯をご提供しますと紹介されています。金波楼の古い写真には帳場に「共存共栄」の書額が掲げられておりました。この田舎宿の書額にすら渋沢栄一の思想の影響があったのかもしれません。
 
年の締めくくりに今後の宿の在り方や社会との接し方について考えを深めるよい機会になりました。皆様よいお年をお迎えください。