めざせ キリマンジャロ プロジェクト Kilimanjaro Project for children!

私がアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ登山をすることによって寄付を集め、子ども達を演奏会に招待する プロジェクト

挑戦が新しいステージのドアを開ける

2018-12-13 | 日記
今日は12月13日

3ヵ月前の今日、羽田を出発してアフリカ大陸タンザニアに向かった。キリマンジャロ山を登る為に。
既にこの時間は飛行機の中にいた。


若い時からの夢を実現するため、24時間ちかく掛けてキリマンジャロ空港に降り立った時からこのストーリーは始まった。
今思えば、3ヵ月前の今頃は、未知の世界へ足を踏み入れるので緊張の連続だった。

初めてのアフリカの大地。(ヨーロッパの初めての国を訪れるのとは、またちょっと違った緊張感)
英語が通じるのだろうか、食べ物はどうだろうか、病気は大丈夫だろうか、
そして何より、6000m近いキリマンジャロに登れるのだろうかとの緊張感。

登って下りてしまった今となっては、死ぬほど苦し~いアタックも、すべてが楽しかった良い思い出となってしまっている。

思い切って行ったキリマンジャロ登頂への挑戦により、新しいことが次々と開けてきている。


先ずは、子ども達をコンサートへ招待するプロジェクト「めざせキリマンジャロプロジェクト」。
お蔭さまで、沢山の方がサポーターになって下さり、コンサートが出来る見通しとなった。

来年4月27日に開催決定!

お誘いする子ども達も、難病で入院中の子ども達、視覚障害、身体障害、知的障害を持った子ども達、施設にいる子ども達と、
嬉しいことに、繋いでくださる方が大勢いてめどもついてきた。

サポーターの多くの仲間が「手伝うわよ」と言ってくださる。

きっと温かい楽しい子どものためのチャリティーコンサートが出来ることだろう。


次に「キリマンジャロ登頂報告」が聞きたい言われ、セミナーを開催することになった。
恐る恐る日程を決めて、告知した途端、半分は埋まってしまい、「自分たちは火曜日が良いから、火曜日に追加で報告会をしよう」と
決めてくれる友人たちも出た。

セミナーなんて私の新しいステージへまた挑戦。


先日、86歳でアコンカグアに登ると記者発表された三浦雄一郎氏。
その次男の三浦豪太氏をお呼びしてのNPOで講演会を開催。



雄一郎氏のエベレスト登頂での面白いお話や、今回のアコンカグアになったお話などをたっぷり伺えた。



世界の山を登る豪太氏と親しくなれたのは貴重な経験だし、雄一郎氏の志に大いに学ぶことができた。


その他にもキリマンジャロへ挑戦したことによって繋がった嬉しい人々、出来事。

生かされていることに感謝。






キリマンジャロ登頂 報告記5

2018-10-14 | 日記
2018年9月21日 ムウェカキャンプ 3100m



今日はもうなにもするすることがない。ただ、ムウェカゲートまで下りるだけ。

あちこちのテントから「ハクナマタタ」の歌声が聞こえる。どこも陽気だ。

私たちのポーターたちはシャイなのか、歌も歌わず静かだなと思っていた。


後で知ったことだが、あの歌声は登頂成功チップを渡す儀式の歌声なんだそうだ。

なるほどね。どうりで私たちのテントは静かなはずだわ。 
私たちは既に代金にチップが含まれているので、ここであげる必要がないからだ。

それでもみんな親しみ深い。なんだかお別れするのが惜しいくらい。

誰もが「ママ、ジャンボ?!」と声をかけてくれる。

最後のキャンプ地で全員集合写真。




3時間かけてムウェカゲートに着く。この道のりはもう標高が低いので、日本での山を歩いているような木々の中。



ゲートに着いてまた登録。並んでいると「靴を洗うよ」と声をかけられた。
すでに着いたリサたちは洗ってもらったとか。
私もバケツの水で埃だらけの靴を洗ってもらった。値段は無い。思ったチップをあげるのみ。
私はスパッツも洗ってくれたので、$2を渡した。

これ良い商売かも! 毎日200名くらいの登山者が下りてくるのだし、みんな綺麗にしたいし。
少なくとも1日$100稼げたら、1か月暮らせる?

テントで聞いた話。

ポーターは街では1日$5で暮らせると。
このポーターの仕事は、私の頼んだ会社では1日$18の報酬だそうだ。
他の会社はもっと安くて、最低のところでは$7のところもあるとか。

私の頼んだ会社はFair Travelと言って、スウェーデンが本社の会社だが、発展途上国の人々にフェアな賃金を払うことを目的とした会社なので彼らの報酬は他よりずっと高めだ。

だから、ツアーの内容も(ポーターの人数、毎日の食事やお客の扱いなど)良かった

1日$18で7日間。 1回の仕事で約1か月暮らせるじゃない! (それだけ大変だけどね)

そう思うと、さっきの靴洗いの仕事は「メチャ楽!」なお仕事! 笑


ゲートには沢山の迎えの車が待っていた。
みんな、さっさか乗り込む。





私はガイドにプレゼントしたい物が荷物に入っていたので、せっかく積み込まれた荷物だが引っ張り出してもらった。

主ガイドのバラッカには、山で携帯を5回分充電できる充電器を。(後で考えて、蓄電する時の電圧は大丈夫だったのだろうか)
私の手を繋いで頂上に登ってくれたレオンには、買ったばかりの毛糸の帽子を。
ずっと荷物を持ってくれたオマリーには、やはり新品のウォーターボトルを。(彼のボトルは歩いていてぽたぽたと水がこぼれていたので)

本当に気持ちだけだけど。(一番喜ばれるのは現金だろうけど、あいにく私は現金を持っていなかったので)

こうして、バスはアルーシャの町に向かい解散する。
私たちはホテルに着いて、7日間ぶりにシャワーを浴びて、プールサイドでビールを飲んで、達成感に浸り、幸せな気分を味わうこととなる。

本当に登頂できて良かった! ありがとうございました!

ここまでお読み頂きありがとうございました。

もし、趣旨にご賛同頂けましたら、ぜひ、「めざせキリマンジャロプロジェクト」のサポーターとしてご登録下さい。
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キリマンジャロ登頂 報告記4

2018-10-12 | 日記


8時間もかけて登ったキリマンジャロの頂上にいたのは、たかが10分か15分。(8時間もかけたのに~)
写真を撮って、周りを見て、「はい、下りるぞ」

キリマンジャロは富士山と同じ成層火山なので、その頂上への道のりは砂というか、砂利というか、ズルズルと滑る土で、ズルっとする度に砂埃が舞い上がる。

私の嫌いなタイプの土だ。

そう思っていたら、バラッカとレオンの二人のガイドに脇から腕を抱えられた。

「ハイ~?」「行くぞ!」「えっ?」

つまり、私はガイド二人に羽交い絞めされて、否応なく凄いスピードで砂利道をスキーを滑るように下ろされた。

彼らは慣れたもの。ズズズズ、ズズズズっと滑り下りていく。

間に入った私は、足が宙に浮いているならまだしも、足は一応土についているので、漫画の様に、足をバタバタ回転させて必死について行く。

途中、岩もあるし、自分でコントロールできないし・・・、

「待って、休憩!」と言ってみても、二人はそうそう休んでくれない。「水~!」と叫んで、やっと止まってもらった。



前にボスから聞いていた。

「足が遅いと、下りはガイドに綱をつけて引っ張られるぞ。もっと遅いとガイドが両脇抱えて下りてくる」と。

その時は、「私はそれの方が楽でいいかな」なんて思っていたのだが。

そうだよね、私は足が遅いのだ!と再確認してしまった(今さらだが)

でも、そんなことより、必死だわ。足が彼らのスピードについて行かないのだから。

8時間かかった道をあっという間に下りて、キャンプが見えてきた。

「あ、キャンプが見えたから、ここからは私一人で下りれるから、もう大丈夫」と主張したものの、「いいから、いいから」と彼らは譲らない。

「よくないってば!」

とうとう、キャンプ地まで一緒に下ろされた。かかった時間は2時間半! なんと!


ベースキャンプ(バラフキャンプ4845m)に着くなり、テントになだれ込んだ。そして死んだように寝た! リサは先に寝ていた。

「お昼ご飯だよ」との声で目を覚ますと12時近かった。

温かいスープに癒される。



みんなで良かったね~と何だか会話も軽い。

さあ、これから下のキャンプ地、ムウェカキャンプ地(3080m)まで下りる。
「ここでもいいのに~」
もう、登ったあとは、高いところに長居はさせないと、さっさと下ろされる。


4~5時間かかってムウェカキャンプに到着。「まだか~」と思いながらの下り。長い!
登録小屋(毎回キャンプ地に着くと、登録させられる)の前に並んでいると、皆から「成功した?」と声を掛けられる。
みんな、やはり輝いている。


「ええ、あなたは?」私より年配のおばさまに聞き返す。「私はダメだったの。でも彼女は登頂したわ」と笑って隣のご婦人を指した。
お互いに「Congratulation!」の声が飛び交う。

年齢には関係なく、21歳でもダメな人はダメだったらしく、あとでバラッカが「21歳なのに!」と嘆いていた。

もう、このキャンプではみんな気持ちが明るいし、はじけている。




続く

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キリマンジャロ登頂 報告記3

2018-10-05 | 日記
9月17日
朝起きると、テントが霜で凍っていた。



さあ、今日も良い天気。今日はラバタワーと呼ばれる溶岩の頂を超えるので、しかも4600mまで登り、下りるので長時間になる。覚悟して出発。

このあたりになると、低木も無くなってくる。キリマンジャロの頂が見えてはいるものの、まだ遠い。さすがに歩みは1歩1歩の進みで更に遅くなる。
呼吸を意識して歩いている。
上ったり下りたり、その繰り返しが延々と続く。




ラバタワーは、少し雹も(雨でなく凍っていた)降ってきて、さすがに寒い。
ダウンを出して着た。毛糸の帽子もかぶる。

バラッカは早く皆を下ろすため、休憩もそこそこだ。
他の誰かがテントを張っていた。よくこんなところにテントを張るなぁと。


この時の私の顔は疲れている。今日は7時間の行程だから。

ラバタワーからの下り道は、ちょろちょろ川もあり、雪もあり、なかなか変化に富んでいる。


私は個人ポーターを頼んだので、行動中のすべての荷物を持って貰っている。担当はオマリー。本当に良い人だ。
「ママ、マジ」(マジとは水)といつも声をかけてくれる。この高さでは水を飲むことが、高山病の予防にもなる。


岩はゴロゴロしているけど、まだ、この辺なんか楽なほうだ。



バランコキャンプに到着。 3900m。
「せっかく4600mまで登ったのに~、もったいない!」



リサが食後、ゲームをしようと言ってきた。
全員(バラッカを入れて6人)でアフリカの国を挙げていく。言えなくなった人が抜けて、最後まで誰が残るかだ。

さすがに、リサはアフリカ54か国を知っていた。
「どうしてそんなに知っているの?」「地図見ているからね」

次はアメリカ合衆国の州。これは誰もが最後まで言えない州があった。翌朝、インディアナ州が抜けていたわよと。

まだ、みんな余裕あり。


9月18日
朝、空が青いなぁ。

ここだよ、ここ。岩場を右へトラバースする場所は!
ちょっとスリリングな場所。
本当にポーターには、ポーター様様です。よくこんなところを荷物担いで通るわ。



おお、キリマンジャロの頂が近くなってきた。でも雪があるねぇ、大丈夫なの?
私の顔はもう、浮腫んでいる。4000m超すからね。今までに登ったことの無い未知の高さの体験。



でも、ラバタワーで4600mを経験しているのが、みんなの強み。頭痛くならなかったしと自信がつく。やはり、経験は大きい!

こんなところを歩いていて、何が楽しいのか?って聞かれたとしても、
ただただ、頂上を目指すための過程ですかね。先に目的があるから。

この辺になると、「もう4日も過ぎた!あとちょっと!」という気持ちが強くなってくる。


カランガキャンプ到着。 3995m。


今日はガイドの一人、レオンのお誕生日だと昨日知った。私は何もあげるものがないので、ナプキンで折り鶴を折ってみた。
折り方を忘れていて、なかなか出来上がらない。リサが不思議そうに眺めている。

工程表の書かれたA4の紙を正方形に切って、その紙でやっと思い出した鶴を折って、食後レオンを呼んで、皆でHappy Birthdayを歌った後にプレゼントしたら、ものすごく喜んでくれた。

明日はいよいよベースキャンプだ!
この頃から、みんな体調がさまざまになってくる。

リサは2日目から風邪をひき、鼻が出たりで苦しそう。だが強い!
アヴィブはお腹を壊しているのかな? トイレが長い。
エリは相変わらず黙々と。ポーターに荷物を預けず、自分で持って登っている。
ある時、私が聞いた「どうして、荷物も預けず、自分で背負っているの?」「う~ん、自己満足かな」 強いね!
吉田さんは、便秘で出ないと、食欲もなさそう。みんなが心配している。
さすがに私も食欲が落ちてきた。持ち込んだドライフードのお味噌汁が美味しい!
自分でアレンジしてきたハーブティーを飲みだす。ジンジャー入りだからとリサにあげたら、ジンジャーティーが気に入って、ポーターに言ったら、あるって!
その日から、ポットにジンジャーティーが出るようになった。

毎食にスープが出る。これが何より有難い。そして美味しい。

9月19日
この日はいよいよ、ベースキャンプのバラフキャンプ(4673m)へ移動だ。





歩く距離は短いが、4000mを超えているので、空気が薄い。その分動きはゆっくりで、歩くのも遅い。たかが、800mを登るのに、4時間もかかる。

でもまだ、余裕あり。顔はすでにむけている。





バラフキャンプに着いても、何となく、いつもと違う。緊張感が漂う。
お昼にバラッカから説明が入る。

夕食は5時。その後仮眠して、妙子は足が遅いから1時間先に出る。10時半に起きろ。そして11時に出発する。
みんなは1時間遅い出発とする。

私に付いてくれるのは、ガイドのレオン。そしてオマリー。
水は2L以上必須なのだが、夜中は凍るから、誰もがハイドレーション(管でリュックから飲めるビニールタンク)はやめて、水筒にする。私は同僚が餞別にくれたポットがある。
お陰で、お湯が飲めた。

ガイドは何も持たず、我々も最低の水のみ。

私は6枚を着こんだ。 ヒートテックの下着、タートルネック、スポーツシャツ、フリース、ライトダウン、そしてゴアテックスの雨具。
下も、スポーツ用スパッツ、毛糸のタイツ、登山ズボン、雨具。

手袋はスキー手袋、毛糸の帽子にネックウォーマー。

夜中に出たから、顔に日焼け止めを塗るのを忘れた!

仮眠していても風でテントがバタバタとあおられる。「いやだな」と思いつつ寝る。

夜中の11時。ヘッドランプをつけて、歩き出す。

寒い! 風が吹いている。それも強風。

なんで、こんなに風が!

富士山登山同様、夜中に登山のライトが連なっている。どう考えても200名くらいいるのでは?

しかも、1歩1歩、ポレポレにしか歩けない。
とにかく、寒い。

「この風、止んでくれ~」と祈りつつ。でも一向に止まない。

バラッカからは、ホカロンは温まった空気が3時~4時の一番寒い時に凍るから、最初から入れるなと言われていたが、寒くて寒くて、我慢できずに右腕に入れた。(何時だったかは分からない)

風は右側から吹いてくるので、体の右側が異様に寒い。
立ち止まってお湯を飲むのも寒いので、なるべく止まりたくない。でも、水は飲まねば。

外に出ていた水筒は中が凍っていたが、そんな冷たい水、寒くて飲みたくはない。
ポットのお湯が命拾いだった。

上りが渋滞で、足が止まった途端、ふっと意識が飛んだか、眠ったかで、よろけて転んだ。
ほんの数秒のことだけど。
この体験は、日本にいる時に、6000mの空気の薄さの部屋でトレーニングしていた時に同じように、無意識に眠ったか、意識が薄らいだかの経験をしていたので、パニックにならずに済んだ。
これ1回で済んでよかった。

「朝陽よ、早く出てくれぇ~」と願っていた。朝6時を過ぎないと出ないとは分かっていても。
一体、今が何時なんだかも分からない。時計を見るのも面倒で。
やっと、東の空が薄く、オレンジになってきた。
「あ~やっと日の出だ!嬉しい!」



しかし、日の出を写真に撮ろうと待っていると、寒い。
歩きながら、早く、早くとせかして、やっと太陽は出た。
出たが・・・太陽は出た! でも、寒さは変わらない! そんなはずじゃぁ!



風は相変わらず強風だし、寒さは変わらないし、太陽が出て良かったのは、上に登る人が見えて、まだあんなにあるんだとがっがりしたこと。(笑)




足を1歩出すために、息を深く吸い込まないと苦しい。
1歩1歩を深く深呼吸していないと、血中酸素濃度が下がる。
それに加えて、風を伴い、体感温度はマイナス17度とか。

息も苦しいが、これは何とかなる。この寒さだけは勘弁して欲しい。
まだ、あんなにあるのかと思った時、私を追い越して先に頂上に着いた4人が下りてきた。

「ママ、あと20分、頑張れ」「頂上はそこだ!」と励まされたが、その1歩が出ない。

「もう、ここまで来たのだから、これで十分」そう思いかけた時、ガイドのレオンが私の手を繋いで登りだした。

バラッカもオマリーと交代して一緒に登ってくる。
もう嫌とは言えない。最後の力を振り絞り、喘ぎながら、「この1歩を出して続けていれば、いつかは着くさ」と自分に言い聞かせて。

リサが登る前に、テントで言っていた。「何かを思って、そのことだけを集中して考え続けて登るの」と。
今、私も、「この1歩はいつかは必ず頂上へ繋がる」とだけを何百回も考えて続けて、足を出し続けた。

とうとう着いた! 



やっと、着いた! キリマンジャロの頂上に本当に立った!

頂上に着いた時、涙があふれて、あふれて、写真を撮るよと言われても、泣き笑いだった。



夜11時に出発して、頂上に着いたのは朝の7時だった。8時間、ほとんど休まず歩き続けた。私の後ろにはもう誰も登ってこなかった。

最後は本当に、本当に苦しかった。でも、皆が応援してくれたおかげで登ることができたと思う。

きっと、みんなの祈りが私を押し上げてくれたのだろう。

レオンの手も嬉しかった。
オマリーもよく私に付いてくれて優しかった。
バラッカはいつも写真を撮ってくれた。
サムもいつも「ママ、ジャンボ?」と声をかけてくれた。

みんな、良い人たち。遠く離れた日本と、ここアフリカと、善意に囲まれて、私は登れた。

毎朝、キャンプ場へレスキューに来るヘリコプターの音。
寝ている間に高山病になって、下へ運ばれるのだ。

登頂の登りで、引き返す人々。

そんな中で、無事に登頂できたのは、多くの人々のお陰だと思う。

心から感謝です。 ありがとうございました!


報告記4に続く

「誰かの行いが誰かを笑顔にする」をモットーに、私がキリマンジャロへ挑戦することで寄付を募り、
その寄付で子ども達に音楽を楽しんでもらおうと、無料でコンサートに招待するプロジェクトを立ち上げました。

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キリマンジャロ登頂 報告記2

2018-10-05 | 日記
この日は一緒に登るドイツ人のリサ・ホフマンと出会う。 さすがにドイツ人!体格良く
強そう! まだ30代、若い!

そうこうしているうちに、明日のガイドのバラッカがやってきて、今から装備の点検をすると。部屋に戻り、ベッドの上にすべての荷物を並べる。


バラッカが、これはポーターに持たせる大きい袋へ、これは自分が背負うリュックへと仕訳けしていく。

「靴下3枚? う~ん足りないねぇ。 登頂用には新しいのを用意して履かないでおきな」
(なぜ?とは思ったけど、尋ねないでおいた)

「これはよし、これは足りないね」こんな具合にすべてを点検。足りないものは貸してくれる。
「明日は8時半に迎えに来るから」と言って帰って行った。

いよいよかぁ。



9月15日 

朝食を終え、荷物を降ろして、ホテルのチェックアウトも済ませ待っているけど、約束の時間は過ぎている。
「やっぱりアフリカタイムかな」

大きなバスのような車が来た!すでに全ポーターやガイド、そして同じパーティーのイスラエル人のエリとアヴィブも乗っていた。彼らと自己紹介を済ませ、車に乗る。


車はどんどん山を上がっていく。
着いたところは、マチャメゲート(1640m)。 ここがマチャメルートの登山の入り口となる。


先ずは登山申請。待っているとランチボックスと水が運ばれてくる。
ランチボックスにはりんご、サンドゥイッチ、鳥の空揚げ、ヨーグルト、ジュース他。
「やだやだ、重くなっちゃうじゃない」それに水が2L。私のリュックはすでのパンパンだ。


ポーターに持ってもらう荷物の重量規制は無かったので、ちょっとほっとした。
彼らは法律で20Kg 以上は持ってはならないそうで、ずら~と並んで軽量を待っている。

私の大型袋(リュックでなく袋)も緑の袋に入れられ、その他にも荷物を詰め込んで、彼らはそれを頭や肩に担いで登っていく。(申し訳ない、重くてごめんなさい。と心で詫びる)
本当にすごい仕事だ!

11時。さあ、出発だ!

道は普通の山道。ジャングルの様に木が生い茂っている。なかなか、快適。

でも、私の足は思った通り、遅い! 5人パーティーのうち、他の4人はスピードが速い。
「いいんだよ、ポレポレ(ゆっくりゆっくり)で行こう」ガイドのバラッカが言ってくれる。

休憩で追いつき、また先に行かれ、5時間後、辿り着いたキャンプ地で合流する。

すでにテントは張られていて、食事用のテントで(寝るテントと食事のテントは別)、ティータイム、温かいポップコーンが出た。


トイレはキャンプ場にあるけれど(大抵の場合、ドボン式)、エリがプライベートトイレをオーダーしたので、シェアさせてもらうことにした。これがどんなに有難かったか。
テントの脇に張られた60㎝四方のテント。ちゃんと腰かけて水洗なのだ!
これがなかったら、悲惨だったと思う。(1日$30)

ここのマチャメキャンプ場、標高は2835m。 すでに北アルプスの穂高あたりの高さだ。




9月16日 
朝起きると、ポーターが温かいお湯を洗面器に入れてテントの前に置いてくれる。

なんて親切なの!
至れり尽くせりのキャンプ生活。食事には必ず温かいスープが出る。これで身体が温まり嬉しいこと。そして美味しい!
朝食は、スープ、トースト、クレープ(のようなもの)、ソーセージ、卵焼き、お茶。

私は富士山登山のガイドのボスより、「しっかり炭水化物を取れ」と言われてきているので、
普段より多めにガッツリと食べる。
みんなも同じだろう、よく食べる。

雲海の上にタンザニアで2番目に高いメルー山(4562m)が顔を出している。


今日はシラキャンプ(3845m)までで短い。すでに富士山の高さを超すことになる。

登山道はまだ低木もあり、高山植物が沢山ある。私は写真など撮っている余裕はなかったけど、ガイドのバラッカがiPhonを貸してみろと言って、どんどん撮ってくれる。

緑もあり、岩もあり、歩いていて楽しい。空気の薄さも体が慣れてきていて、特に呼吸を意識しなくてもまだ大丈夫。空は青いし、なんて素敵なんだろう!


シラキャンプへ行くのに、今日は左へトラバース(横に移動)する岩場があった。私の記憶では右へトラバースする難所があったはずなんだけど・・・・(この難所はまだ先にあった)


とりあえず、クリア。でもポーターたちは本当にこんなところを荷物担いで、よく登るね。

それも私たちよりも遅く出て(テントを畳んで)、先に着き、(テントを準備する)。あっぱれです!

シラキャンプ(3750m)に着く。すでにキリマンジャロは雲の中に入っているので、天気は曇り。(下界から、午前中、10時までは綺麗に見えるが、その後は雲が出てどんどん雲が上がり、キリマンジャロはすっかり雲に隠れてしまうのが毎日)


今日は短い行動時間だったので、昼食後、皆はその辺をハイキングしてくると出かけた。
私は体力温存、温存! テントの周りを歩いていると、キッチンのテントから良い匂いが。
中を覗いてみると、シェフのポーターがピーナッツを炒っていた。

「中を見てもいいですか?」「どうぞ、どうぞ」
さすがに火を使っているので、中は温かい。「入って温まりなよ」とどのポーターも優しい。

ハイキングから帰ってきたら、全員の自己紹介があった。
ポーター20人、ガイド4人、私たち5人の29名のチームだ。
「こんなにポーターがいたの!」とちょっと驚き。みんな屈託ない!


夕日が沈むのが綺麗だ!


今日の夕食はスパゲッティが出た。
夜の8時には就寝。朝の5時までぐっすり眠ってしまったのには自分ながら驚いた。
トイレに行きたくて目が覚めるが、まだ外は暗い。明るくなってから行きたいので、あと1時間我慢する。
日が出たところで、テントを飛び出した。

分かったことだが、外に出ると寒くて、なかなか手が思うようにいかない。ズボンのチャックがなかなか下せなくて、寒くて出たくて我慢が出来なくなるし、それこそ漏らさないように闘いだった。それからは、テントの中でズボンのチャックは降ろしていくことにした。

報告記3に続く