花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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色々な事がありすぎて、、、戦後を乗り切った「団塊」の世代の智慧をITに入力

2023年09月13日 | 日記
何が起きるかワカラナイ、、、
北朝鮮とプーチンさんの結束?

北朝鮮の、
  軍の設備を見ているお嬢さんが、、、
       あまりにも、、、
         男性によって

本来の、、
  花のような
    香しい少女の時期を、、、

戦いの武器によって、、、阻まれ過ぎではないのだろうか?

   子供を産み。。育て、、、
     人類の継承してゆく本能を
        子育ての天与の
 「母性の愛という、、、無限の不可思議な慈しみの心」を

父親の方向からの、、君臨するという事が至高だと考える私的な偏愛で

  子供を産める、、、という、、、
    人類の無限に湧き出る泉のような

      自ら産まれた小さき命に
      天与の思いやりと、、、、慈しみと、、他者への愛を知る不思議と

        在る宗教では、、マリヤ像を、、、有る宗教では、、観音様を、、

      その、、本能にも近い、、、
       少女が成熟とともに見せる
         慈愛という、、、大自然の実が育てられる愛が
       父親の知らない少女の体内で、、天然の時間で育ちゆくのを

      父親は、、、「人殺しの武器を見せて育てている」ということに

      愛する者を、「自分と一体化」してしまっていて

      男の幸せの価値感を...
      御嬢さんに。。押し付けては居ないだろうか?

      TVに移った、、化粧気のない、、、
       けがれ無き年代の

         利発な御顔を見乍ら、、、

      父親は、、、
     「よき母」となることを、、、祈っての
        。。。教育への関わりに変えてほしいと思った。」

       女性の導き方は、、、人殺しの武器や
        戦いの為の、、、人殺しの兵器を見せて育てるのは

       考え直してもらいたいと思う。

       女性は、、何もない所から
       男性の
      「ある種の神がかった本能のアタックを、、、愛と間違えて、、、」

        受け入れて、、、
       「愛」と信じて、、、我が子を育ててゆく。

       なのに、、、
       産まれた男の子は戦いの世界に導かれて、、
       、戦いの日々に明け暮れ

       共に分け合う事をしない世の中をつくってゆく。

       「 勝たねば生きられないような地球」を創ってゆく。

        そして、、、ゆがんだ戦いの人殺しが、、、
                       正当化されてゆく中で

       女性兵士が運れてゆくとき、、、

      このマキシムは、、、黙示録にある様に

      謎を残したまま、、、煩悩の恐竜たちは滅んでゆくのかもしれない。

     「自然のベクトルの方向と
         逆さまの行動の多すぎる
            人類の発展」の仕方は
              地球の、、、「ミクロの繊細な 輪廻転生」ともいえそうな

        時間が来たら世代交代してゆく
      「三葉虫からの、、、昆虫の世界まで

      動物、、植物、、昆虫、、微生物,、菌類、、ウイルス、、、の生態系が、、、
      地球の気候も、、、永久凍土も、、、氷山も

    永遠のバランスが期待できた摂理で動いていた。

                学門と称する人間の視点が確立されて行き
                地球は、人間社会にITが入り込んだような
                人間の智慧と判断と、、学問と、、etc.,,,,,,,,,
     大自然は人間という、、生きたITの誤算と、、、誤作動で、、、

              人間の感性に都合のよいデーターが、、生きた人間の脳のアプリを満たしていった。

        自分たちが生きてきた科学の世界に

                    つばを吐いているわけではない。

        科学の果ての、、神様にすがってしまうのが、、、80歳を目の前にした、、、婆ちゃんのふらつき。


            

    弟も、ダンナさんも、、、、医学を中心に仲が良い。

      医者同志の、、わかりあえるという間に入れるとしたら、、、
      医師の仕事の大半の設定を周辺からサポートできる

           医療スタッフだろうと思う。
    しかも、、同じ職場の、、同じ時間を。。医療に捧げた、、、スタッフ同士。

    医師の家内という立場は、、、「完全な孤独」に近いかもしれない。

    しかし学者の世界は、、、それ以上かもしれない。
    ご婦人は、、永遠に伴侶の夫のヅ脳の中身と触れ合うことは無いのだから。
        東大に勤務しているとき、、、有る医師が、、プレゼントをくれた。

     自宅に帰ってからは個を開けると、、、

       大きな口の、、大きな魚の口の中に、、、小さな魚が入っていて
      引っ張り出すと、、、1メートルほども、小さな魚が大きな魚の前に在る。

     手を放すと、、、大きな魚が、廊下の上で、小さな魚をパクリと食べてしまうという

     笑えるおもちゃをくれた。

      可笑しかったが、、、未だ開封していませんという反応で過ごした。

     東大卒の未来のエリートは、
       映画に誘ってくれた。

      券は買ってしまって
            あるようだった。

     日曜日の昼だったので、、、映画位は付き合った方が
      何かと仕事がスムースにゆくと思った。

            「じゃじゃ馬、、ならし!!」

      エリザベステーラーが、、、自惚れの強い男性の為に
      淑女として、、学びなおしをさせられるという
      男尊女卑の、、、男性と、女性宣言のようなストリーだが

      エリザベステーラーの妖艶でありながら清楚な容姿が
      男性の自尊心をくすぐるという、、、

      男性のエリートが選びそうな、推奨品の映画だった。

       一応、、職場でのコミュニケーションは

     滞りなく、、、仕事はどんどん頼んでくれたが、、、

     東京大学に長く勤めていても、、、先が見えないことが、、、すぐに解った。

     公務員の使用期間の3ヶ月が終った時、
     寿退職者が居て、、、空席が出来るからと、、薬理研究室の教授の推薦で、勤務したが
     寿退職するはずの者が破談になり、、、公務員の席は空席が出来なかった。

     周りは、、引き留めようとして、、、あの手この手で
     空席は必ず来るからと,、言ってくれましたが

    公務員の使用期間3影地の給料よりも下がり
    研究員という、、、教室の私物のような席に座る事になった。

     約束が違うので、、すぐに退職ねがうを出した後、、一年間は実験の結果を出して在籍しますが
     私は19歳で、父を亡くしていますので、、、東大に居らっしゃる研究員のように
     後ろ盾の、親のスポンサーがおりませんので、、、

     研究員の教室の手当の報酬では生きて行けませんと、、、
      本当のことを言って、
      寿貸借は破談になったようですから、、、教室員の身分では
      薬剤師は、、長期に勤務は出来ません。

     ともかく、その年は引きとめられてしまったが、、、

     翌年の初夏には、東京医大の、、総合的な臨床薬剤師への道が開けて
    給料も、他⒝ん学校の先生並みの額面だったように記憶しています。

    昭和時代の、、、男尊女卑の世界を、、泳ぎ切るのは

    女性にとっては、、ひたすら、、専門分野の腕を磨き続けるべく
     全科を廻って、、どん欲に、、症例の処方や、、院内製剤や
    無菌業務が出来るように、、、「白金のエーゼ」も使いこなすように

    virus疾患への投薬も覚えて、、
      必要とされる意外に道は無いと、、、
     ひたすら、、どん欲に、、、認定を取得すべく、
      休みは労音の音楽か講習会の二択でしたね。

     顔の科学療法が始まった時代でしたので、、、
     医師より早く合剤の計算が出来るようにするとか、、、

     炎症、 免疫、、アレルギー疾患の薬剤などを、、
    難解な医学分野の本と付き合わせながら、、

    間違えない様に、、、クスリの扱いをおぼえるのに大変でしたね。

    昭和42年卒の薬剤師は、、今ほど、、免疫学を学ぶ機会がありませんでした。

     40歳になって、、復職したときは、、北大の聴講生になって

    基礎は小山先生の授業を聴講して、
    札幌医大の、、菊池先生の講習会には

   ワクワクしながら仕事が終わると駆けつけましたね。

    薬剤師が次代に置いてけぼりに逢わない様に、

    60歳で、仕事から撤退するまでに

    認定薬剤師を6回更新したと記憶しています。
    免許を取得したからと、、お終いの世界気は無くて

    毎年更新される新薬の記録を手元に

    今日の治療薬という「臨床の薬剤」のマニュアルを、、毎年買いましたね。

    男尊女卑女卑の世界を、、、戦後の昭和を生きるのは

    即時、、現場の間に合う薬剤師にならないと
    家庭との両立は無理な、、、無給医師との結婚生活が
    思い出される時
      人生は、、登山と似て。。。一歩間違うと、、谷底だったと思いますね。

   


      目的は、適当な大きさの病院の薬局長になるつもりのゴールだったから、、

      基礎実験が身について、、機器分析の機械が動かせるようになり

      年間のノルマの実験も一通り済ませた段階で

      当時は臨床病院の研修としてはトップだった「東京医科大学の薬剤科に移動した。」

      やっとまとものお給料を戴けるようにはなったが、、、

      この大病院で、一通り研修したら、実家の近くの総合病院での
      薬局長候補として、異動するという

      生きる為のコースしか考える余裕の無い、、
          キャリアウーマンだけでよいから、
            早く安定した、、定年までの居場所があればいいと思っていた時代だった。

       男性の社会は、、頑張ればどこまでも、、社会に参加できる反面

       昭和に時代の男尊女卑の時代は
       キャリアで生きようとするなら

       学校の先生か、、、薬剤師。。。が、、、まあまあ、、とりすぎの人生だと言われないで

      アイデンティティが感じられて、、専門性が、パワハラや、セクハラから

       護られて、、キャリアウーマンとして生きるには、座布団が在った時代だった。

    日本のノーベル賞博士の「細胞の世界」は

      あの大発見を、、、臨床家の研究者の手に渡り
       研究の方向を抱くせんしなかった事がすごいと思った。

     今や、、、培養された細胞で、、、人類の病気で欠損した臓器が再生されて
   医療に使われる時代を、、、あの、、博士が招いた。
        
    中には、、精子と卵子を創った学者もいる。

     臨書研究に廻ってこそ
        「ノ^ベル賞かも知れないが、、、
       ここまでくれば、、、
     両刃の剣でもあるような気がする。」

     


      マウスに関しては「試験管マウスの育成に成功している、、、すでに、、、!!」

   「ある、、、小動物に於いては、、、
      形態的な体型には、、
        生身のマウスの交配して生まれた、、マウスと
           何ら、変化のない、、、

      「同じと思われる変わらないマウス」が産まれている。」

     もしこれらが、、、
   人間の試験管ベイビーにつながった実験が成功すると
       、、、どうなるのか?

            

     人間の役割は大きく変わってしまうだろう、、、

      神が居るなら
        人間のように、、
         地球全体、、宇宙全体のバランスを考えない動物を創った事に危惧して
           100年という、「タイムラグの中での自由な発想」を許可したのかもしれない。

     人間も動物も、、、100年に無いには死んでゆくものが大半である。

    子どもの頃は、、
     神様は、古くなった身体を100年ごとに取り換え乍ら
      神の国を守っているのだと思ったりしたことがあった。

    それは、、、幼すぎる発想だった。

    日々に進歩を許した神は、、、
    100年という時間内の発展も、、抗体も許したのかもしれない。

     なぜなら、、、無垢な精神を植え付ける代わりに

       7つの煩悩のアプリを人間誕生の時に
      脳の中に初期設定をして、、、
      神は実験をされたのかもしれない。

           

    君子欄、、、「ラン」という日本の当て字が付いてはいるが

     これは、「ラン」の種族では無い。

     クリビア ノビリス
     君子欄麻種が、、日本委やってきたときの、、
        「高貴、、、!!!!!」という名の花でした。

     確かに、、、高貴な、、、オレンジの花でした。

               

     黄色い花の君子欄もあるのを、、観たことがあるのではないでしょうか?
     白い花の君子欄だってあるのですよね。

     これらは全て,、≪彼岸花,、、科≫の植物に分類されています。

     私は、、、「胡蝶蘭」の花粉や
           「いろいろのランの花粉を、、、君子欄の雄蕊の柱頭に
              化粧用の筆を使って、、一個だけは他の君子欄麻花粉を使い
                交配させてみました。

            君子欄同志、、、つまり、、、ヒガンバナ化の花同士の花粉は受付るのです。

           同科の柱頭だけは緑のまま成長段階に入りますが

            ラン科の花粉をつけた柱頭は、、枯れて落下してしまいました。
                  
          
        ランや彼岸花で、、、ノーベル賞の細胞を語るには、、、、
           提灯と釣鐘以上のギャップがありますが

           高貴な花とは言え、、、私の愛する「実生から育てた、、君子欄」が
                   簡単に、、、ラン科の花粉を受けつけなかったことが

                      さらに,、高貴だとの認識を深めました。

         もともとは、、、あまりに見事な葉!!、
                   艶のあるダイナミックな厚さの有る
                    濃い緑の美しい曲線の
                      艶のある葉っぱを
                       牛乳で磨いているうちに、、

                   君子欄に親しみと、、愛情を持ったのが

                 「実生」から、ランを育てるという、、、

                気の長い、、、君子欄との友達の始まりでした。

              今回,、他科の花粉を受け付けない、、、君子欄に

                人間尾精子と卵子が、、、培養されて、、人工人間をつくろうとしても

               マウスのように、、、「試験管人間は誕生しなかったという、、、NHK の放送!!

            マウスよりは、、人類に、高貴さを感じましたね。

           同様に、、、君子欄も、、、高貴なものを感じましたね。

              私の時代の「高貴」の観念は

                純粋性だったかもしれません。

             島国だった日本は、、、外国との交配が少ない生き物によって

            日本のイメージは,、世界無二、、、というイメージの

              高貴さだと、、、高貴というニュアンスは

                 単体の純粋性に有ったように思っている。

             女性は女性らしく、、、男性は男性らしく、、、

             戦いに向いている男性が、、国を守り、、、生活を守り、、、

            日本の「男尊女卑:」の仕組みが、、、有る様におもいませんか?


            何を日記に記そうとしたのか解らなくなってしまいましたが、、

             日本が日本であるという、、、他国と違う部分を
       
             婆ちゃんが死んだ仕舞った世代交代の後も

             自然の摂理に立脚した、、、大和魂と、、大和撫子は有り続けてほしいです。

            それなりの、、男女平等があるKトは素晴しいですが

             生まれ持った
               天然の慈愛、、母性、、、   
                  美しさや見事な曲線を、、
               頭脳から「筋肉」に変えて、男性の上に君臨する教育は

               麗しい時代の少女の叛をもぎ取って

                   男の脳ミソを移植するようで

                女性のアプリは、、削除されてしまうのではないかと、、、

              しなやかな ミクロの気付く脳細胞に

               これから、、、天使の絵を描き始める神の手の前に

               お嬢さんの頭脳の細胞に、、、真っ白なしなやかな細胞に

               人殺しの武器の絵を刷り込むというよりは、、、

               父なればこそ、、、次の代には「エリザベス女王のように」

               他国から王子様を迎えて、、、

                「君臨すれども、、、統治せず」、、という

                未来の北朝鮮を、、、国民とともに歩む、、、

                世界の平和な国々とともに歩む、、、

                  国の「聖母」に育てるべき、、、御生れだと思いますが、、、

               あの、、無垢な、、お嬢さんが、、、

               お父様のようになられてしまっては

              苦しみと忍耐と、、ストレスの、、、女性の人生にならねば良いのにと

            神が、女性に、、母性と慈愛を内蔵させて、、、世に送り出したことを

           思い出してょしいと思いましたね。
                ヤンバルクイナに飛べ、、、
                   猫に、、泳げ、、、
                  花に樹木に成れと,、言っても、、

               無理があると、、、80歳を目の前に

                婆ちゃんは思うんじゃよね。

           Nippon緒戦後を人生そのものを破壊された日本の復活にと戦い抜いて

         各分野の偉大なまでの、、、破壊からの修復、、、新しい日本への挑戦

         アメリカという巨大な国家と闘った日本は
         相手国の様ところは吸収していった。

          高校野球は、、ワールドカップで、、、とうとう、、イチイ優勝を果たした。

          野球の国、、、アメリカの野球は、、日本中を元気にしている。

         敵国だったKもしれないが、、、そのエネルギーの巨大さに気が付いたときは

          日本は300年の鎖国の「観ざる、、言わざる、、聞かざる」の

          日光のあたる、、、国の、、、サル並みだった。

          戦争も繰り返した。 原子爆弾も落とされた。

          そして、、、団塊の世代が中心となって

            三井三菱の世界の動向をいち早く知っていた経済界の
         眼座又支援で、、、国立がんセンターが産まれて、、

         触診だった日本委も。「画像診断という病気発生前の予防医学の神の機械が現れた。」

       激動の戦後の政治を担う、、、国会議員や、、、その方たちの黒幕の知恵袋、、、

          従来なら手遅れになって、、、、死んではいけないときに

          日本の頭脳は、、ガンにやられて死んでいた、

         私の父は、、明治の生れで、、、小さなレントゲンが診断麻武器だった。

         手には放射線の潰瘍がフフをただれさせて

          訛の部屋で、、我が身をけずって、、、放射線を浴びながらの

        命がけの診断の日々が続いた。

         やがて、、、千葉大学の市川平三郎医師が

          回転するレントゲンで、、各方向から二重造影出来るレントゲンを開発し

          顔の早期発見が、、出来るという時代に入った、、が。。

         まだまだ、、、、手遅れの症例も多かった。

            疎開中の唯一の診療所を去る日

          村人で、橋が落ちそうになり、、、駐在さんの交通整理の入る中、

        生まれ故郷の東京に帰ってゆく唯一に主治医の車に乗る足元に

         ぺたんと座り込み、、、「先生~~~ゆかないで、、~~」と

          泣き叫ぶ老女を見乍ら、、、小学校3年生の弟は言った。

         「僕は、、医者のなるぞ!」

        子どもの頃見た風景が、、、
          その子の人生を決める事だっって、、
              大きな要素になっている。

      団塊の世代の弟は、、医師になってから、、父と一緒の外科の医局に入っていた。

      しかし、、そのころの、、診断で、
      手術室に来た患者さんは、、、手遅れが多かったという。

       千葉大学の外科の医局の教授にお許しを得た弟は

       同じ千葉大学の大先輩である「市川平三郎先生と出会っていた。」

       騎亜業井の息子だし、、、医師の兄が父の後継者として
       一緒に働いている家の三男坊だから、、、

       無給の研究員をする余裕はあるものと、、、
         市川先生は、、

          出来て間もない、、
            質素なビルの、、
               国立がんセンターを発展させる若手を
                   探していた時期でもあったのだと
                     推測する事の出来る、、、千葉大学の後輩を誘ってくれたのだった。

        その時はすでに父の外科医は、54歳で、過労死していた。

        余裕なお金は無かった、、、が、、

        手遅れの診断時期に外科に回ってくるという、、、助からない手術に

          閉塞感を感じていた弟は、、、ともかく、、、
        未病のウチノ早期発見にかけて見たかったのだろう

         父は早逝して、、父の手の放射線の潰瘍を思い出しながら、、、

       「医師も安全な診断のできる医寮でなければならない。
          外科に回ってきたときは、、手術で切り取れば、、、10年以上の生存率が欲しい、、」

        わずかな、、、貯金しかないのに、、、無給の研究員として
         がんセンターに飛び込んで行った。

          2年経って、、、最後の食料が途絶えそうになった時、、

          「CTが日本の国にも普及すれば、、早期発見、、、
              放射線被ばくしながらの診断するという
                へき地の貢献型の医師も長生きできる、、、」

          生涯の貧乏暮らしが約束されたような、、

            出来て間もない「築地のがんセンターに、、正規の職員として選んでいただけた。」

         育ちや、、開業医の息子達の3男と言えば、、風評被害に遭うような

            金余りの、、、バカボンだと思う人は多いと思う。

          父は戦争で、奉公袋も、、、千人針も、、、軍隊手帳も、、持って

              戦場に行った人である。

              着の身着のままの帰国の後、、、七か村の無医村で

             13年間も、、診療代金は、、、鮎や、、ミカンや、、、野菜や、、
            時には、、手作りの見事な竹の籤でつくった鳥かごに

           飼う事が許されていないは頭の野鳥だったりして
           神様のような医師として、、、なくたはならない医師になっていた。

           引き止められて、、、13年も山村への奉仕の後、

             アメリカから引き揚げてきたという親戚から協力を得て

            戦後の荒廃した下町の、、海抜ゼロ地帯の地区の中では

           高台にあったという、、、お寺さんが、、、

            戦後の陣地だらけのこの地区では、、お寺も廃業だということで

           開業には十分お土地建物をそのまま、、手ごろな値段でゆずってくれた。

           後は、、アメリカから引き揚げてきた親類が、銀行を動かしてくれて

          ローン返済型の、、、故郷へ帰る形の開業をしたのが
            昭和30年だった。

           親類縁者の居候を養いながら、、

            戦後の生き残り合戦が始まったのを、、観て育った私は

               80歳になろうとする今日も、、

            一粒の米も捨てられない。

          生涯、、美容院にも、、床屋にも行けない、、、

           しみついた節約人生で、、、その物の生命ある限り使い切るという

            節約の人生から、、脱出が出来ない。

           長い長い日記になってしまったが、、、

           少年少女の時に、、、「何を見たか!!」で、、、

           その子の人生の方向付けをしてしまうという事です。

        ロシアがウクライナの子供を連れて行って、、、

         たたくことに疑問を抱かない年代に、、、
          勝つことの殺戮の正義論を刷り込むと

             地球上では次の世代にも、、、戦争をする人間が続くということだと思います。

          勘定抜きで、、ナルシストにように、、、
           自分しか見えない、、目的に向かって
          原子爆弾のボタンを
             押せる人間をつくってしまうという事の、、
               可能性に
          いたいけな少女は、、、武器を美しいと、
           、刷り込まれてゆくのではないだろうか?

          麻薬で利益を得たり、、、
          武器で利益を得る前に、、、

          被災地の復興の技術を学び

           爆破の前の建物よりも強い

           復興精神に満ちた、、、新しい街を廃墟に創れる人材を育てていただきたい。

        それには、、、後期高齢者になって、、体力の落ちてゆく

          「団塊の世代の人たちに、、、体力的なサポーターを着けて、、

           復活した精神の継承を、、、知恵を戴く事で、、、未来に栄光を!

          弟が国立がんセンターに人生をかけて

            CTや、へりカルCT,,MRI、、夢中になって

            当時はこの会社が日本のエースだった東芝と

           廊下で夜明かししながら、、知恵と学問を円卓に集めて

           日本の画像診断を開発していった。

           機器部門では東芝技術陣が、、、

          単なる鮮明な画像というのではなくて

             医療診断、、、ガンの早期発見に適した画像の修正は弟は一手に引き受けて

          始めた頃は、、、各医に、、
           「CTをとらして下さい、、、データーを創りはじめるのです。」

           核か

各科の医師は{CTって?、、、何ですそれ?}、、、又された挙句

          暇の時に出直して問うような、、、門前払いの日本だったのですよね。

          姉の私はその当時、、「医歯薬の歴史の研究団体に会員となっていた。」

          団体がヨーロッパの医療施設や、ウエルカム博物館に行くというので

           参加して、ヨーロッパの病院をかなりの数を見学して

          病院のゼミにも参加して、、、各病院にある病院のミュージアムの品々と
          歴史的な背景を描いた本を贈与されて、、、
              日本の医学と比較できる知識を
              見学を通して、獲て来て事の一つに、、、

           日本が「医療人でさえ、、、CTは何?」と言っている間に

           ウエルカム博物館の医療コーナーでは

           イギリス製の、初d氏のCTが、陳列されていたのを

              写真に撮影してきました。

             当時の、、日本の手がけ始めたCTと同じような形のものが

            多くの化石と一緒に、、、イギリスのウエルカム医療博物館CTコーナーに

            展示されていたのでした。

         1990年代だったように記憶しています。

           弟たちの医療界初の戦後の団塊の若者は

           日本のCTを、、、「CTって何ですか?」

           がんセンターが出来た創生期から初めた研究は

            弟の手で、何冊もの教科書になって、、、

            若者の手に引き継がれて、、、医療の戦後の復活に

            大きく寄与した弟は、、、早期がん発見で

          一家の大黒柱は仕事とがん細胞が同居できるまでになれた時代でした。



             本人は、一言も言わないが、、、ネットには

           数々の、、ガンの医療に貢献できた賞で、、弟が眩しく見えましたよ。

          男の人生は、、時間が無いし、、育児夫を強いると、、日本はどうなるのか?

         家庭的には留守が戸の夫だったに違いありませんね。

         考ならば、、、忠ならず、、、忠ならば⁽、、考ならずというのが

          時間が敵の、、男性社会ですかね?



           数々の賞となって、、、頑張ったのだと、、、姉にもわかる足跡を残していた。

          創立50周年の研究も、剣が峰に差し掛かり、、、

           早期発見のがん患者の血液と、
           検査の結果、、健康体だと証明された検診時の来訪者の

           「健康人」と、、わかっている証明検査月の血液は

           研究者の弟にとっては、、、比較対象研究材料として

          貴重な宝物の研究材料だと、、、推測できる。

          「ほんの、、、わずかな、、民主党絵の政権交代のさなか、、、」

          仙石さんとか言った議員の手によって、、、
             がんセンターには、、、東北の方から、、
         、ガンセンターにはなんの実績も無い先生が送り込まれてきて

           時の院長は追い出される、、、研究予算は返還に、、、

           国立がんセンターは、、、「独立法人」になる、、、

           「弟は定年」でがんセンターを去ることになり、、

           新政権は、、「退職金を半額」まで下げて、、、

            人生の後半は、、、正常検査証明付の検査値の記録の有る凍結保存血液と

           早期発見時のがん細胞の有る血液との比較研究費が

           返還するという、、、新政権の力で、がんセンターでんぐり返しさせられることになり、、、

           何年もかかって収集した「正常血液の凍結保存」を、、
               「丸ごと丸ごと、、廃棄」された仕舞った。

            愛知県から来た病院スタッフの手に置いて❓?なのか???

           外野の私は知るすべもない、、、が。

           退職金が半額になった弟は、、がんセンター時代は、世界を飛び回る仕事なのに
            個人的な老後の資金が貯金できるという給料ではなくて。

           国立の第2の人生が、あちこちから声がかかったり

           教授の声がかかっても、、、退職金が半額になった今は
           研究生活は断念する意外に、、、、先が見えない退職金だったそうです。

             国立から、、いきなり独立法人、、、??

                  政権が短期間で元に戻って、、再び国立になったがんセンター、、、

           短期間の間に、、、人事が愛知県の人々とに入れ替わり、、、

              東京にあるがんセンターなのに、、、

                 政権が交代すると、、、東大も、、慶応も、、、居なくなった先生が一杯でした。

             弟と、市川先生の居ないがんセンターは、、札幌からヒコーキで検診検査に行くのは

            必然性の理由が見いだせないで、、、独立法人になっての以後は

             私は北海道のがんセンターに、、、町内会で参加するぐらいです。

            
               

           がんセンターは、、自分の研究の痕跡を探して訪問すると、、、

            愛知県の訛の有る若手の職員が

             「見知らない人が来ると、、追い返すことになっているんで、、、

              此処は、あなたのような人の来るところではありませんよ、、」

             創生期から、、
               がんセンターをここまでにした
                   スタッフの一人である弟の顔も知らない
                      愛知から来た若手の

                         職員によって

            弟は苦笑いして、、、僕の生涯医者生命研究生命を捧げた痕跡は、、全て取り壊されて

                   愛知から来た人によって、、、

              門前払いに有ってしまった、、、と。。。苦笑いした後、、

            翌日、、弟の同僚だった人がそれを聴きつけて

             陳謝とともに、、講演を申し込まれたそうですが
              意図Kトモ言うことが見つからなかったという、、、

             がんの早期発見で、、日本委貢献した一人の医師の、、無口なまでの忍耐を
             姉の私の方が、、、政権交代の短期間のでんぐり返しに
               腹が立ってしまっているのかもしれません。

           子どものころから、、医療の環境に育った弟の

               真実が
        政権交代の短期間に、、でんぐり返しに有ったという事を記すことで

          国民は、、国会議員の生にしないで、、、選んだ責任は、、こういう形で

            人生がでんぐり返しになるという事を知って、、、

              選挙は、、国民芋責任があるという事を、、、痛感するべきですね。

             仙石さんという、、、新政権の人は、、何故?・・

              がんセンターのような、、、医療そのものが
                国際親善の役割になっているほど、、、国際間で認められていたのに

               政権交代の、、、あの短期間の間に、、、

                 中身を入れ替えてしまったのか??

              患者だった私は、、、知っている先生が居なくなってしまったので、、
                     とても困りました。

                  私と同様に不便で困った患者さんも、、居たはずです。

                 国際間に開かれたがんセンターのロビーには

                  多くの外人客が居ました。

                  弟も、スタッフとして、、、ハーバードにも招かれている留学経験もあり

                 世界でも知る人ぞ知る、、、ロテェスターの病院にも

                  招かれ、、留学していますが、、、姉には日常の事しか話しません。

               患者だったことが、、、あっちから、、こっちから、、、

                 「弟さんが、、新聞一面に出ていた、、とか、、

                   ニューㇲに出ていたので、、ビデオ捕ったとか、、、

                   ジャーマというアメリカの座シイに5~6ページ出ていたとか、、

                  姉だということが解っている人は、、、
               ダンボールに、、切り抜きを追ってくれたりもした。

             さりげなくそんなことに触れて話すと、、弟は、仕事に必要ないものは
               目を通してすぐに捨てるから、、、自分尾記事は持ってないという。

              「お姉ちゃんが皆保存してあるから、、あげようか?」と言っても

                苦笑いしながら、、、
            「研究の命と同じの。正常血液の、、何十年分もの検体を無断で処分されて、、、

                  がんセンターに居たという、、建久寺領が無くなった今、

                    当時の記事や雑誌や新聞記事など、、、意味が無いんだよね、、、と

                  寂しそうに笑う。

                 多くの実績は、「守山紀之、、、紙の本」として

                ワンクリックで、、無にされる廃棄も出来ない様に心配もいらない本にして

               多くの医科大性の教科書としても使ってもらえたから、、、

                他のものは全部要らないそうです。

                口にはできない世界の要人の、、、最後の読影のチェックをして来た弟は

                 私が、、名誉だと思っている掲載されている雑誌などは

                苦笑いして、、、「お姉ちゃんが持っていて、、、と、笑う」

     
               政権交代や、、、憲法改正は、、、よくよく考えて、、、

             国際間で認められる人を、選挙で選んで

              政治指導の専門分野への支配は、、
            、何を失っているかがワカラナイ行動が評価される時がある⒥ので

             学舎の大切にしている物を、、でんぐり返すような

               医療界の支配を政治権力とする、、、新政権に票を入れるときには

              よくよく考えないと、、、社会がでんぐり返されるという事もる。

                政治音痴の、、、、婆ちゃんは、、、政権交代の短期間で

              政治権力とイデオロギーだけを振りかざして、、専門家の生涯をかけた検体をも

             無断で処理して、、、退職金も半額にして、、、たった、、政権にとどまれたのは

              何年何日ですか?

             「独立法人にしたと思ったら」、、、政権が元に戻り、、、
              「国立がんセンターに」戻っていた。

                  なんて???乱暴な世代交代をさせるのでしょう。

                   政治家は、専門知識の深遠さを理解できる人を選ばないと、、、

                       二番では、、、意味がない世界が多いという事でしょう。
               誠意と一生懸命は解るけど、、、コロナの病床が足りないからと言って

              ホテルを確保した政治力は解るけど、、、

                医療の専門性を理解していないので、、、徒労になってしまうという事ですよね。

              居場所や、、平佐は権力で移動できても、、、脳みその支配は、、介入するには

               優れた専門知識が必要です。権力を振り回す政治家は
                     何を失ったかも、、ワカラナイまま、、、
                       自分の権力に頼ってしまうと、、、

                      国際間は大人だから、、、

                     外国から相手にされなくなってしまうと、、、

                      武力の出番医なってしまい、、、自滅する方向に導かれた仕舞うと、、、

                  戦後を生き抜いた、、婆ちゃんは、、思う出来事の一つが、、、

                     国家権力の乱用を、、新政権にさせないという

                 国民の責任は
                      選挙で、、
                       中身の豊かな
                         理解力の確かな真摯な性格と
                    
                  「人間の敵は、、、時間でもある」からして、、、

                       未来につながる教育を、、
                      世界レベルで伝えてゆくことが、

                      自治体と、、国の足並みがそろうのではないでしょうかね?

                     

                  自治体も、かたくなに、、、自分たちの仲間の意見だけでまとめていくと
                 くにと繋がらないと、、、何処にも隠れようのない時代が来ました。

                    日本国と自治体の一体化で、、世界についてゆくことが、、、

                       この小さな島国の、、生き残りがかかっているのかもしれません。

                    世界に通用する事を、、大切にせねばならない時代が来たのではなかろうか?         

                   

        

  

                

             嘆いていたのが、、、政権がまた自由門主党に戻り

            がんセンターの方から、、お呼びがかかるようでした。

           しかし、、政権の交代という、、クレパスに陥った弟は

              国立の施設からも、、、研究からも、、卒業できたのは

             生涯かかって、、集めた正常という検査値の証明の有る
                 正常の結家記の検体を、、、
                  無断で捨てた、、、侵略者の居るがんセンターでの

                    お呼びには、、、答える気力は無いと言っていた。

             正常と証明の検査値の有る血液が、、どんなに大切な研究材料なのか、、、!!

            解らない人に、、、占領されたことは、、、

           研究者としては。。。もう生きるより、、、

          画像診断の、、医療面で、、臨床家として、、生きて行くと言って、、

              国立からは、、、英雄は死なず、、、消えるのみ、、、

            新たな私私立の職場に迎えていただき、、、元気を取り戻しました。

             臨床医の激務と時間貧乏は、、父の時代で知っているのに

             がんセンターは、、立派になりすぎた建物の為なのだろか?

            弟に、、赤ん坊の頭の大きさ位の、、
                  卵巣腫瘍を捉えてもらった
                     患者だったこともあり
                       検診は、
               自分の体内への、、ツワーであると考えて、、、

                出来たばかりの、、ぺっとCT診断も経験があります。

            当時のペットCTは、、、
                 精神状態や、、
                 部屋の雰囲気でも画像が影響を受けるという
                   デリケートな心身肉体の相関関係での異常を見逃さないという

                検査室は、、ガンセンタでも、、最高のデリケートな空気が在りました。

              弟が定年を迎えて、、国立系の研究所も、設備を整えて勧誘してくれたそうですが

             新政権の「弐番じゃだまですか?」思想でピイと葉擦れの政権が

                研究費も、退職金も半額以下にして

              退職の後も研究を続ける為の検体の、、「正常血液も膨大な資料」も

            勝手に処分したのか?…どっかで使われているのか?

              行方不明になるような待遇を受けた時

                 仮に研究を続けられる環境が戻ってきても、、、

                計画していた研究の貴重な「健康血液」を、、、

               勝手に処分してしまうような輩に囲まれて、、、

              データーは守れないと案が得てしまったと

              定年後の、、自分の意志が反映された、、第二の人生は

               膜になったようでした。

              患者だった私は、、、弟の部屋で説明を受けて

                施術に臨む前に、、、

               遺言も搔いたし、、、弟のひゃの図書やファイルを

              見せてもらったものや。。これから研究したいと言っていた事のファイルを

            表紙の実時だけではあるが、、、携帯の写真で記念医撮影してきたが、、、

              携帯は、次々と取り換えたため、、、その写真は、、見当たらなくなってしまった。

              しかし、、記憶の中には、、勤勉な弟のファイルの字が

                 健康人の血液とともに、、、廃棄されたかと思うと、、、

                世代交代は、、、もう少し、、、貢献した先生方には

             お手柔らksにと思うのですよね。

              患者さんの記録と言っても、、、弟の患者さんは

                有名大学の学長さんお依頼での再検査だったㇼ、、

                誰でも知っている、、、
                 今死んではならない、、
                    日本を守っている政治家だったり

               表立っては言えない方々を検査して診断した結果を
               再検査して、、、頼まれた検査の結果は間違いないという、、

                査読とか言っていたが、、、壁から壁までの
               saikennsa のファイルや,、フイルムで
               床には畦道のような、、予約フルむが積み上げられていたのを知っている。

             国立がんセンターの黎明期の団塊の世代は秀逸な日本人だったと思いますね

              素の世代の後は「板子壱枚下地獄、、、?」

               呑気な見解の戦後っこの茶髪時代が到来して、、、

               団塊ので代が、、お守りせねば相すまぬと思うような

              ご苦労にご苦労を重ねられて、、、耐えがたきを耐えて来られた

            昭和天皇様が、、、御隠れになり、、、

              皇太子だった、、戦後の究極のこどくな人と言われていたやんごとなき方を

               民間の平民であった美智子様が

               皇太子の恋、、!!!、、、の恋人として

              軽井沢のテニスコートに現れてから、、、

              皇太子さまの孤独は、、消えて、、、国民とともにあり続ける皇室に

           国民の血が、、皇居の二重橋を超えて、、、戦後の日本に

            新しい皇室を繰り広げていった。

             皇室は、、国民の宝物でもあるという、、、

            象徴としての輝きがあり、、、、国民とともに歩んでくださる

            ナルちゃん憲法で、、、
            国民から出た「美智子様が、、、つぎの時代の天皇となられる方」を
        
         エプロンをかけて、、、手料理で育てるという、、、

            婆が若いころの、、、お手本を示してくれるような

             さわやかなスマイルの皇太子ご夫妻でした。

            戦後のドサクサで育った、、、婆ちゃんは、、、

              美智子様のされる判断が道しるべに名rましたね。
          戦後を乗り切ったのは団塊の世代の頑張りと、、、

           日の丸のルーツのような歴史の皇室に、、、国民の血が入って

            国民とともに歩む、、、日本の誕生以来の歴史の家系の天皇家が

           国民とともに、、未来を生きて行ってくれる、、、天皇家になったと遺事ですね。

          美智子様は日本の戦後の。。救世主の使わされた、、、日本を救った女性だと、、、
           80歳になってしまう直前で、、、婆ちゃんは、、口に出して言えるようになりましたね。

           ありがとう、、、美智子様、、、

            皇太子に寄り添い、、、天皇に寄り添い、、、そして今もなお、、

            お幸せな、、老後によりそわれ、、、

           このような素晴らしい女性が、、、戦争のさなかにも育たれていた日本は

          スゴイ国ですよね、、、!!

           誇りの持てる国ですよね!!

           世界に戦争を無くせる日が来ることを信じて、、、

             日本は復活したけれど、、、

            もう一度でも、、戦争の巻き込まれるよう事があったら、、

           団塊の世代も、、、美智子様も、、、神は使わしてくれないという事を

          肝に銘じて、、、政権同士で争って、、、貴重な健康人の保存血液を

          無断で処理するような、、乱暴な。。世代交代だけは、、、しない様に

          かって在った事、、、何を失ったかもわからない、、乱暴な、、やり方は

             戦争の種のような心ですから、、、

             何事も、、、温故知新で、、、温故知新こそ、、、

            枝分かれして天空を目指す大樹のように、、、
            日本自体が神木のような
             発展を出来るように、、、

              ジャンルの剪定は、、、

                残す枝残さぬ枝葉、、、

                樹には酒をかけて、、、言って聞かせ、、壱週間は覚悟の時間を与えて

               世代交代の為の剪定は、、その気を知っている、、、知り尽くしている

              プロの目で、、、居る枝要らない枝、、を区別すべきです。

             国立がんセンターの検査で、、正常だという検査値の有る

             保存血液は、、宝物の検体だ有ったのに、、、

             無断で処理されて、、、見える者の宝物だけが残っているという

            未来の研究材料の消滅に、、、しばらく落ち込んでいた弟を

              見た葉いられない落胆でしたね。

             研究の比較対象の材料となりうる、、、正常血液は何十年もかかって

             須郷研究結果を出せる検体だったと、、、彼はつぶやいていた。

          疲れてきたので、、いきなりプチン、、、本日の回顧録の日記帳は、、ここらへんでお終い!!

           何を書いていたのか?話がドンドン、、渦巻いてしまって、、本人も、、訳が分からなくなったよ!!


              


       高貴なランの話だったよね、、
          この、、高貴な君子欄は、、、ヒガンバナ科、、、
 

                 
     
               


   



           

         














    北朝鮮が、、日本海に、、
      何発も打ち込むミサイルの振動と、、
       化学物質は

    マントルの振動をうながし、、、

       小さな風の動きから、、、波長が増幅と合成を繰り返して
      吊り橋が、、、木っ端みじんに壊れるように、、、

      地球の内部の火の玉の液体は、、、吊り橋のように

     無限の方向に、、、小さな武器の起こした振動を増幅させながら
    天地、、、岩山、、海をも含んだ微細動を繰り返し

     増幅して、、釣りバスが木っ端みじんになるという
     地震や火山爆発によって、、、
      地球全体の均衡をとっているというような

     夢を見て、、飛び起きた。

       モロッコに、地震がが起きていた。

     震度もマグネチュードも、、、日本ではもっと激震が起きているが
      不思議な事に、、、日本は。。モロッコの街のように

      地耐力も、、建物の崩壊防止力も、、、大きかったのだろう、、、

     あそこまで、、、壊滅状態の崩壊はまかったように記憶している。

     我が家も、、家を建てるときに、、

     地耐力を測定して、
       東向5分の一が
        埋め立て盛り土の斜面の雛段であることをしって

      埋め立て前の地盤からの、土台に工夫を凝らした。

     北海道の最近の地震でも、、、ヘアクラックが出来て

      土台の一部から剥がれ落ちる表層のミニミニ雪崩は起きたが

     日本の建築技術はスゴイと思う事がある。

     モロッコの復活には、、、格安原価をさらに

      下回る、、、材料だけのお値段んで、、、

      モロッコからの受注があれば、、、

         政府の援助を得て、、、建築業界は受注すれば

      今度こそ、、、地震が来ても、、、
     簡単には崩れないモロッコし甲斐が誕生することは

      地震王国の日本だからできる、、、ボランティア精神で、、

     世界のほころびを、、、治せたら、、素晴らしいことですね。
         今日は、、何を書いていたのか、、、わからなくなった日記でした。

        呆けそうになったら、、日記を読み返したいと思います。
              

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