花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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札幌の2月26日の異常暖気

2022年02月26日 | 日記
毎日氷点下が続き、雪ばかり降り続けた札幌市だったが
  本日は、晴天なり、
    おまけに8度(℃)もあると道新の天気予報欄には出ていた。
表に出てみると、、、
  記録的な2022年の雪だけに
     私は旦那の背丈と比較するために、
        寒いから、、、外でのモデルは断るというのに
          
温かだから、、私がこの冬に掻いた雪を観乍ら
   「愚公、、、雪山を移す」という
        雪国の女性の奮闘に免じて
          異常気候の記念写真を、、、日記に残す助っ人をお願いしますよ
        m(--)m
無理やろお願いして、一見、厳寒の戸外に旦那を連れだして
   雪山の高さと平均日本人の背丈と比べてみてください。
       

   スゴイでしょう!!

やっと、、、一休みの今日は、整形でもらった首の固定バンドをしていないと
肩が凝って、、、首を回すと、、、こわばるのです。

60歳まで、大学病院の薬局で仕事をしていた私は
   17年前なら、、、このような肩こりのひどい患者さんに

      先生は、、、何を処方していたかを思い出しました。
        傷寒論の初めに書いてあった
          「葛根湯の症」だと思いだした。

    幸い、、、葛根湯なら、、ツムラのエキス剤が手元にあるから。

     ぬるま湯で、食前に服用した、

        今回の雪かきの肩こりは、、、、まさに!!!

        「葛根湯の症」でした。

      奇跡的に、後背のこわばりがとれて、、、

        整形外科の首輪もとれて、、、
          実に楽になりました。

       後は、、、水代わりに、ポカリスエットを飲みながら
      コロンボ警部の若き日の作品に
         思い出のあるシーンを見直すと

        コロンボ産の魅力は、色彩で言えば
          周りの色が、ぼやけているので、
           コロンボ警部の刑に目という超専門的な視点が
          浮き出ているのに、周りのボケ色のコントラストが
        実に、温かな人格のコロンボ警部なのに
       犯人を追いつめる殺人科の刑事の視点の厳しさが
      魅力に変わっているのだと、、、、気が付いた。

      アンポンタンの可愛い愛犬
       誰にでもなついて、、、番犬にはなりそうにもないが
        コロンボ警部の「かみさん」と犬は、
      欠かせないコントラストになっている。
        一目で、、、賢いシャープな警部だとは、、、
          およそ気が付かない。
        しかし、視点の鋭さは
          球体の全表面のプロが居ると仮定するなら
          給の表面の無数の点の様なプロの視点を
           一瞬の質問の答えから
            眼光鋭く見抜く総括した判断力と想像力を持っている。

      昭和天皇陛下も、
         この番組が大好きだと、
           お話になったという記事を
             若き頃に、何かで読んだ時に

           コロンボ警部のTVは当時の人気番組でもあった。

         再放送は、、、ほとんど、、、思い出せるほど
          若き日に観たものばかりではあるが

          78歳を目の前にして
           再放送を観るときは
            格別な親しみと、尊敬と、感心する事ばかりである。

         本来の人間のありようは、、、自然体の中で、

             専門家の、、ただならぬ視点が交叉して
           専門分野だけの世界に人格を偏らせてしまったエリートが
          一見、当たり前の様な本能のしぐさに盲点があるという

           病気を診て、人を見ない超専門家の偉い大学の先生が
            「山から帰って来た子供」が
          「耳が痛いという病気」で来院したとき

          高度な検査をスタッフに指示している間に
           コロンボ刑事なら、、、

          「懐中電灯を貸してくれない?」
           子供の耳を懐中電灯でのどいたら
          小さな虫さん(^^)光に向かって飛び出してきて
           「耳の痛さが治った!!」、、、というような事を想像すると

         コロンボ警部の前には、名医も脱帽するという例えが
          当てはまりそうな、、、笑いが同居する。

          本来の「笑い」とは
        お笑いとはとがって、、、
           笑わせようとするのではなく
         観ている客、聴いている客が
           思わず,、、クスリ(^^)と笑ってしまう、、、
       高度な視点が、、、偶然か故意かワカラナイ立ち位置で
          内蔵しているという事ではなかろうか、、、

        騒々しく、、、笑わせようという笑いもあるが
          笑いの根源というモノが
         コロンボ警部の映画には有る事だけは確かであると
        私は、その、、、笑いに魅了されて、何回見ても発見が有る。

       大雪の日が続き、、、葛根湯で首輪をはずし
        コロンボ警部に2度ぼれ、、、3度ぼれしながら
          私の人生は、、、もうすぐ、、、タイムウップに向かってゆく。
        
    置き忘れた、、、雪かきスコップのように、、、
      人生の忘れ物は、、、春の入学シーズンには融けてしまう雪の如し
      
       

人生も、季節が移って、若者の時代になって
   私の存在は雪のように消えてゆくのだろうね、、、きっと。

道新の広告欄に「石原慎太郎さん」と「曽野綾子」さんの

「幻冬舎文庫」の新刊の広告が出ていた。

その広告は、大きいので、皆も見ていると思うから
繰り返す必要は亡いとは思うけど、

「死という最後の未来」と書いてあった。

聖書の言葉のようでもあり
御釈迦様の極楽浄土の歌声でもある様な響きの言葉である。

死をリアルに意識した二人が語りつくした
  「人間の宿命」

超エリートの男性と、超づ脳明晰な女性作家の語りつくした
「人間の宿命」

。。。。。ジーと観ていたけれど

私は「死を意識はしているが、、、」
   「死んだら楽になれるという保証が有るように信じている。」

どんな人間も、、、「死んだら楽になって、、土に還る」

「死んだら,、、おしまいになったたという,、、完了。」

確かに人生は、皆、、、苦しみも喜びもてんこ盛りである。

頭の良い人たちの語りつくすテーマが26項目も
 新聞広告に書いてある。

確かに、、、、

 慎太郎さんは死なない人だと思っていた。
   目をぱちぱちさせながら

     普通の人は考え付かないような文を書く人だった。

  私は78才、、、今は屋根に上って
    五時間もかかって、、、雪下ろしをしているが

     肩こり、右足ひざ下の痛みは半端ではないが、、、

       屋根から落っこちても、
    地面までつながっている雪山に
   もぐるぐらいが関の山、、、死にはしないだろう.。。と。

    いつも「死」を意識しているくせに
    今日はまだ、、、死なないだろう、、、と
   ありったけの力を出して過ごすことにしている。

   車庫の前の堅くなった雪山を観ると
   雪と言っても三叉万別で
      毎日違うように
    人の人生も、「人生いろいろ」、、、

    こんなに優れたお二人も

   「死の受容は、、、死ぬまで、、課題であるのだな~~~」と

   この広告を切り取って、、、しばらく見ていた。

   孫が、、大学を卒業するまで、、、生きて居たいから、、、
   今日は元気だから、、、
      80歳を過ぎたら、、、この本をかって読もうかと思い
    切り抜いた広告を、仏様の引き出しに入れておいた。

   死の受容ほど、、、むつかしい卒業式は無いと思いながら、、、

    死んだら楽になれるという保証が、、、めちゃくちゃに働ける。


  死後の世界が未来につながるなら、、、美しくなって
     今度こそ、、、「愛される女性の人生を過ごせたらいいな?」
   化粧も、美容院にも円が無かった人生では

   なにかに追われて、、、時間がすっ飛んで行った。
     考える時間が有って、、、自己実現できる未来が来るなら

   死んで、、、また生きなおしても、、、面白い人生かも知れないね。

    やっぱり、、慎太郎さんと曽野綾子さんの本なら、、、
        今読むべきかもしれないね、、、。

    私は理科系の頭に偏っているから
      音楽家の母からは愛されなかったし

     医師の主人からも
       「よく働く都合の良い女性の座布団をもらっただけで、、、」

     「愛は邪魔という、背中合わせに自分の持ち場を守り
        働き続け、、、動き続けた、、、舞台裏の、整理整頓係の
          雑務に明け暮れ乍ら、、、

     昭和生まれの女性は「ながら族」の特技があるから

       同時に5つぐらいの仕事を進行させる特技で
        時間は5倍に使ってきたが、、、
          50歳から78歳までは、、、昨日のようにすっ飛んでしまった。

   このままでは、、、タイムウップが来ている歳だけれど
    「死の受容は出来そうもない。」

   願わくば、、、父のように、、、
      患者さんの手術の執刀をした後、、、
         麻酔が冷めるまで、、転寝をしながら
           そのまま眠ってしまったように

   本人も、死んだことに気が付かないという、、、
       外科医だからダロウか???
         過労死、、、という、、、
            突然の死。

   母は、、、50人ほどの生徒さんを教えていた「ピアノの会」の先生。
     お弟子さんは、、、親子二代で来ている人もいた。

   結婚前は、私も発表会に参加させてもらい
     母とレンダンなどをして、手伝った事もあった。

   レッスンが終ると、、、母は

    駅前のパチンコ屋さんに行く。

    パチンコ屋さんのお兄さんは
      木箱でク母のパチンコ玉が無くなると
       お代わりの玉は無料で木箱いっぱい継ぎ足してくれていた。

   閉店までには、球は無くなり、、、母はストレス解消でき☜
    私に、、、駅まで車で迎えに来なさいと言う。

   親の依存して、大学に通っている以上
    試験が有ろうとなかろうと、、、お迎えに馳せ参じていた。

   母は、アグレッシブな性格で、50歳過ぎてから
     車の免許を取得した。

   しかし、、運転は怖いらしく✋
    駅前のパチンコ屋までは20分ぐらいかけて
   アーケードの屋根の下を、大回りして
     レッスンが終ると、

    水に潜っていたイルカが水面に呼吸するために
    一途に泳ぐように
    パチンコ屋が「ストレス解消」の
      チンジャララ音楽だったようである。」

     レッスンの時のままの
       くるぶしまでのロングスカートのまま
          何年も、パチンコ通いが続いた。
     母は、、、無くなる三日前には
       パチンコ屋の、、木箱で球を継ぎ足してくれる店員さんに
         楽しそうに、「ありがとう!」を繰り返し乍ら
           遊んでいたときいた。

     自宅に帰ってからは、急に意識が無くなり
      弟が病院に付き添ってくれた。
        病院からは、、、毎日弟が電話をくれた。

     「お姉ちゃん、、、今度ばかりは、、、東京まで来た方が良い!」
      3回目の電話では、「死の宣告のように聞こえてきた。」

     北海道に嫁いで、子育てに奮闘していたせいか
       母とは、何年も会っていない。
         
       実家で長男を出産した時、
         一年間、母と暮らした。

       長男を連れて札幌に帰る時に
          羽田まで送ってきてくれた。

        それっきり、、、会っていないまま
        長男は薬科大学の学生になっていた。

       試験中でもあり、、、私はベランダに上がって
      「お母さんに!!」

        「私の身体を半分、、、お母さんの為に空けるから!!
         死ぬ直前に、、、私の体に入っておいで!!」

        母と交信できました。

       背中が敗れたような激痛が走り
        母の魂のオーラーの様な波長が身体を突き抜けました。

       それから、、、ゆっくり、、、札幌駅から、

      母が好きだった「藤田嗣二の美術館のある秋田で降りて」
       裏日本を鈍行で走り
        「体に入って来た母と、交信をしながら、、、」
         翌日の葬式の会場のお寺に行きました。

        母は寝ている様な笑みを浮かべたまま
         悪寒の蓋は開けたまま
        親戚や、お弟子さんが母のお別れを言っていました。

       弟が、全てを引き受けてくれて
        がんセンターの医師だった弟のお仲間も
          お寺の庭に、テントを張って下さって
           粛々と、葬式を無事に進めてくれました。

        高校時代の弟の友人に、
         当時は「卵どんぶり」や
          時には「うな丼」などをつくってあげた
       姉さんの顔を
        覚えていてくれて、、、炊事場で奮闘しているすし桶などを
       車で自宅まで運んでくれたり

        母のお葬式は「にぎやかなお見送り会」でした。

      あんまり、、孫たちが走り回るので
       弟の長女が大きな声で言いました。

      「みなさん❕!静かにしましょう!!、、、」
       「おばあちゃまが、、、起きてしまうでしょう!!」

       「静かに、、、寝ているのだから、、、!!」

        小学生の姪っ子は、、大真面目で会場静粛を叫んでいます。

      弟は、母のお弟子さんたちでうまっている境内に
       朝礼の朝のように「お礼のあいさつをはじめました。」

       80歳を超しても、、、母は。現役で
         生涯、自分の道を貫けた幸せな生涯を

           支えてくださったお弟子さんたちに
             母に変わりまして感謝と、お別れを申し上げます。」

       このような声が聞こえてくる会場には
        札幌薬剤師会から送ってくださった花輪が飾られていました。

       私も、現役の薬剤師に復帰していた時期でもあり
       たった一つの花輪が、、、母の為に用意された事を
          今も感謝の心で忘れられないお別れでした。

        母は、、、死んだことがピンと来ていません。

        気が剥いた頃、、、また現れそうな気がしています、

     こうして「死」という事を考え出すと、、、
       本当に、、、
        私も死んでしまって、、、
        一握の灰になってしまうのかな??

    慎太郎さんと曽野綾子さんの本は、、、coronaが静まったら
     コロナから生き残れたら、、、
       本屋に行って買ってこようかな??

     78歳になると、、、
       「死について考える事」は未来を考えることかもしれませんね。
      本日の日記は、、、本の言葉は、、、
        友達以上だということかもしれませんね
       
      
         
       
        

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