歴史上、政治体制に不満を持った者が起こした戦の中で、
支配者層の中で起きた権力争いを「〜変」という。
教科書に出てくる1582年明智光秀が起こした「本能寺の変」
1864年、京都御所での「金門の変」などが思い浮かぶ。
朝の散歩道の途中に「仲屋金盛ミャーカー」という史跡がある。
16世紀初頭に宮古支配者として君臨した仲宗根豊見親の
嫡子の墓。金盛には那喜太知という兄弟がいた。
豊見親が勢力を拡大していく中で従軍し多くの手がらを
立てた兄弟であった。
しかし兄の金盛は与那国遠征の帰りに多良間で亡くなってしまう。
そこで弟の那喜太知が城辺を収める首長となり、みんなに慕われた。
人気が出ると妬む者も現れる。
豊見親の家臣が「那喜太知に謀反の恐れあり」と嘘の報告をする。
確かめるために野原岳で宴会を催す。
宴もたけなわになった頃、隠れていた兵が一斉に
飛び出して那喜太知を討ち取ろうとしたが、那喜太知は
身の潔白を証明するため崖から飛び降りて自害したと
伝えられている。
その後、事件を調べるために琉球王府から糾問使が派遣されてくる。
那喜太知の潔白が証明され、嘘の報告をした者はのちに
自害したと記されている。
家の近所にはたくさんの史跡がある。
宮古島の歴史も知れば知るほど面白い。