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うんたま森のキジムナー

宮古島の沖縄戦

米軍の上陸があるとされていた宮古島では、

敵の上陸地点に兵力を集中し、一挙に敵を壊滅させる

「水際作戦」を立てた。

 

万が一、敵の上陸を許した場合は、

野原岳(のばるだけ)周辺の陣地間を複雑な迷路や枝状の通路で

繋ぐ複郭陣地で持久戦を展開することも計画していた。

そのため、敵上陸地点を地形から判断して、

①平良港

②下地村宮国から嘉手苅 

③白川湾

の3ヶ所と予想し、それぞれの地点に水際陣地、特攻艇秘匿壕、海軍砲台などを

構築し兵力を集中展開した。

 

そのため小さな宮古島に約3万人の将兵が配備され、

ほとんどの兵種の部隊が展開していた。

 

結果的に米軍の上陸はなかったが十・十空襲や

五・四艦砲射撃などによる被害と、飢えやマラリアで、

住民を含めた多くの命が失われた。

 

宮古諸島に配備された日本軍は、捕虜となることなく

組織的に武装解除して降伏している。

そのため任務を終えて帰還するまでの間、

慰霊塔の建立や戦後の政治、軍事情報などの情報誌の

発行といった、沖縄本島では見られない

日本軍の戦後があったという。

 

持久戦に持ち込むために掘られた野原岳の地下壕は

複雑で今だにすべては解明されていない。


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コメント一覧

kijimuna
コロナの7波がやってきたようです。
沖縄の一日の新規感染者数が2000人を超えました。
宮古島でも95人、八重山でも広がっているようです。
ダイバー
沖縄本島、首里城の地下や周囲にも日本軍の構築した地下要塞があったようですね😵 戦後75年、殆ど調査も出来ていなかったそうです😅
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