旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

チベットの古いバター茶碗

2023年11月01日 | チベットもの



チベットのバター茶碗でござる。

以前、チベット民藝の回でも登場した銀装飾のバター茶碗です。







写真の物はラダック来歴。

ただ、ラダックには木材が乏しいので、
僕が知る限り、
良い品質の木製茶碗は作るのは難しい。

レー近郊のチベット寺院で使われていたお椀だと言う事であったが、
元々はチベット本土から渡って来た物か、
何処かの来歴だと個人的には思っている。






木の部分。

木目や色から、
ザップ系(正確にはザップの同系種族)の木を使っていると思っているが、
改めてよく見ると、
部分的にザップの特徴が見られる。
もしかしたら、ザップの可能性がある。
それであれば、より価値が高い。

バター茶碗の良い物は、
希少なザップという木の種類(木の瘤(コブ)の部分)を用いる事があり、
ザップでないお椀もある。

その木材は何処の木を使って居るかと言うと、
チベット本土やネパールで、
詳しい人に聞いたところによると、
チベット本土では、
東南地方のニンティ近辺からの木が用いられる事が多いらしい。

どうやら木材が豊富という理由らしいが、
僕はこの目で伐採現場を見たことがないので真偽は分からない。

ただ、ニンティといえば、
南に下るとアルナーチャル・プラーデシュ州がある。
アルナーチャルはジャングルだったので、近隣にも木はあるとは思うが。

余談だが、
昔、菩提樹の木の産地である、ネパールの地方の村の森には行った事があるが、
ド田舎であった。
連なる山ごと菩提樹の木が生い茂っていて、
村々の民家では菩提樹の実を摂って、手作業で殻を剥き、ブラシで綺麗にしていた。
貴重な現金収入でもあるのだろう。

もう説明不要だろうが、
菩提樹の実は、チベット仏教で欠かす事の出来ない数珠の珠になる。








吉祥紋様が、
良い技で雰囲気良く打ち出されている。

日本人や外国人に同じ同じ紋様を造らせても、
同じ様にはいかないだろう。

食事でも工芸品でも日本人の技術は凄いが、
現地とは何処か違ってくる。

この雰囲気こそが大事なのだと個人的には思う。

何十個もすげー見て、この一品を選んだのだが、
比べる物があった方が良さが伝わり易いのかもしれない。




美しい。

木部分にはパティナ(古色艶)もバシバシである。

このパティナは、
チベタン・ターコイズにオイルを塗り、
見栄えを良くテカらせて売るのとは異なり、
時間を経た自然のパティナなのです。

チベットの古いお碗は、
ビーズなどの小物に比べ、
日本ではイマイチ注目されないが、
チベット人達の間では価値が評価されている。

ラサやカトマンズの高級店とかだと、
とんでもない高値が付いている場合もある。

因みに、チベット語でお碗は、
「ポバァ」と呼ばれている。
(音聞き、地方によって呼び名は異なります)

なお、
チベットの銀工芸で最もレベルが高いのは、
東チベットのデルゲだと聞く。

一時期、
もう日本人が行く事は難しいと噂を耳にしたが、
僕は何度かデルゲに行って、色々見たが、
個人的には技術が高いとは特段思わなかった。

ただ、ネパールに渡ってきたデルゲ来歴のガウ(帯同小型祭壇)とかを見ると、
確かに、透かし彫りとかの技術が高い物がある。

ブータンも技術的に上手い物が多い印象だ。

金物工細は、ネパールだと、
パタンとか盛ん。

ネパール様式に限らず、
チベット仏教の物も
作っているのはネパール人だが、
彼らは手先が本当に器用だ。

新しいチベット仏教様式の工芸品を見ると、
中には本当に良く出来ている物も多い。

前回のラダック渡航で、
良いキュン(ガルーダの類)の形をした、
ターコイズが埋め込まれた新しいペンダントを目にしたが、
ラダックの物とは異質だったので、
店主に聞いたら、「ネパールで作らせた」との事であった。


余談ついでに裏話を言うと、
秘境とされる旧ムスタン王国での物だが、
実は、
新しい物は、ポカラで業者が仕入れて、
ムスタンで観光客に売っている事もある。

「せっかく、ムスタンまで来たのだから記念に購入しよう」と思う
観光客に商売するトリックなのである。

もちろん、ムスタン来歴、
またはその先のチベット本土来歴の物もあるのは事実だが。

プーン・ヒルの途中に点在する村々の物も
ポカラからの物も多い。

以前、日本人のお金持ちトレッカーが
「ヤクの毛のショール」なる物を購入していたが、
どう見ても化繊の化学染料バシバシの量産品であった。

物の見極めは大切かもしれないが、
旅の思い出としては良いだろう。


さて、
色々見て、個人的に思うが、
チベット人よりネパール人や中国人の方が、
工芸品に関しては、概ね、技術が高い。
と言うか、
「丁寧」である。

チベット人の技術は、
ダイナミックな良さがあるので、
それを良しとするか否かは人それぞれだと思う。


歴史的に見ても、
ネパール人の多くがチベットに工芸関係の職業で行っていた事を考えると、
やはり、
ネパール人は工芸技術が優れているのであろう。
まぁ、ネパールの寺の古い木彫刻とか見ると、
その優秀さは分かるけど。

ただ、これが謎なのだが、
チベット仏教の絵画、となると、
チベット人はとんでもない才能を発揮する。

寺院内の僧侶で幼少の時から専門職につく坊主が居ると聞いた事があるが、
凄い絵を描く坊主が居るのであろう。

タンカ(仏画)とかも、
現代のネパール人タンカ絵師も凄い上手い人が居るが、
古いチベタン・タンカを見ると、圧倒的な違いを感じてしまう。
その違いは何なのであろうか。

因みに、古いチベタン家具の絵の修復は、
ネパール人も多く携わっていて、
以前、今は無き修復工房に見学しに行ったが、
中には物凄い技量のネパール人絵師も居ました。

それらの職人は無名で、
光も当たらない。

複雑な想いを抱いたのを覚えている。


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話は逸れたけど、
バター茶碗。

チベット人またはチベット仏教圏の人々にとって、
数珠と共に一番身近な日常品だと思う。

突然、値段が高額に跳ね上がるとは思わないが、
美しいチベットの民藝だと思うのです。

技量の良い物を生み出す、または生み出した名も無き職人の作品である。

無名こそが美しいとも思う一方、
個人的には、作者名を彫っても良いのでは、と思うのは、
現代的な思考だろうか。
でも、そうすれば職人の職業価値や生活向上にも繋がるとは思うのです。


これからも良い物と出会ったら、
人知れず仕入れていこうと思う。

売れなくて、
不良在庫になるのが怖いけど、良いのだ。



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