旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

チベット仏教の仏像の事。

2024年01月03日 | チベットもの


明けましておめでとうございます。

久々の投稿です。

渡航しておりました。

色々あったよーな、
なかったよーな渡航中の事より、
イキナリですが、
まずは仏像に関して書こうかしら。

チベット仏教の仏像の事です。

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チベット仏教の仏像と言えば、
19世紀とか18世紀とかそれ以前の古いオリジナルの良い物であれば、
市場価値は、数百万円から数千万円以上の価値が、
当たり前に付いている物である。

仏画タンカと並び、
紛れもない、
チベット仏教美術の二大巨頭である。

10年前くらいだっけな?、中国人市場でも値段が爆騰した記憶がある。

クリスティーズとかのハイエンドのオークション・ハウスでも、
かなり以前から、その美術的価値により超高額で取引されてきた。

美術館や博物館の展示会でも人気を博すジャンルであろう。

僕はどうであろう。

チベット仏教の仏像に関して、
かなり以前から触れてはいた。

辺境の古いチベット寺院へ行くのから始まり、
10年前に中国市場で偽物が氾濫した時期には、
機会があって、
北京の偽物工房に見学に行った事もある。

一応言っておくと、
これは、あくまで知識のために見学に行ったのであって、
偽物を買って売る為では、決して、ない。

そこでは古いオリジナルが一体あり、
それを型取りして、古加工されていた。

そもそもがオリジナルの型である。
それに加えて、
中国人の職人の偽物加工の技術たるや、
そのクオリティの高さに驚いた記憶がある。

簡単に言うと、
ぱっと見、偽物って判断するのは難しい。
特に、写真のみでの判別は難しいと思った。

偽物氾濫の騙し合い金銭主義の世界に塗れ、
仏像というジャンル自体も、
多くの人に既に認められた既存価値観を感じてしまっていて、
僕にとっては、
メインでやる事ではないと思っていた。

そんな事もあり、
しばらく、仏像からは離れていた。

とは言え、
日本でチベットの仏像展とかあると足は運んでいたし、
ネパールの金工細工の街パタンにも何度も赴いていたし、
事あるごとに、
現地で仏像は見ていた。

以前、ラサに居た時には、
数百年前のオリジナルも見てはいた。

チベット仏教の古い物の売買業に置いて、
基本は、
数百年前レベルの古さのオリジナルの仏像の売買は、
タブーである。

表では売買されない。

それはチベット本土でも、
ネパールでもラダックでも同じである。

店頭に展示しては居ない。

扉を閉め、
こっそりと見せてくれる物である。

または別の場所に保管してある。

または個人の所蔵となる。

もちろん、
現地、古い寺院に行ったり、
博物館や美術館に行くと、
オリジナルの素晴らしい仏像をダイレクトで見られるが、
それらは売買の対象ではない。

信仰の対象や、
美術的・歴史的価値としての仏像の話は、
ネットや本、各種美術館に溢れているので、
そちらをご参照いただきたいのです。


事前に言っておくと、
美術館等以外で、
「売買の対象」となる、
本当に古い仏像とも何体か出会いましたが、
諸事情で写真は見せられません。
なので、
ここでは、
古い仏像の写真のご希望には添えませんです。


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さて、今回のお話である。

今回、ちょっと本気で探してみた。

実は、少し前から個人的に仏像を欲しくなっていたのである。

場所は、ネパール。

チベット仏教の仏像でネパールとはなんぞや?と思うかも知れない。

古くから、
チベット仏教の仏像製作はネパールが有名であった。

正確に言うと、ネパール人の手による仏像製作である。

ネパールの職人の仏像製作の技術は古くから優れ、
チベットに出稼ぎに行ったり、
古くは現在の北京に職人として招かれたりしていた。

東京国立博物館が所蔵する多くの古いチベット仏像も、
ネパール製作であろうとは思う。

もっと正確に言うと、
シャキャ族という一族が仏像製作を担う一族である。

名前の通り、
シャキャ(釈迦の語源であろう)をルーツに持つと言われる一族である。

ネパールのパタンやチベット人地区での仏像販売または製作は、
主にシャキャ族が行っている。
古い物として、
チベタンも売買を行っている場合もあるが基本はシャキャ族。

日本ではネパール人と一括りにしがちだが、
ネワール、タマン、グルン、シャキャなど、
実はかなり多い種類の一族が存在する。
世界的に登山で有名なシェルパ族も、
その一族の一つである。

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今や現地でも、
19世紀とかそれ以前の古さのオリジナルは、
余裕でとんでもない金額になっています。

現地でも数は極端に少ないけど、
有るには有るが、
僕は買えません。

そこで、僕は20世紀の手作りの小さな仏像に絞りました。

それには理由があって、
まだ現実的な金額で、
雰囲気もある物を手に入れられるのが可能だからです。

そして、
小さく良い仏像は数も少ない。

あまり言いたくはないけど、
15年前位までは鍍金される「金」にも違いがあります。

一口に鍍金と言えど、方法は幾つかあり、
今、量産される小さな仏像は、
エレクトリック・ゴールドと呼ばれる電気分解の金を多く用います。

一応、金(ゴールド)ではあるが、
ごくごくごく薄い金です。

今や金の値段も高騰してますしね。



これがエレクトリック・ゴールド。
細部にちょっと赤みがある。
ただ、時間が経つと赤みは薄くなります。

写真の撮り方によっては判断は難しい場合もあり、
海外のサイトだと「ゴールド」と記載されている場合もあるけど、
嘘ではないが、制作方法によって全然異なります。

もちろん、
現地での値段は全く違うレベルとなります。

15年前くらいまでは、
水銀と金を混ぜた金が多く用いられ(今でも制作されているが)、
その金の厚みは厚かったのです。



これが水銀制作での金の鍍金。
24Kのゴールド。
水銀と金を混ぜ、直接炙って、水銀を飛ばすらしい。

チャクラ・サンヴァラのヤブユムですな。

水銀鍍金の手作りの仏像でも、
値段はピンキリ。

こだわらなければ、
ぶっちゃけ、小さな仏像なら安く買える。

ただ、
今やドンドン値段が上昇中。

良い物を激安で、ってのは極めて難しいと思う。



金の層の厚みによっても違いが有ります。
上記の写真は鍍金が厚い。

15年以上前の物で、
全身が鍍金の小さな仏像で、
厚みが厚い場合、
金の分量は、0.8から0.93グラムを使用していたと言う。

美術館の学芸員に聞いても分からなかったが、
知人に聞いて、計算してもらった(金板を何分割して..等の計算方法があるらしい)
計算機を用いて割り出してもらった。
正確かは分からないが、可能性としては有り得る。

昔は鍍金の金はもっと厚かったらしい。

日本でも、水銀を使って鍍金する方法は、
昔の仏像は同じように制作されていたと何処かで聞いた記憶がある。

ただ、
もちろん、水銀は体に極端に悪い。

ネパールでも健康被害の事を懸念し、
数年前に職人組合?的な集まりで話し合われたらしい。

なので、
今や、小さな仏像は、
上記のようなエレクトリック・ゴールドの、
型流しのマシン・メイドの量産仏像が溢れています。

代々で仏師であるシャキャ族の知人に聞いたら、
「そっちの方が効率的だから、皆んな、そっちを選ぶんだよ」と言います。

「しかも、水銀を使うのは健康に悪いだろ」とも。

そして、彼は続けます。

「5,6年前位かな、多くの職人が仕事を辞めちゃったんだよ」と。

そこにコロナ直撃である。

工房も店も多くは閉めたらしい。

裏話を言うと、
仏像売買で多くの人、多くの家族は、
今やカナダとかオーストラリアとか海外に移住してしまっている。

店はあるが開いていない店が多いとかを、
よく見かけるだろうが、
実は、彼らはもう商売をする必要がない場合が多いのである。

そして、仏像という特性上、
比較的大きなサイズは、
デザイン、素材、クオリティ問わず、
幾らでも見つける事や選ぶ事はできます。

上記の知人も、
僕の希望を言ったら、
「大きなサイズは簡単だよ。でも小さいのは難しいよね、
需要が少ないから元々少ないよ」と言う。

僕は、
大きな仏像か、量産型の小さな仏像に挟まれ、
数が少ないヴィンティージの小さな仏像を探したのである。

まぁ、これが大変であった。

多くの店を周るのは当たり前で、
シャキャ族の知人達に頼んだり、
あの手この手で、1ヶ月かかった。

アンティークというジャンルにこだわると、
金額は天井しらずになるので、
珍しいデザインのヴィンテージを探しまくった。

チベット仏教の仏像の数、デザインたるや、
膨大な種類になり、
例えが正しいか分からないが、
「レアなフィギュア集め」に似た感覚になったよね。

鍍金云々やデザイン、技術に加え、
素材も、
真鍮、銅、ブロンズなど様々。

これはこれで癖になる。

素材の希少性は、
下から、
真鍮、銅、ブロンズ、となる。

これは制作上の手間や技術によるものらしい。
ブロンズが一番難しいとの事。

因みに、カトマンズは、その歴史的伝説上、
マンジュシュリー(文殊菩薩)が多い。

僕はレアなデザインを探した。

中国人バイヤーとか、
普通の観光客ではないだろう欧米人バイヤーに混じって、
探しまくったよね。

余談だが、
寺院に寄贈される仏像も多くありますが、
例外を除き、
チベット人達は比較的安価な仏像を寄贈する。

僧侶達も信仰対象の大型の仏像を仏像屋で買っているが、
彼らは、かなり良い出来の物を選ぶ事が多く、
一般人が寄贈する仏像とは出来が異なる場合が多いのです。



ヴァジュラ・ヨギーニ(ヨーギニ)の坐像。
通常は立像である。

フィギュア感が満載である。
コレクター心をくすぐる。
古い仏像を求める需要とは真逆をいくかもしれない。

最初、仏師の知人が私物で棚に仕舞っている意味が分からなかった。
でも良く考えると、その理由が分かった。

「これはもうマニアックすぎるな」と思いつつ、譲り受ける。

因みに、60cmを越える大きな仏像は、
幾らでも技量の高い物は見つかる。

小さな仏像は、概して彫りがダイナミックだが、
それはそれで現地のままの味だと思っている。





よく見ると、古い。
ヴィンテージである。



ミラレパですな。
カギュ派の宗祖。
数々の面白い伝説を残している。
小さく古い仏像は珍しい。





古いっすね。
オリジナルっすね。
20世紀の物だろうが、古い範囲に入るだろう。



ヴァジュラ・サットヴァの小さな仏像。

知人のチベット人が持っていた。
僕が知る限り、老齢な彼の眼は肥えている。
彼の物には、何かしらの理由があるのは知っていた。

デザインは特段珍しいとは思わないが、
よく見ると雰囲気が違う。



顔は金箔・絵付けですな。





古いのよね。
遠目や写真では分からないレベル。
この少しの違いが個人的には重要なのよね。







古いロケシュワール。
頭部にティカ(紅い粉)が残るので、ネワールの手にあった物だろう。
好き嫌いが分かれるであろうが、真面目な物ですな。





ブロンズのヤマーンタカ。

上記の知人に
「ヤマーンタカのブロンズの古い小像?良く見つけたね」と言われた。

オリジナルは、まず見ないと思う。
ブロンズの配合も違うのであろう。
色味が通常と異なる。



ヴァス・ダーラ。
ヴァスン・ダーラとも呼ばれるが、
ヴァス・ダーラが正確らしい。

3面6本腕でチャクラ・サンヴァラっぽいが、異なります。

新しい物であれば数は少ないが有るには有るが、
ヴィンテージは珍しい。

知人のコレクションで、彼は非売品にしていた。
一応聞いてみると、最初、値段は高く言われたのだが、
帰国直前に「俺、もう帰るけど、どうする?」と最終交渉してみたら、譲ってくれた。





チェングレシィの台座座像。
台座の彫りのダブル・ドルジェが痺れる。
全身鍍金。

知人に頼んで、閉店した店の主人のコレクションから、
親族を通して持って来てもらった。

もし、一つのみ選ぶなら別の物を選ぶだろうが、
手に入れるべきリストには必ず入る一体だと思ったので、
譲り受ける。


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今回、大袈裟に言わないでも、
仏像だけで、100個は見た。

ギリギリ買える金額の物でも、
商売を考えると無理な場合も多い。

そもそも数十万円以上もする仏像を
今の日本人は買うのだろうか。

現地で会った北京在住の中国人バイヤーは、
中国人は今はもう高額な物はあまり買わないよ、と言う。
北京は経済的に難しく、南部の方が良いね、とは言っていた。
因みに彼は僕の共通の友人で、かつてはラサに店を構えていたらしい。
彼も、小さく雰囲気のある手頃な仏像のみを求めていた。

また、現地の工房へ注文制作も考えたが、
日本人的希望要素が入る気がして、今回はやめた。

仏像は奥が深い。

本当に千差万別、
値段もピンキリである。

今後も続けていくだろうな。

中途半端な素人だか何だか分からない中国人バイヤー達には、
マジで勘弁(オンラインで写真と動画を撮りまくり、場を荒らしまくる)だが、
仏像の魅力は人を惹きつけるのでした。


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最後のオマケに、カトマンズの博物館の石仏。
その仏像の収蔵の数たるや圧倒的な迫力でした。

古いチベット仏も圧倒的な量が有ります。
流石でした。



許可を得て撮影してます。

僕は、ロンドンのオークション・ハウスで働いている、
イギリス人の友人と行ったのだが、
僕ら以外、一般来客はガラガラで、
プロモーションが下手かと思ったよ。


以上、
チベットの仏像に関してでした。


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