旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

日本とは。

2022年07月21日 | 日記


日本に帰国して暫く経ちますが、
今年もしばらく海外に居りました。

日本に戻って来て感じる事を書こうかしら。

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帰国後に感じる事は毎回同じである。

奇妙な国ですよ、日本は。

ゲームの世界に迷い込んだ気分。

皆、同じ行動をし、
せわしなく動き、
本音が分からず、
決まり事に従順なまでに従い、
皆からはみ出す事を恐れている様に感じる。

そう、まるでプログラミングされたように国と人々が動いている。

しかも何処か間違ったプログラミングで動いていると思える。

帰国日が金曜の夜の東京だったという事もあってか、
家に帰る道中では疲れきった人が多かった。

電車内の椅子で体勢を崩し眠る人、
駅前の椅子で横たわって眠るスーツ姿の会社員の男性

皆、ボロボロやんけ。

そんな彼らを当然の光景の様に素通りする人々。
ずっと日本に居たら見過ごすであろう光景が、僕の眼には強烈に映った。

そ、そんなに頑張らんでも良いのに。

いまだにマスクを皆がしているのにも驚いた。

海外では、特に欧米人でマスクをしてる人を捜す方が大変やで。

この違いは何なんだろう?

死への恐怖か、
習慣か、
同調圧力か、
無言の決まり事に従う民族的な習性か何なのか不明だけど、
すごい違和感を感じてしまうのです。

日本への外国人渡航者制限と併せて、
この状況を欧米人の友達に話したら、
「え?なんで?まだ?日本はクレイジーか?」と驚かれた。

「世界の常識、日本の非常識」とは上手く表現した言葉かもしれない。

そういう事もあってか、
毎回、日本に戻ってきてから暫くの間は、
何とも表現できない奇妙さ、とゆーか異様な感じを受けて来た。

今迄は単に僕自身が外国にカブレているのだと思っていたのだが、
どうやら何かが違う。

もしかしたら、
実際の事実として日本は変わった国であるかもしれない。

または、
僕の場合は8年以上海外に居住した事があるのも関係しているのか分からぬが、
居住後も長年毎年、日本と海外の往復を繰り返してきていて、
「外国は良い、日本は悪い」という固定概念が自分の中にできてしまっていたのかもしれない。

あまりにも価値観が違うから。

一方で、
海外で仲良くなった地元民と話すと、多くの人間は自国に不満を持ち、
中には「自分の国はいかに最低か」を力説する人も少なくはない。

政治的な話題になると、それらはより一層強烈になる。

彼ら彼女らに「日本は良い国、自分の国はクソ」と言われる時もある。

まさに「隣の芝生は青く見える」だ。

僕の外国人の友人達は日本は憧れの国で、
「ぜひ行ってみたい」という人間は本当に多い。

確かに、日本は文化的にも食文化や伝統美術、
衛生面、医療、親切丁寧、時間や期日約束を守る、など良い点は多い。

日本という国の良い面は、
日本を外から見て改めて知る事ができるとも思う。

公的機関やサービス業では、
一般的な日本人であれば基本的には邪見に扱われる事は少ない。

海外に住んだり海外旅行を好きな人なら分かるかもしれないが、
海外(国や人や地位などの状況にもよるが)では、
公的機関では普通に邪見な対応をされるのなんて当たり前で、
休憩時間になんて対応してくれない。

僕は先日用事があって役場に行ったのだが、
昼休み中のお弁当を食べていた職員が快く対応をしてくれた。

これは当たり前ではなく、驚くべき事であると思う。

僕は感動してしまった。

なんて良い国なんだ。

神レベルの親切な対応である。

そんな奇跡的なサービスが当たり前にある国である日本は素晴らしい。

日本人が当たり前に思っている事は、
実は当たり前じゃないのよね。

一方で、
凶悪な事件も起きる。

安倍さんの事もね。

事件直後に欧米人の友人から心配の連絡があったが、
彼らにとっても驚くべき事件であった。

日本では人々が親切だからといって、
日本人の心が満たされているかと言うと、
僕は全く違うと思う。

内に秘めた闇
社会的な闇は深い

自殺者の多さもそれを物語っている。

観光客として他国を訪れた場合、
その国の本当に深い部分を知る事は少ない。
特にネガティブな闇を知る事は基本的にはないだろう。

基本は、他国へ訪れる際にはその国の良い面または、
自分が期待する事を見ようとするのです。

「キラキラした異国の地」を楽しむのが海外旅行の醍醐味だからね。

他国の闇の部分を見るのはyoutubeで充分だろう。

まぁ、当たり前ですよね。
わざわざ暗い気持ちになる目的に海外旅行をする人は稀だろう。

日本の闇の部分、
Twitterに溢れる誹謗中傷や罵詈雑言、
他人からの見た目を凄く気にする事や、
本音を口に出さない文化、
心に秘めた深い闇、
同調圧力や閉塞感。

日本に2年間住んだ事がある僕の外国人の友人は、
それらに「凄くストレスを感じた」と言っていたが、
日本人であっても同じ様にストレスを感じていると思う。

「特殊な人間関係の文化」を日本は持っているのは事実だと思う。

それが良い事か悪い事かは置いておいて、
僕が真に驚く事を書こうかしら。


『日本人の多くは世界の状況を知らない』


「知ってるよ、ニュースだって見てるし」と言われるかもしれない。

ではそのニュースは本当に正しいのですか?

日本で報道されている事は海外とは全く違ったり、
現地の状況も違ったりするのです。

世界情勢に関するニュースを見ている人はまだマシかもしれない。

先日、ある飲み屋で出会った人は、
海外を全く知らない40代の男性であったが、
僕が海外と日本との経済や価値観の差に関して、
日本の状況を話したら「激怒」された。

日本が悪くて世界が正しいという様に話したのではなく、
価値観がこうゆーふーに違ったり、
食費や家賃がどうとかを経験談として話しただけであった。

しかし、怒られた。

よーは「日本人なんだから日本の悪口を言うな」という事であった。

僕は感じた。

あー、これが一般的な日本人の正体なんだ、と。

いくらテレビで日本の経済成長状況とか円安とか、
色々な報道をしても本当に「本当の意味で危機感を感じる人」は全体的にはごく一部であって、
多くの人々は不満を持ちながら日常生活を優先して危機感は乏しい。

どんなに日本と海外との差がでようとも
どんなに日本の変な点があろうとも、
日常生活で感じるのは物価が高くなったとかで、
毎日は大して変わらず訪れてくる。
毎日の仕事は変わらずやってくる。
夕食の事を考えてその日が終わる。

海外なんて知ったこっちゃない。
知ってはいるが、見てみぬふりをしている。

それが一部を除いた人以外の、
大多数の本音かもしれない。

僕の思い込みなのだろうか?

どうなのかしら?

日本は、まるで霧に包まれた山を遭難している様に感じるのは僕だけだろうか?

『漠然とした将来への不安だけが募る一方だろう』

なんとなーく先進国のふりをして、
闇には蓋をして、
外の世界は遠い出来事の様に感じさせてしまう国。
他国と陸続きでない島国が経済発展した東端の国の特性であろうか?

本当に奇妙な国だと思う。


僕は思う。


確かに、日本はお金を得る事に関しては、
個人の力量に寄ってだが可能な環境があるのは事実だ。

しかも、
それぞれの環境や能力で幸せになるのは充分可能だろう。
むしろ、過酷な状況の国より、
それらを手に出来る可能性に恵まれているのは確かな事実だろう。
そして、実践している人々も多く居るのは僕も承知している。

しかし、
もし出来るのならば、
一度、日本を出るべきだと。

それは必ずしも海外移住とか留学とかが必要という意味ではなく、
「広い視野で感じる為」という意味での日本を出るという意味である。

遭難しているのを気がつかない人々と一緒に遭難してしまうのは、
僕は本当に危険だと思う。

外の世界に出て、
日本の良い点を改めて知り、
それらを伸ばしつつ、
日本の悪い点を改善していく人が多くなれば良いな、と思う今日この頃。




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