真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

一切無常

2019年05月12日 | 基道館活動記録

「一切無常」

散ってゆくから
美しいのだ
毀れるから
愛しいのだ
別れるから
深まるのだ
一切無常
それゆえにこそ
すべてが生きてくるのだ

    -坂村真民-

天神山では今夜も稽古が行われた。

准師範となった、無完庵6段に「口伝」を渡すことに決めていた。




口伝とは 奥「暇乞」の三種のことである。

人払いをして、冒頭

「息は吐くほうから始めますか?吸うほうですか?」と始めた。

吸うほうですと至極まともな返事である。

それは正しい、小笠原流礼法で身についた「体のくせ」で正しい修行をしたサムライなら当然である。

「しかしながら生まれたときはどちらだったか覚えていますか?」

はて・・・・・無完庵准師範困ってしまった。


「おぎゃ~と吐いたようではないでしょうか」


この問答は今夜の口伝に大きな伏線を張る事が目的だ。


「あなたは六段となり、これから別の見方をしてゆくことになる、この口伝はそのよすがとなるでしょう」


コペルニクス的転回という言葉が実に当てはまる時間だったろう。


どういったことが准師範の身につき、それが彼の精神のあり場所を変えたかは私には分からない。


これが『表の無双直伝英信流』の奥だとは理解してくれたようだ。

先師齋藤正名人から受けた口伝をまた一人に伝達する事ができた。

「これで、表の英信流はすべてお伝えしました」

このあと一人稽古してくださいと別れた。


筆者註
殺意を持った居合者には対抗するべき方法がない。
「相打ちで上等ですと最初から死ぬ気で抜いてくるのだから始末に困る。
だからこそ、居合がおそろしいとなっている。

私は英信流の自分自身に勝てる方法を模索してきた、その結果は弟子たちの知るところである。
基道館の居合(真剣道)がたとえばドイツの特殊警察のひとにも有効であるのはみんなが見たとおりだ。
暇乞はおそろしい思想を持った業である、無完庵しは「これでは、たまりませんね」と感想を述べたが
私はそれを凌駕できる方法論を示しておいた。お得ですよね!



これにはそんな意味があったのかと一人稽古する無完庵氏



人数が少ない天神山では、このあとまた面白い実験が行われたのだが、特筆するべきは豊水二段が重くなっていて押しても動かない
正中も丹田もそれなりに落ち着いてきているといううれしい結果だ。







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