全日本居合道刀法は
次の師家により承認された
目的は日本全国に逼塞していた「武道家」たちが大東亜戦争敗戦によるGHQによる圧迫をモノともせず武道を継承しようとする熱意が結集し、我が連盟を創設するにアタリ、初心者にもわかりやすい(習いやすい)スタンダードを形作り、居合の発展に寄与しようとするところで在った。
故に、前切りは 英信流の前に似ているが、もっと簡素である。
参加した流派のいいとこを身体操作として身につけ、視野を広げるのに適している。
どこぞのひょっとこ連盟は、たびたびそのスタンダードを改変し、10本くらいになったらしい(笑)
彼らは、試合に勝つためにそれを「練習」し、見る人にこびる。
優勝劣敗の仕組みに入った悲しい「居合」の姿である。
さて、びっくりしたのは
これ、
図譜では
腹部となっている、もちろんそれでなければ、身体操作がぎくしゃくする
いつの間に・・・・・・・・・・
おそらく誤解か誤植であろう。
なぜなら、刀法を改変するなら、それなりの手順が必要で、前述の師家相当の委員が必要だからだ。
河野宗家の切っ先返しは「腹部」である。
私も師伝にそい「腹部」 水月に定めている、切っ先の「ふくら」を利用して突き込む想定を指導するためだ。
某ひょっとこ連盟なら「8段がほしい?金持ってこい」となるだろうが我が連盟は日本文化の護持に向かう正しいところだ。
いまから、30年ほど前6段位なり武者修行するために某ひょっとこ連盟に電話をした。
出たのは当時のお世話役 福田一男先生。
私が齋藤正先生の師範代で武者修行のため他の道場に稽古をお願いしたいというと、
「ええ、齋藤先生の師範代なら、うちの英信流では物足りないだろうから、他流はどうか?田宮が大阪にありますよ」
そういうことで妻木先生ご存命中に門弟の端に加えてもらった。当時の大阪田宮流は活気があり、面白かった。
それが、5年ほど前に阪南市に道場を構えることになり、阪南市居合道連盟に参加を申し出た。
そこの田宮の大先生は「あなたも7段ですか、私も7段ですが剣道連盟の居合段位はむつかしいのですよ、エッヘン」
私が大阪田宮に所属していた頃いなかった大先生だ(笑)
阪南市居合道連盟に参加がNOという理由は5年経っても返事がない(爆)
邪推。
五-六人でちまちましている集団が、理論実技とも相当なレベルに達した基道館50名がなだれ込んだら不都合でしょうね。
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