真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

森のかほり、木のにほひ。

2019年10月10日 | 詩篇

此の泉州に住まいして四十年。

野心もあり、挫折もあり。

而して、およそ結末、決算を迎えやうとしてゐる。

わが武名の示す通ほり、人生は有限で、できることはたかが知れてゐる。

 

そこで、いささか痴呆の入ったわが身を勘案するに、これだけはといふ思ひがある。

 

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私は今、岸和田の山近くに住み、にゃんこも公認で住める快適な公社団地にゐる。

痴呆、といふか物忘れがひどいといふか。

先ほど階下の自家用車に忘れ物をして階段を下りた。

すると、森のかほりがする。

この香り立つ国を滅ぼしてはならない。

そのためには、人々の規範となる武士道精神を持った有意の人士を育てることは急務であろう。

 

弟子のまた弟子には「原発はぜひ必要だ」という方もいる。

個人の見解は尊重するが、原発必要論の根拠が「経済発展」ではまことに心もとない。

 

人は、お金を儲けるために生まれたのか?

人は、名誉を求めるために生まれたのか?

 

それとも幸せを感じるために生まれたのか?

長渕君の歌にあった。

 

♪ 幸せになるのではない、幸せは感じるものだ

 

ただいまこの時、現実こそ生きている時間だが、目前の課題に全力で取り組む、のもいい

それって、全力なら余力はないのだろうか?

 

選ばれた人々に、凡夫の私からお願いしたいこと

 

目前の課題も大切だが、余力を残して、来るべきクライシスでの領導に備えていただきたい。

もちろん、そういう優れた人もいらっしゃると期待しています。

 

 

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私は今度の春、松山に帰る。

懐かしい松山弁、祖母に手を引かれって行った石手寺、何よりも胸に残る松山城の上に広がる黄昏の空。

その中にいて、やがて死んでゆく。

こんなうれしいことはない!

 

もちろん、そんなことは誰も言わないだろうが、私はこう思っている

 

ウエルカム、バック、ホーム。

 

 

 

50年ほど前の、松山での夕暮れを書いたものがあった、それを思い出した。

当時私は18歳、そういう見方があったのだな~という記憶です(笑)




(1968年刊)土居豊一詩集 「残照」


   「黄昏」

風が立ち
旗翻り
紫の煙たなびき
電線は微動を起こし
屋上の風信器の車
それぞれに回り始めて
夕日浴び影はあざやぐ
夕餉の匂い路地に漂い
自転車のチェーンの音させ
生活の話しながら
人の背は下駄はいて去り
影ばかり思いに残る
嗚呼、そのとき悲しいまでの色彩が
空仰いでゆく人たちの上に炎え
黄昏として展がる・・・・・

 

 

 


花遍路 特別編 「春子の人形」

2019年08月19日 | 詩篇

まっすぐな道でさみしい  山頭火

普段はTVなど見ない。


しかし、早坂さんの「花遍路」は特別で、その慈愛に満ちたストーリーは、松山人としてはすごく好きなお話です。

昨日のダーリンと息子たちの写真も、北条鹿島の水晶が浜手前で撮影しました。


桃井かおりさんが主役のころ、桃井フアンの私たち夫婦は必ず見ていたドラマでした。

早坂さんの「うつくしむ」という言葉も初めて聞きました。実にきれいな、そして深い言葉が日本語にはあるものですね。



話の中で、お大師様がなくなるとき、大勢のお弟子さんが一緒に逝きたいと訴えたところ、お大師様は「手を合わせ,南無大師遍照金剛と唱えよ、私はいつもあなた方と一緒だ」というお話に涙が流れました。

会いたい人がいる、その面影を胸に抱いて、お遍路になるとき、かならず会いに来てくれる。

じつにニンゲンの深さを知る言葉です。


だれしも、近欲に翻弄される、それも業でしょう。

私は10年先 100年先にまで枯れない「居合のはな」を植えたいと思っている。

自分にできることを自分に科している。

お遍路の笠に「同行二人」と書いてあるのは、お大師様と二人連れという意味です。

私もお大師様に助けてもらって居合遍路の道を歩きます。

私の場合は同行四人、お大師様、斎藤先生、村上先生が導いてくれるはずです・

おっと、ご先祖様もいてくれるでしょう。



自分を愛してくれた人の言葉は、60年たっても忘れていない。

小学校に上がる春、祖母に手を引かれお参りした石手寺、お大師様に手を合わせた。

私は祖母を見上げて尋ねた「ばあちゃん、何をお願いしたん?」

「あんたが勉強できるようにおねがいしたけん」

被差別民ながら高等小学校を出た祖母の優しい言葉だった。

私は、その経験から、差別する人は嫌いだ、人種であれ、身分であれ。

ニンゲンには尊厳がある。それをどんな人も見下すことはできない。

の宣言に「人の世に熱あれ」という力つよい言葉がある。


 

註 大正生まれの祖母は被差別に生まれた、当時は民は教育など望むべくもない。字が読めない人が大半だった。


勉強ができる(学校へ行くことが可能である)という意味は彼女にとりどれだけ大きな意味を持っていたのか後年になり理解できた。

 

ところが、忽那水軍の血脈をうけた祖母は相当に賢かったらしく、北条にあった村の親族一同は食べるものも倹約して彼女を支えたという。

 

そして、若くてきれいで賢い彼女は、松山一の植木職人と呼ばれた「植浜」と結婚、彼女の才覚で、御宝町にあった私の生家みるみる頭角を現したそうだ。

 

裕福になった「植浜」に私の父は養子にもらわれた。つまり祖父母と血縁はないが、大好きなおばあちゃんだ。いまでも彼女を思い出すとありがたさに涙がこぼれる。


註2

尋常高等小学校(じんじょうこうとうしょうがっこう)とは、日本において国民学校令施行される前の学校のうち、尋常小学校教科高等小学校の教科とを一校に併置した小学校のことである。国民学校令の施行とともに国民学校に改組された。

実質的には、尋常小学校と高等小学校が一校となっているものである。ただし、尋常小学校は義務教育の実施校であったが、高等小学校は義務教育の実施校でなかったので授業料を徴収していた。


 

父のことはまた書くこともあるでしょう。これにも忽那水軍のドラマがしこたまあります。





 


 





 

 


由旬

2019年05月29日 | 詩篇

 

無双直伝英信流 第二十二代宗家 池田先生の御通夜に参列して、時代が過ぎたのを感じた。

 

歌を詠んでみた

 

ゆくりなき

人世の由旬

繰りのべて

散るや扶桑の

しろきはなびら

 

 

 

 

中絶へは

道儀のおきて

師の成染めに

不順なかるぞ

泪枯れても

 

 

左右なしく

君去り給ふ

皐月のそらに

われの残日

みへたるごとく

 

 

帰還のとき

展け放った窓外に
翻った夜には
時代が並ぶのではない
綴られた事実が残るのだ

血脈に記されたものが
燈台をめざし闇夜を往くとき
ふりかえったまなざしに
応える用意はあるか

残りしものは遙かな山脈に砦を築き
盾となり 矢となって帰らない
勇気ある幾多のものを待て

百年の後、春夜の風に送られて
声となり、帰還する月下の隊列
栄光の旗を掲げてかれらに見せよ