憲法改正反対!国際法違反の現行憲法凍結!大日本帝国憲法再生!

いろいろなブログを貼っていくつもりです。
いわゆる、「他人のふんどしで相撲を取る」他力本願寺ですね。アニメ、特撮

拡散希望余命ブログ

2016-08-11 22:47:47 | 拡散希望
余命3年時事日記さんのブログです


http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2016/08/09/1136-%e8%bb%8d%e4%ba%8b%e9%96%a2%e9%80%a327/

引用


.....ソネットの削除については、余命への通知が複数の在日組織からの削除要請とあって、普通この手の削除要請には依頼者が明示されるのに、最初から隠蔽しているという不思議な対応であった。そして明示がないまま、突如の遮断である。
 このあたりは過去ログ「余命ブログ削除の裏側」に記述してある。
5月5日も8月10日も、余命ブログの終了は運営費の問題であった。アフィブログではないからブログからは1円も収入はない。現余命のバックアップだけでの運営では限界がある。ましてやボランティア活動をいくつも抱える年金爺である。放置が最良の策だったのである。結局遮断して大事になってからの放置作戦は証文の出し遅れだった。
 風邪をこじらせて肺炎になってから、大量に風邪薬を投与しても手遅れだよな。
まあ、結果が出たら一冊書こう。

引用以上

ブログ主さんは「放置」が最善だったと言ってますが、本当でしょうか?本人が言ってますから信じましょう。時々「実は」と言うこともありますけどね。


大東亜戦争と満州

2016-08-11 22:03:55 | 歴史
さくらの花〜さんのブログです


http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34317245.html


引用


残念ながら、今の日本の言論空間はまだまだ正しいことを言えないのが現状です。ここを国民が理解してやらねば「なんだ、まともに答えられないのか」と勘違いしてしまう。



その分、ここで答えてやる。



まず、記者よ、よく覚えておけ。「日中戦争」というのはないのだ。日本が戦ったのは支那事変であり日華事変とも呼んでいたものである。少し勉強してから質問せよ。



「戦争は侵略戦争か、自衛のための戦争か、アジア開放のための戦争か」
「侵略というのが一般の常識だ」

まずは「開放」ではなく「解放」だ。
日本の戦争が侵略戦争ではなく自衛戦争だったことは、昭和26年にマッカーサーが米上院軍事外交共同委員会で「日本は自衛の戦争だった」と述べている通りです。



また不戦条約を成立させた米国のケロッグ国務長官は「経済的制裁は侵略に相当し、そのための戦いは自衛の戦いだ」と答弁しています。これによると、金融資産凍結や石油などを禁輸をした米国は日本を侵略したことになり、その米国の侵略に対して日本は自衛戦争をしたことになるのです。



また大東亜戦争の結果、数百年も白人の植民地支配にされてきたアジアの国々が全て独立を果たしました。そのことにアジアの国々は今も感謝の声が挙がっているのです。



「満州国を作った。これは侵略ではないのか」

まったく違う。満州国建国の前に満州事変がありましたが、満州事変1か月もしないうちに満州各地で独立の動きが起きました。遼寧地方治安維持委員会の袁金凱、吉林省臨時政府の熙洽、東省特別区治安維持会の張景恵、辺境保安総司令の張海鵬など、満州で自ら委員会や臨時政府がつくられ、搾取されて満州で恨みを買っていた張学良や蒋介石から離脱して、満州独立のために立ち上がったのです。



この時、于沖漢は「満州が蒋介石政府から独立して、民意の善政、悪税廃止。軍隊は不要でソ連侵攻や治安維持には日本軍に当たってもらう」と明言しています。つまり匪賊や馬賊の跋扈していた満州の治安をよくして、しかも軍律厳しい日本軍に駐留して欲しいと、満州からの強い要望があったというのが事実なのです。これのどこが侵略なのか。・・・


引用以上

ブログ主さんは以上のように主張していますが、リットン調査団全く逆の結論を出しています。そして、日本は国際連盟から離脱してしまいます。
「リットン調査団は買収されていた」や、「当時の国際連盟は欧州主体で反日だった」と言う説もありますが、それだけでは満州国設立を擁護できないと思います。


靖國神社とA級戦犯

2016-08-11 20:43:26 | 歴史
凛風やまと〜さんのブログです

http://rinpuu44.blogspot.jp/2016/08/blog-post.html?m=1

引用


マスコミが靖国参拝を問題にさせんとする最大の理由が、A級戦犯の合祀にあります。

A級戦犯とは、連合国によるポツダム宣言六條に基づき、極東国際軍事裁判所条例第五条(イ)項により定義された戦争犯罪に関し、極東国際軍事裁判(東京裁判)により有罪判決を受けた者とされています。




しかしこれは、以前の国際法には存在していなかった罪であり、連合国(戦争に勝った国)の都合でそれまで存在していなかった罪を作り国際法を書換えたもので、遡及的に通用する権限はありません。
この事は極東国際軍事裁判において唯一国際法の専門家であったインドのパール判事も言っています。




当然ですが、現在では「戦犯」という存在自体も日本にはありません。
戦後すぐ、一方的な戦勝国の決定に多くの日本人が反対し、釈放運動が盛んになり、昭和28年8月3日衆議院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が上程され、昭和33年の5月には全ての戦犯が釈放されています。

それと同時に昭和27年4月に独立を回復した時から、日本政府は直ちに戦犯の名誉回復にとりかかり、28年の国会では共産党も含む全会一致で「戦犯として処刑された人々は、法務死であって戦死者とみなす」と決議しました。


引用以上

いま現在、日本には戦犯と言われる人間はいません。