地上波の『MOZU』放映が終了した。
毎週決まった時間に倉木さんに会える日々は終わってしまった。
たまに出る癒し系キャラの鳴宮くんや、たまに見せる明星さんの女性らしさなども楽しみでした。
MOZUはWOWOW放映開始時と再放送と地上波で見ましたが
何度見ても脚本の拙さが惜しまれるドラマです。
良い脚本は、作家の個性はあれど言葉の使いかたが自然で
人の心の機微、動機などが丁寧に描かれています。
言葉は重複する場合、理由が無い限りは言い換えをします。
(勿論これは、不勉強な何も作りえないズブの素人の勝手な言い草であって、
批判の意は毛頭ありません。)
脚本さえ良ければ、と何度も考えてしまいますが、
脚本のつたなさ未熟さを制作陣と俳優陣が埋めようとして
一種異様なドラマになったと思います。
例えば、『ダブルフェイス』が瑕の無い美しさだとすれば、
『MOZU』は脚本という大きな瑕のある異形の美を放つ作品になったのではないか。
あの脚本を、もし実力の無い役者が演じれば聞いているだけで寒疣が立つでしょうが、
実力派揃いの俳優陣が解釈し、消化して語ることによって
おかしな言葉使いでも不思議な説得力が出てくる。
特に中神さんと東さんの悪役は素晴らしかった。
舞台の演技なのでしょう。<まともじゃなさ>が際立っていました。
あの台詞を自然に語るのは相当の技術だと思います。
来春映画化らしいので、楽しみができました。
倉木さんは、新谷兄弟に対して憎しみの感情は無かったように思います。
新谷兄弟が互いに感じていた感謝や贖罪を、
倉木さんもまた奥さんに抱いていたからこそ、非常な執念を持って真実を追求できたのではないでしょうか。
ドラマ内で大杉さんの「俺なりの方法で(倉木を止める)」という台詞がありましたが、
西島さんもあの台本から倉木さんの行動の心情を解釈し、生み出したからこそ、
倉木の人物像にあれだけの存在感が出たのでしょう。
制作費を節減されている現在、映画やドラマで全てが完璧な作品というのはなかなか難しいでしょう。
それでも限られた制作費で、素晴らしい脚本と演出によって俳優陣の魅力が存分に引き出されている作品もあれば、
巨額な制作費を投じて素晴らしいセットと豪華キャストを揃えたにも関わらず魅力に乏しい作品もあります。
そして、他は三流だけれどここだけは一流というものもあれば、
ここだけは三流だけど他は超一流、という場合もある。
そうして多くの作品が作られ、その作品を見る人に様々な思いを生じさせます。
他の人に聞いても誰も見ていなかったけれど、
自分だけはあの作品が好きだった、という思い出を持つ人は
少なくないでしょう。
大勢が賞賛する作品でも楽しめないこともあれば、
誰もがボロクソに貶す作品でも誰かにとっては大事なものになる、
そういうことがあるから、世界は面白い。
てにをはも弁えない、お見苦しい感想で失礼しました。