宏観現象レポート@大崎市 改め罹災証明再調査なう!!

宮城県沖地震ウオッチャーが実際に被災をし、我が家の場合の被害と罹災判定の関係記事に新装開店です。+その後を追記してます。

大崎市の財政を考える会

2011年08月08日 18時18分04秒 | 義援金関連

大崎市の財政を考える会 http://www.akaruiosaki.com/index.html

気の向くままに情報収集をしていると、こんなHPに行きあたりました。 

毎年100億円以上の赤字・・・って。

あらまぁ。

 

wiki 大崎市http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B4%8E%E5%B8%82 でも

「大崎市(おおさきし)は宮城県北西部の大崎地方に属する市である。
 
2006年3月31日、古川市、遠田郡田尻町、志田郡三本木町・松山町・鹿島台町、玉造郡岩出山町・鳴子町の1市6町が新設合併して誕生した。県内において人口は仙台市・石巻市に次ぎ3番目となり、面積も隣の栗原市に次ぎ2番目となった。

3つの郡に跨る大規模合併により成立しており、県北有数の都市である旧古川市を軸に際立った個性を持つ旧鳴子・岩出山の両町とこれらとは異なる文化・経済圏をもつ旧鹿島台・松山の両町を含んでおり、多彩な地域性を有している。反面、かような広域合併の背景に起因する問題も抱えている。」

「当選に決定的に作用するほどの論点となった公約である「新市名称を古川市に(古川市長選)」と「市民病院を現在地に早期改築(大崎市長選)」の双方を旧古川・大崎の両市長が当選後に撤回したこと、古川市議会での可決の原動力となった市民病院建設の前倒しも実は財政上実現性に乏しいものであったこと、"仙台都市圏"にも含まれる町(松山、鹿島台)までを市域にした一体性の乏しさなど全国にも類を見ない合併により誕生した大崎市の行方は予断を許さない。

実際に大崎市になると合併協議会での試算を覆す財政難がマスコミによって報じられ合併後間もない2006年9月には市民病院の本院と岩出山分院の建設も延期、2008年2月に表明するまで建設(改築)時期未定とされていた。

また期日が遅れたと同時に合併協定調印式の際に調印された内容も変更され、合併協定書の原本はホームページ上では公表されていない。なお、協定書の原本が公開されないのは全国では珍しいケースである(協定書の中身は、ホームページ上で見ることは可能)。

大崎市という名称に反対していた旧古川市民の一部が、合併後しばらくの間、「条例を改正して市名を古川市に変えよう」という運動を展開し、市役所近くに看板も掲げていた。しかし合併反対派だった議員や住民も、既に議論の中身を「大崎市でどのようなまちづくりをすべきか。財政健全化をどう進めるか」という方向に移しており、市名変更の可能性は極めて低いとみられる。」

財政健全化について指摘がされてるしなぁ。。。

おやまぁ。



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