今が一番

今日も心元気に

壊れて戻ってきた自転車

2019-02-11 14:35:34 | 日記

絵と文は関連がありません。
パース(完成予想図)作成の仕事をしていた時のものです。

=================

楽しかったこと、悔しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと

色々な感情の思い出があるけど、これは一言で表せない残念な記憶。

大人の自転車を三角乗り出来るようになって、自分のサイズに合った自転車だったらどんなにか楽しいだろうと妄想しながら毎日田舎で、それなりに三角乗りを楽しんでいた。小学校4年生。

そんな夏のある日、自分のサイズに合った自転車がやって来た。斜めのフレームに「明けの明星」とか言う文字が書かれたシールが眩しかったのを鮮明に覚えている。
なぜ買ってくれたのかなどの状況は何も覚えていない。何があったんだろう。

とにかく嬉しくて嬉しくて、練習してから何日か後に、我が家から4キロメートルある学校に乗って行った🚲

そして、悲劇は起こった!!!
新しい自転車を見た男子が昼休みに「貸して~」「僕も~」と言ってきた。軽い気持ちで貸したまでは良かった。が、しかーし直ぐに自転車置き場に返して来たので、「あれ?もういいのかい?」と思いながらも教室に戻った。悲劇にはまだ気がつかなかった。そしてそして、放課後校庭で遊んで、さあ新しい自転車で帰ろうと自転車置き場に行って、がーーーーん!!!!!
真新しい自転車のペダルが曲がり、チェーンカバーが凹み動かすとガラガラ音がして……

次の日学校へ行っても勿論謝ってくれるわけでもなく、良い子(笑)の自分も話題にはしなかったけど、今なら「ちょっと‼壊したら壊したって言ってよね」位は言うのに…あぁ悔しい。こっちは覚えているけど、男子はそんな事全然記憶にないんだろうな、どうなんだろうね?

□〇君のばかーーって言いたい。今更だけどね(笑)

それ以来クラスも違うしお目にかかったことはないが、ちゃんと社会人になって元気らしいから、ま、いっか。


それでも今が一番。ありがとう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トメになっていたかも知れない名前

2019-02-07 10:16:44 | 日記

絵と文は関連がありません。
パース(完成予想図)作成の仕事をしていた時のものです。

=================

12歳ころ、自分の名前が3人いる姉達と傾向が違うので、何気なく母親に尋ねたら思いがけない話にびっくり‼

自分が産まれた年の5月に5歳の長男が亡くなり、9月に女の子の自分が産まれたので、父親はショックのあまり名前を付ける気力もなかったらしく「トメにでもしておけ」ということで、いくらなんでもトメは可哀そうと母親がつけてくれた名前だそう…  
トメでなくて良かった^^;  全国のトメさんごめんなさい🙇(笑) 
そして今、トメでも違和感のない歳になったかもかも

そして、がーーーん!!! いらない子だったのね(ノд-。)クスン

今なら、そりゃそうだよね。4人も女の子続いたら父親の気持ちも解るし笑って話せることなのだが、この時から性格が変わってしまったと言うか、わがままは言わず遠慮した感じで、親に心配かけない良い子として過ごすようになった。

2歳下に男の子が産まれ、それはそれは大事にされていた。自分が大事にされていない訳ではなく、可愛がって育ててもらったのは自覚しているが多感な頃の成長期には影響があったなぁ…

その弟とは年が近いのでよく遊んだ、と言うか遊びに付き合わされた(笑)

とっくの昔に亡くなった父親も、最後は「女の子沢山いて良かったな」と言ってたらしい。
プンプン😡

でもおかげで、自立心や精神的な逞しさは育まれた。

今、子育て中の親の方々にお願い
良い子だからって安心しないで気にかけてあげて…
やんちゃな子だからって否定しないで気にかけてあげて…

万事塞翁が馬。 今が一番。ありがとう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

顔面神経麻痺、前回の続き

2019-02-04 15:39:53 | 日記

絵と文は関連がありません。
パース(完成予想図)作成の仕事をしていた時のものです。

=================

前回からの続き

そしてある日、水を飲むと口から水がこぼれ、通っていた耳鼻科に行くと、それは大変と言う事で、大学病院への紹介状をすぐ書いてくれて、あれよ、あれよというまに次の週には手術となった。

普通は「真珠腫性中耳炎」は、それ程難儀な手術ではないらしいのだが、長年の慢性中耳炎の炎症が奥へ奥へと進んでいたらしい。
顔面神経に絡まっていた炎症を医者が見つけてくれて、それを除くのに予想外の時間がかかったのと大変難儀な手術だったという事を後で聞いて驚いたのなんの。なんせ手術前に動いていた顔が右半分動かなくなっていたのだから…

母が他界していたので、7歳上の姉が付き添ってくれた。医者の説明等聞いて本人より姉の方がショックを受けていたようだ。

姉にはお世話になった。三人の姉には今もお世話になりっぱなしで感謝しかない。

エピソードとして、7歳上の姉は、病院の先入観で「お母さんですか?」と言われて気分を害していたらしい。30代半ばだったのにね(・・;)いくらなんでもだよね?
今でも話題になって笑っている。

「神経は絶対切っていない」と、執刀医は言っていた。
相当傷がついたのかそれ以来、右半分の顔面は麻痺が残っている。
今は7割位、動くし、涙も出るし、瞬きも出来るし、たいして不便でもない。

女優でなくて良かった~(笑)

聴力も片方は2割位になった。でも2割残っている。
便利な時もある。寝る時、聞こえる方を下にして寝ると騒音が聞こえなくて静かなこと。友達曰く「老人力だね」って、ホントにそうだわ。
不便なのは、騒がしい所で聞こえない方の耳で隣の人と話をする時、位かな?

当時お世話になった担当の耳鼻科の先生には、それ以来お目にかかっていなくてお礼にも伺わず失礼している。
大きな耳鼻咽喉科病院の院長か理事長になられて、その病院の前を通る度にご挨拶にと思いつつ寄りそびれて現在に至っている。

前回のNHKの朝の連ドラ「半分青い」は、聞こえない方の耳を強調している感じだったが、半分聞こえると実際にはそれ程困らない気がする。
実際に聞こえない方々とは違うかも知れないので、あくまでもこれは自分だけの見解である。

入院中、治療の過程で両方全く聞こえなくなった事がある。無音の世界。恐ろしかった。

生きている今が一番。ありがとう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする