これはなかなか味のある緞帳ですな(ちなみに三越の銘も、当時「新潟三越」は合併前の「小林百貨店」の頃で存在しなかったため、珍しかった事でしょう)。歴史の証人として永く使い続けて欲しいものです。
これはなかなか味のある緞帳ですな(ちなみに三越の銘も、当時「新潟三越」は合併前の「小林百貨店」の頃で存在しなかったため、珍しかった事でしょう)。歴史の証人として永く使い続けて欲しいものです。
昨年丸1年(75、74)は参加を見送っており、更にその前(73)は落選していますので、サークル参加が叶えば2年振りになるのですか。受付番号も2回連続未申込で途切れているため、「初申込時期」の記入欄を除けば(ウチのサークルは「晴海」時代から申し込みをしています。思えば長くなりました。現在、鉄道ジャンルで晴海以前より申し込みをしているサークルはどれくらいあるかなぁ?)新規申込みたいなものですね。
申込セットの白い表紙が眩しいですが、それよりもカミさんの目が痛い。
どうしてそう感じるのか。理由を少し考えてみました。
1.ムスメの育児に追われ休みの感覚が無い
ムスメが産まれるまでは確かにあった「土日は休み」感が失われて久しいのですが、それが休暇に入っても続いているので、いつもの休み程度にしか感じられないですね。
2.暖冬小雪
さっぱり雪が降らないですね。全く拍子抜け。山間部はそれでも降りましたが。季節感がまるで感じられません。先程クルマを運転していたらまだ秋かと思いましたよ。
3.コミケに参加していない
やっぱこれが一番大きいかな。昨年迄の14年間は、たとえサークル参加が叶わなくても一般参加はしていたものですが、今年1年間はとうとう不参加でしたから。
まぁ正直、ラクな事はラクです。追われるモノが無いと。でも何だか寂しいね。来年は参加を目指します。
久し振りに濃い同人趣味話が出来、楽しい時間を過ごせました。
しかし趣味に没入出来る事って本当にいいよなぁ。
私も春くらいにはぼちぼちリハビリを始められたらなぁと思っています。
1999年10月3日に蒲原鉄道線が全線廃止となって以降、同車は電気機関車ED1と共に村松駅構内の旧電留線で保存されてきたのですが、保存線路は断ち切られ、旧車庫跡地はコンビニや小売店舗が立ち並ぶようになり、車輌も保存とはいえ荒れるに任せた状況だったので一体どうするつもりなのか心配しておりました。解体の報を受けて、「やはりか」という印象しかありませんでした。
他の用件の合間の訪問だったので、携帯電話のカメラによって記録を残してきました。私が訪れた際には、車体は既にED1と連結していた面の運転台の一部を残し、台枠と足回りのみにまで解体されていました(さらに翌日主任運転士が訪問したところ、残っていた運転台一部も解体されたとのことです)。
何とか残してやれなかったのかと思うのですが、全線廃止当時の車輌6両は同車を除き未だ全て保存されているという好条件もあり止むを得ないのでしょうか。この機にせめてED1だけは再整備し残して欲しいですね。
写真の掲載については、ちょっと遠慮させて頂きます。
蒲鉄モハ31解体の報の後には、去る5月5日に発行した同人誌「Rice Field's Train Lunch -Volume1.8-」にも掲載した、直江津駅にて駅弁を販売する2業者のうちの一社であったホテルセンチュリーイカヤが6月30日限りで駅弁販売から撤退していたとの報も預かり、ダブルでショックを受けております。イカヤの経営状況については、新潟県内の報道でも様々囁かれている様に良くないことは存じておりましたが、とうとう撤退とは。
受け入れなければならない事実とはいえ、辛い事です。
勿論ワタクシが見たかったのでは無く、カミさんたっての希望による引率です。
ワーナーマイカル新潟南13時10分の回に合わせて行きましたが、全席指定席の上指定が取れたのは後ろから2列目。
何、そんなに人気があるのか!と思い入場してみたら実はガラガラ。観客は20人位でしたかね。指定にする意味が感じられない……まぁ平日の日中ならこんなものですか。
で、カミさんの感想。
「何が言いたいのか分からない。画面はとても綺麗だけど」
ワタクシはクライマックス近くになってあぁ、監督は現代版童話を創ろうとしたのだなとだけは理解出来ましたが、しかし中身は理解し辛いプライベートフィルム的。
恐らくTV放映時の尺に収めようとするために端折り過ぎて説明不足になる様な気が。
「千と千尋の~」から宮崎アニメの説明不足を強く感じるようになってきたのですが、それが極まったかなと。
ところどころに見え隠れする設定の破綻も気になりますし。
画面は確かにとても凝っています。見終わった後にCGは一切無く全て手書きセル画と聞いて納得しましたが。
やっぱり基本的な疑問として、唐突に現われた魚のポニョを一目見て「可愛い」と思いますかねぇ?
今は亡き旧国鉄版駅名標と共に。あわせて今は亡き旧駅舎も。
昨年7月16日以降、いかなる経緯があったのか連中誰も知らないと言うのでしょうか。ちなみに青海川駅の経緯につきましてはこちら及びこちらをご覧下さい。
全くまともに取材をせずWeb上で検索すらもせず、又聞き程度で能天気に小手先でページを作っているのがミエミエで極めて不愉快です。よりによって発生以来ちょうど丸1年に。
共通の趣味人を予期せぬ災害で亡くすのは悲しい事です。
ご冥福をお祈りします。
大阪日帰り旅行レポの続きです。「大阪名物くいだおれ」にて「くいだおれセット」を食した後は、千日前通を西に歩き、第2の目的地へと向かいます。
乗り潰しの目的地として選んだのが南海電鉄高野線汐見橋駅、通称:汐見橋線。難波からは歩いて20分と掛からない隣町の距離なのに、同じ鉄道駅のターミナルとは思えない雰囲気が印象的です。駅前の千日前通は阪神電鉄阪神なんば線の工事がたけなわでした。
駅舎内です。土曜日の午後1時過ぎなのに人っ子一人いません。昭和31年に駅舎が改築されたそうですがそれ以来、時間が止まったままに見えます。ターミナル駅にふさわしく天井が高いので、今となっては余計に空虚な印象を生み出してしまっています。改札口だけは自動改札になっているのが何ともミスマッチです。
そして注目したいのはこちら、改札上に掲げられた「南海沿線観光案内図」です。恐らく駅舎改築時に設置されて以来、全く変更なく掲示されているものですから、21世紀の世の中とは噛み合わない部分が多々あります。少しよく見てみましょう。
難波周辺の図です。おお、大阪球場の案内がありますね。下手にはさやま遊園も見えます。天下茶屋から分岐していた天王寺支線や大阪軌道線の平野線も見受けられます。岸ノ里駅の難波連絡線にホームがない時代なので、高野線難波方面はひとつ手前の帝塚山駅から分岐しています。
続いて和歌山周辺の図です。加太線の北島支線が掲載されており、貴志川線は南海合併前の和歌山鉄道なので未掲載、和歌山港線の水軒延伸部も掲載されていませんね。一方、南海とも関連のあった和歌山電軌の路線が張り巡らされています。JRの現:和歌山駅は「東和歌山」、現:紀和駅が「和歌山」になっています。
汐見橋駅を堪能した後は、13時40分発の岸里玉出行きに乗車します。線内は1編成が終日行ったり来たりしているようです。
岸里玉出まで乗り通しましたが、乗客数の最大は10名程度でした。2両編成ではどう見ても明らかに無駄なのですが、南海に単行運転可能な車両が無い上に、両運転台化改造する費用がペイできないが故にそのままなのでしょうね。
先頭部から走行風景を撮影しようと思い構えましたが、それほどスピードは出ていないのに結構揺れます。本線部は50Nレールを使用しているようですが、汐見橋駅構内は37kgレールでした。枕木は殆どが木製(PCもごく一部に入っていました)で、道床も一部に補給はされていますが大半はご覧の通り草臥れたまま。必要最小限度の整備なのでしょう。
大繁華街である難波の隣町を走る昭和30年代の汐見橋線、是非一度乗ってみてもらいたい路線です。
岸里玉出から一旦難波に戻った後は、おおさか東線の乗り潰しに向かいます。乗り潰して天王寺に戻ったらもう16時過ぎ。慌てて難波まで戻り、大阪空港行きバスに飛び乗り、今回の日帰り旅行は終了しました。
「くいだおれ」と「乗り潰し」以外にもあることを行ったのですが、それについてはまた後日。