25日に相方の主任運転士とメールで連絡を取っていたら、蒲原鉄道のモハ31が解体されたと伺ったので、翌26日に村松へ用件をつくり、見に行ってきました。
1999年10月3日に蒲原鉄道線が全線廃止となって以降、同車は電気機関車ED1と共に村松駅構内の旧電留線で保存されてきたのですが、保存線路は断ち切られ、旧車庫跡地はコンビニや小売店舗が立ち並ぶようになり、車輌も保存とはいえ荒れるに任せた状況だったので一体どうするつもりなのか心配しておりました。解体の報を受けて、「やはりか」という印象しかありませんでした。
他の用件の合間の訪問だったので、携帯電話のカメラによって記録を残してきました。私が訪れた際には、車体は既にED1と連結していた面の運転台の一部を残し、台枠と足回りのみにまで解体されていました(さらに翌日主任運転士が訪問したところ、残っていた運転台一部も解体されたとのことです)。
何とか残してやれなかったのかと思うのですが、全線廃止当時の車輌6両は同車を除き未だ全て保存されているという好条件もあり止むを得ないのでしょうか。この機にせめてED1だけは再整備し残して欲しいですね。
写真の掲載については、ちょっと遠慮させて頂きます。
蒲鉄モハ31解体の報の後には、去る5月5日に発行した同人誌「Rice Field's Train Lunch -Volume1.8-」にも掲載した、直江津駅にて駅弁を販売する2業者のうちの一社であったホテルセンチュリーイカヤが6月30日限りで駅弁販売から撤退していたとの報も預かり、ダブルでショックを受けております。イカヤの経営状況については、新潟県内の報道でも様々囁かれている様に良くないことは存じておりましたが、とうとう撤退とは。
受け入れなければならない事実とはいえ、辛い事です。
1999年10月3日に蒲原鉄道線が全線廃止となって以降、同車は電気機関車ED1と共に村松駅構内の旧電留線で保存されてきたのですが、保存線路は断ち切られ、旧車庫跡地はコンビニや小売店舗が立ち並ぶようになり、車輌も保存とはいえ荒れるに任せた状況だったので一体どうするつもりなのか心配しておりました。解体の報を受けて、「やはりか」という印象しかありませんでした。
他の用件の合間の訪問だったので、携帯電話のカメラによって記録を残してきました。私が訪れた際には、車体は既にED1と連結していた面の運転台の一部を残し、台枠と足回りのみにまで解体されていました(さらに翌日主任運転士が訪問したところ、残っていた運転台一部も解体されたとのことです)。
何とか残してやれなかったのかと思うのですが、全線廃止当時の車輌6両は同車を除き未だ全て保存されているという好条件もあり止むを得ないのでしょうか。この機にせめてED1だけは再整備し残して欲しいですね。
写真の掲載については、ちょっと遠慮させて頂きます。
蒲鉄モハ31解体の報の後には、去る5月5日に発行した同人誌「Rice Field's Train Lunch -Volume1.8-」にも掲載した、直江津駅にて駅弁を販売する2業者のうちの一社であったホテルセンチュリーイカヤが6月30日限りで駅弁販売から撤退していたとの報も預かり、ダブルでショックを受けております。イカヤの経営状況については、新潟県内の報道でも様々囁かれている様に良くないことは存じておりましたが、とうとう撤退とは。
受け入れなければならない事実とはいえ、辛い事です。
私は週一回しか立ち寄れないので補完の意味で並行して記録してます。
蒲原に関しては廃止から保存までの流れに亡き岸さんも関わっておられたと聞き及んでますので何とも複雑です。
イカヤさんの新経営体制下での駅弁については記事で触れてはいませんでしたが知名度が高い事業だからと楽観視していたのですが・・・。