快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み手近の被写体を撮り歩く暇爺。

於大のみちⅡ

2012年12月29日 15時42分34秒 | 日々の出来事
12月26日の続き於大のみちの物語です、
1532年(天文元年)於大5歳の時に母於富は忠政に離婚され岡崎城主の清康と再婚する、
1541年(天文10年)於大14歳にて清康の跡を継いだ岡崎の松平広忠(16歳)に嫁ぎ・・・
母子ともに政略に利用され政略結婚させられた・・・戦国時代は女子を人質にする行為が罷り通っていた・・・、
其のため於大は波乱万丈の人生であった。

1画は、1538年(天文2年)於大11歳
緒川を去って刈谷城に移った於大は、水野貞守を始め祖先の墓がある乾坤院へ土地を永代寄進しました、

2画は、1541年(天文10年)於大14歳
清康の跡を継いだ岡崎の松平広忠は駿府の今川氏に属し、緒川・刈谷城主水野忠政と結ぼうと考え、
16歳の広忠に嫁ぎました、

3画は、1542年(天文11年)於大15歳
母於富も岡崎に嫁いでおり母子ともに政略に利用されたのですがこの年12月26日於大は玉のような竹千代(家康)を産みました、

4画は、1543年(天文12年)於大16歳
幸福な日々は短く、父忠政が病死相続した兄信元は四方の情勢をみて今川、松平氏を敵として尾張の織田信秀と手を結んで仕舞いました、

5画は、大四代緒川城主水野忠政、於大の父で・・・竹千代(徳川家康の)外祖父、

於大のみちⅡの画像

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