2019年10月16日の朝でした。本ブログに時々、貴重な写真や情報をお寄せいただいているO先生より、「“産物は鰯と千鳥、千鳥は11~12月初旬網で、取り、焼鳥に供する。“と書かれている書籍があるが、この鳥は何か。」という電話をいただきました。9月から10月なら、シギやチドリの渡ってくる頃ですので、いくつかの種類をあげることができます。また、産物として食用に供していたわけですので、ムクドリかそれより大きめのシギやチドリを答えることもできますが、11月ともなると渡りも終わっていますので思いつく鳥がいません。それでも、現在越冬しているハマシギとシロチドリをお答えしました。しかし、どんな本に”千鳥を焼鳥に“が書いてあるのかが気になりましたので、後日その本を見せていただくためにお伺いすることにしました。
所要もあり、お伺いしたのは10月25日でした。早速見せていただきましたが、それは私自身もよく利用していた『角川日本地名大辞典 新潟県』①でした。この本の見るところは、主として後半部の“地誌編”で、前半部の“地名編”はあまり見ていませんでした。
“地名編”の80ページに、〔中世〕悪田、〔近世〕悪田村、〔近代〕悪田、悪田の渡し、悪田という地名で、4つの項目が立っていたのです。冒頭の文は、〔近世〕悪田村にありました。悪田で、“千鳥を焼鳥”です。いささかショックとともに、自らの無知をあらためて知りました。
しかし、冒頭の一文以外の新たな情報はありませんでした。調べてみるべき価値はありそうです。〔近世〕悪田村は、江戸期~明治22年が対象でした。この時期で頭に浮かぶのは「白川風土記」です。この文字は、本文中にもありました。
ご存知のとおり、柏崎刈羽の近世は天領があったり、桑名藩の別領があったり、高田松平家の支配地域もありました。この高田松平家が、後年福島白河へ移封されました。高田の領土は、後任の大名に移されましたが。柏崎刈羽分につきましては、そのまま白河松平家のまま残されました。その白河松平家が、残したのが『白河風土記』で、1807年に書かれています。そして、柏崎刈羽につきましては、その「巻十八 越後国刈羽郡之部」に登場します。
もとより原典が読めるものではありません。孫引きでもいいからと思い、柏崎市立図書館ソフィアセンターで探していたところ、表向きの蔵書コーナーにはありませんでしたが、別室にはかなりの『白河風土記』関係の蔵書があることが分かりました。その中の1冊が『(中村文庫筆写本)白河風土記 越後国刈羽郡之部』②です。そこに、『角川日本地名大辞典 新潟県』の参考文献と思える記載がありました。
内容は、以下のとおりです。悪田村の項の後半部です。
“ 産物
鰯 千鳥其状鶺鴒に略似テ大小アリ脊褐色腹白ク尾短ク脚長シ四指前二三ツ後二一他鳥二異ナリ十一月末ヨリ師走ノ初コロ網ニテ取焼鳥二〆最佳味ナリト云凡種類多クシテ四十品二アマルト云近頃甚少シ土人云エリ
(以下小さな字で)按二四指前二三後二一他鳥二異ナルトアル諸鳥多クハ脚ノ指如比ナルモノナリモノ不審 “
これを、叱責を覚悟で私なりに読んでみます。
“ 産物
イワシ チドリはセキレイに少し似ていて、大小の大きさがある。背は褐色で腹は白い。尾が短く脚が長い。指が4本で、前に3本、後ろに1本あるところが、他の鳥と違うところである。11月末から12月の初旬にやってくる。それらを網で採る。焼鳥や煮しめがおいしい。40種以上と種類が多いが、最近は少なくなっていると地元民は言っている。
(小さな文は)指が4本で、前に3本、後ろに1本あるところが、他の鳥と違うところであるというが、鳥の多くの指がそんなありさまとは考えられない。少しおかしいのではないか。“
按 : 考える
如 : 状態を示すときに添えることば
この文を書いた人は、“鳥”ということは理解していて、大切な産物とも思っているでしょう。しかし、鳥の種類につきましては、本当にそんな鳥がいるかと疑っているようです。
① :「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川日本地名大辞典 新潟県 1989 ㈱角川書店
② :広瀬典原著 柏崎市立図書館編 (中村文庫筆写本)白河風土記 越後国刈羽郡之部』 1977 柏崎郷土資料刊行会
現在の鯖石川河口です。シギやチドリを見ることのできる干潟は無くなっています。
(2019年秋)
(続く)
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