国立新美術館開館記念展
20世紀美術探検
―アーティストたちの三つの冒険物語―
いってきました。やばい。
うわー
ただの便器ー!
ただのティーカップー!
ただのシャベルー!
ただの洗濯ばさみー!
ただの紐ー!
ここだけ読んだら、興味わくことはまちがいないでーしょ。
20世紀
アーティストは考えた
「芸術って何だ?」
便器だって
私ももはや頭がショートしました
「いったいどこまでが作品?」
絵はたいてい額縁のなかが作品だろう
彫刻もそれ自体が作品であろう
デュシャンにしては便器を選んだことそれ自体が作品であろう
紐は?脚立にロープがかかっているのは?
紐と脚立が組み合わさってあること、その存在が作品?
紐と脚立がある状態が作品?
脚立に紐をかけた行為が作品?
紐を脚立にかけるということが進行中なのが作品?
紐の垂れ方も含めて作品?
これに関しては、本来ある場所から「そのまま」もってきました、と、学芸員さん。
じゃあ、かけ方にこだわりはあったんだ
いや、まてよ、こだわっていたのは、作者?
一種の観客である持ってきた人や学芸員さん?
まあいっか。どっちでも
たぶん作者はそんなことは考えていないのだからね 好き勝手に紐を脚立にかけてみました。ちゃんちゃん。
おもしろい
黒い石が床に並べてある作品
学芸員さんに聞いたら、「普通に麻袋みたいなのに入れてもってくる」と。
じゃあ石自体はそんなに慎重に扱っていないととれる。
石の配置も決まっていないらしい。
「作者のチェックがはいったかどうかたしかではないのですけれど」
じゃあ石の配置もこだわりはないととれる
作者は何をした?
石の数とか石の性質とかにこだわった?いやーどうだろう
「石を床に長方形にならべる」という「考え」が作品になっているようにみえた
おもしろい
花が細い部屋においてある
学芸員さん「この空間自体が作品です」
・ ・・・・・・・・・いわれなきゃわかんないです
それは国立新美術館のその空間でしかいけなかったのか?
細い白い部屋 ならどこでもいいのか?
わからない。おもしろい。
と、いろいろ考えたけれど、考えたことも含めておもしろかった。
というか、作品だけが芸術じゃないんだね。「作品」としなくていいんだね。
もう頭がハプニング。
館内で、鉄板が曲がっているだけの作品を見て、おじいさんが
「わからん、芸術は分からないね」と。おばあさんに向けていっていた。
「私もです!!」といいたくなった
わからないのは題名をみても、わからないし。
まあ、わからないからおもしろいこともあるのよ。
知らないからいいこともある。
個人的には、「音楽」っていう作品に惹かれました。怖すぎて。
不気味中の不気味さでした。ピアノは呼吸をしていました。声を発していました。
二十世紀って熱い。
The aim of art is to prepare a person for death, to plough and harrow his soul, rendering it capable of turning to good.
芸術の目的は、
人間に死に対する準備をさせることであり
人間の魂を開拓し、柔軟にし、
人間が善に目を向けることを可能にすることである アンドレイタルコフスキー
「アートという戦場」より
なんかよくわかんないけどかっこいい。