マシマロ

記録

暇だけど暇じゃない?

2007-02-25 18:26:12 | Weblog
金曜は実に有意義でした

もはや人生への決起飲み(笑)

熱いぜ自分!
あれだけ語っといて何もしなかったらダサすきるぜ自分!
まああせらず、今出来ることをしよう

タイミング
来たら逃すな
待ってるだけでもだめだ

才能より貪欲さで勝ち残ってやる 自信あるよ







今日買った本


「悲鳴をあげる身体」 鷲田清一   PHP新書
まあキホンっしょ

「衣服は肉体に何を与えたか―――現代モードの社会学」 北山晴一  朝日選書
とりあえず。題名からして惹かれずにはいられなかった。

「つっこみ力」  パオロ・マッツァリーノ  ちくま新書
滑らかにしゃべりたいものだ(笑)





最近、受験が終わってソッコーかった上野千鶴子を読み返してみました。

すべてって何か関連してるから面白い。
というか、あたりまえ
自分の選択するものは関連しているのに気づかないまま選ぶだけの話
自分の選ぶ基準になっているものってなんだろう

変 奇抜 個性 思考・・・・んー

軸が曖昧すぎる


鷲田清一身体上野千鶴子文化ジェンダー衣服個性山本耀司川久保三宅一生コレクションフランスパリ都市東京yoshioka抽象アバンギャルドアウトサイダーアートダーガーダリバースデス古着ファッションFDLプラスアートブック日月堂シュルレアリスムダダ美術近代日本世間あべきんや絵画エロスバタイユバルトこどもの発見哲学メルロポンティデリダハイデガー村上春樹ノルウェー世界影カフカ変身門自己と他者無意識フロイトユング本人間本・・・・第二の皮膚 みんなと一緒でちょっとちがうのがいい 本当のモードは死だけ 世界と繋がってる気になるインターネット 顔の重要性 揺らぐものに惹かれる 現実を通り越した現実 無知の知 秩序の破壊 縛りに気づかぬにんげん 時間への嫉妬 アイデンティティー・・・・・・








いろいろ興味持った
共通する何かがあるはずだ
それは何だ


あ、私に選ばれたってことか

でも基準は何か のこたえが 私が選んだ っていうのはおかしい。
私が選んだの は結果に過ぎない

基準があって、結果がある
原因があって、結果がある


もはやこれが間違ってるのか


基準が決まってたら結果も決まってる?
原因があれば結果も決まってる?

そしたらなんで語を分ける必要があったのか
基準=結果ではないからだよね?

振り出しに戻る・・・




二項対立について深く考えられる人いいな

私はたぶん変な疑問に取り付かれているだけで、
わかる人が読んだら一発で 馬鹿じゃんっていわれてしまうんだろう
そもそも基準も結果もなんとなく使ってた
意味なんてホントは知らない


基準は皆それぞれで
じぶんがきめる (つまり結果も?)

じぶんがきめると決めているのは一体なんなのだ


もう一つの視点はどれナニどこ
(そういや視点が一つの個人のように書かれてるのはアフターダークだ春樹。)



基準をきめた時点で結果もきめたことになるのか?
占いの原理のような感じ?
基準と結果ということばを作った人は
ふたつをちがうとおもってつくったのか

実際は同じものか
ただ違う観点でみたものか
それは無意識のなかのできごとだったのか

基準と結果ということばより後に 
無意識が発見されたのかしらね

そこまで調べていませんが。


てゆかここまでかいといてあれだけど
結果の対義語は原因だよね笑 わかってる
基準と結果について述べたかっただけサー




話違うけど、いろいろ考えると、春樹だーこの考え方ーとかそういうの思うんだよね。


今の私とは今まで私が触れ合った こと もの ひとの集まり。
オリジナルなんてやはり
ないにひとしいの





はー、、、私って生きてる?(笑)




うわーこんなんじゃ社会にでてショートしてしまいます
社会の目・・・まだわかんない  現実ってなんだ?
むおーーーーもやもや




本買いすぎてお金がにゃー。



世界にすむ怪物

2007-02-21 08:48:32 | Weblog
イデア

『イデアとは最高度に抽象的な完全不滅の真実の実在的存在であり、感覚的事物はその影であるとする。イデアが存在しているのがイデア界(本質界)で、その陰が投影されているのがわれわれ人間の住む現実界となる。

例えば、現実の世界に、円形をした物はたくさん存在するが、いずれも完全な円ではないし円そのものでもない。しかし、これらの円の背後には永遠不変で、完璧、かつ抽象的な円のひな型であるイデアがあるとする。また、人間が花を見て美しいと感じるのは「美」というイデアが実在しており、個別の花に「美」のイデアが分有されているからである。ソクラテスとアリストテレスは違う存在であるが、共に「人間」のイデアを分有している。

人間の持つ感覚は不完全であるため、五感によってイデアを捉えることは出来ない。プラトンは、理性で認識することによってのみ、イデアに至ることが出来ると考えた。イデアが実在する、と考える点で観念論(idealism)、実念論(実在論)(realism)の系譜に属する。』
出典: フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)







イデア界の人間ってどんなのやろ?
イデア界の衣服ってどんなのやろ??



わからん


その世界の人間に近ければ近いほど
個性がなくなる




人間は服を着ることで個性を強化する


新しい印象
新しい雰囲気
新しい行動に出る勇気



やはり服に侵される

というか

助けられるのか






服を着ることで世界に繰り出せる



人間に焦点を当てれば


服が発明されなかったら
イデア界に近い世界だったのかも








なんか意味不明だけどとりあえず記録。
いっこ前のも今回も論理とか無視してるけどとりあえず記録。





全然話し違うけど、森山大道が『記録』っていう写真集を出してるが、
『記録』でお金がもらえるのって才能だよなー(笑)



ブルトンの『ナジャ』の初版が欲しくなったけど我慢した
服を買った 古着ー



鷲田やヨウジの話に時間(古着?)についての言及もあったから
気が向いたらかこーっと



一気に五感を使いすぎて疲れた。
一応経済学部だ 経済勉強せなあかん!じぶん!!



















つながる 人と 過去と

2007-02-21 08:22:07 | Weblog
街に出た






人がいた


人は、つけていた
服と名づけられた布を。




ギャルの姉ちゃんも
いかつい兄ちゃんも
サラリーマンも
地元のおばあちゃんも
バイトの上司も

みんなみんな

フクを着ていた


ギャルの姉ちゃんは、その服を着ていたからギャルの姉ちゃんとよばれた

見ず知らずの私に。


私にとって街で見かけた彼女は、服が生み出したものだった。
彼女は服だった。





服はじぶんをゆさぶった
服は影を侵した
影は第二の皮膚を選んだ

確かな自分の存在は
影によって確認された


あくまでも フクのかたちをしていた


私を侵した服は

私を表現していた?












「きみは、どこに住もうと、どんな仕事をし何を話そうと、何を食べ、何を着ようと、どんなイメージを見ようと、どう生きようと、どんなきみもきみだ。独自性―人間の、物の、場所の、独自性。身ぶるいする、いやな言葉だ、安らぎや満足の響きが隠れている“独自性”。じぶんの場、じぶんの価値を問い、じぶんがだれか、“独自性”を問う。じぶんたちのイメージをつくり、それにじぶんたちを似せる。それが“独自性”か?つくったじぶんたちとの一致が?」

『都市とモードのビデオノート』     ヴィム・ヴェンダース



服で自分をおおう

自分までおおわれ 見失いかける 
独自性つまりアイデンティティーがなくなったのではなく
アイデンティティーの存在を忘れる


服は、自分を表現しているのか?
服は、自分を侵しているのか?


表現としてみると、侵されているとは思わない
侵されているとみると、表現しきれない

つまり、コタエにたどりつけない  むむむ





『ちぐはぐな身体』鷲田清一
『都市とモードのビデオノート』ヴィム・ヴェンダース監督
『Dolls』北野武監督
『トニー滝谷』市川準監督    

の感想①かなあ。
中途半端だなーん もやもや






今ホットな人間は、  

俄然、鷲田清一と山本耀司だね











見なくてよい。

2007-02-18 22:38:27 | Weblog
ただのメモ。


■今日買った。
『ちぐはぐな身体』  鷲田清一  ちくま文庫
『てつがくを着て、まちを歩こう』  鷲田清一  ちくま学芸文庫

鷲田氏のファッション論が読みたくなったんだよ。


■昨日買った。
『美術手帖』  古本。1951年。

リブロ池袋本店では古本まつりを開催中
近代美術50年とかいうタイトルだったからつい。
ダダ・シュルレアリスムで用いられた技法とか載ってる。
古本だから、線とか引いてあってそれもまた面白い。


■金曜日に先輩から借りた。
『都市とモードのビデオノート』 ヴィム・ヴェンダース

ヴィム・ヴェンダースが山本耀司を撮った。
まだ全部見てないが・・・確実にやばし。ヨウジ・・奥が深い。


■今日上野のオルセーにいった。印象派あたりはまだまだわからん
 最近抽象絵画ばっかみてたからすごく癒された。
 
 こみ過ぎ。日曜・・雨・・・ちゃーらー!!

 それを置いとけば、すっごい楽しい文句なしの日曜でした。
 楽しかったー!



エロスの涙と百頭女とカフカとちぐはぐな身体は読んだ。
感想書きたいがまとまらん。
エロスは難しくてびつくり。まだ早かったかな。
ウォーホルよんでない。
世界幻想名作集は面白そうなのだけよんだ。
砂男こわい。フランケンもこわいーー。
読み終わってなくても買ってしまう癖は直らない。ま、直す気ナッシングだけど!



ただのメモでした。

見なくてよいって言われるとみちゃう人、いるよね(笑)
そういうの人間らしくて素敵。

 


 

時間 存在 今

2007-02-15 10:17:36 | Weblog
『Dolls』 

監督・脚本・編集   北野武 
衣裳         山本耀司
音楽         久石譲

キャスト       菅野美穂 西島秀俊
           三橋達也 松原智恵子
           深田恭子 武重勉





一本に赤い紐でつながれた男女

女は精神病
男は女を支える  言葉なしに。

[責任を負う]という言葉はあまりにも社会的過ぎる




咲き誇る桜
男と女
・・・・続く赤い紐

ひょっとこの夢
連れ去られる女
ひきづられる男
・・・・まるで人形 間 

涙。涙。。



青い衣服は薄い素材に覆われる
赤の先には 青の男

海辺。
アイドル 失明の男
「ミナイホウガイイカナッテオモッテ」

バラの花畑
赤ピンク白

1つの目だけ見える女
0つの目だけ見える男

・・・・お弁当。待つ女。



紅葉
赤オレンジ黄色グリーン

小川
冷ややかに。
小川に映る影
影は確かな存在を表す

そこに・・いたのだ。やはり。


もみじ 血 もみじ
朱・・・


赤を身にまとった女は紅葉と同化する
男は青。

現実にいるのは 
男だけかもしれない。
女の存在・・

引きずられる紐はもみじをさらい
白い雪のうえに。
赤と白

体は黒い衣に覆われる
黒と白


女は忘れていなかった
逃 逃

朝日・・・

光・・・・

ぶら下がる・・・



無音の美。













北野ーすごいよー
アマゾンとかでは厳しいコメントもあったけど私はかなり好き。日本ってきれい。日本を「超現実」としてみた感じ。あまりにも現実が現実でないくらい現実。
あー意味不明だ(笑)途中、ブニュエルの「アンダルシアの犬」を連想させるような意味不明なシーンもあった。ひょっとこと魚ね。

この映画、私には「理解」できない・・う。
だから、理解しないでいいや。音を目で見て、色を聞いて、映像を肌で感じる

共感覚 色からは音が出る

そして菅野美穂と西島秀俊!!
素敵な表情
無表情だが
無表情って演技するものなのかなあ・・。 とにかく絶賛しておきます。
私に絶賛されてもって感じだけど(笑)

あと、これ完全に山本耀司のファッションショーだよ。セリフほぼないんだもん。
色絶妙。形、素材・・・・納得
山本氏がどんな思いで作ったかは知らないけど、服の原点って感じした
先輩がチラッと話していたことを思い出した。
服というものではなく
たまたま身を包むためのものが布だったという感じ。



無声映画かと思うくらいセリフがない映画
見た後に残る 虚無感
目を閉じるとうかぶ 鮮やかな色彩









まあ、絶対賛否両論の作品であろう(笑)


私は好きだな。






















サンプラザとサングラスの行方は

2007-02-12 14:01:25 | Weblog
昨日うらわ美術館にいった

『ピカソ
 マティス
 シャガール・・・
 巨匠が彩る物語。』


これらの画家たちは大変有名だが、挿絵本を作っていたことはあまり知られていないと思う。私も全然知らなかった。

挿絵本とは絵を書く人、字を書く人、出版社・・・いろんな人たちの合同作品。

今回の展示会では、巨匠たちの版画による挿絵が公開されている。


四つの版画法。せっかくだから書き残しておこっと
・銅版画(金属版)
・木版画
・リトグラフ(石版画)
・ポショワール(ステンシル)

それぞれ線のタッチが違っていて面白かった。


版画なのに 筆みたいな線があった
白い紙に書くとき 白い部分を残して明るいイメージを持たせるか
黒い部分を多くして どーん ってイメージにするか

白と黒
光と影

それだけですごく雰囲気を変えるなぁって思った

光ってすっごい重要なことだ

私たちは光無しには何にも見ることが出来ない。
光がなくても人間って生まれたのかしら
生まれたとしたら目ってついてるのかしら
ついていたら何のためにあるのかしら
今の私たちの目の機能ではなく光無し用の目がくっついているのかしら



12月に東京都写真美術館で『光と影』っていう展示会があった
印象に残ってるのは、光の写真と絵の写真。



前者
普通、写真って光を使って撮るけど、光自体を写真に写したってもの
実際、ほんとに光の写真なのか分からないし、
これが光です!って書いてあったから 
あ、光自体ってこんなんなのね
って思うしかなかったけど 素敵に感じた
もわーんって感じの円形の光たちが。


後者
絵画を写真で撮ったもの。
しかも、その絵画が描かれたときの光の量でとられているらしい。
暗かった。何が描かれているか良く分からなかった。
こんな状況で描かれていたのかーと 感動



昔の人は 光なしに生きていた人は 
私たちが今見えるものも 見えないってことはたくさんあっただろう


しかし

光のあふれた私たちが見えない世界が 彼らには自然と見えていたのかな















ま、私たちも光無しで生活してみたら昔の人の気持ちが分かるだろうけどね

現代人そんなに暇じゃない

さらに、目は見たいものしか見ない











なっちからウィリアム・モリスの1997年の展示会図録(?)をお借りしました。
早速読むぞー      ありがとうーーーーーー楽しみーーーーー







なんときらめく歯

2007-02-10 00:38:13 | Weblog
今日はかなり充実した日だったな









私結構、孤独が好きな人間です
同時に、人間が好きな人間です

これって矛盾かしら





ヒトは一人で生きていけるかもしれません
食べればいいのよ

が、

人は一人では生きていけません

他人がいて私ができました






『わたしたちは、・・・・他者が想定しているであろうイメージにそって自らを象りながら、<わたし>を呈示しているわけである。そしてそうした相互の調整が齟齬もなくなされるとき、それらの属性はわたしのものとして承認され、わたしは「わたしである」とリアルに感じることができるようになる。』

モードの迷宮  鷲田清一





まさにアイデンティティー自己同一性の話だわね





普段は全然意識していないけど、
他人が思ってるイメージに沿って生きてるのだろうか

他人から思われたい自分を演じてるのだろうか
無意識に、すべての人間は計算人間なのだろうか



自分が思う自分のイメージ = 他人が思う自分のイメージ
アイデンティティーの一致





私、良くこの話するのだが
自分が思う自分のイメージ ≠ 他人が思う自分のイメージ
の状態で一生を終えられるのかな




本当の自分は自分しか知らずに一生を終えたとしたら
自分として生きたの?いきてないよ



では自分は死んだの?いやしんでないよ




そもそも自分を押し殺すようにしてホントの自分を心に秘めたまま一生を終えることってできるのか

本当の自分とやらが分からなくなって他人のイメージによる自分があたかも本当の自分かのように忍び寄る

そしてそれが日常になる


本当の自分が消えて新しい自分が生まれた
いや、本当の自分を覆うように新しい自分が積み重なったのか






自分の中に自分をもっていながら出さない人生って疲れるし不可能だろ







またかいてることが意味わかんないけー・・・ちーん





とにかくね、「モードの迷宮」は頭を整理すればおもしろーい考え方がいっぱい



気が向いたらまたかくかも








今日買った本
「百頭女」     M・エルンスト        河出文庫
「世界幻想名作集」 澁澤龍彦編          河出文庫
「流刑地にて」   カフカ            白水社
「エロスの涙」   ジョルジュ・バタイユ     ちくま学芸文庫
「ぼくの哲学」   アンディ・ウォーホル      新潮社

非現実 幻想 アバンギャルド的。




あとかっこつけて「high fashion」を買ってみた
ファッションっておもろいぜー 服もアートだー デザイナーがんばるぞ







読み次第かこーっと






ほんの衝動買いってやっばい楽しすぎるよ笑

スケートリンクの女王なの

2007-02-08 01:16:13 | Weblog
ウッシーからハンバーグがでてこないとの激しく鋭い指摘をされたので書きます笑




合宿中に一部の仲間には話しましたが。







ハンバーグ食べるときって、食欲を満たしたいから食べる。

けど、ハンバーグを初めて食べるときって、食欲を満たすために食べるんじゃないと思う








好奇心が、食べるという行為に自分を導いているんだと思う







だから、食べたことがないものを食べたとき
おいしかったーと満足したら、



単に食欲が満たされて満足なんじゃなくて
食欲と好奇心が満たされて満足してるんだとおもう







だから

初めて食べるものが満足感が大きいのは必然じゃーないかなあと思いました






いやー実にくだらないことを大真面目に考えてしまった
*医学的根拠はまったくもってございません












さてさて、こっからはデュシャンについてだよん。
「基準」についての話なんだが。






「観客が美術品を美術品にする」ってやつだ



よくあるよね





ここにセザンヌ好きがいたとする

その「絵」がすきなのか
「セザンヌの絵」がすきなのか



ギャルソン好きがいたとする

その「服」がすきなのか
「ギャルソンの服」がすきなのか


わかんないよねそんなこと
わかる必要ないかも






基準ってどうやって決まるのだろう







 

誰がモネはすばらしいときめたのか
誰がダリの絵を傑作だと決めたのか
誰がユニクロよりヴィトンがいいときめたのか
誰が
ダレガ
いったいだれが???






数学の「1」に「1」という名前を付けたのはだれ


「1」ってなに


だれの基準で「1」は「1」とされているの











美しさの基準ってなんだ






私はこの間のフィギアスケートで
一位よりも二位のほうが美しいと思ってた




美しさって最も意見が分かれるとこだとおもう







つまり、あの優勝って採点基準を決めた人に認められたってことだ







もし転ぶことに美を見出す人たちが基準を作ってたらかわってた








私はあらゆる基準に無意識に制限されているんだー









それが一番












生きやすいのかな






なんか全然話にまとまりがないけど直すの面倒だからこれでいいや













あ、みんな!コメントありがとう!!うれしいっす!!











ハンバーグと欲求

2007-02-06 22:48:42 | Weblog
このブログ、かっこつけた感じにしたかったけど、無理そう

やっぱり人間臭いの大好き





ただいま新潟から埼玉に帰ってきました。
サークル合宿かなりよかったー
春休みがショーと合宿で始まったことはかなり大きい。


革命起きたね。  レボリューション!!





早速本題。


私、
頭ん中は激しく創造的に。振る舞い・姿は激しくシンプルに。
って人になりたいんです。



なんか、かっこいいから。






でも、今それだったらもったいないっておもった。










≪行動力≫








コレ大事やね。




聞きたいこと、したいこと、知りたいこととかと真っ向から向き合って


体当たりでぶつかっていくこと。









結構勇気要るけど








かなり自分のキャパが広がる。









くだらない不安をフィルターにして、行動することから逃げること

忙しいからって時間のせいにして、、行動することから逃げること









だっさーい










まだまだ、かっこつけてクールにしちゃもったいないない。







まだかっこよくなくていいから、  


必死で動こう


衝動的に
創造的に








でも  現実は忘れずに。










気づかせてくれて、ありがとうございました。














今日本当は、ちくま学芸文庫の


『デュシャンは語る』



を読んだから感想書こうと思ってた。




「・・・いま問題になっている傑作というのは、観客によって決定的に宣告されるものです。見る人こそが美術館をつくり、美術館が収蔵されるものを決めるのです。」




ここら辺考えたらかなりおもしろいやー
観客が美術品を美術品にする                                                                                                                                                                                                                                         












ただ、今日は疲れたからまた気が向いたらかくぞー








次!
『デュシャンは語る』    マルセル・デュシャン×ピエールカバンヌ