
ここは、両脇を緑の田んぼに囲まれて、雲雀が天高くさえずる、のどかな田園風景の福島方面に向う線路の踏切りです。
3月11日の東日本大震災の時、この田んぼにはまだ何も植えられていませんでした。
そしてこの少し先の上り車線には、地震直後に停止してしまったままの車両が数日間残されていました。
踏切りの警報が鳴ることもなく、遮断機が下りることもなく、ここは何日も列車の通らない線路でした。
まるで、時間までもが停止してしまったかのような場所になっていました。

あれから4ヶ月、5月に植えられた田んぼの稲はスクスクと育ち、あたり一面、緑の絨毯が広がりました。

もちろん、今では列車も通っています。

やはり、列車が走っての線路です。

恋瀬川に架かる鉄橋の通過音も、何事もなかったかのように青い空に響きわたっていました。

ここは、この先端にある東京と被災地福島を結んでいる線路の通過点になる小さな踏切りなのです。
東京と福島、1本の線路で繋がれているのに、今ではかつてない両端二つの駅の温度差を感じます。
いつになったら、この線路は本当の架け橋になれるのでしょう・・・・。
福島県の方々を始め、東北各地の被災者の方たちが、早く落ち着いた生活を送れるよう願うばかりです。
3月11日の東日本大震災の時、この田んぼにはまだ何も植えられていませんでした。
そしてこの少し先の上り車線には、地震直後に停止してしまったままの車両が数日間残されていました。
踏切りの警報が鳴ることもなく、遮断機が下りることもなく、ここは何日も列車の通らない線路でした。
まるで、時間までもが停止してしまったかのような場所になっていました。

あれから4ヶ月、5月に植えられた田んぼの稲はスクスクと育ち、あたり一面、緑の絨毯が広がりました。

もちろん、今では列車も通っています。

やはり、列車が走っての線路です。

恋瀬川に架かる鉄橋の通過音も、何事もなかったかのように青い空に響きわたっていました。

ここは、この先端にある東京と被災地福島を結んでいる線路の通過点になる小さな踏切りなのです。
東京と福島、1本の線路で繋がれているのに、今ではかつてない両端二つの駅の温度差を感じます。
いつになったら、この線路は本当の架け橋になれるのでしょう・・・・。
福島県の方々を始め、東北各地の被災者の方たちが、早く落ち着いた生活を送れるよう願うばかりです。
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夏雪草さんも直接被害を受けたのですね。
列車が止まって動かないのは不安です。
私も阪神大震災を経験しました。
日本は大丈夫、必ず復興します。
今、やっとトンネルの出口の光が見えてきました。
本当に日本の復興力はすごいと思います。
決して希望を失ってはいけないのだと思います。
いつも、ありがとうございます。
茨城も 被災地なんですね~。
大阪に住んでいる私達は 今回何も被害を
受けませんでした。
私達にできる事は 義援金と節電だけのようですね。
災地のものを食べて 協力しようと思いましたが
牛肉があんなことになり 政府を信じられません。
茨城は 着々と復興しているようでよかったですね。
このたびは、コメントをありがとうございます。
遠くの方々の暖かいご支援に感謝いたします。
4ヶ月経った今、待っていたらいつになるかわからない政府の力を当てにせず、自力で頑張っている人たちがどんどん増えているような気がします。
どの時代も、庶民はたくましいですね。
拙いブログですが、これからも時々いらしてくださいね。