昨日の晩は、ようやっとまともな形でゆっくり録画していたドラゴンズ戦を観ることができた。家に帰って飯を食いつつ、ある程度試合をはしょりながら見られれば、チェックポイントが少なくて楽といえば楽なのだが、毎日毎日うまいこといかないってーのは…ねえ。
そういえば世の中は修学旅行シーズンですな。
通勤途上の山手線でも、地方の学校名が入ったリュックを背負った中学生が、集団でホームを右往左往する姿をよく見かけるようになった。
ホテル時代も、5月下旬から6月にかけては宴会の書き入れ時で、ホテル宿泊者の半数以上が修学旅行生という日も珍しくはなく、そんな時はレストランはある程度放っておいて、暇があればどんどん宴会場に送られたものだった。なにせ修学旅行生は食べるのも仕事なものだから、これがまたよく食うんだぎゃははははははは _(__)ノ彡☆ばんばん!
…
↑この文章は、会社近所のネカフェで打っているのだが、わけのわからん絵文字を登録するのはやめてくれんかww
たとえば、「笑い」って打つと、変換一発目でコレが出る↓
ぎゃははははははは _(__)ノ彡☆ばんばん!
で、二発目がこれ。
(嘲笑)
どちらにせよ人のことをバカにしてまんがな。
余談はともかく。
昨日の試合の映像を見ていると、内野席のあちらこちらに修学旅行生の集団が。
2年前から交流戦が始まり、カードによっては修学旅行生のような団体を当て込まなくても十分に集客が見込めるようになったため、修学旅行生の集団は久しぶりに見たような気がする。もしかしたら去年も一昨年もいたのかもしれないけれど、修学旅行生をスタンドで見た記憶がないのは、おいら自身が平日にマリンスタジアムに行かなくなったというのもあるし、記憶自体が風化しているのかもしれない。
以前はこの時期になると修学旅行生が席を埋めて、内野席で一通りはしゃいで、お約束として試合が動く終盤になると後ろ髪を引かれつつ退席するという、いつもいつもランナーが出てこれから試合が大きく動きそうな予感がするときに限って、修学旅行生が退場していくのを見て、いつも同情してしまうぎゃははははははは _(__)ノ彡☆ばんばん! …いや(笑)。
こういった修学旅行生達は、大抵は何人かで内野を抜け出して外野にちょいと遊びに来る奴らがいる…というのがお約束なのだが、あれは3年前のちょうど今頃だったか。もしかしたら球団からの風の吹き回しがあったかもわからないが、学校ごと内野から外野席に乱入してきたってことがあったっけ。
3年前、つまり2004年か2003年のどちらかなのは確かだが、彼らに今となっては懐かしい「Callin'」をレクチャーした記憶があるので、おそらくは2004年、第二次ボビー政権1年目の出来事ではなかったかと。
最初は内野席で見ていたはずの中学生の集団。
何人か連れて外野席に乱入してくるなあ…と思ってみていたら、その人の流れが止まらない。
どうやら学校ごとまとめて外野席に乱入してきたようだ。勇気があるなあ君たちは。
試合途中で続々と外野席になだれ込んでくる中学生の集団。
グループごとに人数を見繕っては、「おお君たち、はいこっちにおいで。ここ余ってるから座っていきなさい」なんて誘導する俺たち客(笑)。ステージに上げられてなにやら叫ぶ赤ら顔の引率の先生(笑)。
話を聞くと、岩手県は遠野からやってきた中学生だという。「遠野って、イーハトーブの遠野かい?」って聞いたら、「何で知ってるんですか!?」って言われたぞ中学生に。「それくらいは一般常識さ」って言ってやったけどな(爆)
その試合は、多分間違いなく負けていた試合だったのだろう。競った展開なら、応援団もいきなりなだれ込んできた修学旅行で来ていた引率の先生をステージに上げるわけにもいかないだろうし、先生達は上機嫌、外野席のスタンドの至る所では、試合そっちのけで外野の客と遠野の中学生のしばしの交流風景が繰り広げられた。おそらくはそんな余裕があるくらいバカ負けしていた展開だったのだろう。
そのうち、この中学生にも退場する時間がやってきた。
続々と中学生がライトゲートから退場して、一気にスタンドは「その頃の」平日の入りに逆戻り。
…そのうち、なにやらスタンド裏が騒がしくなってきた。
なにやら試合展開とはまったく関係のないところで歓声が聞こえてくる。
何事たらんとライトゲートに出てみたら、外野の客と中学生でエール交換(笑)。
「千葉ロッテ! 千葉ロッテ!」と黄色い声で叫ぶ女子中学生(´ヘ`;)ハァ(´ヘ`;)ハァ
「中学生! 中学生!」と野太い声で叫び返す我々野郎共(笑)。
そのうち、お互いに気分が高揚してきたのか、客の誰かが中学生の集団に向かって、何かを投げ込み始めた。それは帽子であったりリストバンドであったり、果てはおもむろに着ていたユニフォームを脱いで投げつける漢も数名(笑)。かっこいいったらありゃしない。
そうかあ。いつもは選手の投げ込むサインボールなんかを、スタンドでこうして群がって争奪戦を繰り広げているけれども、同じ事を中学生にお見舞いしたかww
おいらも中学生の一人に駆け寄られ、「そのユニフォームを下さい」なんてせがまれちった。
その時着ていたユニが、ただの刺繍もサインも何もない白ユニだったら、間違いなくおもむろに脱いで渡しただろうが、極めて残念なことに、その時のユニはシコタンの直筆サイン入り刺繍ユニ。数日前のエントリで書いたとおり、おいらの思い出の品物なので、どうしてもこればっかりは渡せなかった。せっかくマリンスタジアムに来て楽しんでもらったのに、渡すべき物がない。なんだか申し訳なくて…。
「ごめんな。こいつは大事なユニフォームだから、渡すわけにはいかないんだよ。」
そのあとおいらは、多分こんな事を言ったのだと思う。
「中学校を卒業して、自分でお金を貯められるようになったら、もう一度マリンスタジアムに遊びに来いよ。今日来ているお客さんは、君たちのことは間違いなくずっと覚えている。『あの時スタンドで一緒に見た遠野の中学生です』って言えばみんな分かるはずだ。もしもう一度遊びに来てくれたら、その時はユニフォームだろうがなんだろうがみんなプレゼントしてあげるよ。また来いよ。俺たちはここで待っているからな。」
その後、がっちり握手を交わしてお別れ。
その後数ヶ月と立たず、パリーグでは球界再編問題が浮上。マリーンズもあわや合併寸前まで話しが進んだことは周知の通り。その間に近鉄と青波は消えて無くなり、替わりに檻ッ鉄と狗鷲が誕生した。
その翌年、マリーンズは31年ぶりのリーグ優勝、そして初代アジアチャンピオンの栄冠に輝いた。おそらくはその時の彼らのごく一部は、「マリーンズを見たことがあるんだぜ」とばかりに鼻高々だったろう。どれだけ覚えているのかは未知数もいいところだが(笑)。
時の移ろいゆくのは早いもので、あの頃の中学3年生は、順調に進級していれば、今年は高校3年生、もう大学受験の話しが出てこようかというお年頃である。
もし、あの時一緒に見た遠野の中学生のたった一人でも、マリーンズファンになってスタンドに遊びに来てくれたら、こんなに嬉しいことはない。
あれから3年は、たった3年だろうけれど、その間にマリーンズも、マリンスタジアムも、ライトスタンドも大きく変貌していった。応援規約が制定されて応援のリードも許可制になり、今までのように高校生の集団だろうが上機嫌な先生だろうが阿武松部屋の力士だろうが、ネタにされるためにステージに上げられた、或いはリードを取らされた時代は終わりを告げた。昔は昔、今は今の時が流れるものである。懐かしいとは思っても、それをもう一度求めるつもりはまるでない。
マリーンズは元気でやってますよ。
たまには遊びに来て下さいな。覚えていたらでいいですから。遠いけれど。
そういえば世の中は修学旅行シーズンですな。
通勤途上の山手線でも、地方の学校名が入ったリュックを背負った中学生が、集団でホームを右往左往する姿をよく見かけるようになった。
ホテル時代も、5月下旬から6月にかけては宴会の書き入れ時で、ホテル宿泊者の半数以上が修学旅行生という日も珍しくはなく、そんな時はレストランはある程度放っておいて、暇があればどんどん宴会場に送られたものだった。なにせ修学旅行生は食べるのも仕事なものだから、これがまたよく食うんだぎゃははははははは _(__)ノ彡☆ばんばん!
…
↑この文章は、会社近所のネカフェで打っているのだが、わけのわからん絵文字を登録するのはやめてくれんかww
たとえば、「笑い」って打つと、変換一発目でコレが出る↓
ぎゃははははははは _(__)ノ彡☆ばんばん!
で、二発目がこれ。
(嘲笑)
どちらにせよ人のことをバカにしてまんがな。
余談はともかく。
昨日の試合の映像を見ていると、内野席のあちらこちらに修学旅行生の集団が。
2年前から交流戦が始まり、カードによっては修学旅行生のような団体を当て込まなくても十分に集客が見込めるようになったため、修学旅行生の集団は久しぶりに見たような気がする。もしかしたら去年も一昨年もいたのかもしれないけれど、修学旅行生をスタンドで見た記憶がないのは、おいら自身が平日にマリンスタジアムに行かなくなったというのもあるし、記憶自体が風化しているのかもしれない。
以前はこの時期になると修学旅行生が席を埋めて、内野席で一通りはしゃいで、お約束として試合が動く終盤になると後ろ髪を引かれつつ退席するという、いつもいつもランナーが出てこれから試合が大きく動きそうな予感がするときに限って、修学旅行生が退場していくのを見て、いつも同情してしまうぎゃははははははは _(__)ノ彡☆ばんばん! …いや(笑)。
こういった修学旅行生達は、大抵は何人かで内野を抜け出して外野にちょいと遊びに来る奴らがいる…というのがお約束なのだが、あれは3年前のちょうど今頃だったか。もしかしたら球団からの風の吹き回しがあったかもわからないが、学校ごと内野から外野席に乱入してきたってことがあったっけ。
3年前、つまり2004年か2003年のどちらかなのは確かだが、彼らに今となっては懐かしい「Callin'」をレクチャーした記憶があるので、おそらくは2004年、第二次ボビー政権1年目の出来事ではなかったかと。
最初は内野席で見ていたはずの中学生の集団。
何人か連れて外野席に乱入してくるなあ…と思ってみていたら、その人の流れが止まらない。
どうやら学校ごとまとめて外野席に乱入してきたようだ。勇気があるなあ君たちは。
試合途中で続々と外野席になだれ込んでくる中学生の集団。
グループごとに人数を見繕っては、「おお君たち、はいこっちにおいで。ここ余ってるから座っていきなさい」なんて誘導する俺たち客(笑)。ステージに上げられてなにやら叫ぶ赤ら顔の引率の先生(笑)。
話を聞くと、岩手県は遠野からやってきた中学生だという。「遠野って、イーハトーブの遠野かい?」って聞いたら、「何で知ってるんですか!?」って言われたぞ中学生に。「それくらいは一般常識さ」って言ってやったけどな(爆)
その試合は、多分間違いなく負けていた試合だったのだろう。競った展開なら、応援団もいきなりなだれ込んできた修学旅行で来ていた引率の先生をステージに上げるわけにもいかないだろうし、先生達は上機嫌、外野席のスタンドの至る所では、試合そっちのけで外野の客と遠野の中学生のしばしの交流風景が繰り広げられた。おそらくはそんな余裕があるくらいバカ負けしていた展開だったのだろう。
そのうち、この中学生にも退場する時間がやってきた。
続々と中学生がライトゲートから退場して、一気にスタンドは「その頃の」平日の入りに逆戻り。
…そのうち、なにやらスタンド裏が騒がしくなってきた。
なにやら試合展開とはまったく関係のないところで歓声が聞こえてくる。
何事たらんとライトゲートに出てみたら、外野の客と中学生でエール交換(笑)。
「千葉ロッテ! 千葉ロッテ!」と黄色い声で叫ぶ女子中学生(´ヘ`;)ハァ(´ヘ`;)ハァ
「中学生! 中学生!」と野太い声で叫び返す我々野郎共(笑)。
そのうち、お互いに気分が高揚してきたのか、客の誰かが中学生の集団に向かって、何かを投げ込み始めた。それは帽子であったりリストバンドであったり、果てはおもむろに着ていたユニフォームを脱いで投げつける漢も数名(笑)。かっこいいったらありゃしない。
そうかあ。いつもは選手の投げ込むサインボールなんかを、スタンドでこうして群がって争奪戦を繰り広げているけれども、同じ事を中学生にお見舞いしたかww
おいらも中学生の一人に駆け寄られ、「そのユニフォームを下さい」なんてせがまれちった。
その時着ていたユニが、ただの刺繍もサインも何もない白ユニだったら、間違いなくおもむろに脱いで渡しただろうが、極めて残念なことに、その時のユニはシコタンの直筆サイン入り刺繍ユニ。数日前のエントリで書いたとおり、おいらの思い出の品物なので、どうしてもこればっかりは渡せなかった。せっかくマリンスタジアムに来て楽しんでもらったのに、渡すべき物がない。なんだか申し訳なくて…。
「ごめんな。こいつは大事なユニフォームだから、渡すわけにはいかないんだよ。」
そのあとおいらは、多分こんな事を言ったのだと思う。
「中学校を卒業して、自分でお金を貯められるようになったら、もう一度マリンスタジアムに遊びに来いよ。今日来ているお客さんは、君たちのことは間違いなくずっと覚えている。『あの時スタンドで一緒に見た遠野の中学生です』って言えばみんな分かるはずだ。もしもう一度遊びに来てくれたら、その時はユニフォームだろうがなんだろうがみんなプレゼントしてあげるよ。また来いよ。俺たちはここで待っているからな。」
その後、がっちり握手を交わしてお別れ。
その後数ヶ月と立たず、パリーグでは球界再編問題が浮上。マリーンズもあわや合併寸前まで話しが進んだことは周知の通り。その間に近鉄と青波は消えて無くなり、替わりに檻ッ鉄と狗鷲が誕生した。
その翌年、マリーンズは31年ぶりのリーグ優勝、そして初代アジアチャンピオンの栄冠に輝いた。おそらくはその時の彼らのごく一部は、「マリーンズを見たことがあるんだぜ」とばかりに鼻高々だったろう。どれだけ覚えているのかは未知数もいいところだが(笑)。
時の移ろいゆくのは早いもので、あの頃の中学3年生は、順調に進級していれば、今年は高校3年生、もう大学受験の話しが出てこようかというお年頃である。
もし、あの時一緒に見た遠野の中学生のたった一人でも、マリーンズファンになってスタンドに遊びに来てくれたら、こんなに嬉しいことはない。
あれから3年は、たった3年だろうけれど、その間にマリーンズも、マリンスタジアムも、ライトスタンドも大きく変貌していった。応援規約が制定されて応援のリードも許可制になり、今までのように高校生の集団だろうが上機嫌な先生だろうが阿武松部屋の力士だろうが、ネタにされるためにステージに上げられた、或いはリードを取らされた時代は終わりを告げた。昔は昔、今は今の時が流れるものである。懐かしいとは思っても、それをもう一度求めるつもりはまるでない。
マリーンズは元気でやってますよ。
たまには遊びに来て下さいな。覚えていたらでいいですから。遠いけれど。
というよりもその光景,覚えてます!!!
外野の出入り口で,修学旅行生とファンが熱くエール交換をしてましたね。
すごくほほえましかったです。
しかも身近なブロガーさんに!!
この光景を覚えてらっしゃったくまこさんに乾杯!!
あんなに微笑ましい光景に出会うなんて、そうそうないことですからね。あの光景は、忘れたくないものですね。