次に,論文に関してであるが,
これからお話しする印象は憲法の考査委員全体で話し合った
共通の見解ではなく,
私の個人的な印象であることをお断りしておきたい。
私は,全体答案の約4分の1に当たる420通を採点した。
憲法の論文問題で問うている最も核心的問題をきちんととらえ,
論じている答案が1通もなかった。
( ̄□ ̄;)!!
今回の論文問題の基礎には「自由とは何か」という
極めて根本的な事柄に関する問いがある。
それをとらえた上で,個別・具体に検討する答案が,
私が採点したものの中にはなかった。
出題側としては,極めて残念であった。
…( ゜ Д゜)
ただ,執筆するのに十分時間があり,
執筆するのに参考文献も読むことができる法科大学院の教員が
法律雑誌に解説を書いている中にも,不適切,不十分な解説がある。
そのことを考慮すると,限られた時間の中で,
考え,資料を読み,書かなければならない受験生が
出来なかったとしても,責めることはできないようにも思われる。
(´・∀・`)ヘー
出題した問題に直接かかわる判例はないが,
受験生が問題を自ら発見し,
その問題にどういうアプローチがあり得るのか,
何を論じなければならないのかを自ら考えることを求めた問題である。
そして,資料を読んで,事実に関わるところも踏まえて,
机上の空論だけではない
憲法論を考え抜いてほしい
という「おもい」で作った問題である。
_, ._
( ゜ Д゜)!!
本年の論文問題における
そのような基本的姿勢は,
間違っていなかったと思っている。
_, ._
( ゜ Д゜)!!
ただ,受験生が問題を解く時間との関係で
資料の分量が多かったのではないかとは思っており,
この点は来年に向けた反省点である。
_, ._
( ゜ Д゜)!!
最終合格者の決定を終えた今,
旧司法試験考査委員でもあったが,
そのときと同じ危惧を抱いている。
つまり,予備校や受験にかかわる雑誌では,
採点者からすると優秀答案(模範答案)とはいえない,
合格者が書いた再現答案が「優秀答案」として扱われる。
受験生は,それを「模範答案」として暗記する。
こうして,優秀とはいえない答案が,
しかもパターン化して蔓延することになる。
今回も,採点して,
実際の答案は,出題者の意図からずれてしまっていたことから,
そのような答案が蔓延することになるのではないかと危惧している。
旧司法試験と同様の現象が起これば,
法科大学院教育の「崩壊」を,
ひいては新しい法曹養成制度自体への疑問を
呼び起こすことになるのではないか,と懸念する。
ふむ。
法科大学院教育の「崩壊」を防止するためには,なお一層,
教える側に広く,深い研究に裏付けられた教育を行うことが求められる。
そのような教育とは,
私見を押し付けるのではなく,
豊かな感受性でもって問題を発見し,
深い理性と温かい心をもって
多面的に問題を検討し,
そして筋の通った結論を導き出す能力を
養成する教育であると思われる。
意味不明(爆)。
まあ、
ちょっとずつつっこんできますかね。
まず「自由とは何か…」のくだり。
何が言いたいんですかね?
少なくとも自由権について書いてない答案が、
420通のうち1通もなかったというなら、
単純に文字が読めないだけでしょう。
出題趣旨の、
「消極的表現の自由」が書けてない答案が、
420通のうち1通もなかったというなら、
これも単純に文字が読めないだけでしょう。
「出題した問題に直接かかわる判例はないが…」のくだり。
机上の空論です。
あほらしいです。
やってらんないです。
出題者はこの問題を解いたんでしょうかね?
3者の立場に立って考えるという出題形式。
このブログで何度も批判してきましたがね。
そもそも、
法律で求められる利益衡量は、
相対立する2者の意見のどちらが正しいかを判断するモノ。
「論点で相対立する見解を挙げて、
その判断を第三者がする」
という形式で良いなら、
答案は書けますが、
2者それぞれに完璧な主張を書けというなら、
第三者の立場で論じることは、
「どっちかが良いと思う」ということだけ。
あんたらそれで点数つけてくれるの?
違うでしょ?
第三者の立場での論述が一番大事なんでしょ?
あんたらの要求通りに書いたら、
第三者の立場で論じることが別途あるとすれば、
それは、
単に、
2者の主張の中で、
出し惜しみしてるだけのこと。
はっきり言えば、
あんたらの要求していること自体が、
机上の空論なのだよ。
もうすこし、
まじめに問題つくってくれんかね?
俺たちは間違ってない…風なくだり。
一度、訴状を書いてみたらどうかね?
なんなら、
Iローの「民訴実務の基礎」を受講してはどうかね?
分量が多かった云々のくだり。
そこは別にそのままでいい。
…
目を覚ませ!!
行水でもしてこい。
□ 他の憲法の考査委員の意見の概要を紹介する。
既に説明のあった内容と共通する点も多いと思われるが,
かなりよかったのではないかという印象を述べた委員と,
逆に,
かなり期待はずれであったという印象を述べた委員が,
それぞれおられた。
ただ,
その具体的な内容を比較すると,
共通点も少なくないように思われた。
具体的に申し上げると,
予想よりはよかったとか,法科大学院の教育の成果が現れている
といった肯定的な印象を述べた委員からも,
問題点を把握してきちんと書いている答案はほんの一握りに過ぎない,
出来のいい答案はそれほど多くはないとの指摘がなされており,
きちんと出題者の意図をとらえて問題点を分析,把握して記述している答案は
少ないという印象であったように思われる。
また,
悲観的になったとか,
残念であったという印象を述べた委員のコメントを見ると,
問題点を事実に照らしてきちんと把握できていない,
例えば,
本問におけるたばこに対する警告表示が
どういう自由権を制約するのか
きちんと分析しないまま非常に表面的な記載で終わっているものが多い
とか,
大きな論点である消極的表現の自由には触れているものの,
その内容をきちんと把握しないまま記述しているものが多い
といった指摘がなされている。
こういった意見をまとめてみると,
今回の出題は,
豊富な資料を提供して事実の分析を求め,
憲法規範の的確な理解のもとに,
何が問題となるのかを把握し,
その問題に関係する事実を資料から抽出した上で,
複眼的な立場から
憲法規範を当てはめることが出来るかどうかを問う問題であったが,
こういった事実の分析や抽出が十分出来ておらず,
表現の自由の問題のようだということから,
すぐ合憲性判断の基準といった解釈についての記述に飛んでしまう答案が多く,
採点者から見ると,
法律実務に重要な事実の分析や抽出が抜けている
という印象を受けたのではないかと思われる。
消極的表現の自由が問題なのであれば,
たばこに対する警告表示を義務付けることが
どういう意味で消極的表現の自由の問題になるのかを
きちんと説明した上でないと次のステップに本当は移れないはずなのに,
そこを飛ばしてしまう答案が多かったということであろう。
その反面,
一応の問題点の把握は出来ており,
そういう意味でそれなりの記述がされている答案は少なくなかったので,
旧試験の答案に多く見られたような紋切り型の答案からは
脱却傾向にあるのではないか
という肯定的な評価をすることも可能であり,
委員の期待値によって評価が変わったのではないかと思われる。
□ 採点結果を踏まえて,
憲法の論文問題について,
前述した全体的感想よりもやや踏み込んで述べておきたい。
今年の問題では,
それぞれ異なる3つの立場から論じることを求めた。
それは,
多元的・多面的思考能力を問うものでもある。
はいはい。
第1問の1では,依頼者の希望に応じてどういう訴訟を提起するか,を尋ねた。
サンプル問題のときには,
どういう問題があるかを「簡潔に述べなさい」という尋ね方であった。
「簡潔」ってどう書けばよいのか,
どこまで書けばよいのか分からないという声が寄せられた。
また,
プレテストでは「箇条書きにしなさい」という尋ね方をしたら,
箇条書きってどう書くのか分からないという声が寄せられた。
そこで,
今年の問題では,
損失を回復したいし,損害賠償を求めたいという
依頼者の希望に応じた訴訟という,かなり絞った形で尋ねた。
それゆえか,
この問いに関してはかなりの人が書けていた。
しかし,
第1問の2の部分,
つまり憲法論としての核心的問題にかかわるところであるが,
前述したように,十分にとらえられていなかった。
教科書・概説書では,
一般に,表現の自由の中で消極的自由という概念は説明がされていない。
しかし,
それは,自由論そのものの中で論じられる。
強制からの自由と選択の自由である。
今回の問題では,
自分の意見でない他者の意見を
自分のパッケージに記載することを義務付けられることの問題性であるから,
強制からの自由を巡る問題である。
受験生は,この基本的問題に気付いてくれなかった。
その点で,出題側の期待との間にズレがあった。
また,
パターン的答案も目だった。
とりわけ,それは,営業の自由の問題だと論じている答案で目立った。
問題となった法律の立法目的は複合的目的であることを依頼者も認めている
にもかかわらず,
また,目的の問題性は問わないと述べている
にもかかわらず,
単純に消極目的・積極目的二分論で書く傾向が見られた。
ここはおっしゃるとおり。
耳が痛い。
具体的判断に関しても,
手段の合憲性を論じる際に関係する資料を出しておいたが,
それらが十分に活かされていない印象がある。
出題側としては,特定の答えを想定しているわけではなく,
受験生が資料等を用いてどのような結論を導き出すのか,
楽しみにしていた。
例えば,
タバコの値段を上げることの方が有効な手段である,
といったような主張をする答案も出てくるのではと楽しみにしていたが,
残念ながら,そのような答案はなかった。
自由な分析を是とするなら、
そんなもん、
それこそ消極的表現への制約と捉えようが、
営利的表現への制約と捉えようが、
どっちでもいいんじゃねえか?
と思うわけですがね。
…はあ。
まあ、
まとめときますか。
このヒアリングでわかった
来年の憲法論文試験(罰ゲーム)のポイントは、
1、出題形式は今年と同じ可能性が高い。
2、分量が少なくなる可能性がある。
3、事実を拾わないと点にならない。
ということですかね。
わからない問題が出たら、
必ず表現の自由で構成してみる…
くらいしか対策練りようがない。
スラングを連発したくなるこの気持ち。。。
「死ね」とか書けたらいいのに。。。