人の話を聞く時には、
「人の目をみて話を聞きなさいよ」
ってことを言われる。
しかし、言われる度に疑問を感じる。ホントにそうか?
確かに、話の聞き始めは、相手の目を見るべきだろう。
そうすれば、自分の頭にある「雑念」が払われ、
相手の話に集中できるから。
しかし、話の途中は、ずっと相手の目を見ることは不可能だ。
相手の話を全て理解・納得できれば、相手の目を見続けることもできるだろう。
だが、実際にはそういう場面はほとんどない。
相手の言っていることが理解できなかったり、
自分の知識・理解と異なったりすることはしょちゅうある。
そんなときは、いったん自分の頭を整理しないといけない。
しかし、この作業中に、相手の話に集中するための動作である、
「相手の目を見る」という作業は、非常に邪魔である。
だから、人の話を聞く際には、
「視線を外す」という作業が必要になるのである。
以上から、「人の話を聞くときには相手の目を見なさいよ」という格言には、
嘘があると思う。
だからね、Oさむちゃん、
悪意があって視線を外しているわけじゃないから。
視線を外したときに、視線を合わせようとにじり寄らなくてもいいから。
<本日の快便指数2>65
「人の目をみて話を聞きなさいよ」
ってことを言われる。
しかし、言われる度に疑問を感じる。ホントにそうか?
確かに、話の聞き始めは、相手の目を見るべきだろう。
そうすれば、自分の頭にある「雑念」が払われ、
相手の話に集中できるから。
しかし、話の途中は、ずっと相手の目を見ることは不可能だ。
相手の話を全て理解・納得できれば、相手の目を見続けることもできるだろう。
だが、実際にはそういう場面はほとんどない。
相手の言っていることが理解できなかったり、
自分の知識・理解と異なったりすることはしょちゅうある。
そんなときは、いったん自分の頭を整理しないといけない。
しかし、この作業中に、相手の話に集中するための動作である、
「相手の目を見る」という作業は、非常に邪魔である。
だから、人の話を聞く際には、
「視線を外す」という作業が必要になるのである。
以上から、「人の話を聞くときには相手の目を見なさいよ」という格言には、
嘘があると思う。
だからね、Oさむちゃん、
悪意があって視線を外しているわけじゃないから。
視線を外したときに、視線を合わせようとにじり寄らなくてもいいから。
<本日の快便指数2>65