goo blog サービス終了のお知らせ 

北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

閑話休題

2014-10-07 14:52:28 | 日記
以前、千葉で設計した住宅が、造園家の方のサイトで紹介されていました。
















「庭蝉」さんといいます。

http://www.niwasemi.com/works/2012/11/6.html

です。お近くの方は、是非どうぞ、、、。



追記


ブログで、この住宅の写真を見た方から、「建物の外観が不自然だ。」との指摘を受けま

した。実は、その通りなのです。2階には1部屋しかない住宅で、吹き抜けが多いのです

が、(建て主さんは誰かから聞いて、後から床を張って部屋にすると得だと思っていたよ

うです、、。ですが、それは後から判ったことで、私は吹き抜けの希望を伺っても、なる

べくボリュームのない吹き抜けにしました。設計士ならば当然だと思います。もちろん

床を張っても部屋にはなりません。階段さえ付きません。予算は随分と掛かりました。)

その1部屋は弟さんの部屋の予定だったのですが、お姉さんの方が「どうしてもバルコニ

ーを付けて欲しい。」との希望で、屋根をえぐってつけたのです。(三角の木製の手摺り

がそうです。)図面を変えるのは簡単ですが、人の心を変えるのは大変なのです、、、。

予算は余計にかかるし、形は不自然に崩れるし、良いことなど1つもないと説明はするの

ですが、、、。設計士の理を尽くした説明よりも、御自分の気持ちを優先されたかったよ

うです、、、、。設計士との打ち合わせは、とても大事です。もちろん全て予算に関わる

事柄です。このバルコニーを作るのに、幾らかかった事でしょうか、、、。(外壁は増え

て、サッシも追加。防水の下地は断熱までして、配管も増える。大工さんの手間賃だけで

も相当です。150~160万円くらいでしょうか? それだけあれば、もっとバランス良く、

他の仕上げなり、金物なりを良くすることに、予算をまわせます、、、。) 今は、弟さん

が、一人で住まわれています。(当初の、設計士の私の「読み」通りでした、、、。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとさへひとにとゞまらぬ

2014-10-07 13:09:40 | 日記

友人の幸田章君が亡くなった時に、想い出していた詩です。



 告別


おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管(くゎん)とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ


この、「ひとさへひとにとゞまらぬ」ってところで、ジンっときちゃうんです、、、。

どうしようも、ありません、、、。宮沢賢治の詩です。












幸田君が内井事務所時代に最後に担当した新吹上御所。池田山の旧正田邸の面影が

ちょっとあるかも知れませんね、、、。









 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主主義

2014-10-07 11:41:59 | 日記
11歳の時から、民主主義は嫌いである。だが、20歳になると、投票権が得られる。では、

民主主義が嫌いだから、いつも棄権するかと言うと、そうではない。私は今まで一度も

国政選挙では棄権したことは無い。支持する政党や個人など、もちろん無い。ではどうす

るか、昔の中選挙区制度であろうが、現行の小選挙区制度であろうが、必ず「次点狙い」

つまり「落ちる人」に投票するのである。私が投票する候補者は気の毒である。かなりの

確率で落選するのである。一度、ある町の町議会選挙で、30人立候補して2人しか落選し

ない選挙で、次点の共産党候補を的中させてしまった。東京にいた時、当時はまだ自民党

と公明党とは、今とは違ったので、自民党の議員を落選させたくて、公明党に投票した。

だいたい、今の民主主義と言うものは、なるべく少ない得票率、つまり支持者で、政権を

取れるなら、その方が望ましく効率が良いのである。自分達の支持者ではない、その他

大勢の、圧倒的に数の多い人達の利益利権を、数の少ない自分達の支持者に分配したほう

が、政権党の政治家にとっても、その数の少ない支持者にとっても都合が良いのである。

(簡単な算数である、、、。)戦争をするとか、戦争をしないとかでなければ、大政翼賛会

など、都合が良くもなんとも無いのである。圧倒的に民主的なシステムによって、その国

民のほとんど全てによって支持された政権は、政治家の悪夢である。今の自民党の政治家

の皆さんはプロだから、そのあたりは熟知されているのである。


追記

出来れば、選挙は、中選挙区制度であろうが小選挙区制度であろうが、二段階選挙にして

ほしい。一回目で定員プラス1にして、二回目に落選者以外を選ぶ。私は日曜ごとに二回

続けて投票に行くのは何の苦もない。投票それ自体は物理的には非常に簡単な事である。

我が家から、いつもの投票所の小学校までは片道五分もかからず、記入と合わせても三十

分もかからない。民主主義が素晴らしいのであれば、それぐらいは何のことはない。(そ

のかわり、政権党が政権を維持し続けるのは相当な常識と努力が必要で大変なはず。)


追記の追記

だいたい私には、この世に何かしらの素晴らしい「何とか主義」があるとは思えない。

宗教の鬼子である「お金」も、確かになければ不便きわまりない代物だが、プラザ合意

以降、変動相場制を見ていると、世界が変な意味で狭くなっただけのような気さえする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする