南都雄二さんと言っても、若い人は、もう判らないだろうが、昔、確か日曜日の夜遅くに
ミヤコ蝶々さんと「夫婦善哉」と言う番組の司会をしていた、ミヤコ蝶々さんの旦那さん
だった人。母は「夫婦善哉」が大好きで(今は「新婚さん、いらっしゃーい」になっ
ている、、、。)、とにかく、他所の夫婦のあれやこれやが面白おかしいらしく、「この
二人は元は夫婦だったのよ。」と言いながらテレビを見ていた。
左が蝶々さん、右が南都雄二さん
夜遅く電気を消した暗い部屋で、母の隣にチョコンと座り、中学生の私は大人の世界の事
など訳も判らないくせに、母と一緒にテレビを見ていた。母は、ドラマや映画などの「作
り物」の世界よりも他人の実人生の方に、はるかに興味を持つらしく、「この夫婦、可笑
しいわねぇー」「こんな夫婦がいるのねぇー」なんて言いながら、クスクス笑っていた。
中学生の私にはミヤコ蝶々さんは、当時すでにおばあさんに見えて、南都雄二さんは若い
人のように見えたが(上の写真の南都雄二さんは、すでにお酒か何かで体を壊したか何か
して少し痩せたころのものかも知れません、、、。)、この二人が元は夫婦だったと言わ
れてもピンと来なかった、、、。
ミヤコ蝶々さんや南都雄二さんのような芸人さんは、もう出てこないんでしょうね、、。
小津安二郎の映画「浮草」のような旅芸人の世界も、もうなくなってしまいます。
確か、中村鴈治郎の痴話喧嘩か何かの様子を旅芸人の一座が二階の楽屋から見下ろすの図
子役の子供を抱っこしているのが小津安二郎監督。その右に、京マチ子さん、中村鴈治郎
さん、笠智衆さん、京マチ子さんの手前は浦辺粂子さん、監督の左の二人は誰かな?建築
も、こんな風に作れたら良いのですが、、、、「顎別れ(あごわかれ)」なんて、今はもう
死語です。殺伐とした世の中です、、、。
小津安二郎監督の映画の小道具は、赤坂一ツ木通りの「貴多川」で揃えていたとの事なの
ですが、「貴多川」の設計は吉田五十八さんです。赤坂見附から吉村先生の事務所に行く
時に、前を通りました、、、。
小津安二郎監督の映画に使われた住宅のセットの平面図などは、東北大学大学院教授、
五十嵐太郎さんの「デジタル小津安二郎」に紹介されています。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1999ozu/japanese/contents.html
「建築家としての小津安二郎」です。
追記 読者の方から指摘を頂きました。「あごわかれ」は「網子別れ」と書くのだそう
です。北海道内の言葉で、ニシン漁などの漁期の終わりに、網元が各地から集ま
った漁師さん達に、お酒を振舞ったりする事なのだそうです。私は建築現場で耳
で聞いた言葉だったので「顎別れ」だとばかり思っていました。失礼しました。
建築現場では、さすがに少なくなったようですが、職場の送別会の時などに、ま
だまだ使われているようです。