筑井孝子の毎日日記

絵を描き 教え 頑張る毎日

大人の遠足

2017-10-26 19:11:12 | 日記
今度天井画を描く
お寺の本寺を上野さんぴに行ってきました。










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上野三碑(こうずけさんぴ)とは、現在の高崎市に所在する7世紀から8世紀にかけての古代の石碑3基(多胡碑、山上碑(やまのうえひ)、金井沢碑)の総称で、それぞれ特別史跡に指定されています。三碑とも半径5キロメートル以内の非常に近接した位置に所在しています。
 それぞれ、碑の大きさや形状は異なりますが、金井沢碑に記された「下賛郷(しもさぬごう)」あるいは「三家(みやけ)」が、山上碑の冒頭のこの地域の有力氏族と見られる「佐野三家(さののみやけ)」とかかわるとみられるなど、関連する点も少なくありません。
 また、朝鮮半島の石碑文化の影響を反映する石碑、文字の使用、碑文からうかがえる仏教信仰等、早くから先進文化が定着・蓄積していた上野国の文化度の高さを象徴する文化遺産です。
 平成27年9月24日、世界記憶遺産の国内候補として決定され、平成29年のユネスコ国際諮問委員会において登録の可否が審議されます。

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でね。

ここ数日上毛新聞でとりあげられて。。


日本でも本当に少ししかない
石碑なんだね。

それなのに
「井沢さんの家」の近くに3つも

それも

今度天井画を描くお寺のちかく。。

びっくりってことで

行ってきました。



これが

有名な「多胡の古碑」

「多胡」って 外国人が多いってことなんだって
知らなかった。。

でね。

新羅のところから
「群馬がいい」ってことで

ここが

。。

群馬には「国分寺」って
跡地があって

そこも

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奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇は国ごとに僧寺と尼寺を造ることを命じました。これが国分寺で、後に僧寺が「国分寺」と言われるようになりました。

 当時の群馬県は上野国と呼ばれており、その国分寺は今の高崎市と前橋市の境近くに建てられました。

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同じような時代に。。。

群馬って選ばれし土地だったのかもしれないって

歴史ミステリーな感じ



お天気に恵まれて。。

でも

下見の時に
ちょっと風邪ひいて

道間違えて。。

みんなに2kあるかせちゃった







古墳なんかもみて



勉強して



たのしかったよ。


多胡碑記念館でも
楽しめました。

ま。。

めでたし。。めでたし

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2017-10-26 21:05:52
秋晴れの遠足、歴史の勉強しました。28日にはユネスコ認定の報告、楽しみにしてます。先生早い・毎日日記に記念写真も・いろいろと、有難うございました。楽しい遠足でした。50sachiko
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お返事おそくなりました。 (せんせい)
2017-10-31 11:13:55
ほんとうに楽しいよかったですね。本当にたのしい旅行になりましたありがとう
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